五話 Eの乱入
「さてとエリック、昼飯に行くか。紹介したい人がいるんだ」
「悪い、先約がある。侯爵令嬢たちと薔薇園で食事会なんだ」
おそらくはエドナの事をさしているのだ。またとないチャンスかもしれないが、べリンダたちを優先することでもしかしたら釣れるかもしれないので、念のために行き先を告げておく。
アルバートは顔をしかめている。
「馴染むの早すぎやしないか?」
「ふっふっふ、有能だと言ってくれたまえ。では、またな」
手を振りながら、その場を後にする。アイリーンでは言えない軽口がエリックだとこうも容易い。
薔薇園に行くと既に三人は集まっていた。朝はしっかり食べ、夜はお呼ばれしたりするので昼はいつも軽食程度だ。
「守備はどうなの?」
「一度すれ違っただけだよ。アルバートに昼を誘われたけど断った。こちらから出向くよりは追いかけさせた方が良いかなと思って」
人から紹介されただけでは大した印象にはならないと言えば、みんな納得した。
「結構慎重ですのね。男装で落とすなんてノリだけで行動するかと思ったのに」
「一応陛下の命令だからね。失敗はしたくないんだよ」
セリーヌの毒舌だってさらりとかわす。
エリックとしてだけど、アルバートと何気ない会話が出来た今日はとても機嫌が良い。アイリーンに戻っても同じように出来る自信が、今は全くない。
だったらせめて男装している時だけでも、楽しんだ方が良い。
午前中の情報交換を行う。専門分野がそれぞれの婚約者同士で同じなので、授業の選択もほとんど顔を合わせることになる。
今までと同じように話しかけても、邪険にされたり席を立たれたりされると誰もがため息をついた。
「ちょっと待った。エドナとのいちゃいちゃを見せつけられるなんてことは誰もされていないんだね?」
私が指摘すると、皆が驚愕し絶句した。
事務室で入手した授業割で、皆が受けた授業をチェックして行く。余る授業も無いことは無いが、こうも続くのはどれだけの確率だろう?
「あの子、いったいどの授業を受けているのかしら。婚約者たちの誰かしらの所へずっとついていると思ったのに」
「そもそもこの学園にいつからいるの?」
「寮に戻っているかも怪しいわよね」
学院から寮へと移動する魔法陣は一つだけだ。だから朝は魔法陣周辺が混雑することが多いのだが、婚約者と共に移動するとエドナが待ち構えている状況が多い。
朝早く移動していると言われればそれまでだが、魔法陣で移動する場面を誰も見ていないのは、少しおかしい。
「後で事務局に聞いてみるよ。出欠の状況は記録されているだろうから」
「ええ、お願いね」
私は男装したままだけど四人でいつも通り食事を楽しんでいると、がさがさと無遠慮に生垣の茂みをかき分ける音が聞こえた。蔓性の薔薇の生垣で通るのは大変なはずなのに。
現れたのは、エドナ・イーリィ。よく手入れされた木を鷲掴みにし、葉っぱや花びらを頭に付けている。
私は、それだけで腹立たしくなった。
「あはっ、やっと見つけた。今朝会ったよね?私エドナ・イーリィって言うの、よろしくねっ」
「申し訳ございません。止めたのですが無理やり入ってしまって……」
外に立っていた護衛が腕を掴み追い出そうとするが、エドナはそれをすり抜けた。それどころか私の腕に縋り付くようにしてきた。
こんな感じで無遠慮にアルバートに近づいたのかと思うと、腹が立つ。優しいアルバートは次期国王として、きっといやいやながらも誠実に対応したはずだ。
エリックになっているせいか感情を隠しきれず、まずは無視することに決めた。
「セレーヌ、結晶石の回路を魔力を使わずに刻むことで、量産化が可能になったと情報を耳にしたのだが」
「え、ええ、よく御存じですね。魔法省に特許を出願する段階まで進んでおります。時機を見て諸外国にも公表を―――」
「どうして自己紹介をしているのに返事もしてくれないんですか」
突然話を振られても見事に答えたセリーヌの言葉を遮って、エドナはキーキーと喚いた。耳元なので余計にうるさい。
私は構わずべリンダに話を振る。
「べリンダ、私がいない二年の間にこの国の淑女の振る舞いは変わってしまったのだろうか」
「そんなはずはございません。ですが、最近挨拶もまともに出来ない下級貴族が学院の中を出歩いているとか」
「親切心から何度か注意しましたが、聞き入れてもらえませんでしたし……」
「私も。挙句の果てにはいじめ扱いされました」
侯爵令嬢三人の極寒の視線が一斉に注がれると、流石にエドナはたじろいだ。慌てて私から離れ上級貴族に対する挨拶をしてみせるが、ぎこちない。
「初にお目にかかります。エドナ・イーリィと申します」
スカートを摘まみ後ろへ足を下げているのだが、バランスがうまく取れなかったのかすぐに元に戻す。みっともないとしか言いようのない挨拶に笑みを浮かべながら、私は拍手をした。
「良く出来たね、小猿ちゃん。私の名はエリック・ユール。ここは淑女が集う場所だ。きぃきぃ喚く小猿には相応しくないので出て行ってくれないか」
「コザ……!」
エドナは口をあんぐりと開けて絶句した。淑女にあるまじき行為をさらに重ねる。べリンダが警備兵に連れて行くように指示すると、エドナを追いかけてきたアルバートたちがやって来た。
「エドナ、ここにいたのか。早くしないと食事する時間が無くなるぞ」
「ん?あれ、お前エリックじゃないか。久しぶりだなぁ」
リーワース砦でエリックとして顔を合わせたことのあるベイルが、とても懐かしそうに声を掛けてきた。この剣呑な雰囲気に疑問を持たずスルーできるのは彼の特技だ。代々王家に仕える近衛騎士の家系で、自分にも強くあろうと戒めている。
立ち上がって握手をしながら、自分の立場を軽く説明した。
「ああ、婚約破棄された令嬢たちに悪い虫が付かぬよう守れと陛下から仰せつかってね」
「お前こそ悪い虫なんじゃないのか」
喧嘩を売ってきたのはセドリック・コリンズ。魔術師師団長の息子で彼本人も魔術に関しての能力は抜きんでているらしい。同世代と比べて背が低い上に、少し幼い顔立ちだ。
「おや、嫉妬か。婚約破棄をしたのはそちらの方なのに?」
背丈を利用してちょっぴり見下せば、セドリックは物凄く悔しそうな顔をした。
自分が婚約破棄した割に食って掛かるなんて、セドリックも少し突けば元に戻りそうだ。どうしてなのか理由が物凄く気になるけれど。
「学院では見たことのない顔だな。アルバートとベイルとも知り合いみたいだし」
「ああ、そっちの二人は初めまして、だな。エリック・ユールだ。学院の視察も兼ねてフェリシア様の命でここに暫くいることになった」
「デューイ・ドノヴァンだ。父親がこの国の宰相をやっている」
デューイはメガネを掛けているが、この年にして父親と同じく眉間にしわを刻んでいる。私を警戒し探るような目を向けてくる様は本当に父親そっくりだ。
デューイが自己紹介するのを見て、セドリックも渋々名前を告げた。
「僕はセドリック・コリンズ。魔術師師団長の息子。……エドナ、早く行かないと」
セドリックの呼びかけに漸くエドナの意識が戻ってきた。
「四人とも、助けに来てくれたのね」
「どういうことだ?」
「ここに居る人たちが私をいじめていたの」
「いじめ?」
アルバートたち四人がそろってこちらを睨みつける。私はため息をつきながらべリンダたちをかばうように前へ出た。
「俺はべリンダたちに招かれたんだが、彼女は無理やり生垣をかき分けてここに入って来たんだ」
「私たちはあまりにも不作法なので注意しただけですよ。私達しかフェリシア様の使用許可は得ていないと言うのに」
エドナはきょとんとしているが、アルバートたちは真っ青になっている。過去にやらかした者がどのような末路をたどったか。神隠しにあうだの決して出世できないだの幸せな結婚ができなくなるだの、七不思議の一つとして語り継がれているほどだ。
実際にはフェリシア様が学生時代に手ずから植えた生垣で、傷つけた者はほんの少しえげつない報復を受けているだけなのだが。女性陣にはきちんとした情報が伝わるのに対して、男性陣には怪談話として伝わるらしい。
「エドナ、本当にそんなことをしたのか」
「ええ。何よ、たかが生垣くらいで―――」
「エリック、このことは内密に頼む。皆もそのように」
息子であるアルバートは果たしてどちらだろう。フェリシア様の所業と知っているのだろうか。
私は笑みを浮かべて返事をしておいた。
「わかった。そのエドナ嬢にきちんと言い含めておいてくれ」
「ああ。エドナ、行こう。昼を食べ損ねてしまう」
「ちょっと待って、なんで私が逃げるような形になっているの―――」
問答無用でアルバートたちに連行されるエドナ。ギャーギャー喚く声が徐々に遠ざかっていくと、一同やれやれとため息をついた。
「アイリーン。胸がすくような思いをさせてくれたのは嬉しいけど、エドナに好かれて引きはがすのではなかったの?」
セリーヌのもっともな指摘に私はテーブルに突っ伏した。べリンダが慌ててフォローをする。
「だ、大丈夫よ。Sっ気があって素敵だったわよ。冷たい視線に射抜かれたいと思うかもしれないじゃない?」
「けれど、デューイ様とキャラが被るかも」
「へぇ、デューイってそんな感じなの。だったらちょっと方向性を変えた方が良いかもね」
談義はいつのまにか、エリックをどんなキャラクターに仕上げるかになっていた。
「ベイルが脳筋で、セドリックがショタ、デューイは冷血メガネ?」
「人の婚約者を捕まえてなんてことを。王子殿下だって正体不明感があるわよね」
「俺様ではない事は確かね。今回の婚約破棄だって何かありそうな気さえする」
「だったらエリックは……」
「「「女たらし?」」」
一拍おいて、皆の声がきれいにそろった。私は思わず頭を抱える。確かに目指すべきところはそんな感じなのかもしれない。
「もう少し言い方ってものが……」
「だって、彼らからしてもこの状況はそう見えると思うわよ」
「三人の令嬢に一人の男だもんね。諦めなさい」
私は盛大にため息をついた。