四話 Eの視察
「エリック様、お待ちしておりました」
「べリンダ、セリーヌ、ディアナ。昨日は有難う。お陰で助かった」
「いいえ、こちらこそ楽しい時間を過ごさせていただきました」
城から直通の転移魔法陣を使って貴族学院に移動すると、べリンダたちが待ち構えていた。昨夜から続いていた緊張が少しだけほぐれる。
手続きの為に事務局へと四人で移動を開始した。あちこちに魔法が組み込まれていて、学生証が無いと何をするにも不便なのだ。
魔法陣から事務局へは人気の少ない細い通路からも行けるが、出来るだけ目立つように前庭や大廊下を通った。
侯爵令嬢が三人もいれば、好奇の視線は自然と集まってくる。それに加えて得体の知れない男がその中心にいるのだから、やじ馬のざわめきも仕方がない。
見慣れている場所なのに、いつもより視線が少しだけ高いのがとても新鮮だ。侯爵令嬢にはあるまじき行為だが、ついうっかりとキョロキョロしてしまった。気づいたべリンダがくすくすと笑う。
「心配なさらずとも、後程ご案内させていただきますわね」
「ああ、助かるよ。結構広いんだな」
「各分野の王立の研究所が併設されていて、引き抜かれることもございます」
初めてここへ来たように装い、皆との会話の内容に不自然が無いよう気を付けながら徐々に慣れ、事務局に着くころにはすっかり異邦人エリック・ユールとなっていた。
べリンダたちの気づかいは本当に有り難かった。一人で行ってたら不自然さに気付かず真っ直ぐ事務局へ進んでいたかもしれない。助けを求めて正解だ。
「では、私たちはこれで失礼します」
「昼食はご一緒しましょうね」
「ああ、楽しみだ」
べリンダたちと別れ、事務局でもう既に知っている内容の説明を受けながら手続きを済ませていく。
王妃になる為の英才教育を受けている為、アイリーンに戻った時について行けないという事は絶対に有り得ない。それはアルバートも同じで、王城だけでなく貴族学院の授業を受けるのは、他の貴族との交流を持ったり一人の教師による思想の偏りや認識の違いを防ぐ目的がある。
けれど全て選択制である授業は、アイリーンが取っている物をほとんどそのまま選んだ。理由は、ほぼ同じものをアルバートが受けているからだ。違う物を選べば女王陛下の意を汲んでいない事になる。
肝心のエドナが受けている授業をべリンダたちも知らなかったので、接触は授業以外の時間帯になりそうだ。
「こちらが学生証になります。陛下からは視察も含むと窺っておりますので、授業選択されていない魔法棟や訓練場への移動も出来ますが、他の領地の寮へは移動できませんのでご注意ください。転移陣もご使用できます」
「分かりました。有難うございます」
カード型の学生証を内ポケットへしまい、渡された時間割と地図を見ながら一人で移動する。場所は分かっているが来たばかりのエリックが手がかりもなしに移動していたらおかしいからだ。
途中でエドナ・イーリィがセドリック・コリンズとデューイ・ドノヴァンに囲まれているのを見かけた。
セリーヌとディアナの婚約者だ。授業がもうすぐ始まるのに二人ともエドナと夢中で話をしている。
一戦目、開始か。いや、まだ、まだだ。
ここで道を聞くふりをしてエドナに声を掛けるのは容易いが、インパクトが薄い上に二人の反感を買ってしまう。
考えに考えて、黙って通り過ぎることにした。
もちろん、何もしないわけでは無い。魔術でマントの端にゆったりとした風を纏わり付かせゆっくりと歩く。
視線を感じたところで地図から顔を上げ、すれ違いざまに一瞬だけ偶然目が合ったふりをした。
「エドナ?」
「あ、ごめんなさい。何だったかしら」
そんなやり取りが背後から聞こえてきた。よし、手応え在りっ!と浮足立っていたのも束の間で、角を曲がる頃には壁に手をついてずんっと落ち込むほど自己嫌悪に苛まされていた。
何やってんだ自分。どこを目指してるんだ自分。
……いや、違った。これで良いんだ。うん、大丈夫。
彼女を誑し込んで婚約者たちから引きはがすのが目的なのに、たった一回運命の出会いっぽいのを演じただけでものすごく居た堪れない気持ちになる。
何だか変態っぽい。ナルシストっぽい。
このまま同じような事を繰り返すのかと思うと気分は泥沼に沈む。それでも気分を切り替えて、とっととアルバートの所に行こうと歩き始めた。
歴史、経済、言語などの他にも芸術や護身のための武術や魔術、更には社交の基本など。金銭的に専門の教師を招くのが厳しい下級貴族も、ここで底上げされる。
建前は「分け隔てなく学べる」だが、実際には家格の差を実感させ下剋上やエドナのような者を出さないのが目的でもある。
本来なら異邦人エリックとして手を抜くべきなのだろうが、私は全力で取り組んだ。婚約破棄四人組よりも優秀であるとエドナに認識させなければならないからだ。
「優秀すぎるな。お前はどこの国の出身だったかな」
「陛下にはお伝えしてあるが、いろいろな事情から口外は出来ないんだ」
アルバートが探るような眼をしてくる。無防備に仲良くなったリーワース砦の時よりも成長しているようだ。
「この国の歴史にしても私より詳しいではないか」
「努力しているからね」
「帰化して私に仕えたらどうだ?これだけ優秀なら他国でも上級貴族だろうから無理か」
思わぬ引き抜生きの言葉に私は目を見張った。
アルバートに仕えれば男女の中になれなくてもずっと傍に居られる。けれどそれは、誰かと一緒になる姿を間近で見ていなくてはならないわけで―――
「冗談だろ、安易に婚約破棄する奴なんかに誰が仕えるもんか」
棘のある言い方で不快を示せば、アルバートは肩を竦めた。
「やけにこだわるな。俺とアイリーンの問題なのに」
「君は王子で次期国王で彼女は王妃教育を受けた侯爵令嬢だ。立場ってものがあるだろう」
「だがここは学院だ。俺もアイリーンもただの生徒だ。外では出来ない事をするのなら今のうちだろう?」
聞き方によっては、今のうちにやんちゃしておきたいとも聞こえる。婚約破棄して自分の好きな女の子と遊びたいと。
けれど骨抜きにされているかと思っていたエドナの名前が全く出てこない。褒め称えたりのろけを聞かされる覚悟だってあったのに。
それに、気に入った子がいたのなら側室として迎え入れれば良いのに。
―――本当に私を怒らせたり泣かせたりする為だけにあんなことをしたのだろうか。だとしたら、私はまんまとアルバートの策にはまっていることになる。部屋で一人になると、思い出して怒りもするし泣きもする。今までの人生が全て無駄になったようで、絶望に蝕まれていく感覚に陥る事だってある。
だが、今はエリックだ。
アイリーンでは後が怖くて言えない文句も、今のうちにたくさん言っておこう。
「公の場で彼女を辱めることが今のうちにすること、か」
「本当によく知っているな。母上の客人でなければ他国の密偵として疑っているところだ」
「っはは、そうだとしたら俺は暗殺されてしまうのかな」
もしもこのままアルバートが破棄を撤回しないのなら、死ぬ間際に正体を明かして悲劇のヒロインになるのも悪くは無いかもしれない。
アルバートは障害が無くなったと喜ぶだろうか、それとも……泣いてくれるだろうか。