十八話 Eの決断
最終話まで三話同時投稿です。
「エリック、婚約破棄を撤回しようと思っているんだが……」
「良いことだと思うが、何か問題でも?」
ここは城の中のエリックに与えられた部屋。相談があると言って訪ねてきたアルバートは椅子に座り、睡眠に差し支えのないお茶を飲んでいる。
答えを急かしてもアルバートはは何かを言いあぐねている。他人に意見を求めるほどに問題があるのかと内心では冷や汗ものだ。
もしかし怒って扇を折ったのがそんなにショックだった?確かにか弱き乙女にあるまじき行為だったとは思うけれど、滅多にしないし怖がらなくても良いのに。
アルバートは何度か逡巡した後、やっと重たい口を開いた。
「もしもアイリーンより私の方が先に死んだら、アイリーンをそなたに託しても良いか?」
無理ですっっ!いくら私でも自分と結婚できません!
あんぐり口を開けた私に構わず、アルバートは心の内を明かす。
「私が死んだ時点で子供が出来ていなかったらドノヴァン家から次期国王が出るはずなんだ。流石にその男とアイリーンが結婚するのは嫌だ。ドノヴァン家の男は眉間にしわでがっちがちの石頭だからな。せっかく感情豊かになったアイリーンが元に戻ってしまう。かと言ってそれ以下の低い身分の男にかっさらわれるのも気に食わん」
「結婚する前から自分の死後を気にするなんてどれだけ心配性なんだよ。いくらお父上の件があるからと言ってもアルバートは健康そのものじゃないか」
と反論してみたものの、アルバートの決意は固いようで床の上で土下座をしてまで頼み込んできた。
―――愛されているなぁ、私。にやけるのを抑えるのに実は必死だ。婚約破棄状態にあるのが嘘みたい。でもここでイエスなんて言えるわけがない。いくらエリックでも中途半端な約束をしたくない。
「頼む、男の一生の頼みだ。」
「無理」
「何故、あ、もしかしたら他に相手がいるのか?もしかして本当にエドナを」
「違う」
「だったらっ!」
どうしたものか。相手がいると嘘をつけばよかったのだが、それではエドナに対しての策に支障が出そうだし、何かのはずみで正体がばれたらアイリーンは浮気をしていることにされそうだ。
取り敢えず、手持ちの札で説得しよう。
「その内いなくなる人間だぞ。半端な約束が出来るか」
「母上にもそなたの母国にも働きかけて、ずっとこの国にいられるように全力を尽くそう」
「私の身分だって有って無いようなものだ。この国では信用も無い」
「爵位は用意しておくし、ベイル達だってきっと味方になってくれる」
「アイリーン嬢は好みでないと言ったら?」
「大丈夫。傍にいれば絶対にそなたにもアイリーンの良さが分かるから。ああ見えて実はとっても可愛いんだ」
アルバートはへにゃりと相好を崩した。私の心は叫びに満ちている。本人に対して惚気るな!照れるな!良く婚約破棄なんかできたな!
表面では冷静さを失わないようにしているが、もうそれも限界だ。
「どうあっても諦めないつもりか」
「当たり前だ。私が認められる男は他にいない」
嬉しいけど、どうしよう?ずっと拒絶し続けても曖昧な理由では引きさがってくれそうにもない。男装を解いてアイリーンに戻ったとしてもしつこく探しそうだ。探索に巻き込まれるのはきっとベイル一人。セドリックはセリーヌと一緒に誤魔化す方法を考えるだろうし、デューイはディアナに教えられても眉間にしわを寄せるだけで知らないふりをする。
大きく深呼吸を一つして、私は決断をした。
これはもろ刃の剣。しくじれば今までの努力が全部水の泡となり、全てを失ってしまう。
それでもそこまで思ってくれるアルバートを無碍には出来ない。―――きっと大丈夫。私もアルバートを信じよう。
「信頼してくれているのは嬉しいけれど、無理なんだ。だって―――」
部屋の中にはアルバートと私の二人だけ。ピアスをおもむろに外して失くさないようにテーブルの上に置く。後ろで結んでいた髪をほどき、魔法を解いた。視界の端に映る黒い髪は金色に変わっていく。おそらく瞳の色も元に戻っているだろう。
アルバートは目を見開いたまま固まっている。今まで見た記憶が無い程、驚きに満ちた表情だ。
ダメ押しにアイリーンの声で正体を明かした。
「俺が、アイリーンだから」
アルバートがはっと我に返った。腰が引けて両手を前に出し、開いたり閉じたりと変な動きをしている。
「う、そだ…ろ……エリックが、アイリーンだなんて、そんな……馬鹿な」
「いろんな顔が見たいって言ってたな。実はお前が気付かないだけだったんだ。満足できたか?」
「その声とその姿でエリックの口調は止めてくれっっ」
アルバートは悲鳴を上げて両手で耳を塞いだ。頭を抱えながら振ったり、腕を組みながら部屋の中をせわしく歩き回ったり、ぶつぶつと聞き取れないほどの言葉を言い続けたりと、アルバートは、王子にあるまじき混乱ぶりを発揮した。
本当に大丈夫かと思ったその時、アルバートは何かに気付いたようにハッとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。エリックがアイリーンだっただけなんだよな?アイリーンの性別が男だってわけではないよな。私の婚約者は男だったのか?母上の手の込んだいたずらだったのか?砦にいた時は確かに男……いやでも裸を見た記憶は無いな」
「落ち着いて、アルバート。私はアイリーンで、女です」
「そうか……いや、でも」
また頭を抱える形に戻る。延々と、一連の行動を繰り返されて堪るかと敢えてこちらから話しかけた。
「嫌いになりますか?男装して砦まで追いかけていく女なんて気持ち悪くないですか?まだ婚約破棄も撤回されてませんから、そのままお別れしましょうか?」
アルバートの拒否反応っぷりにかなり不安になる。受け入れられないと言われたら、今度こそきっちり身を引こう。
アルバートの動きが面白くて笑顔でいたのに、まばたく度に涙が滲んでいく。覚悟はしていたつもりでも、寂しい。
「いや、不安にさせて済まなかった。あまりにも思い掛けなかったものだから」
しゃんと背筋を伸ばし、先程の動きを無かったことにしたアルバートは真っ直ぐこちらを向いた。
「婚約破棄は撤回しよう。託す男がいないなら俺はアイリーンより長生きする」
「アルバート―――!」
やっと、やっとその言葉が聞けた。感極まって意図せずともほろほろと流れた涙を、アルバートが拭う。
「貴族としての仮面をつけなければいけないのは理解できた。私もそうせざるを得ない時があるからな。でもそなたは私の前でまで感情を押し殺す必要はない。怒って、泣いて、そして笑っていてくれ」
「ええ!」
アルバートの目の前で、エリックの姿に戻る。椅子にどっかりと腰を下ろし、テーブルに肘をついてその様子を見ているアルバートはおもむろに質問をしてきた。
「私はエリックに変なこと言っていなかったか」
「大丈夫大丈夫、全部受け入れられる範囲だったから」
笑いながらひらひらと手を振ると、アルバートはむすっとした。
「なんか母上に似てきてないか?仕草とか性格とか」
「アイリーンが目指す女性だからね。それは仕方ないと思うんだ。陛下への報告はどうする?」
「丁度母上に用事ができたので私がしておこう。遅くに出歩かせるわけにはいかないからな」
扉の前まで見送るとアルバートは振り向いて何か言いたげな目をした。まだ何かあるのかと思ったがどうやら気のせいだったようだ。
「お休み、エリック」
「ああ、お休み」




