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十六話 怒れるA

「いたっ!アルバート様っ」


 扉が開く音が聞こえたので慌てて目を開くと、叫び声と同時にエドナが駆け寄ってくるのが見えた。そのままアルバートとの間に割り込み、私はエドナにお尻でどかされてソファから転げ落ちる。冷たい床に打ち付けた肩が地味に痛い。


「エドナ、どうしてここに」

「愛の力で学院を抜け出してきましたっ」

「抜け道があるのか?後で調べておかねば…」


 固く繋いでいたはずの手はいつの間にか外れていた。まだわずかに残っている温もりは、先程のひとときが夢で無いことを表していた。


「ここは母上の休憩室だ。簡単に入れるわけがない」

「この辺りは見張りもだぁれもいませんでしたよ」

「母上が余計な気をまわし過ぎたな」


 私がアルバートに見せた顔はエドナによって無かったことにされた。


「大事な話の途中だったんだ。邪魔をしないでくれ」

「婚約者でもないのに二人きりになったら、アイリーン様が勘違いすると思います」


 恥を忍んでの、精一杯のおねだり。

 地べたに這いつくばった形の私を、エドナが見下ろしている。いとも簡単にアルバートの『隣』を奪われた。


 怒っていいのよね?アルバートはそちらの方が良いって言ったわ。張り付いた笑みよりもきちんと感情を表せって。我慢せずに歯止めだって取っ払って、たくさんたくさん怒っていいのよね?

 でも、どうしてかしら。人ってあまりに怒りすぎると笑いしか出てこないのかしら。こんなにふつふつと煮えたぎるような怒りなのにどうして私の唇の端はつり上がっているの?


「うふふっ。アルバート、私よりもエドナを優先しますか。ふふっ」

「アイリーン……?」


 やっと私を気遣ったアルバートの声に応じ私がゆらりと立ち上がって見せると、バキッと言う音と共に何故かアルバートの顔が引きつった。

 気付けば扇が、私の手の中で折れている。人前で笑うなんてみっともないと顔を隠すために懐から無意識で取り出していたらしい。女性の力で、それも片手だけで簡単に折れるものではない。

 エドナがひいっと悲鳴を上げた。


「エドナっ、逃げろ!」

「あらあら、どうしてエドナをかばうの?」

「落ち着けアイリーン。エドナは君の領地の貴族だろっ」


 アルバートは立ち上がって私に駆け寄った。視界が塞がりエドナが見えなくなって、怒りの矛先はアルバートに向けられる。

 そんな話、聞いたこともない。


「初耳だわ、その子がでたらめを言っているのではなくて?」

「アシュフォード家の責任になったら君の立場がまずいだろ、だから黙ってた」

「教えて下さったらしっかりきっちり私が教育して差し上げたのに」

「だから最初からその心算だった。なのに君は姿を消した」


 辻褄が合わない。だったら婚約破棄などしなければ良かったのに。

 そんな余裕も無いように見えたのか。でも、だからと言って。


「私のせいなの?婚約破棄も、全部、全部―――」


 視界が歪んだ。ああ、私泣いてるんだ。喉が引きつる。嗚咽は流石に我慢しなければ。私が悪いの?自分が婚約破棄した女にその子を押し付けるつもりだったの。貴族らしからぬ要望を突き付ける癖に、貴族の務めを果たせと言うの。

 矛盾している。もう、アルバートの言うことなんて。


「信じられないわ」


 怒りをぶちまけた次の瞬間、唇に柔らかな感触。背中と腰には腕が回されていて、しっかりと抱きしめられていた。沸騰していた頭は状況を把握するために切り替えられ、怒りとは別の、僅かな熱だけを残して冷静さを取り戻していく。

 誤魔化されるものですかと思っているのに振り払おうなんて気も起きなかった。力の入っていた肩が徐々に下りていく。閉じる暇も無かった目の前には、私の大好きな、深くて青くて綺麗なアルバートの瞳。


「エリック様~どこですか~?やっぱり私にはあなたしかいませーん。あんなに怖い人の相手だ知っていたら手を出さなかったのに。エリック様~」


 いつの間に部屋から出たのかエドナの声が遠くから聞こえて、止まった時間が動き出した。唇を離したアルバートは私の頭を自分の肩に引き寄せる。ふわふわと宙に浮いているような感覚の私は、されるがままにもたれ掛かった。


「これで、信じるか?」


 上から声が降ってくる。信じないと言ったらもう一度されるのだろうか。それはちょっと困る。

 私は冷静になった素振りを見せた。癪にさわったままだが、話に応じるいつものアイリーンを何とか引き出した。

 体勢はそのままで、顔が見えないのは少し好都合だ。怒りとは別の感情が沸騰してしまいそうだから。


「婚約破棄した女に恋敵を育てさせるおつもりでしたの?」

「エドナの傍にいれば昔のように感情が戻ると思ったんだ。実は嫉妬してくれるのも期待していた。問題児も解消されて一石二鳥ってやつだな」


 呆れた。何それ。思わず憮然としながら「馬鹿ですか」とついつい口から洩れてしまった。怒られるかと思ったがアルバートは笑った。


「なんだ、知らなかったのか。私は元々それほど賢くは無いぞ。いつも母上にやり込められてばかりだ」


 知ってる。アイリーンの時にはアルバートも格好つけていたのか、エリックの姿でないと見られない一面だった。

 そう言えば、砦に居た時も馬鹿だった。馬鹿げたことをやり始めるのはいつもアルバートで、便乗してベイルが騒ぎを大きくし、エリックが後始末に走った。


 馬鹿にされているのに楽しそうなアルバートの声。女性に囲まれている時とは違った、心の底からの笑み。

 もう少し一緒に居たかったけれど、やることはまだたくさんある。


「私、お父様にエドナの言う事が本当かどうか調べてもらいますから。……放してください」

「もう少しだけ」


 切なげに甘える声。腕に一層力が込められ、私を閉じ込めようとする。


「だって、離したらまたいなくなってしまうだろう?」

「後少しで用事が終わりますから、それまで我慢していてください」

「嫌だ」


 今度は拗ねるように言って、さらに腕に力を込めたアルバート。埒が明かない。


「怒りますよ?」

「いや待てそれは困る」


 アルバートは慌てて距離を取ったので、「では、御機嫌よう」とお辞儀をして私は優雅に部屋を出た。


 もう少し先の未来、結婚生活にも使える対アルバート向けの武器である究極の一言を、私はこの時に手に入れたのだった。

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