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十話 Aの葛藤

 順調に行きすぎている気もするが、とりあえず二人の婚約破棄は撤回できそうだ。私の場合は女王陛下が味方でいてくれるので時間の余裕はあるが、他の令嬢たちはそうもいかない。

 親の干渉を受け無いはずの貴族学院であっても、情報が外へと全く漏れないわけではない。婚約破棄などと言う将来を大きく左右されることは、本人が隠したとしても同領地の貴族や側仕えによってもたらされるだろう。

 そうなれば親は身分や年齢の釣り合う相手を早急に探す手配をしなくてはならない。貴族としての花の命は結構短いからだ。

 自分の事はおそらく後回しになるのは仕方がない。そう、思っていた。


「アイリーンはもう私に愛想を尽かしているんだろうな。一向に学院へ来る気配が無い」


 授業前、アルバートがたそがれながら盛大なため息をついた。まるで自分は悪くないと言うようなその態度に、私はカチンと来る。


「婚約破棄なんて一大事だ。傷ついて臥せっていても仕方がないだろう」

「このくらいでそんな状態になるのなら王妃になるなど到底無理だ。現に他の令嬢たちはきちんと授業にも参加しているではないか」

「このくらいって……自分が何を言っているか、分かっているのか?」


 怒りに目がくらみそうだ。それにアルバートにとってアイリーンがその程度の存在だと知って悲しいとも思う。


「婚約者の資格無しと言われたようなものだぞ。女性としての魅力がエドナに劣っていると言われたようなものだ。それまで積み上げてきた努力が一切無駄扱いされて、落ち込まないわけがないだろう」


 婚約破棄を解消すると言う名目が無ければ、エリックの姿でなければ、まともにアルバートの前に立つだけできっと泣いてしまう。きっとこうして文句をいう事も出来ない。べリンダたちの強さを改めて思い知った。


「世間体はこの際置いといても、お前を少なからず想っていた本人が傷つくのは当たり前だ」

「なぜお前がそこまで怒る。まさかお前本気で……」


 怒りにまかせて力説してしまったが、アルバートの疑問ももっともだ。アイリーンとエリックに共通点が無いようにしているから、この行動はおかしい。

 怒りを存分に思い知らせたいのに、もどかしくて仕方がない。


「俺は全ての女性の味方だからな。女王陛下然り、アイリーン嬢然り、だ」


 誤魔化そうとするあまりとんでもない女たらし発言が出てしまった。アルバートのじとーっとした目が少しだけ痛い。


「そう言えば、昨日お前の防御魔術がアイリーンと似ていると思ったんだ」


 いきなり本人だと断定されるかと思ってぎくりとする。沸騰していた頭は絶対零度にまでさらされて、緊急事態を発動した。

 冷静に、冷静に。俺は、エリックだ。アイリーンとは何の関係も無い。


「そ、そうなのか」

「セドリックに聞いた所、緊急時に咄嗟に放つ魔術は同じ師に学ぶと似てくると言っていた。自分とセリーヌの魔術構成も似ているんだと」


 セドリックに攻撃された瞬間が記憶の端を掠める。意識を失う直前に誰かがアイリーンと呼びそうになっていたが、セリーヌが間違えたのか。どちらにせよ、冷や汗がじわりと垂れてくる。


「お前はアイリーンと知り合いなのか?師匠が同じと言うなら顔を合わせていることも有り得るな」

「いや、会ったこともないし兄弟弟子の話は師匠からも聞いた覚えがないが……ただ、魔術の師匠たちが兄弟弟子と言うこともあり得ない話ではないからな」

「なるほど、その可能性もあるのか」


 しどろもどろに適当な言い訳をしてしまったがアルバートは納得したようだ。魔術師たちの世界は狭い。貴族の血縁関係の様に師弟関係が意外な所で繋がっていたりする。

 教師が来たので、会話はそこで打ち切られたが、私は授業の中身などほとんど頭に入って来なかった。


 一度、アイリーンとして姿を現すべきだろうか。二人同時に存在しない事から同一人物と明かされてしまう可能性がある。その辺りは女王陛下やべリンダ辺りに口裏を合わせてもらうとしても……

 アルバートと会って、一体何を話せば良い?


 もしかしたら体調を崩している可能性だってあるのに、アルバートはアイリーンを全く心配していない。でもそれすらきっと「自己管理が出来ていない、王妃に向いていないのではないか」と言われるのだ。

 そんなアルバートとアイリーンが対峙したとして婚約破棄以外の話題はあるのだろうか。


 今までどのような話をしていたのかを思い出してみる。

 婚前に任される勉強を兼ねた仕事の報告。要注意貴族の家族構成や過去。夜会や茶会にお客として招く可能性のある方の好み。

 幼い頃はそれでも好きなものや感動した出来事の話題だったが、最近ではひどく事務的なやり取りばかり。でもそれはアルバートだって同じだ。


 いろいろな考えをまとめた結果、私は他の婚約者と違って愛されていないのではないか、と言う結論に至る。

 認めてしまえば楽になれるのかもしれない。けれどまだもう少しなんとかもがきたくて。


 葛藤を何度も心の中で繰り返し、気づくといつの間にか目の前にエドナがいた。アルバートとエリックの三人で昼食を取っていたようだ。


「アイリーン様はもしかしたら他に思い人がいるのかも。だってアルバート様が本当に好きならたとえ婚約破棄されてもお顔が見たいって学院には来るはずですよ。ね、エリック様?」

「そんな、ことは……」


 嫌な汗が頬を伝う。

 婚約破棄された身として醜態をさらすよりも男装して通えるのは好都合と、微塵も思わなかっただろうか。アイリーンとしてなりふり構わず婚約破棄を撤回させる手段は、本当に無かっただろうか。

 そんなことはないと、どうしてもはっきりと断言できない。


 アルバートの言葉が、さらに追い打ちをかける。


「エドナもそう思うのか。人に寂しい思いをさせて薄情だな、アイリーンは」


 私は愕然とした。そんな風にアイリーンを見ているのか、アルバートは。

 未来の王妃として心を砕いてきたつもりだった。アルバートが政に専念できるように支えてきたつもりだった。

 そんな子供っぽい感情で切り捨てられるような存在でしかないなんて、思いもしなかった。


 人の恋路の心配をしている場合ではない。


「気分が悪い。今日はこれで帰ると教師たちに伝えておいてくれ」

「顔が真っ青だぞ。大丈夫か」

「エリック様」


 エドナが手を伸ばしてきたが、無意識にバシッと振り払ってしまう。驚くエドナに「何をしている!」と叱責するアルバート。アルバートがエドナを慰めるのを横目に、私は城へと戻った。


 


 アイリーンとして姿を現すことを、フェリシア陛下とべリンダたちには伝えておく。後回しになってしまうディアナには申し訳なかったが、アイリーン病気説や死亡説が既に流れ始めていたようなので納得してくれた。

 おかしいな、その辺りはフェリシア様が取り計らってくれている物とばかり思っていたのに。

 貴族学院での事実無根の噂話は流石にフェリシア様でも関与できないか。


 久々の女装……ではなく女性の格好で少しばかり緊張した。歩き方から仕草、声色まで全て元に戻し頭のてっぺんからつま先までアイリーンになる。部屋から出る時にも転移陣を使う時にも、アルバートとかち合わないように気を使う。


 授業前には教室にぎりぎりに入り、アルバートから遠い席へ座る。何度か視線を感じたが授業が終わるたびに逃げ続けた。

 我ながら意味不明だ。対峙すると決めたはずなのに怖い。

 けれどそれがずっと続けられるはずもなく、とうとう昼食の時間に腕を掴まれてしまった。


「アイリーン……」


 アルバートの顔を見ても、笑いかける気にはなれない。それどころか、胸の辺りからこみあげてくるものがある。吐き気ではなく、怒りや悲しみと言った負の感情だ。

 今までのアイリーンだったら堪えて笑っていられたのに、最近エリックとして行動していたせいか制御できずに表に出てきてしまった。


「わたくしの泣いている顔が見たかったのでしょう?怒っている顔が見たかったのでしょう?あなたが婚約破棄をしてくれたおかげで私は笑えなくなりました。これでご満足いただけたかしら」


 さながら物語の悪役令嬢の様に、皮肉をたっぷりと込めた。アルバートは初めは笑顔だったのに、徐々に険しい顔に変わっていく。


「私はただ張り付いた笑顔ではなく、昔の様にくるくると変わる表情が見たかっただけだ。王妃教育に押しつぶされていくそなたを、見ていられなかった。それは既に伝えただろう?」

「あなたの隣にいる時は、わたくしはいつだって心の底から笑っておりました。それに気づけなかったご自分を棚に上げて婚約破棄をなされ、挙句の果てにはエドナを引き合いに出され比べられてどれだけ辛かったか、御存じないでしょう」


 辛くてもアルバートの傍にいればいつだって笑っていられたのに、今は一緒にいることが辛い。幼い頃からの親愛が恋愛に変わってもずっとずっと続くと思っていたのに。

 アルバートに対してこれほどの感情をぶつけた経験などないから、止め方が分からない。


「何故、私に会いに来なかった。他の令嬢たちは辛そうな顔をしながらも学院に出てきていた」


 誰かと比べて。私は唯一無二ではなくて。そんな見方なんて一度もしなかったのに。

 いつの間にか開いていたお互いの距離にやっと気づいた。婚約破棄をされたので見舞いも手紙もいくら待っても来ないのは当たり前なのだ。


 視界の端にべリンダたちの心配そうな顔が映った。おそらく薔薇園へ来ない私を探しに来たのだろう。


「私ではなくそのようなご令嬢をお気に召すのなら、エドナでも誰でもどうぞお好きになさってください。では、御機嫌よう」


 挨拶もそこそこにその場を後にした。気づけば、プライドと意地でなんとか堪えていた涙が一気に溢れている。

 べリンダたちが周りを囲みながら移動してくれたおかげで、人の目はさほど気にならなかった。

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