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九話 Cの反省

「ァ……エリックっっ!」


 誰かが必死に名前を呼ぶ声を聞きながら意識を手放し、次に視界に映ったのは学院内にある治療室の天井だった。まばたきを繰り返していると、不意にアルバートの心配そうな顔が視界に映る。

 ただそれだけなのに何故かほっとして涙が出そうになった。

 ―――婚約破棄なんてきっと悪い夢だったんだわ。


「大丈夫か、エリック」


 エリックの方で呼ばれて出かかった涙が瞬時に引っ込んだ。危ない危ない。アイリーンの声でアルバートの名前を呼ぶところだった。意識して低い声を出す。


「アルバート……」


 顔だけ動かせばセリーヌとセドリックもその場にいた。見舞いにかこつけて距離を縮めようとしそうなエドナは、いない。

 髪と目の色固定のピアスを付けていて助かった。意識を失ったら魔法が解けてアイリーンの姿に戻るところだった。

 体の方に異変は無いか、起き上がり腕を動かして見回す。制服の上着は脱がされているけれど、中に着ているシャツやサラシが解けた様子も無い。


「どうした、どこか痛むのか?」

「いや、その逆だ。あまり痛まないもんだと思って。壁なり地面なりにぶつかったと思ったんだけど」


 魔力に当てられて意識を失ってしまったから、受け身も取れない状態だったはずだ。なのに打ち身やねんざのような痛みは全くない。


「アルバート様が壁に叩きつけられるのを防いでくださったので、けがらしいけがはありませんでしたわ」

「むしろ体内魔力が変調をきたして微弱になっていたんだ。僕とセリーヌが治したから問題ないけどね」


 セドリックがふんぞり返っている。死に掛ける原因になった相手でも有難う、と素直に言うべきなのだろうか。いや、セドリックに言うのはおかしいだろう。


「アルバート、セリーヌ、有難う」

「どういたしまして」

「無事で良かったです」


 意図的に外したのが通じたのか、セドリックの顔は引きつっている。騒がしく文句を言って来るかと思ったが以外にも大人しかった。


「さて、と、セドリック。『魔法棟以外で許可なく攻撃或いは補助魔法を使うことは禁じられている。緊急時の回復魔法および回復のための補助魔法はその限りではない』規則第三条だ」


 アルバートが貴族学院での規則をそらんじるとセドリックは「知ってる」と答えた。


「停学もしくは退学の処分が検討される処だが、幸いにしてエリックには何のけがも無かった。治癒行為も率先して行った事から鑑みても軽減される可能性は高い。後は被害者であるエリックの訴えによるが、どうする?」


 攻撃を受ける前のセリーヌとの口論を思い出しても、半ば八つ当たりに近い。ただ不思議と怒る気にはなれなかった。

 好きな人の為に自分を高めようと、間違った方向に進んでしまうのはセドリックもセリーヌもお互い様だし、私にも身に覚えがあるからだ。もしかしたら今やっていることだって後から考えれば滑稽に思えるかもしれない。


 婚約破棄がこれで撤回されれば、私はそれで良い。


「アルバート、外へ出てもらっても良いかな。セドリックやセリーナと話をしてから考えたい。元々の原因は二人の喧嘩だからね」

「分かった」


 残すのが私を攻撃したセドリックだけだったら止められたかもしれない。セリーヌを残すことでアルバートは意外にも素直に出て行った。

 扉が閉められて直ぐに、セドリックが部屋への進入禁止の魔術を、セリーヌが盗聴防止の魔術を展開した。

 以心伝心、何も言わずに息がぴったりだ。


 セドリックが私の方へと向き直り、頭を下げた。


「悪かった、アイリーン嬢」

「いや、俺も大人げ…………って、えええぇぇっ?」


 エリックではなくアイリーンと呼ばれてしまった。迂闊にも普通に反応してしまったから、今更違うとも否定できない。

 口をあんぐりと開けてしまった令嬢にあるまじき行為に走る私に、セリーヌが申し訳なさそうに理由を言う。


「治療にあたるのにどうしても必要だったの。容姿を固定するピアスが魔力の流れをとどめていて、外さなければならなかったから」

「上着を脱がせたのもセリーヌだ。僕は断じて指一本触れてない」


 誰もそんなこと聞いていないのに、セドリックはエラそうに断言する。

 それよりも―――


「アルバートも知っているのか?」


 男装しているのが知られたら今度は婚約破棄どころか絶縁宣言されるかもしれない。だっていくら婚約者だからと言ってリーワース砦まで追いかけて行ったのだ。

 ストーカー扱いされるのかもしれない。厄介な女扱いされるのかもしれない。

 それに加えて今回は令嬢たちを侍らせている。同性愛者だと思われてしまったら、アルバートは罵るようなまねは絶対にせず理解を示して身を引くだろう。どれだけ弁明しようとも、分かったようなふりをして。


 顔からさーっと血の気が引いていく。か弱き令嬢のごとく気を失いたい気分だ。


「安心して、治療に専念したいと言って外へ出て頂いたわ」

「そうか、良かった。有難う、セリーヌ」


 思わず安堵のため息が出てしまった。セドリックはセリーヌとのやり取りの間もじっと私を見ている。アイリーンの姿を見たのなら疑うはずもないのに、何だろう?


「知られてしまった以上事情を話した方が手っ取り早いな。セドリック、俺は令嬢たちの婚約破棄を撤回させるためにこんな恰好をしている。まずは理由を教えてもらえないだろうか」

「本当に徹底して男装しているんだな。言葉遣いまで変えて、僕より男らしいなんてずるい」


 激昂して魔法で攻撃してきた先ほどとは違い、力無く項垂れる。私は慰める言葉も見つからずにおろおろしていたが、セドリックは意を決したように顔を上げ、婚約破棄に至った事情を話し始めた。


「魅了の魔法をエドナは使って来るんだ。それに耐えられたら僕も大人になれると思った。けれどエドナの魔法は弱すぎて耐えるどころかちっとも効きやしないんだ」


 セドリックは小さく笑うけれど、日常的に魅了の魔法を使っていたのなら停学ものではないのか。うまく操作できずに無意識で使っている場合もあるから、何とも言えない。アルバートの言った通りに教育が途中で中断されてしまっているのならその可能性の方が高い。エドナに接触する時には気を付けないと。


「一生懸命惚れさせようとしてるんだと思ったら、なんだか可愛く思えてきた。でもエドナの為に男らしくあろうと思えるかと言うとそうでもなくて。『そのままでいい』とエドナに言われた通りに自分はそのままであろうとして、周りに嫉妬するばかりになった。その流れで、婚約破棄をした」


 今思えば馬鹿な事をした、とセドリックは言う。反省して事態も改善できるようならば、停学も退学も無しの方向でアルバートに取り計らってもらうしかない。ここで流れを止めてしまうのは二人にとっても気の毒だ。


「セリーヌ、ごめん。そのツインテールよりいつもの方が似合ってる」

「セドリック……」

「婚約破棄も撤回しよう。君に相応しい男になる様に頑張るから」


 セドリックが真剣なまなざしで見つめ、セリーヌが頬を染めている。

 ―――おお、これは私がお邪魔虫の流れ?

  邪魔するまいとそろそろとベッドから降りてブーツを履き、上着を着てドアへ向かおうとするが、何かに後ろから引っ張られてカクンと躓いてしまった。


「待ってくれ、エリック。大人の男っぽくなる方法を教えてくれ。いや教えて下さい」


 上着の裾を引っ張っていたのはセドリックだった。


「女性であるアイリーン嬢だってこれほど大人の男っぽくなれるんだ。僕にコツを教えて下さい。お願いします」

「髪型を変えるとか……シークレットブーツをはくとか?後は言葉遣いかな。一人称を俺か私にしてみたら?」


 男装する時に気を付けていることを上げていくと、セドリックはメモまで取り始めた。熱心と言うか、切羽詰まっていると言うか。一生懸命なのは良いことなので、協力したくなる。


「なるほどなるほど」

「でも一番大事なのは心だよ」

「心?」


「自分らしさを捻じ曲げてまで男らしくある必要はない。もちろん努力がすべて悪いわけじゃない。変わろうとするのは成長への第一歩だからね。ただ、他人の意見を受け入れすぎても拒絶しすぎてもいけない。うまい具合に取捨選択していけるのが、大人らしさだと思うよ」

「「なるほどー」」


 セドリックとなぜかセリーヌまでもが相槌を打った。ああ、気にしすぎて格好を変えてしまったからか。


 二人の仲が極限まで冷え込んでなくて良かった。


 次の朝、アルバートと一緒に城から学院へと移動すると、転移陣の前でエドナではなくセドリックが待ち構えていた。


「おはようございます、エリック兄貴!」

「あ、兄貴?」


 セドリックの突然の変わり身に目を白黒させていると、アルバートがポンッと手を打った。からかう気満々の意地の悪そうな顔だ。


「なるほど、しっくりくるな。俺も呼んでいいか」

「頼むから止めてくれ!」

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