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かつて勇敢だった者

 手術には十時間もかかったらしい。

 有り体に言えば意識不明の重体だったようだ。身体に大量の破片が突き刺さり、いくつかの臓器を貫いていた。裂傷から大量出血に加え、複数個所に及ぶ打撲。

 生き返ったのは奇跡。そうアウェルは涙ぐみながら告げていた。


「お前が、泣くとはな」

「私も、驚きました。きっとこれが……私が人になったということなのでしょう」


 冷静沈着に振る舞うアウェルの頬を伝う滴は、彼女が人間になったことの証だ。

 私はベッドから身を起こす。アラモ砦の白色の医療ルームにはアウェルしかいない。ここにはあまりホワイトベレーが寄り付かない。アラモ砦を仕切っていた指揮官たちが無垢な少女たちに狼藉を働くため利用したのがこの場所だ。

 医療設備は本来、GMHには必要ない。ここにある高性能の装置の数々は変異体用に設置されたものではなく、高級将校が万が一にも外傷を負った場合の保険のようなものだ。

 だがもうそのような不平等は起きない。

 現に今、私がこうして治療を受けて息を吸っている。

 例え今私が横たわるベッドに数多の少女の慟哭が刻まれているとしても。

 もう終わったことだし、過ぎたことだ。忘れてはならないが、かといって四六時中考えていても何の益も生まない。

 アラモは……復讐は忘れていい。囚われて暴走し、惨めな最期を遂げる必要はない。

 ……一部を除いて。


「カグヤ、は」

「今は負傷者の手当てを。リムルさんもご一緒です」

「そうか。……何か問題は起きてるか?」

「小事ならいくつか。ですが、大事に至るようなものは、何も」


 そうか、と一息つく。私は軋む身体で立ち上がり、気遣うアウェルを制して窓を開ける。

 いろんな匂いが部屋に入ってくる。医薬品の匂いに混じる新しくも懐かしい香り。

 私が依存した匂い。新鮮な空気。

 ……帰ってきた。多くの命を犠牲にはしたが、帰ってきた。


「みんなに会いたい」

「手配しましょう」


 その我儘な子供のような一言を、アウェルは速やかに快諾してくれる。

 アウェルが皆を呼びに退室する。

 一人残された私はベッドに腰を掛けてそよ風を味わった。

 不思議だ。夢でも見ているようだ。

 あの戦いが、いや自らの境遇すらも幻のように。

 ここは静かで、平和だった。



 ※※※



 車椅子が軋む音がする。

 遠くからカグヤが来たと思って私は目を開けた。


「あ、起きた?」

「カグ……」


 目の前にカグヤはいない。

 私の背後に立っている。

 車椅子に乗っているのは私の方だった。

 外出用の服に着替えた私は車椅子の上に乗り、カグヤに押されるまま森の中を移動している。


「どうして外に?」

「前言ってたでしょ? 外に出たいって」

「ああ……そうだったな」


 GMHは丈夫だし、傷の治りも早い。

 例え進化によって失われてしまう機能だとしても、それはまだ私の中に色濃く残っている。だがそれでも、あの戦いでの負傷は今までのものと比べ物にならない大怪我だった。

 幸い、障害が残るような事態には陥っていない。が、傷の修復にはまだ時間が掛かる。二本足での外出も当然制限された。

 だから外に出るためには、車椅子を使わなければならない。

 かつてのカグヤがそうであったように。

 私は今、カグヤと同じ視点で世界を見ている。

 昔彼女が見ていた時よりも広く、しかし今の彼女よりも小さく。


「迷惑をかけたな」

「全然。今までのお返しができて嬉しい」

「そうか」


 生命力に溢れる木々を、世界を巡ってやってきた風が揺らしている。

 少なくともフロンティアに来てからは見慣れた光景のはずだった。例え向こうに行って、必要な戦いを終えた後でも、その光景は脳裏にこびりついているはずだ。

 なのに、どこか違って見える。色褪せているように見える。

 私は夢を見ているのだろうか。などと思索に耽り、そこで失態を知る。


「カグ……忘れ物をした」

「え?」

「銃を忘れた、カグ。銃がない。ホルスターも置いてきたらしい」


 懐を弄って気付く。それはしてはならない致命的なミスだ。

 私は慌てるが、カグヤは笑っている。


「いらないよ、お姉ちゃん」

「何? そんなことは」

「大丈夫。ここでは銃はいらないよ」

「何があるかわからない。敵は」

「確かに、危険な原生生物や私たちを敵とみなすインディアンはいるかも」

「なら――」

「でもね、必要ないんだよ。グィアンさんに、ここは安全だって聞いたから。私だってバカじゃないよ。安全な場所でそうでない場所の区別だってついてるし、それに……私の身体は、お姉ちゃんよりも頑丈だから」


 カグヤの肉体は生身ではない。戦闘用に比べれば柔らかいが、それでもやはり生身の人間とは違う。


「カグ……」

「少し、不自由な部分はあるよ。でも、やっぱりさ、偽物でも、身体があるっていいね。お姉ちゃんと触れ合える。こうして、車いすを押すことができる。今までは、見ているだけだった。今、私が機械の身体を通して得る感覚は、もしかすると紛い物かもしれないけれど、それでもね、ずっといい。ううん、たぶん……外側が機械か生身かなんて、大した違いはないんだ。生身の身体を持っていても、大切なものを見失っちゃう人がいる。だから、私は例え偽りの身体でも……大切にしたい。自分の心を見失わずに最後まで戦った、お姉ちゃんみたいに」

「そんなことはない」


 車椅子が止まる。私は天を仰いだ。木漏れ日が眩しい。

 世界は綺麗だ。しかし心の中には奇妙にも……空虚な何かが燻っている。

 カグヤの言う通り……私は本物の身体を持ちながら、大切な何かを見失っているような気がする。


「私は迷った。正しいと思う選択をしたが、それが本当に正しかったのかわからない。私は勇敢であろうとしたが、真なる意味でのドレッドノートになれたのかも不透明だ。もしかしたら私は自己満足で、大勢の人間に呪いをかけただけかもしれない。こちらに逃げ込んだ者たちだって、今は無事かもしれないが、いつ何が起こるかわからない。もし、私たちが進化という名の劣化をしていくと言うのなら、その過程で絶滅をしても不思議じゃない。私は……何だったんだろうな。後悔はしていない。なのに、何か、どこかが……」

「だから、返事を聞いてないの?」

「……」


 私は黙る。私の告白に対する返事を、まだグィアンに問うていない。

 怖いから? 恥ずかしいから? そのどちらでもない。

 なぜか……聞く気が起きなかった。あれほど彼を求めていたにも関わらず。

 冷めてしまった? 吊り橋効果のように、危機感情を恋愛感情に錯覚してしまっただけだろうか?

 いや……それはない。私はまだ彼を好いている。

 なのに、心にぽっかりと穴が空いている。


「ごめん。行こう」


 車椅子が再び軋む音を立て始める。

 静かな時間だ。とても静かな。


「あ、そうそう。フィレンさん、今ビヒスさんといっしょに衣装作りしてるみたい。似たような服装ばかりで混乱するから、私たちのために服を作ってくれるんだって」

「そうか。GMHを判別できるインディアンは少ないからな」


 そしてその逆も然り。見慣れない異種族の顔を瞬時に判別できるほど人間の顔認識システムは優秀ではなかった。無論、これは時間が解決してくれる。特にGMHは美形が多く顔のパターンも限られているので、インディアンにとっては酷だろう。全員が同じ服装をしていればなおさらだ。

 障害は多いが共存のための方法を皆で模索している。

 私に指示を仰ぐことなく。……いいことだ。


「後で綺麗な服、作ってもらおうね」

「私の分はいい。お前が見繕ってもらえ」

「お姉ちゃん……もう、我慢しなくていいのに」

「我慢とは違う。ただ……よくわからない」


 何が欲しいのか。自分の欲望は?

 ……もう全てが解決してしまった気がする。

 全部終わってしまった。張り合いがなくなって、燃え尽きてしまったのだろうか。


「私は……いや、みんなが幸せであればそれで」

「うん……そうだね」

「カグ。何か困ったことは、ないか?」

「ないよ、お姉ちゃん。何もないよ」

「あぁ……それはいい」


 カグヤはもう私の手助けを必要としていない。それはとてもいいことだ。

 私は満足して世界を見る。色褪せた世界を。

 壊れた地球のように全てが灰に染まってしまったわけではない。

 私自身にフィルターが掛かっている。古い映画に出てきた白黒写真。

 或いは、白黒映画そのものか。

 本来はカラーであるはずなのに、色彩加工が施されていない。

 つまりこの現象は……。


「もっとみんなの近況を教えてくれ」

「あ、うん。……ミーナさんはね、ヨークさんがどんな気持ちを抱いてるのかを最近知ってね、よくわからないって悩んでたよ」

「あいつらしい」


 食事にしか興味のなかった人間に唐突に湧いて出る恋愛感情。それがミーナにどのような変異をもたらすのか私にはわからない。だが、いい結果が出ればいい、とだけを想う。

 みんなは幸せになるべきだ。特にミーナは変異する前に親友を失っている。ここで幸せに過ごしたところで何の罰も当たらないだろう。

 それはこの場にいる全員に言える。いや、本当は。

 フロンティアでも元の世界でも、みんなが幸せになる方法があって欲しかった。

 車椅子は進む。


「アウェルさんはね、お姉ちゃんの代わりにこっちに来た人たちをフォローしてるよ。フロンティアのこととかインディアンのこととか……私とリムルちゃんもお手伝いしてるんだ。ちょっとした学校みたいな感じだね」

「学校か……」

「お姉ちゃんも行ってみる? 体調がよくなったら」

「いいや。私が教えることは何もない」

「……そうだね」


 車椅子が止まった。私は思わずカグヤを見上げるが、カグヤは前を向いている。


「どう? 綺麗でしょ」


 その言葉を聞いて初めて、目的地に到着していることを知った。

 丁度、崖の上に陣取る形で、遠方にある大きな滝を俯瞰している。

 言われてみれば綺麗だ。いや、綺麗な光景でしかないはずなのに、今の私には綺麗だと思う感覚器官が欠如している。感性が変わったのではなく、そもそも認識できなかったのだ。脳機能に障害を起こし、人の顔を判別できなくなった相貌失認のように。

 しかし、GMHにそのような障害は起こり得ない。

 損傷状態ならともかく修復されているならば、元の形に戻ろうとする力が働く。

 それは治癒というよりも巻き戻しだ。

 進化を捨て去り停滞することを選んだ種族の呪いだ。

 これもまた、精神的な疾患なのだろう。


「ここはね、インディアンの子に教えてもらったの。クリィちゃんって言う子で」

「友達ができたのか」

「身体が、できたらね、普通にお話しできるようになったの。前は怖がって話してくれなかったんだけど、リムルちゃんのおかげでもあるし」

「それは良かった。お前の社交性ならば、きっとみんなと仲良くできる」


 目の前に広がる壮大な大地。巨大な滝は天空から降り注ぐたくさんの光を反射して美しく輝いている。これはきっと美しいものだ。今の私では推測するしか手立てはないが。

 滝の音が流れている。自然の音。

 私が焦がれていた音。

 だけど、その優美さはもう感じられない。

 意識が回復した直後は感じられていたのだから、琴線に触れてもおかしくないはずだが。


「現地の友達もできて、学校にも通える。十分だな……」


 完璧には程遠いかもしれないが、十分すぎるほどに。

 私は姉としての役目を果たせた。

 ドレッドノートとしての職務を全うした。


「私は姉として、全力を出せたか?」


 私は妹に訊ねる。カグヤは一瞬目を見開いて、すぐに笑顔を浮かべてくれた。


「もちろん。お姉ちゃんはこれ以上にないくらい……最高のお姉ちゃんだよ」

「それならよかった」


 淡白な回答であることは自覚しているが上手い言葉が出てこない。

 ままならない自分に呆れていると、肩に水滴が落着する。

 その原因を、発生元を私は理解している。

 だが、掛ける言葉が見つからない。

 カグヤが泣いているというのに。


「もう、言えないよ……頑張ってなんて。お姉ちゃん、こんなに頑張ったのに……」

「すまない……カグ」


 どうにか謝罪を捻り出す。カグヤは首を振った。横に大きく振って。

 しばらくその場で泣き続けた。涙音は滝の音に掻き消されていく。



 ※※※



 完治はしていないものの、杖を使えば単独で行動できるようになった。

 私は一人で様々な場所を出歩いた。まずは漂流者たちが集うアラモ砦。

 ここでは様々な取り組みがなされていた。アウェルの考案でフロンティアについて学ぶための学び舎が作られた。多くのGMHたちが一堂に会し、インディアンとこの世界の成り立ち、動物、植物、気候の変化について学んでいく。学ぶのはフロンティアについてだけではない。元の世界の成り立ちもだ。

 忘れてはならない。あの惨劇を。

 私は教室を一瞥する。ほとんどが変異体バリアントなので、集中力に欠けてる生徒も点在している。しかしアウェルは授業が崩壊しないよう最小限の注意をするだけに留めていた。

 自身も変異体バリアントである経験を生かして質の高い教育を施している。時間が掛かっても良いのだ。効率が悪くても構わない。

 ここは奉仕社会ではない。貢献は強いるものではなく自主的に行うものだ。

 実行可能になった時に、できる範囲で行えばいい。

 もう私たちを縛るものは何もない。自らの行いに対する責任を取るだけでいいのだ。

 私は教室を離れて、格納庫の傍を歩いていく。

 格納庫には複数の戦闘騎兵が鎮座している。レンジャーは場所を取らないために球体となり、ディフェンダーも戦闘形態を解除してキューブ型になっている。他にはプロテクターや特殊兵装を装備した騎兵が並ぶ。

 可変機構をオミットしたレンジャーカスタムと大破したドレッドノートはそのまま端に置かれていた。そこにはタブレット端末を持って解析を進める整備兵たちが数人。

 ドレッドノートを修復する腹積もりらしい。

 私は整備兵の元へと歩み寄っていく。

 兵士は私に向かって敬礼をした。


「ヒキガネ総督。どういたしましたか?」

「私は総督なんてものじゃない」


 いつの間にか私は隊長ではなく、総督と呼ばれるようになっていた。

 植民地の監督役……実権を握った権力者。しかし私はそのようなものになった覚えはなかった。

 私を英雄と呼び慕う者もいるが、私はそんな立派なものではない。

 なのに、少なくとも移住者たちは私をそのように見ていた。

 私個人ではなく、私が成した結果だけを見て、そう呼んでいた。

 その過程に何があったかを知ってか知らずか。


「移動用の乗り物はあるか?」

「申し訳ありません。今はどのビークルも出払っていて。もし、ご希望とあればバトルキャバルリーを」

「いや、それならいい」


 私は整備場から離れる。バトルキャバルリーの整備を糾弾することもせず、ただ移動手段だけを捜索する。

 結局見つかったのは原始的な馬だった。こちらの世界ではヴィスティと呼ばれる四本足の動物に、私は跨る。グィアンが乗れていたので、私に乗れない道理はない。完全回復には至っていないが、馬を操るぐらいはできた。

 西部劇のカウボーイよろしく早駆けをする。独特のリズムで刻まれる足音と全身を貫く風、眩いばかりの太陽光は、どれもカグヤが愛しく思い、そして私も愛していた現象だ。

 空虚な灰の視界の中でそれらを聞き、また見届けながら目的地であるヴォル族の集落へ到着する。

 ここで全てが始まった、というのはいささか語弊があるか。

 きっと私という存在は、遥か昔から予言されていたのだから。


「隊長……! よろしいのですか……!?」


 馬を降りると、フィレンが駆け寄ってくる。

 フィレンは妙な帽子を被っていた。ビヒスお手製の帽子だ。


「ああ、問題ない」


 私は即答して、集落を見回す。フィレンはすぐに思い当たったように手を合わせて、


「グィアンさんなら今狩りに出ています。人が増えたので、いつもよりたくさん狩りをしなければいけないって」

「そうか。あまり根を詰めるなと告げておけ」


 素っ気ない私の態度にフィレンは首を傾げたが、珍しく余計なことを言わずに次なる探し人の名前を挙げてくる。


「カグヤさんとリムルさん、そしてシャリーさんも……みんな出払っています。えっと、隊長に……ぐむっ!?」


 奇声を発するフィレンは、驚くに値しない。背後から近寄ったミーナに口元を塞がれたせいだ。

 ミーナは呆れたようにフィレンを眺めている。


「フィレンちゃんは本当に空気が読めないねー」

「む、むーまはん!」

「なんか前はいろいろやられっ放しだったけど、立場が逆転したって感じ。隊長さんもそう思いません」

「そうかもな」


 ミーナとフィレンは、恐らく私たちの中でも一番変異が激しい部類に入るだろう。フィレンは性格的に明るくなったし、ミーナは食事をする時とそうでない時の区別がはっきりつくようになった。

 それに、以前はフィレンがミーナを咎めていたが、今はミーナがフィレンを咎めている。より良い方向に変わったのだ。

 しかし性格の変異が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。


「隊長さん……」


 ミーナの口調が鋭いものに変わる。


「ダメですよ。約束は守ってください」

「わかっている」

「いえ、きっとわかってないと思います。あなたには――」

「わかっている。自殺などしない」


 自分で死ぬためにこちらに戻ってきたわけではない。死にたいのならいつでも死ねた。人間として生きるためにこちらに来たのだ。

 そして、生きることはまた死ぬことを意味する。


「なら、いいですけど……隊長さん?」

「墓参りに行く」


 私は再び馬の元に戻る。賢い馬は私が戻ってくるまで道草を食べることもせず行儀よく待っていた。

 私は再び鞍に跨り、馬の脇腹を軽く蹴飛ばす。

 墓はすぐそこだ。

 死人が眠り、また死者が入る場所である墓標は。



 

 供物は道中で摘んだ美しいと思われる花にした。

 草木を伐採して整備された道の先には、立派な墓石がある。グィアンたち先住民の知恵と私たちの技術を合わせて作った墓だ。

 そこには回収された遺骨が納められている。エミリーやシャルリのようなGMHの戦死者や、開拓の犠牲になったインディアンたち。

 私が殺したあの親子もこの墓の下で眠っている。多くの血と涙、罪が混ぜ込まられ、今は静寂を保ち安らかな時が流れている。


「終わりました」


 墓石の前に立った私は告げる。終わった。終わりました。

 もう全てが解決しました。新しい問題はきっと山ほど出てきます。

 でも、少なくとも異世界が侵略されることはなくなりました。

 GMHとインディアンが戦争を起こすこともなくなりました。

 たぶん、このまま平和を維持することは難しいでしょう。

 今は大丈夫でも、一年後、五年後、十年後……はたまた百年後、私たちの想像もつかないような問題が起きて、もしかしたら私たちの決断は愚かな選択だったと罵倒される運命にあるのかもしれません。

 私たちの世代が、過去の世代の所業を糾弾するように。

 私たちも、いや、この私こそが世界を混沌に陥れた元凶だと言われるかもしれません。

 ですが、後悔はしていません。これが私の選んだ変革です。

 正しいと信じた道です。ですから、後悔は有り得ません。

 願わくば、何事もなく平穏に過ぎ去って欲しい。しかしそれは不可能でしょう。私とて、無事にこのまま事態が終了するとは思っていません。

 まず、インディアンたちは複数の部族に別れています。その統一を強いるわけではありませんが、多少なりとも付き合い方を考える必要があるでしょう。ヴォル族のように全ての部族が友好的とは限りません。その場合の対処法を考案しなければ。

 さらに、GMHの進化についても、丁寧な観察が必要です。私たちはこれから弱体化を続けていきます。この世界に適応するために。核の灰……汚染物質に耐えるだけの強度は消去され、身体能力も徐々に弱まり、生殖機能も低下します。そして、本来の人間に戻っていきますが、その経過に、どんな変異が待ち受けているかはわかりません。

 もしかすると、世界に潜む病原菌によって絶滅してしまうかもしれない。向こうから持ち込んだ菌がこちらに影響を及ぼさないよう最大限の努力を行っていますが、自然とはとかく驚異的なもの。数多の神話で完成された種族があっさりと滅びてしまうように、私たちもまた世界から拒絶され絶滅してしまうかもしれない。

 ですが、それは人としての死に方です。新しい生命には酷な話かもしれませんが、少なくとも私たちはそれでよいと笑って終焉を迎えることができる。

 その結果、後世に罵倒されるのなら、それも世の定めとして受け入れましょう。

 しかし、それらは移住者が一丸となって考えること。そこに勇敢なる者の居場所は必要ありません。勇敢なる戦士は必要でしょう。

 ですが、兵士は不要なのです。人を殺すしか能のない兵士は。

 ましてや、ドレッドノートの紛い物は、もう必要ないのです。

 戦いの時代は終わりました。後は、もっと別の、ふさわしい人間が手綱を握るでしょう。

 ですから、終わったのです。……私の役割は。


「あなたたちの言う通り、この道は正しかった……」


 私は墓石にそっと触れる。灰色の世界の中で、唯一光を放っている墓石を。

 多くの命を見た。多くの生を見た。多くの死を見た。

 たくさんの人間を見た。

 図らずしも、私も星を観察したのだ。

 クリミナルたちは俯瞰していた。だが、私は主観で彼らを見た。

 集団を見ながら個人を見て、個人を見ながら集団を見た。

 その結果、愛を知った。人間というものを知った。

 十分すぎる人生ではないか。

 社会の歯車に過ぎない血に塗れた部品にしては、上等の人生だったではないか。

 だから、もういい。

 私の役目は終わった。壊れた歯車は再利用され、新しい社会を生み出した。

 その社会を動かすのは古いパーツではない。新しい命だ。

 もう終わりの時間だ。

 私は墓石の前で跪く。リムルたち先住民に教わった祈りの姿勢を行う。


「勇敢に世界を救った後は……贖罪を」


 私は呟く。隠すつもりもない硬質な足音が響いてくる。

 しかし私は振り向かず、祈りを捧げ続ける。全てはこの瞬間のため。

 片時も忘れずに待ち続けた時だ。

 ようやく私の願いが叶う。贖罪が果たされる。

 ただ、もし一つだけ心残りがあるとすれば――。


「あの男の返事はどっちだったんだろうな」


 背後からスライドを引く音が響く。

 間髪入れずに拳銃が発砲された。



 


 ――そうして、私は驚いて背後を振り向く。

 銃で撃たれてしまったから。

 いいや、違う。その反対だ。

 銃で撃たれなかったからこそ、肉体に傷一つなく息をしているからこそ、驚きを隠せない。


「なぜだ……!?」


 私は発砲者に問い質す。拳銃を持ち、漆黒の衣装に身を包む少女アスミは困ったように後ろ髪を掻いている。


「何でだろうな。私も私に訊きたいくらい。確かに私は、お前というスクラップ野郎を殺す気でいた。本当は記憶をなくし復讐心だけを育むつもりが、何の因果か……私は全て思い出した状態で復活した。ずっと好機を窺っていたよ。お前もそのつもりでここに一人で来たんだろ。誰だって逃すはずのない絶好の機会だ。素人でさえ、こんなチャンスは見逃さない」

「だったら、なぜ――」

「だから、言っただろう。わからないって。案外、復讐や贖罪か、なんてそんなものなのかもな」

「しかし、私は死ぬべきだ! 多くの人間を殺した! その私がここで生きていていいはずが――」

「生きたいか、死にたいか。殺したいか、殺したくないか……人間の心ってのは気まぐれだ。結局のところ、どの行動も、心――感情って奴に振り回された結果でしかない。私がお前を殺すのも感情なら、私がお前を殺さないのも感情だ。いや、実は脳の中では複雑なロジックがそれっぽい理由をまくし立てて、全く別の高度な思考システムを感情に変換しているだけかもしれないが、だったらそれがなんだって言うんだ? もしかしたら私の意志は遺伝子に縛られているのかもしれないが、それの何が問題だって言うんだ。遺伝子も感情も自分の中に組み込まれているなら、それは明確に私という名のリソースであって、すなわち私が下した決断だ。お前ならよくわかるはずだ。これらは全てお前の受け売りだ。ならお前が否定してはならない。お前に自殺は許されないのだから。お前は許されざる者だ。そして、勇敢なる者だ。だったら、好きに生きろ。隊長がお前を殺せと命令したなら私は速やかに殺す。だけど、隊長はお前を赦した。なら、私がお前に固執する理由は――さっきまではあったが……」


 アスミは肩を竦めて、拳銃を落とした。


「今はもうない」


 彼女は清々しい表情で立ち去っていく。

 私は呆然と拳銃を見下ろした。

 かつてアメリカという国で、自殺ランキングナンバーワンに輝いた栄光の殺人兵器。人が人をお手軽に殺すために必死に頭を使って考えた英知の結晶。

 それを私は拾い上げる。マガジンキャッチを押し込んで弾倉を排出、スライドを引いてチャンバー内の弾丸を弾き飛ばす。


「私は……ああ……」


 咽び泣いた。それ以外できなかった。

 灰色だった世界が、色鮮やかに染まっていく。



 ※※※



 ――何が愛しいかなど、もはや語るまでもない。


 微睡から目覚め、起床する。馴染み深い部屋の景観をさして気にすることなく一瞥し、奥から響く包丁がまな板を叩く音を楽しむ。

 服を着替え、台所を覗く。聞こえてくるのはこれまた馴染み深い挨拶だ。


「おはよう、お姉ちゃん」

「おはよう」


 カグヤは両足で直立し、野菜を切っていた。それらを何ら不自由なく鍋に入れ、ことこと蓋を鳴らしながらゆでる。私が着替えを済ませて席に着くと、焼きたての魚と共にテーブルへ朝食が運ばれてくる。

 私が手伝うことは、もうない。それよりも、緊張して余裕がないと言うのが正直な状態だ。食事の前に用意されていた服へと着替える。


「似合ってるね、お姉ちゃん」

「……そうか?」


 私が着込むのは、インディアンとGMHによる合作の服だった。どうやらオシャレというものは種族を越えた女子共通の嗜みらしく、ヴォル族の女性たちと衣服に興味のあった移住者が意見を交換し資料を集め、それぞれの技術を組み合わせて作ったのがこの服だ。

 白色をベースにしているが、ところどころに無意味とも言えるような茶色の自然素材を用いたデザインが施されている。かと言って機能性は完全に損なわれているわけではなく、ゆったりとした着心地で肌が締め付けられることはない。

 以前は隠していた胸も、今はその膨らみを保ったままだ。性を隠す必要はもうない。無論、強調しすぎるのも問題だが、分別さえ弁えればいい。

 食卓に並んだ料理の前で両手を合わせる。日本人が古来にしていたという食事に感謝する儀式。


「いただきます」


 陶器でできた茶碗を掴み、箸という変わった道具を使って食事をいただく。


「おいしい」

「良かった。リムルちゃんやシャリーちゃんと試行錯誤したんだよ。こっちの食事でどうやって昔の料理を再現するかって。みんなで森の中に行って、食材を探したの」

「前より断然おいしい。共同作業できる分、品質が向上したか?」

「そうかも」


 カグヤは嬉しそうに私が食事を摂る光景を眺めている。


「食べないのか?」

「今日はちょっと、調子がね」


 カグヤは寂しそうに微笑む。だが、以前のように暗さは滲んでいない。


「期待してるよ、お姉ちゃん」

「何がだ」


 とぼけるが、カグヤの想像していることはとてもよくわかる。

 私は彼女の姉だ。そしてカグヤもまた私という存在をよく理解している。


「ふふ。ねぇ……お姉ちゃん」

「何だ、カグ」

「ありがとう」


 唐突に放たれる感謝。その意図も、私は手に取るようにわかる。

 一瞬、謙遜が口を衝こうとした。だが、思い直して言葉を変える。


「どういたしまして。……ごちそうさまだ」

「うん。おそまつさま」

「それは謙遜だな。エミリーに怒られるぞ」

「ふふ、どうかな。エミリーさんはただの社交辞令だってわかってくれるんじゃない?」

「かもな」


 小さく笑い、私は席を立つ。身だしなみを整えるために洗面所へ移動。桶に入った冷たい水で顔を洗い、歯を磨く。鏡を使って自分の状態を余すところなくチェック。

 戦支度だ。これから向かう場所は戦場。私は乱雑に置いてあるレッグホルスターとその中に仕舞われる白塗りの拳銃を一瞥する。

 もちろん、拳銃は手にしなかった。今は無用の長物だ。

 いずれ銃をまた手にする時が訪れるのかもしれない。だが、それは今ではなかった。念入りに確認を重ね、最終的に妹の識眼を頼る。


「ちょっと髪の毛が跳ねてる」

「直してくれ、頼む」

「ふふ、任されました」


 カグヤは櫛を使って私の髪をとく。おかげで私はベストコンディションとなった……と思いたいが。


「まだ不安?」

「そうだな。私は自分の容姿に自信がない……」

「お姉ちゃんは見た目は可愛いって評判だよ。ヴォル族の人からも」

「中身はダメだと言われてるのか?」

「それはちょっとあるかも……」

「な……」

「ごめん、ショック受けないで。冗談だから」


 カグが私を励ましてくる。私は苦笑する他ない。


「今はあまり笑えない」

「ごめんね、お姉ちゃん」


 謝罪を口にするカグヤに、しおらしさは灯っていない。

 まさに映画の中の日常だと思い込んでいたものが、目の前にある。

 その姿に勇気をもらった私は、自信満々に出立を告げた。


「行ってくる、カグ」

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」


 それは遥か遠い世界に行くための言葉ではない。

 すぐに戻ってくることを告げる言葉だった。

 扉を出る前に白色のベレー帽が目に入る。

 しかし、私は被らなかった。

 ホワイトベレーは、もう必要ない。




 自然に溢れた大地を踏み抜く。完治した身体は、自由にどこまでも歩いて行ける。

 村の中でインディアンたちと挨拶を交わし、フロンティアという一つの世界へと溶け込んでいく。

 私たちは家族であり、人であり、また自然なのだ。

 出生に人工の手が加えられていることは否定しない。

 だが、世界は私たちを受け入れた。今のところは。

 なら、生きていく。人らしく。


「シーズク、こっち!」

「リムル」


 リムルが手を大きく振っていた。傍に寄ると、リムルはカグヤと瓜二つな、しかし明確に違う笑顔を向けてくる。


「もうグィアンは行きました。だから、シズクも」

「ああ、急ぐ」

「緊張してないんだ」

「さっきまではしていた。でも、もう平気だ」


 私ははにかむ。ああ、もう緊張していないとも。


「そうですか。うん、きっと大丈夫。だって私は……む」

「その先は言うな。リム」

「はいっ!」


 はきはきとした返事を後にして、私は先へ進んでいく。

 この道は正しい道か。いや、きっと正しいのだろう。

 或いは、正しさなどはどうでもいいことなのかもしれない。

 大切なのは正しいと信じて動くことだ。疑心が不要だ、と大口を叩くつもりはない。だけど、正しさを信じなければ。正しいと信じれなければ進めない。

 豊かな香りと肌を注ぐ風を受けて、私は土に足跡を残していく。

 短いようで、長い道のりだった。果てしなく長いようで、とても短い一時だった。

 立てかけてある梯子を登り、私はようやく目的地に辿り着く。

 最初からここに辿り着きたかったのかはわからない。

 こうしたいから生きてきたのかも定かじゃない。

 けれど、ここに立つのはとても良い気分だった。


「待たせたな、グィアン」

「いや、待ってはいない」


 私はグィアンを眺める。彼の背中を。

 カグヤが死んだと取り乱した時、決して振り向かなかった背中を。


「嘘を吐くな」

「吐いたつもりはないが」

「だとしたらなおさら性質が悪い」


 私は彼の隣に並ぶ。広がるのはこちらの世界にとって代わり映えのしない大地だ。

 眼下には私たちが守っていく集落が広がっている。

 人々の活気と息遣いが、ここから一望できる。


「スウゼンのようなことを言うな」


 私は笑みを浮かべる。改めて彼の横顔を眺めた。浅黒い肌と麗しい羽根飾り。

 彼も私を見てくる。恥ずかしいという感情が私の思考を搔き乱そうとするが、今日は何とか理性によって食い止められた。


「帽子は被らないのか」

「被った方が、好みだったか?」

「いや。その方がいい」

「そうか、それならいい」


 一安心しながら、私は彼の言葉を待つ。

 しかし彼はしばらく沈黙していた。

 一瞬、彼が忘れてしまったのかと勘ぐったが、すぐに違うことに気付いた。


「こういうこととは無縁に生きてきた」

「そうか。そうだったな。私も、お前もそうだった」


 いわゆる人並みの生活をして、人生を堪能して死ぬ。

 そんなものとは無縁だと達観してきた。私は兵士であり、彼は戦士だったのだから。

 しかし、奇縁によって、そうはならなくなった。

 この世界になぞらえて言うのならば、精霊の導きによって。

 もう躊躇う理由はない。

 私は一呼吸おいて、本題を切り出した。あの時の告白を切り返す。


「私はお前のことが好きだ。愛している。お前は、どうだ?」

「俺もお前を愛している。シズク」


 グィアンは迷ったあげく、やっと私に返事を告げた

 私とグィアンは抱擁を交わす。

 一通り抱き合って、抱擁を解く。


「俺たちは、これからどうする?」

「本当は全て終わったと思っていた」


 私の返答にグィアンは親しみの籠った笑みを浮かべる。

 きっと奴も同じだったのかもしれない。

 勇敢なる人間は必要ないと勝手に思い込んでいた。

 だが、それは無責任だったのかもしれない。

 私たちは世界を変えた。自分の意志で。ならば、


「私たちには世界を見届ける責任がある」

「そうだな」


 真下ではインディアンの子どもがGMHの子と不慣れながらも遊んでいる。


「付き合ってくれるか? グィアン」

「答える必要があるか?」


 グィアンが質問に質問で返した。

 あの時の感覚がよみがえる。初めてグィアンと出会った時。

 やはり私は一目惚れしていたのだ。この男に。


「必要なかったな。行こう、グィアン」

「ああ、行こう。シズク」


 私たちは再び道を歩き出す。

 人間として、終わりを迎えるその時まで。

 勇敢ではなくとも、勇敢であるように。



                        ――シズクの戦い 完――

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