願い
「私たち全員の連携がカギだ」
私はあえて全員が承知であるはずの言葉を述べる。彼女を討ち果たすためには、今以上の連携を組めなければ太刀打ちできない。
私はみんなを見回して、ホロモニターへと視線を合わせた。
そこには母親……ナミダのプロファイルデータが映し出されている。リピーターの現時点で観測できた戦闘データも。
「ナミダは強い。ただ強いだけじゃない。簡単に言えば……昔の私だ」
ドレッドノートになる前の私。殺すか死ねと命令されて、躊躇いなく殺すことを選択した私。
そこで話は終わらない。単純に以前の私という範疇に収まっていれば、簡単に武装解除を行えただろう。成長前の私なら、鋭くはあるが脆いからだ。
だが、ナミダは違う。社会の歯車、兵士として不完全だった当時の私と違い、既に完成されている。政府の理想の体現者。だからこそ、彼女は処分されなかったのだ。
或いは、選択したのかもしれない。
他人を殺して自分が生きるか。自分を殺して他人を生かすか。
その二択の内……容赦なく前者を。
父さんを……愛した夫を殺したことで、生き延びた。
「……」
長年の疑問が払拭された……と言いたいが。まだ完全に私の心は晴れていない。そもそもなぜここまであっさりと容認できるのかもわからない。
普通、拒絶か苦悩をするはずだろう。ふざけるなと弾劾するはずだろう。
だが、私は腑に落ちている。母親の蛮行を。あるまじき娘殺しを。
「平気か?」
「問題ない」
グィアンに素知らぬ顔で言い返す。
「って強がってもばれてますけどね。まぁ、深く追求はしませんけど」
目ざといミーナがお菓子を頬張る。私も彼女と同じ方針を取ることに決めた。
「戦闘力はけた違いだ。直近の例ならばクリミナル……ピースメーカーだが」
かつての仇敵とその騎兵が映し出される。バトルキャバルリーのルーツ。その原点を私は旧式のレンジャーで破壊したが、あれは奇跡のようなものだ。同じことをもう一度しろと言われてもそう易々とは行えまい。
クリミナル自身の戦闘力も目を見張るものだった。彼が義体だったから、という簡易な理由ならあそこまで苦戦することもなかっただろう。彼自身が歴戦の戦士だったからだ。
真なる意味でのGMHの先駆け。革命期以前の戦争を終わらせた戦闘兵器。
その戦闘兵器たちのもうひとつの搭乗機がリピーターだった。
「リピーターはピースメーカーと同時運用を目的として設計された騎兵だ。ピースメーカーの担当領域が地上なら、リピーターは空となる。加えて、バトルキャバルリーの名称元となった騎馬は、その機動性能もさることながら……破壊されても再生する」
まさに連発銃の如く。ボードは雌牛の足と名付けられ、壊れても瞬時に自己修復する機能を備えている。本来の用語としてのメアズレッグは銃身を切り落としたライフルの通称――とある映像作品の主人公になぞらえてランダルカスタム――だが、かの牙はまさに取り回しのいい連発可能ならライフルだと思っていい。
乗ってよし、突撃させてよし、盾にしてよしの万能兵装だ。
それだけならまだしも、肝心のリピーター本体の性能も計り知れない。
「ナミダはまだ近接攻撃しか行っていないが……射撃が不可能というわけではないはずだ」
ナミダは日本刀を模した二つのブレードを使って接近戦を行っていたが、技術的問題で射撃武装が扱えないとは考えていない。ただ単に試していたのだ。そして、それだけでも問題なく殺せる……殺せたと踏んでいた。
だが、恐らく次は完全武装で襲撃を仕掛けてくるだろう。私がリピーターの腕を切り落とすことに成功したことで、試験に合格したからだ。
ある意味では敵の強さを引き上げる形となってしまったが……それはこちらも同じだ。マニュアルを逆手に取るのなら、その上を行けばいい。母さんが私に伝授してくれた戦闘方法ではなく、今の私らしい戦い方ならば十分に勝算はある。
「あのー……ここからまた移動するんでしょうか」
おずおずと手を上げたのはフィレンだ。ドレッドノートの整備真っ最中の今、移動するなら備えておきたいのだろう。
だが、私は首を横に振る。逃げたところでどうしようもない。
「いや、ここで準備を整える。ナミダは私たちが拠点を移したところで確実に捕捉してくるはずだ。ならば慌ただしい引っ越しをするよりも、ここで迎え撃った方がいい」
「放棄されたとは言え元は軍事基地ですから、守りやすく攻めにくい構造です。これ以上にベストな物件は見つからないでしょう」
「敵の侵入経路も予測可能だ。移動中襲撃されては元も子もない」
アウェルとグィアンの補足を聞いてフィレンは安堵する。
母さんとの決着はここで付ける。彼女を倒さない限り先へは進めない。
ふとリングデバイスを操作して、フォルダに保存されていた家族写真を表示する。
過去と現在のナミダの表情を見比べる。どちらも無だ。大きな違いはない。
なのになぜか……今の方がより冷たく感じられた。
※※※
母親が生きていたという情報は鋭いナイフだった。
母親が父親を撃ち殺したという言伝は銃弾だった。
カグヤは部屋の中に引きこもり、リムルとシャリーによる介抱を受けている。
私は室内の状態に変化がないことを感じ取り、目的地を変更した。考えなければならないことは山積し、私のキャパシティを越えている気がしてくる。
それでも私は考えなければならない。
「結局、まだ何も成せていない、か」
ここに来た目的を一つも達成することができず、ただ他人が殺される様を見ているだけしかできなかった。成長はしているのだろう。進展はゼロではないのだろう。だが、致命的に遅れている気がしてならないのだ。
それとも、私は欲張り過ぎているのか。スターウォーズでルーク・スカイウォーカーがヨーダに嘆いたように不可能を求めているのか。
だが、ルークはフォースをマスターした。
私も精霊術を使えている。
なら現状を嘆いてもしょうがない。
「ハザードの狙いは何だ……」
私は独り言を放ちながら通路を進んでいく。
だが、情報不足だ。強いて言うならミーナの友人だったジェミー・スポットが処分された件に関わっている疑いがあることぐらいしかわからない。物的証拠は発見できなかったが、立場的……シャルリが私の謀反を見抜いたような心理的推理を用いれば、犯人は彼しか有り得ない。一個人を秘密裏に観察し処理するなどという芸当はスターゲイザーでなければ不可能だ。
口には出していないが、ミーナも薄々気付いている。友人の仇の正体が判明してなお彼女は気丈に振る舞っている。
……私は彼と接触したことのある人物を知っている。だが彼女にとってその記憶は忘れたい過去のはずで、不用意な質問は慎むべきだと考えている。
だからこそ極力不必要な会話は避けていたのだが――件の人物が目の前からやってきて、私の前で立ち止まった。
「シズクさん」
「シャリー……カグヤの様子は」
「まだです。もう少し時間をください。……私があなたの元を訪れた意味、きっとわかっていますよね」
「ハザード・ブラックタロン……」
名前を声に出すとシャリーの肩がぴくりと震えた。予期していたとしても反応を隠せないほどに、その名を持つ相手には因縁があるのだろう。
「会ったことがあります。……私の、家で」
「家に訪れたのか?」
シャルリが私の家にスカウトへ来たように。
「はい……。当時の私は世間知らずで……何にもわかっていなくて」
シャリーは拳を強く握りしめる。
「きっと、あれは……お姉ちゃんに対する脅迫だったんだと、思います。きちんと任務をこなさなければ、私を処分するぞって。だから……お姉ちゃんはフロンティアに出撃して……」
――私の前で、自殺した。管理政府が敷いた社会システムの都合上、遅かれ早かれ、その時は訪れたのかもしれない。シャルリ・ハンマーの死に、ハザードという男はさほど大きな影響を与えなかったのかもしれない。
それでも、やはり。実際に彼女を殺す羽目になった存在だからこそ。
「……悪いが、私に復讐を成す権利はない」
アラモは忘れること。怒りに我を忘れて、がむしゃらに力を振るう資格はない。
その前置きにシャリーは俯いたまま応えない。私は言葉を続けた。
「だが、奴は放っておかない。復讐ではない。過去のためでもない。ただ未来のために、奴は始末する」
「はい……」
シャリーはただ頷いた。拳の震えは消えている。
「カグを頼む」
シャリーと別れて、私はさらに思案を加速させる。結局、ハザード・ブラックタロンという人物の核心までは届かないかもしれない。だが、観察――ハザード曰く趣味――をシャルリにも行っていたということは、やはり私にも似たような趣味・嗜好で強襲してくる可能性が高い。
「ブラックタロンはレッテルを貼られたホローポイント弾、だったか」
かつてウィンチェスター社が販売していたホローポイント弾の一種であるブラックタロンは、犯罪に用いられ、マスコミの過激な報道によって人体をぐちゃぐちゃにする非道な弾丸というレッテルを貼られた。実際の性能は他のホローポイント弾と大差なかったが、最終的にそのレッテルが人々の間に浸透し、販売中止となってしまった弾丸だ。
ある意味、バリアントであるハザードもそのような社会環境に苦心してきたのかもしれない。兵士として十全な結果をもたらせるはずの男は、バリアントという社会が貼ったレッテルによってその真価を発揮できなかった。
だからヘルスを嘲笑いながら利用する……という解は至極単純で、納得してしまいそうになるが。
どうしても私には、そこまで単純明快な男だとは思えない。あれは社会に絶望している態度ではなかった。
ただ楽しんでいる。愉悦している――無邪気な子供のように。
或いは実験に勤しむ科学者のように。
最悪なのは、彼が計算ができる男だということだ。
例えナミダを撃退したとしても、それで終わりではない。
「まずは作戦を立てる方が先か」
独りごちて、月の大地を眺める。遺灰を連想してしまうその地面は、本来は幻想的な光景なのだろう。
地球よりは美しいが、それでもこの大地も汚染されている。人間は汚すのは得意だが、掃除に関しては大の苦手だ。我慢弱く、辛抱できない。自分に不利益なことがあると憤り、思い通りにならないと癇癪を起して暴れ回る。
赤子同然だ。歴史を紐解けば、人間が一向に成長する気配がないのは瞭然で、だからこそ私は母親の撃破方法を粛々と組み立てている。
案外簡単に思いつくものだった。確実に倒せる保証はないが、一打は与えられると確信できる策は。
「そう卑屈になるもんでもないと思うけどね」
「ニカ」
窓ガラスに反射して、死んだはずの亡霊が私の背後に映っている。私は大仰なリアクションを取ることもせず、静かに息を吐いた。
「寝ていればいいだろう。クィンといっしょに」
「シズクったら発想がえっちだね」
飄々としたニカに私は恥じらうこともせず、複数の遺骨が合わさってできたような大地を見つめ続ける。
「そんなに母親との戦い方を思いつく自分が嫌?」
「嫌だとしても、必要なことだ」
「でも本心は嫌なんだよね。まだ納得していない。あなたの心は。何でお母さんが敵になっているのかをずっと考えて……それを押し隠している」
「隠してはいない。だが、今は……」
「目の前の物事に集中するのは大切なことだけどさ。時には自分を顧みることも必要だよ。私みたいなことにならないように。私はさ、怒りに我を忘れて、それで……死んじゃった。形式的には殺されたってことなんだろうけど、私は自分の愚かさが招いた結果にしか思えない」
「お前は……お前は……」
ニカの言葉は的確で容赦がない。異性すらも虜にする魅力的な笑顔を浮かべた。
「まぁ、先駆者のアドバイスってことで。私より、愛しの彼の言葉の方がよく聞きそうだしね」
「ニカ……」
と呼び掛ける時には彼女の姿は消えている。代わりに窓に映っているのは、包帯を頭に巻いているグィアンだった。
「アイデアはまとまったか?」
「ああ。問題ない」
そこで話を区切ってしまうのはとても簡単で。
ゆえに、私は言葉を継いだ。先駆者の助言に従って。
「と言いたいが……私は本当に嫌な女だ。ここにきてくよくよと」
もはや何度目だろうか。最悪なのは、何度味わってもこの気持ちを克服できないということだ。トラウマの克服にもっとも有効な手段は慣れだ。何度も同じ経験をして、問題症状が発生しないようにすること。
だが慣れる気がさっぱりしない。慣れてはいけないという気もしているのだから、本当に救いようがない。
「当然の反応だ。肉親と戦うことに躊躇いを覚えない戦士はいない」
「だとしても、私は」
「ああ、戦わなければならない。だが、お前は戦いに躊躇を覚えているわけではないはずだ」
「わかるか」
「わかる」
即答に私は小さく笑みを作った。ガラスが鏡の役割を果たして、己の表情の変化が窺える。その笑みはすぐに寂しさと悲しさを混ぜ込んだものへと変わり果てた。
「お前が気付いている通り、私は母さんと戦うことを恐れているわけじゃない」
最初こそ、慄き動揺し銃を握れなかった。だが今は必要に応じて容赦なく武器を向けられる。
ゆえに私の心は危惧している。理性はその結果を導き出し、黙秘を決め込んでいる。
母親を殺す可能性から目を逸らしている――。
「もちろん、私は殺さないように立ち回るつもりだ。だが、母さんはそれを見越して……逆手に取ってくるだろう。作戦立案は可能だし、実行する実力も備えている。問題は……その上をナミダが行ってしまうこと。そうなれば……殺すしか手立てがなくなる」
否、それだけではない。仮に全てが順調に運んで、見事リピーターを行動不能にしたとしても、ナミダに抵抗の意志があれば放置はできない。母娘の絆を信じて楽観視する状況はとっくの昔に過ぎ去り、今の私は錆びた兵士としてナミダに接するしかないのだ。
例え勝利を掴み取ったとしても、私の敗北は避けられない。
なるべく敵を殺さない戦い方をしてるとは言え、殺すべき相手――スターゲイザーやエンカレッジ――などは殺している。暴走したエンカレッジは元より、ジョン・テレグラムは生かしておくには危険すぎたし、ハザードも機会があれば殺すつもりでいる。
だが、ナミダ・ヒキガネを同じように処置できるのかは定かでない。
「先走ってるな、私は。勝てるかどうかもわからないのに、勝った後のことを考えている。こういうのをこちらのことわざで……捕らぬ狐の皮算用……だったか? カグが言っていたが」
「狸じゃないのか?」
「……そうかもしれない。だが、狸だろうと狐だろうと、言わんとすることはわかるだろう。私はダメだな。……お前はダメな私が嫌いか?」
「いや。むしろ好ましい」
もしその返答を正常な私が聞けば喜んだかもしれないが、そんな気分にはなれなかった。卑屈な想いが胸中を巡る。本当に私は嫌な女だ。
「ブリーフィングで伝えたように母は昔の私……いや、それ以上に酷い。私は……私の変異は罪悪感と妹に対する愛情だった。だが母にはそれがない。容赦も躊躇いもない。私がどれほど母親相手に苦悩しても、母はただ敵として淡々と排除する。それが社会の歯車の在り方だからな。だから、必要に応じて、私は――殺さなければならない」
「本当にそうなのか?」
「どういう意味だ?」
「お前の母親は一切の感情を捨てたのか? 娘に対する家族愛を放逐した?」
「お前の疑念は何度も私の頭を悩ませたが、前回の戦闘の折り、私は確信した。母は父を撃ち殺したんだぞ。自らの生存のために」
「似たような事例を俺は知っている。お前もわかっているはずだ」
グィアンの指摘通り、私の脳内でアラモ砦での一幕がフラッシュバックする。
拳銃を持つ私。小さな画面に写るカグヤ。その背後に立つ男は上機嫌で取引内容を告げる。
カグヤかグィアン、どちらかを選べと迫られて私は選択できなかった。
だからカグヤは身体を失い、脳ユニットだけとなった。
同じ状況にナミダが陥ったのではないかとは私も考えている。
しかし、母さんの行動には偽りなき殺意が乗っている。何度殺されかけたのかわからない。もしあれが愛情ゆえの行為だとすれば酷く歪んでいる。
もしくは、母さんも壊れているのか。だとしたらなおさら、私は引導を渡さなければいけなくなる。
「正常にせよ狂っているにせよ、やはり殺すしか手段がないように思える。お前もそうじゃないのか?」
「……完全に事態を把握しているわけではない。それに引っかかることもある」
「引っかかること? ナミダに対してか?」
私の問いをグィアンは否定する。瞳を直視しながら、
「お前がなぜ罪悪感を抱いていたのかが気にかかる。罪の意識を抱くには、それなりの教育が必要だ。俺たちの世界では野生動物に育てられるような人間が稀にいる。そのような人間は、人を殺しても何の罪悪感も持たない。人を同族だと認識していないからだ。まともに育てられた戦士が、罪の意識に苛まれないのは殺人に慣れたからだ。だが、お前は……フロンティアの人間に対して罪悪感を持っていた。それはリムルが妹に似ていたからという理由だけではないだろう。ハザードが言っていた異端思想という一言で片づけられるものでもないはずだ」
「何が言いたい……」
強い語調で問い質しながらも私はグィアンの言葉に惹かれている。
封印された記憶を紐解くカギになるのではという期待を寄せている。
「お前の過去に、罪悪感を抱く何かがあったのではないか」
「その何かが私の記憶を封じている。と、お前は言いたいのか」
失念していた、というより思考を放棄していた論理だった。そう考えれば少なくとも私の記憶障害については辻褄が合う。GMHは肉体機能に不備を持たない――カグヤなどの例外……或いは進化型を除いて。
だから、機能障害が発生する原因は必然的に精神となる。無意識が記憶の蓋を閉じたのだ。
――自分がなぜ戦っているかもわからず、なぜそのように変異したかもわからないまま抗ってきた、君か?
ハザードの言葉が頭の中を駆け抜ける。
「私のルーツは母さん……?」
戦闘の類似点などを鑑みれば、それは当然の帰結だ。子のルーツは親。思考回路や運動機能、肉体容姿などのベースとなるギフトは両親から与えられたものだ。
だが、遺伝子の規範などほんの僅かに過ぎない……と信じたいが。
「私の性格にも母さんが一役買っている、と?」
「有り得ないことではない。俺とて母親の影響は受けている。過ごしたのはほんの僅かな間だけだったが」
グィアンの穏笑は彼が母親に愛されていた証だ。
私も同じように母に愛されていたのだろうか。ジェシカが言っていたように愛されて育っていたから、正しい道を歩むことができた?
しかし、そうだとすればなおさら謎は深まるばかりだ。母親が私を襲ってくる理由がわからない。
「最終的に殺し合う未来しか……見えないが」
「そうかもしれない。だが、諦めるには早すぎる。そうは思わないか?」
「えらく前向きな意見だな。一蹴したくなるが、ここは素直に受け取っておこう」
それがいいとグィアンが賛同する。私は改めて月面を観察する。
不思議なことに、今度は幻想的な景色……月の海に見えた。
※※※
カグヤの体調が戻ったという知らせを受けて、私は彼女の部屋へと一目散に飛び込んだ。カグヤは申し訳なさそうな表情で俯いている。
私は小さく愛称を呼んだ。カグ、と。
「すまないが、席を外してくれないか」
リムルとシャリーに要請すると察しの良い二人は退室してくれた。二人きりとなった部屋の中で、私は優しくカグヤの身体を抱き込む。
触れない。だが、それが何だと言うのだ。
「お姉ちゃんは、私の名前の由来、知ってる……」
「かぐや姫だ。そう記憶している」
「何でお母さんは私にカグヤって名前を付けたんだろう。何でお母さんは私を育てたんだろう。何で私は……生まれて……っ」
「必要だから生まれた。必要だからだ」
両親の真意はわからない。だから、私の想いを伝える。
カグヤは私という存在を維持するための大切な存在だ。
彼女がいたから私は私になれた。カグがいなければ、インディアンやホワイトベレーなどのマイノリティを殺す社会の歯車になっていた。
社会に規定された通りの殺人兵器として、引き金として。
「でも、私は……!」
「過去を忘れろとは言わない。でも、前を向いていてくれ、カグ。私のために。お前がなぜ生まれたかなどどうでもいい。私にはお前が必要だ」
「お姉ちゃん……」
ホログラム体の中で涙がカグヤの頬を伝う。私はその滴を拭おうと手を伸ばす。
理由も原因も真実もどうだっていい。重要なのはカグヤがここにいることだ。
遺伝子がなんだ。集団心理がなんだ。管理政府がなんだって言うのだ。
溢れ出て止まらないこの感情の名前を私は知っている。
愛だ。家族愛だ。
この感情を私がいつから保持していたのかは定かじゃない。
だが、今こうしてここに存在するのだ。取って付けたような言い訳など不要だ。
ただここにいればいい。ただ生きていればいい。
自由な個人として。一人の少女として。
「昔も今も、私は不器用だ。お前への愛を、感謝を、上手く伝えられているかどうかはわからない。それでも、私はお前を愛しているんだ」
「お姉ちゃん」
カグヤは戸惑っている。どう対応すればいいのか知らないのだろう。
私だって初めてだ。こんな風に自分の想いを直接口に出す機会はほとんどなかった。
知っていて当たり前だと思っていた。口に出さなくてもわかるだろうと。
だが、人間は言葉にしなければ誤解してしまうのだ。どれだけ相手を想っていようとも。
互いを大事に想い合い過ぎて殺し合えるのが人間だ。
より良い世界にしようとして大量虐殺をするのが人だ。
だから私は声に出す。人間が太古から行ってきたコミュニケーションを取る。
「……私もお姉ちゃんのこと、大好きだよ」
「カグ」
カグヤの顔から笑顔がこぼれる。生気に満ち溢れた力強い笑みだ。うっすらとこぼれ落ちる涙も、その印象は払えない。
少しだけ躊躇ったような色をその表情に灯したカグヤは意を決して要望を伝える。
「一つだけ、お願いしていい? お姉ちゃん。私の我儘を聞いてくれる……?」
「もちろんだ」
カグヤは小さく息を吸い込んで……妹として初めて私にお願いをした。
「お母さんを、救ってあげて」
「姉として……その願いを叶えると誓う」
固く誓う。誓約を交わす騎士のように。
妹の頼みを聞く姉のように。
――ここまでなら昔の私と同じだ。
だから、私は……姉として、今度は妹にお願いをする。
「だが、私たちだけでは心もとない。……力を貸してくれないか、カグヤ。母さんを……救うために」
妹の返事は聞くまでもなかった。
これが今の私が、私たちが導き出した最善の策だった。




