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覚醒

 鐘の音が聞こえる。晩鐘の如き憂鬱さを兼ね備えたその音は、しかし実際に晩鐘であったら帰れるのに、などという怠惰な思想を膨らませるのに十分すぎる音色だった。始業の音を聞きながら、それでも机の上に突っ伏す形で微睡みを甘受していると、突然脇腹を小突かれる。私はその衝撃を忌々しく思いながら無視を決め込む。


「ダメじゃないか、シズク」

「何がダメなんだ。私は眠い」

「もうすぐホームルームが始まるぞ」


 お節介な奴め、と思わずにはいられない。このクラス委員長は変なところで生真面目だ。それでいて不良……特に自分のような反抗期真っ盛りの不真面目生徒に対しても一定の理解を持っているのが実に面倒くさい。絵に描いたような優等生でありながら、劣等生への同情心も装備している人物の執拗な攻撃にとうとう私は目を開けた。

 彼女の顔が目一杯に写る。我らがクラス委員長、シャルリ・ハンマー。


「いくら成績優秀だとは言え、そうやって不真面目な態度を続けるのはまずいぞ」

「テストはいい点を取っている」

「世の中はテストに縛られない」

「初耳だ」

「そういう嘘は良くないって、シズク」


 左の席から声がして、疎ましく思いながら視線を移す。そこに座る白髪の少女は、携帯電話をいじりながら他人事のように嘯いた。


「あまりシャルリをからかうのはよくないよ」

「そういうお前も携帯をいじるのは止めろ。ホームルームが始まるぞ」

「ちゃんとしまうって。今は彼氏とコミュってる最中なんだよ」

「またのろけか」

「片思いちゃんにはまだまだ遠い道のりだものねってそんな顔しないで。っていうかさ、制服、しわついているよ」

「制服……」


 私は身体を起こして自分の服装を確認する。一瞬、血まみれの軍服のようなものが見えた気がするが気のせいだ。学校指定の白を基調としたブレザーは、そこそこ可愛いと女子生徒及び、鼻の下を伸ばす男子生徒に評判だ。しかし容姿の可愛さでは、あの男は惹かれないだろう。


「あの近所の男か。しかし君が年上好きだとは思わなかったが」

「……」


 シャルリの相槌に私は無表情を貫く。が、ニカはにやにやしていた。


「一目惚れだったよね。そんな乙女チックな性格だったとは」

「ニカ、あまり茶化すことではありません」


 助け船が前方から響く。エミリーがこちらを振り返りながらニカを睨み付ける。が、彼女からは……少々、意味深な熱を感じることがある。自意識過剰と割り切ってしまいたいが、そうではないような、もっと根深いものが彼女にあるのでは、と薄々勘付いているのは事実だ。

 だが、その援護射撃はありがたいので私はエミリーに話題を振る。


「例の後輩と仲良くしているか」

「アウェルですか。彼女は優秀ですが……少し問題がありまして」

「問題?」


 私はニカとシャルリによる挟撃から抜け出すべく身を乗り出す。エミリーは若干の躊躇いを見せながらも、事情を説明し始めた。


「簡単に言えば他人に依存する傾向がありまして」

「ああ……ヤンデレみたいな」


 ニカが理解を示したように言うが、私はそんな単純な問題ではないように思う。だが、例えそう思ったとしても私自身にはどうしようもないし、そういう性格上の問題には対処するべき専門の役職がある。すなわち、カウンセラーが。

 部活の後輩であるフィレンなどはよくスクールカウンセラーに相談に言っているともっぱらの噂だ。彼女はどうでもいいことに酷く怯える怖がりなので致し方ないとは思う。が、ちょっとした話のタネになってしまうのは仕方ない。

 ――そのおかしなことを理由にして殺されるよりはずっといい。


「……」

「気分を害されましたか?」

「いや、ちょっと妙なことを考えてしまった」

「妙な事、か?」

「何でもない」


 エミリーとシャルリをあしらって、私は意識を集中する。ここは学校で、私は授業を受け、お小遣い欲しさにバイトをして家に帰るのだ。

 ……朝のホームルームが始まる前に帰宅することを考えてしまうとは。我ながらなんと不真面目な生徒なのだろう。

 本質的に私は不真面目で不良なのだ。成績は優秀であるが、人格的な問題を抱えている。自己中心的で自分本位。改善するべきだとは考えているが、生まれついた性格という者はなかなかどうして治しづらい。

 妹とは真逆だ。私の帰りを待つ妹とは。これでは、母さんに――。


「……」


 その想起がきっかけとなった。

 私は目を見開く。ふと机の引き出しを漁る。

 そしてそれを発見する。迷彩効果を一切考慮していないデザイン。威力も最低限のものだが、使い手によれば高性能の武器にも匹敵する拳銃を。

 窓の外を見る。外には白い巨兵が佇んでいる。漆黒のパーツで補強された騎兵は、特殊機能である変形機能の恩恵を受けられなくなってしまったが、その欠点を補ってあまりあるほどの性能を秘めている。


「どうした?」


 隣のシャルリが訪ねて来たので振り向くと、そこには側頭部から血を流していたシャルリが椅子に崩れ落ちていた。死んでいる。死人に話しかけられた。


「どうしました?」


 前の席のエミリーに至っては、腹部がちぎれて臓器が露出している。私はとっさに周囲を見渡してここが死の教室であることを認識する。ニカは生きているが、それ以外のみんなは死んでいた。いや、私が殺した。

 ここは私のせいで死んだ、或いは殺された人間たちの墓場だ。


「ああ……」


 ただ戸惑い、息を漏らす。瞬間、仕組まれたかのように教室の扉が開き誰かが入ってくる。

 担任だった。彼は穏笑を私に向ける。私しか眼中にないかのように。


「さぁ、それでは授業を始めよう」


 担任――クリミナルの掛け声を皮切りに世界が暗転する。


「ここは……」


 まるで俯瞰モニターを使用しているような気分だった。どこか別の、私の知らない風景を客観視している。まさに観察者の如く。

 その対象は奇妙にも、私を観察していた存在だった。

 クリミナルがいる。隣には私と同年代くらいの少女がいた。

 荒野の中、悲観に暮れている。


「なぜそのような顔をするのですか」

「悲しいからさ」


 私の胸中を代弁した少女にクリミナルが応じる。彼はただ先を眺めていた。

 戦場を。多くの人間が武器を使って殺し合いをしている。銃や戦車、パワードスーツ、戦闘機――旧式の武装を用いて。

 殺す。そして殺される。殺すか死ぬ。

 なぜなのか、という疑問には応えられるのかもしれない。

 必要があるのか、という質問には返事をできるのかもしれない。

 でも、それでよかったのか、という問いには、きっと返答することはないだろう。


「武力で彼らを抑え込む、という選択肢も存在するのではないですか」


 少女の純粋無垢な問いに、男は柔和な笑みを作る。


「一時は。ほんの一瞬であれば、それは効果的かもしれない。だが、彼らはきっとまた殺し合いをするよ」

「おかしいですね」


 少女の声音には一切の悲哀が含まれていない。ただの疑問。奇妙なことを目撃して、なんでだろうと考える。そんな言い方だった。


「殺人が無為だと彼らはわかっているはずですが」

「わかっていても止まらないさ。互いを信用していないからな」

「不信が戦争の源だと、あなたはお考えですか?」

「一因ではある。だが、こじれにこじれ過ぎた。戦争は感情が起こすものではないからな」

「……感情では?」

「理性だよ。人は人が思うほど感情では動いていない。ただの暴力ならば。敵を殺したいという欲求ならば、感情が動力ではあるだろう。だが、戦争となれば話は別だ。戦争はただしたいという欲望のみではできないからな。セックスとは違う。緻密に計算し、同志を集め、損得を見極め、投資を行う。非常に頭を使う作業だ。人間は理性的にならなければとてもじゃないが戦争なんてできないのさ。感情でできるのはせいぜいただの戦闘だ。とても小規模なスケールのな」

「では、もはや打つ手なし。ということでしょうか」

「そうでもないが、私には無理そうだ」

「とすると、私にも無理でしょうね」

「……そうだな」


 クリミナルは苦り切った笑みを浮かべる。少女はそっと目を伏せる。それは戦を止められないからというよりは、クリミナルの要望に応えられないから、という悔しさを滲ませた感情表現だった。


「私は兵器ですから。それは、あなたも」

「私たちには殺すことか、こうして見守ることしかできない」


 諦観の念が彼からこぼれる。それはあの時。フロンティアで死線を交えた時にみせたものと同一のものだ。

 彼は理想主義者でありながら、現実を直視していた。

 戦争を止めろと言葉で訴えることは簡単だ。誰にでもできる。その行為自体を愚かだと言うつもりはない。だが実際、彼らは聞かないのだ。

 言葉では不可能だと考えて戦うことを選んだのだから。

 だから彼は傍観を続け、そして戦うことに決めた。隣にあるそれを見上げる。

 争いを止める力を。同時に多くの人間を殺す兵器を。

 バトルキャバルリーの代名詞。ピースメーカー。二足歩行兵器の通称を塗り替えてしまった存在は、まさに西部を開拓した拳銃にも似て。

 豪華絢爛で、またもっとも多くの人間を殺した武器となる。美しい騎士。白銀に磨かれたアーマーと、見る者を魅了する純白の白馬。


「私も同行します」


 少女の方もまた自身の騎兵に歩き出す。こちらは私の知識にないキャバルリーだ。これもまたロストキャバルリーであろうことは容易に想像つく。ピースメーカーは馬に跨る騎兵という容姿の通り、地上を踏破するための機体だ。二足歩行兵器は人のみがそうであるように様々な環境に対応できる反面、一つのロケーションに特化することができない。その欠点を補うのが騎馬だ。単純であるが実に効果的なロジックでバトルキャバルリーは開発された。二つの性質を持つ機体として。

 だがそれでもピースメーカーが駆るのは馬であり、どうしても対空に不安が残る。その不安を解消するために作られたと言っても過言ではない騎兵が少女の乗る機体だった。その機体が乗るのはボード、或いは魔法の絨毯とでも言うべきか。

 青銅の騎兵はフライトボードを脚部にドッキングさせることで縦横無尽に空を舞う適応力を獲得した。もちろんそれはただ乗るだけではない。自分の身体の一部として、自由に扱うことを示している。

 二つの騎兵は戦場を観察していたが、火蓋が切られたかのように動き出した。

 もしくは、引き金が引かれたかのように。鐘が鳴り響いたかのように。

 その後の顛末はもはや語るまでもない。多くの命が二つの騎兵に蹂躙される。戦場には平和と……無数の死がもたらされた。

 直後、場面が暗転する。私はもはや私の意志とは無関係に、記憶を、記録を強制的に閲覧させられている。だが不思議と嫌な気分にはならなかった。

 もっと見たいという欲求が芽生えている。知りたい、という知識欲が溢れ出ている。


「――戦争は終わった」


 次は研究室の一画だった。クリミナルは神経質に同じ場所を行ったり来たりしている眼鏡をかけた白衣の男に話しかけている。諭すように。


「終わった……? 終わったな。確かに」


 科学者らしき男は道中するように呟くと、窓のカーテンを開いた。


「間もなく人類も終わるがな」


 そこには大量の灰が浮き沈みしていた。太陽は陰り、恐らくは森の中に建てられたと思われる研究所の周辺には大量の枯れ木が倒れていた。地獄絵図、という言葉が浮かぶ。ここは正真正銘の地獄、あらゆる生命の終着点だ。すなわち、絶滅という意味で。


「お前たち兵器がきちんと、真っ当に仕事をしていればこんなことにはならずに済んだはずだ! 何のために大金をかけて作ったと思ってる! お前のそのコードは飾りじゃないんだぞ! あの生き残りの娘もそうだ! お前も! なぜ生き残った! その命を投げ捨てればこんな事態になる前に止められたはずだ!」

「……私を罵倒するのは構わないが。何せ、自ら志願したんだからな。だが、あの子は違う。出生の段階から遺伝子をいじくっただろう。そのせいで寿命も残り僅かだ。それに死んだ者たちもそうだ。彼らが命懸けで戦ったからこそ、この程度で済んだということを忘れるべきじゃない」

「それでは失敗作もいいところだ! くそ! くそ! こんなことを避けるために……遺伝子改造なんて禁忌にも手を出したというのに」


 自暴自棄になりながら言う科学者に対し、クリミナルは平然と訊ねる。いや、平然と、ではない。もはや全てが手遅れだと達観している。


「禁忌を犯して人が救われる話が神話にあったかね?」

「お前も同意しただろう!?」

「その点は否定しないが。全く、人というものはどうして」


 クリミナルは呆れて肩を竦める。彼の疑問は単純だ。どうして止めるべきタイミングを誤るのか。間違いを認識せずに突っ走るのか。平気で同族を殺せるのか。そしてその結果に生じた責任を他人に押し付けようとするのか。

 度し難い、と言った風に外を眺める。終末の世界を。今更どうしようもない、と彼もヒステリックになっている科学者もわかっている。

 彼が以前レクチャーした時と同じ内容。私たちのルーツ。しかし奇妙なのは、クリミナル自身が何らかの遺伝子改造を受けているということだ。


「バトルキャバルリーを扱えるように人を兵器化したはいいが、その対抗策として敵が核を撃ちまくるとは予想できていなかったか? 強力な兵器には強力な兵器で対抗する。基本中の基本の戦術だろうに」

「自ら実行しておいて何を!」

「自ら実行したから言えるのさ。私は何度も上層部に進言したがね。戦争なんてものは相手がよほど弱い存在でもない限り、いたちごっこなのは知っているだろう。強い武器を作れば対策を取られ、それを凌駕する兵器を作ればさらなる対抗策を講じられ……何度も同じことの繰り返しだ。それを……どうしてかな。上層部は勝てると睨んだ。ゴールにこちらが先に到達できると。だが結果は同着。おかげで世界は崩壊する。意地の張り合い、しょうもないいざこざによる争いで」


 おかしいだろう? と笑う。過去は未来に笑われる宿命にある。


「なぜ絶滅するとわかっているのに……死ぬと知りながら笑える」

「死ぬ覚悟なんてものは、この戦争を止めると決意した時からできていたさ。だから実際に死ぬ、なんて言われても納得して終わりだ。それに、そこまで悲観するような状況でもない」

「何だと?」

「聞いてるだろう? 地球工学の専門家たちが以前から研究していた秘策を実行に移す時が来た。気長な政策だが、人類存続の可能性もゼロじゃない。コロニーもいくつか破壊されてしまったし、植民地化していた惑星もダメになってしまったが、まぁ宇宙に退避して、地球が再生する時を待っていればおのずと未来は視えてくるだろう」

「悠長にか? 確証もないのに?」

「それが最善の方法だと私は考えているな」

「何かアクシデントが起きて死ぬかもしれないと……怯えながら生きる? 何百年も地球が復活する時を待ちわびながら?」

「その心配は杞憂だ。そんな事態に陥る前に君は死ぬ」

「歴史に名を刻まれる……」

「地球をめちゃくちゃにした男の一人としてだがね」


 その言葉を聞いて、科学者は椅子に座り込んだ。ショックを受けたように放心している。彼なりの思想があってこその行動だろうが、今の話を聞いている限り同情の余地はなかった。大義によって小を斬り捨てる思想なんてものは、私からすれば銃弾をぶつけられても文句を言えない類の悪行だ。だが、同時に理解できてもいる。その必要性を感じてもいるのだから、私はなんと煮え切らない女なのだろう。

 しかし、その僅かな理解を奪う言の葉を、この男は静かに吐いた。


「遺伝子調整」

「――何?」

「そうとも……名誉を取り戻すチャンスはまだある。より確実に人類の絶滅を防ぐ方法が! 私の手の中に!」

「……この期に及んで、君はまた間違いを犯すのかね? その道が正しいと妄信しながら?」

「間違っているのは貴様だ! これほど確実性のある策はない! 貴様が何よりの証拠だろう! はは、そう、いける、いけるぞ! 自然環境による放射線の除去なんて気の遠くなる話を実行しなくとも、人間が死の灰に適応すればいいだけだ! そうすれば、人々は救われる!」

「一時は、ほんの一瞬であれば効果的なことは否定しない。だが、その考えは短絡的だ。それに、君は純粋に汚染物質への耐性を遺伝子に組み込むつもりだろうが、その後の世代が同じように禁忌を破らないと思うのか?」

「守るはずだとも! 私の教えに、教導に従ってな!」

「核を撃たないと固く誓った世代が平気で核を撃ち、地球をダメにしたという事実から目を背けて、か。だったら私にも考えがあるぞ」


 クリミナルは背を向けた。然るべき部署に報告しに行くつもりだったのだろう。だが、その歩みは中断させられる。強引に。

 彼自身は抵抗しようとした。だが、頭の中に埋め込まれるようにして注入されてくる知識が、その状況を丁寧に説明してくれる。

 彼の身体は限界だったのだ。数多の戦場で酷使され、今平気で会話している間も激痛が走っていた。だからこそ、戦闘訓練を受けていない科学者の銃弾を避けることが叶わなかった。心臓を撃ち抜かれ、ずしんと音を立てて崩れ落ちる。床を血が満たし始め、直後にドアが開いて拳銃を構えた兵士が駆けこんできた。

 あの少女だ。騎兵乗りの。黒髪の少女は絶句しながらも、科学者に拳銃を構えている。


「それは賢い選択じゃないぞ」

「先生を撃っておいて!」

「だからだよ。取引しよう。交渉だ。……これから行う実験には丈夫な母体が必要でね。協力してくれたら……私も君の先生を救おう。君は殺すか死ね、という非情で残酷なロジックから外れたよ。救うか、殺すかだ。昔ながらの命題じゃないか」

「……」


 少女は躊躇う。科学者を見て、クリミナルを見る。そうして、うなだれた。

 拳銃が落ちる。血の海に堕ちて、真っ赤に染まった。


「約束してくださいますか。先生を救うと」

「ああ。もちろんだとも。残り僅かな命を、彼と――」


 男は邪悪な笑みを浮かべる。きっと当人は偉大なことを成しているつもりなのだろう。狂気と正気は一緒くた。俯瞰ならともなく、主観では気付けないものだ。


「人類に使ってくれ」


 吐き気を催す提案を最後に、また場面が切り替わる。



 病室のベッドの上で、横になっている男がいる。その男は病院にいるというのに、一切の計測器の類を装着していなかった。点滴もされず、バイタルもチェックされていない。まるでその必要がないかのように。

 実際に必要なかった。男は目を覚まし、瞬時に状況を把握する。


「義体か」

「お目覚めになりましたね、先生」


 クリミナルは新しい身体を問題なく扱って声の主へと目線を合わせる。愛らしく、そして目覚めを感激している少女の顔に視線を移し、そのまま下へと下ろした。

 膨らんだおなかに。少女は妊娠していた。


「君を糾弾する資格は私にはないな」

「いえ。私を罰してください、先生。いつものように。かつてのように」


 少女は微笑むが、今にも崩れ去ってしまいそうなガラスの笑みだ。居たたまれず、誰に感知されることもない私ですら目を逸らしてしまう。しかしクリミナルは直視して、そうだなと一言同意すると起き上がった。


「どうやら寿命が数百年ばかり伸びてしまったようだ。いや、それ以上か」

「細胞再生機能もユニットには組み込まれていますので、二千年ほどは問題ないとあの人は言っていました。せめてもの礼だ、と」

「君の寿命は」

「……この子を産んですぐ、私は死ぬでしょう。最初の遺伝子組み換え人間……GMH、とあの人は呼んでいましたが」

「そうか」


 クリミナルは窓へと歩み寄り、外を見る。灰の嵐が吹き荒れている。


「先生?」

「この結末を君は知っていたな。それでも私を救うことを選んだ」


 理解不能とも思えるクリミナルの発言に少女は同調して見せる。


「はい。あなたが私の元を去ることはわかっていました。目覚めてすぐに。それでも、私は。恩を返したかったのです。仇となってしまうかもと思いましたが、でも、どうしようもなく。あなたは私を人にしてくれました。例え生まれながら戦闘用に遺伝子を調整されていた身であっても。人としての名前ももらえず、開発コードだけが名だったとしても。私はちゃんと人でした。人になれたんです。だから」

「君の決意はわかった。では、私は君のその想いを無駄にしないようにしよう」

「先生」

「私は行くよ。私の手で世界をどうこうできるとは思えないがね。だが、きっと世界を変革する存在がいつか現れるはずだ。その者の到来を待つことにする。星を観察しながら。達者でな……トリガー」

「はい、先生……さようなら」


 クリミナルが病室を出ていく。扉が閉じられる間、手を振って見送っていた少女の顔は、恐ろしくなるほどに私に似ていた。



 ※※※



 ――お姉ちゃん!


 声が聞こえる。絶対に切り離せない縁。掴んで離してはいけないと誓った大切な家族の声が。私はその手を取ろうとする。だが、掴めない。何度触れても。何度も手を伸ばしてもすり抜けてしまう。


 ――ダメ、ダメ……!


 ああ、そう、このままではダメだ。私にはまだやるべきことがある。

 でも……ああ……もう嫌だ。

 疲れた。本当は、古い映画のように。

 普通の高校生とやらになってちゃんとした学校に通いたかった。

 お母さんの手料理を食べてみたかった。

 妹や友達と遊んでいたかった。

 そして、平凡な少女のように、恋を……。

 ……もう、私には、むりだ……。

 たたかいたくない。

 ころしたくない。

 もう、ほうっておいて……。



 ※※※



「シズク」

「……」

「シズク」


 目の前で手が振られている。反応しているか不安であるかのように。だが、解せない。わからない。私は彼女を手本として同じように振る舞っているだけなのだ。なのに、なぜ当人がその真似をしている私に不安を感じているのだろうか。


「弱ったな。ウィリアム、どうすればいい」

「どうも何も、そのままでいいんじゃないか、ナミダ」

「そのまま? だが、まるで……そう、そうだ。お前が見せてくれた映画に出ていた人形にように固まっている。生気がない」

「いや、その顔。普段の君そっくりだ。だから取り留めて気にする必要はないよ」

「……もしや今、私は悪口を言われたのか?」

「いいや。もし悪口だとしたら、そんな君に惚れた僕の立場はどうなるんだい?」

「――っ、妙なことを口走るんじゃない……」


 珍しい反応を母親がみせる。困った顔。もしくは恥ずかしい、という情動にカテゴライズされるものか。普段の母親は氷のように冷たいのに、私や父の前ではできるだけその氷を、心を解かそうとする。

 なぜだ。なぜ完璧な兵器である母がそのような反応をするのか。

 私にはわからない。あまりよい傾向であるようにも思えない。


「うーん……もしかするとちょっと違うかもな」

「……やはりこの子はおかしいのか?」

「いや、変は変だけど、見覚えがあるものだ。昔の君みたいだ」

「昔の私……」


 母はその評価を好ましく思わなかったらしい。忌々しそうに顔を振る。


「対応策はないのか?」

「対応策って言っても……うーむ」


 父が考え込む。同じように母も思索に耽る。その様子を見て、一つ、興味が湧いた。なぜ二人はそのように打ち解け合っているのか。管理政府が支給するテキストには、極力他人との接触は控えるべしと書かれているのに。例え家族であっても。


「ねぇ」

「な、なんだシズク」


 母はぎょっとしながら訊き返した。銃弾すらも素知らぬ顔で避けられる胆力を持っているはずなのに。

 私は不思議に思いながら、気がかりなことを訊ねる。


「どうしてお父さんとお母さんはそんなに仲良しなの」

「それはね、家族だからだよ、シズク。お互いを愛しているからさ」

「家族――愛――」

「今のシズクには難しいかもしれないな」


 父の言葉を消化しようとする私に、母が微笑む。


「だが、覚えておくといい。人は人を愛することができる。例え兵器の身であってもな。お前もいつか誰かを愛する時が来るだろう。その時は、支えてやれ」


 守るでもなく、育むでもなく、支える。お互いにお互いを支え合いながら生きていく。

 ……あまりよく理解はできない。けれど。きっと、その感覚は。

 母親が心の底から笑顔をみせるくらい綺麗ですばらしいものなのだと。

 私はその時、学習した。

 ノイズが掛かる。暗闇に呑み込まれる。

 苦悶に呻きながら叫んで、深淵の中に閉じ込められたと知る。


「な、に……」

「いい加減目を覚ますべきだな」


 その声の元を辿る。少女が浮いている。

 一瞬、クリミナルの記憶の中に出た少女かと思ったが違う。

 自分とそっくりな母親かと勘違いしたが、異なる。

 彼女は、いや、私は、私の前へと暗闇の中を漂いながらそっと近づいて。


「お前には、戦うべき理由がある。それは忘れてしまったなどという言い訳が通用するものじゃない。使え、力を。自分のためではなく他人のために」

「お前は」

「思い出せないのなら身体を動かせ。原罪を払拭するために」


 唐突に眉間に銃口が突きつけられる。白塗りのホワイトベレー制式採用拳銃。その弾丸が私の頭蓋骨を抉る――前に、私は力を行使した。

 自然に。不自然に。確証はなく、ただ確信のままに。

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