恋慕と忠誠
エミリー・コールという有能な通信士が変異体落ちしたのは、士官学校を卒業してからでした。
彼女が明確に変異を自覚したのはある人物と出会ってからです。
シズク・ヒキガネ。
端正な顔と白い肌。魅惑的なラインを持つ身体。
という評価はこの世界では普遍的なもの。遺伝子調整された私たちは全員が美形であることは当たり前。よって、生殖相手への選別は見た目よりも中身が重要視されます。
ゆえに、彼女は魅力的に写りました。外見ではなく中身が美しかったから。
だから、触発されたのでしょう。エミリー・コールは。相手が同性であるという事実を、脳のモジュールの一つが誤解して、彼女を理想的な生殖相手として認識した。
そして、変異したのです。同性愛という変異を抱えた変異体へ。
ですが、不思議です。彼女は何も後悔していませんでした。この道は正しいと、自信をもって言えました。
例え、その行為が原因で、身体を二つに引き裂かれたとしても。
この心までは裂けない。そう覚悟して。
そして今、エミリーは……私は、実感しています。
「隊長……シズク……」
青い空が見える。こちらの世界の空は澄んでいる。
汚染物質で穢された私たちの世界とは違い、この世界は純粋で無垢です。
だから、期待していたのですが……現実は思い通りにはいかないものですね。
隊長は、シズクは、こちらの世界の、自分とそっくりな男に恋をしてしまいました。
仕方ないと言えばそうでしょう。異端なのは私であり、彼女は普通なのですから。
ですが、やはり、寂しくはあり、悲しくもあります。
本当はもっと彼女といっしょにいて、愛を深めたかった。
ベッドの上で互いの身体を求めて抱き合いたかった。
しかし、それは土台無理な話だったのでしょう。例えグィアンという障害が現れずとも、不可能だったと今なら思います。
隊長は私たちに対してずっと隊長のままでした。兵士だったのです。ヒキガネという社会性コード、兵士としての素質を持って生まれた社会の歯車。妹に奉仕するという管理政府から見ればたったひとつの間違いを除けば、彼女は完璧でした。
妹のためなら敵を殺戮し、虐殺し、蹂躙することも容易いこと。彼女はよく自分のためと言って誤魔化していましたが、私から見れば、彼女の行為は全て他人のためでした。
他者のために躊躇いなく自分を殺せる人間。自分を生かして他人を殺すか、他人を生かして自分を殺せと命じられて、迷いなく後者を選べる人間です。
だから、壊れてしまったのでしょう。妹を失って。
壊れた隊長の姿を見るのは辛く、苦しい。同時に嫌悪を抱きます。
自分自身の心に。隊長が苦しむ間も私は期待をしてしまっている。
そもそも私は最初から……隊長と同じ部隊に所属した時から、ずっと期待をしていた。作為的に仕組まれた配置だというのに、黙っていた。シズクを手に入れられると思ったから。
彼女がフロンティア側につくと決断した時も、副官としてではなく、通信士としてでもなく、ひとりの女として、私は隊長の指示に従った。こちらの世界で生きるなら、いつか抱き合えると信じて。
本当に嫌な女だ。そしてその払拭にも、失敗してしまった。
「く……くふ……ぁ」
意識が朦朧……青白い世界がどんどん遠のき……。
※※※
コールとして貢献するだけでは世界で生きられないと、幼い時から理解していた。
だから私は狙撃を学びました。己の生存力を高めるために。遺伝子に記された役割を果たすのは当然のことです。これは身体や精神に何らかの欠陥を抱えていない限り誰でも行える。
だからこそもう一つ何かに秀でている必要がありました。人口過多の社会では、通信士として有能だとしても、必ずどこかに代わりがいる。さてどちらを選ぼうかとなった時、ただ通信が行えるだけの通信士と、戦闘も兼任できる通信士とでは、後者に軍配が上がります。
ロジックとしては簡単です。ですが実現するのは難しい。
ゆえに私は通常貢献で得られた貢献度を消費して、よく射撃訓練を受けに行きました。そこで、運命の出会いがありました。
と言っても向こうはこちらを知りません。私もその時ばかりは彼女の姿よりも打ち出した記録にばかり目を見張っていた。
それと、鮮やかに戦う雄姿に。
彼女は訓練場内で戦闘騎兵と訓練していた。
生身の姿で。主武装はグレネードランチャー。
旧式となったプロテクターはペイント弾ではなく実弾を使い、彼女を狙ってマシンガンを穿つ。しかし、彼女はまるで全て予期しているかのように回避し、所持するランチャーではなくピストルを取り出して、プロテクターが左腕に構えるマシンガンに射撃。薄い銃身を撃ち抜いて発砲不可能にするとプロテクターのコックピットにランチャーの狙いを付けます。発射するための絶好の機会。しかし彼女は撃たない。
と、すぐに敵の増援の影が。訓練用のロボット兵がサブマシンガンを掃射。これもまた実弾兵器であり、それに対して彼女が行った対策は左手でナイフを引き抜くというものでした。
ナイフで銃弾を弾く。GMHの反射神経なら不可能ではありませんが、なぜそのような行動を取るのかが理解し難い。右手に持つランチャーで敵兵を一掃してしまえばいいのに、灰の軍服を着込む彼女はナイフで弾丸を弾きながら距離を詰めます。そしてナイフを突き刺す――のかと思えば跳躍してロボット兵の頭上を飛び越えると、背部にある緊急停止ボタンを押して行動不能にしました。
そこへ追撃するプロテクター。緑色の巨体は右腕を彼女に対して振り下ろします。それをまたもや跳んで避けると、左腕のリングデバイスに収納されている移動用ワイヤーすらも用いずに彼女はプロテクターの右腕を器用に駆け足で登り始めました。
慌てるプロテクターは左腕で彼女を振り払おうとしますが、彼女はそれもわかっている。あっさりと避けると頭部へ到着。そこへプロテクターは打撃を見舞いますが、シズクはそれも躱し、プロテクターは自身の攻撃でメインカメラを潰すことになります。そして――直後、彼女はグレネードランチャーの銃口を胴体にあるコックピットへと向け、
『投降しろ。リソースの無駄だ』
「まさか……」
彼女――シズク・ヒキガネは、たった一発銃弾を放っただけで、敵を戦闘不能にしたのです。その姿は脅威でした。
なのに、どこか、綺麗だったのを覚えています。
「これでは訓練にならない」
訓練スペースから出てきたシズクは一言言い残すと、そのまま訓練場を去ります。まるで貴重な時間を無駄にしてしまったかのように。しかし、その言葉を聞いて反感を抱いたであろう男性兵士があの女もまだまだだな、と陰口を叩いたのです。
「なるべく攻撃を加えないで敵を戦闘不能にする手腕は鮮やかだったが、彼女は一発、発砲している。キャバルリーに向けてな。俺ならば一発も撃たずに片を付けられた」
「理解できていないのですね」
彼女を庇うつもりはありませんでしたが、自然と言葉が口を衝いていた。なぜなら、この男は先程の戦闘を真の意味で理解できていないから。十一歳の私に口出しされた兵士は眉を顰めてこちらを見てきます。彼に私は解説しました。胸の中に渦巻くもやもやを解消するべく。
「あの銃撃は保身ではなく、周辺リソースに配慮したためのものです。事前にカービンマシンガンを発砲不能にしておかなければ、訓練機のパイロットは混乱し、あたりに無駄弾を撃ち放っていたことでしょう。そうすればリソースの浪費に繋がります。彼女は社会の歯車として適切な処置を行ったのです」
私の解説を聞くと、男性兵士は居心地が悪くなったようにその場を離れました。そして、私の中にはなぜか相反する二つの想いが沸き起こります。どこか誇らしげなものと、彼女を脅威と判定する敵対心が。
その日から、私はシズク・ヒキガネをマークすることに決めました。
ゆえに、あの士官学校での再会は偶然であり必然でした。
さらに、幸か不幸かシズクは私に興味を抱いていた。何かしらの目的のために、入学してすぐに有能な人材のスカウトへ乗り出したのでしょう。
その提案は甘い蜜のようでいて、同時に敵意を刺激させられた。シズクは単純に、私よりも戦闘員の素質があると今までのデータ収集で理解できていました。しかし、それでは私の優位性にほころびが生じてしまう。だから素直に要求は呑めない。ですが、素晴らしいアイデアであると感じたのも事実です。
この少女となら、私はどこまでも行ける。あの美しい戦い方を見てから私はそう確信していた。ゆえに、今度は確証を得るために、私はシズクの口車に乗りました。
戦闘でどちらが上なのかを決める、という至極単純な裁決方法を。
「狙撃手とまともにやり合うのは恐ろしいな」
装備を点検する間、シズクは白々しく語り掛けます。今は親密で隙だらけな女を演出しているのでしょうが、私は最初に自己紹介を交わした時から気付いている。それでも心地良いと感じてしまうのは、シズクが私が気付いていることを気付いているから。
私もなるべく素っ気ない態度を取るように努めていますが、もしかしたら彼女はそれも気付いているかもしれない。いいえ――シズクの性格を考えるに、それだけはないかもしれません。
私がここ一年マークした結果……シズクは兵士でした。ここまで徹底した存在がいるものかと感心を通り越して呆れてしまうほどには。恐らく、本当の彼女はあの難攻不落のセキュリティに守られたあの家の中に存在しているのでしょう。とにかく、外に出た彼女はまさに氷です。角張りとげとげしいが、透明で美しい。
だから私はその引力に吸い込まれかけている。後は確証を得られるかどうか。
「でも、あなたはヒキガネでしょう。コール相手なら勝てる。そう踏んでいるのでは」
「私独自の戦い方ならな。お前と狙撃戦でやり合う気はない」
と言って彼女が取り出したのは愛用のMC33サブマシンガン。ずっと不思議だったのはなぜ彼女がホワイトベレーの制式銃を頑なに愛用しているのか、という部分でした。わざわざ劣った武器を使うのは相手を侮っているせいか。
はたまた……そういう武器を使わないと生きていけない環境に身を置くつもりだからなのか。
とにかく、シズクの武器選択は好ましい。レーザー兵器の破壊力は凄まじいが、だからこそ人間相手ではオーバーキルなのです。その点、実弾兵器はいい。最小の力で必要最低限の仕事を行える。
「配置に付け、エミリー」
「了解しました」
私たちは訓練場の中へと移動し、私は奥にある建物の方へと移動します。単純に、高いところは狙撃手の居場所だから、というマニュアルに従って。無論、相手はそれも重々承知でしょうが、私はあえてその位置に付いた。
試してみたかったのです。純粋に。シズク・ヒキガネの実力を。
「移動していない……」
私はシズクに発見されないよう伏せながらスコープでシズクの白肌を覗きます。シズクは目を閉じ何かを待っているようにスタート地点から動いていなかった。もし私がシズクという人物を知らなければ彼女に舐められているとして反感を抱いたかもしれませんが、私はシズクを知っている。
彼女もまた試しているのでしょう。私の実力を。
望むところ、と思った瞬間に開始を告げるブザーが響き渡ります。
私は間髪入れずにボルトを引いてチャンバーにライフル弾を叩き込み、引き金を引く。と、シズクは顔を逸らして交わし、スリングで提げていたサブマシンガンを右手で掴んで片手撃ちを放ちます。
弾数は一発。伏せ撃ちしている脇の障害物に命中して潰れました。
一言で分析すれば脅威的。しかし、胸の高鳴りは抑えきれない。
「面白いですね」
私は率直な感想を述べると、立ち上がってライフルを速射します。自らの存在を秘匿し不意を突くのがスナイパーの定石。しかし直感的に、そのマニュアルに従っての戦闘ではシズクに対応できないと判断できた。
シズクはマニュアルを熟読している。だからマニュアル通りの攻撃は、彼女に答えを教えているようなもの。下手な攻撃では逆算されて敗北は必至でしょう。なので、その選択肢に躊躇は覚えませんでした。
少々間抜けなように見える走り撃ちを繰り広げて、私はシズクの視界から消えます。次は……スナイパーらしくまた有利な位置取りをして再狙撃戦……というのがマニュアル。
しかし私はあえて狙撃手としての優位性をかなぐり捨てて近接戦闘を選択することにしました。既にシズクは狙撃手の最適位置をマークしているはずですので、その選択は有利に働くはずです。
と言っても、彼女は予想済みでしょうが。もしただマニュアルに従うだけの歯車だと私を認識しているのなら、こうして仲間に引き入れようとはしないはず。
そのことがなぜか……私の気分を高揚させます。不思議です。
私はサイドアームである拳銃を引き抜いて、シズクの位置を探ります。左腕のリングデバイスで周辺状況のスキャンを開始。人影を確認。気取られぬよう慎重に、しかし速やかへその場所へと移動します。
シズクはまるで待ち構えているかのように物陰で網を張っていた。
そこはもし私が正攻法で来ようとすれば確実に通過する通路であり、やはりシズクはマニュアルを逆手に取って戦術を組み立てていたということがわかる。
が、急に違和感が私の中を駆け抜けました。いくらなんでも単純すぎる、と。
あの鮮やかな戦いを披露したシズクの裏を、そう簡単に取れるだろうか?
ピストルを構えながら接近した私は、すぐに己の間違いに気づきました。
目の前のシズクは――ホログラム。背後を取ったつもりの私の後ろへ、シズクは回り込んでいました。
「降参しろ、エミリー」
「…………」
ここは素直に武装解除するべき局面だと判断し、ピストルを床に放り投げる。そしてF・ツォラーライフルの銃身を掴んで……背後に向けて強引に振り回します。シズクはその打撃を身体を後方に逸らして避け反撃してきますが、その間に私は彼女の方へ向き直り、ライフルの引き金を引いている。シズクはナイフを取り出して弾丸を切断しながら射撃を加えてきました。ライフルと拳銃での撃ち合いは遠距離戦ならライフル側に分があるが、至近距離ではピストルの方が有利となる。加えて、シズクは危険な弾丸防御を片腕で行っているので私の攻撃は通らない。
私も反射神経で銃撃を避けますが、シズクの射撃精度の前ではあまりに無防備過ぎた。徐々に壁際に追い詰められる。その間、一撃も喰らうことはなかった。
シズクは計算していた。私が避けないことを、ではなく、私の回避を。なので、一発も当てることなく私を追い詰め、そして再びサレンダーを要求しようとするのでしょう。
理想的だ。私は素直にそう思いました。シズクは理想的な……上司、隊長であると。
ですが、だからこそ、私は最後の最後まで抵抗してみたくなるのです。私はライフルをシズクに向かって投げ、リソースの消費を忌避したシズクが素手でライフルを叩き落している間に切迫。左腕で彼女の左手に持つナイフを払いのけ、そのまま足払いを行う。
シズクは宙に浮いた……が、彼女はその程度で止まるような女ではない。
強烈なキックが追い打ちをかけようとした私の身体を捉えます。そこで銃を使わないという選択がまさに彼女ならでは。私はよろめき、その間に体勢を立て直したシズクは拳を私の腹部に放ちました。無論、防御もなく打たれはしませんが、その打撃は連続攻撃の初動に過ぎない。続け様に彼女は私の左足を蹴飛ばして、私の片膝ががくんと下がります。そこへ左手の顔面への殴打。頭部へのダメージで一瞬判断力が鈍った私の軍服の胸元をシズクは掴んで、反対側へと投げ飛ばしました。
直後に再度体勢を取り戻そうとして……私は諦めます。そして、密かに判定を終えました。彼女こそが相応しい、と。私の隊長に。
片膝をつく私の前へ、シズクが近づきます。私は……とりあえず、悔しさを演出することにしました。実際、悔しいのは本心ですので、嘘ではありません。
「まさか私が敗北するとは」
「私は戦闘員だからな」
と無表情で誇る彼女を見て、私は猛烈に思いを伝えたい衝動に駆られた。あなたは社会性コードで縛られるような人間ではない。あなたは社会の歯車などではなく、もっと大きなものになれる……。
しかし、そんな妄信とも言うべき言葉を投げかける勇気が私にあるはずもなく、代わりに発せられたのは悔しそうな吐息だけ。
「くっ……」
シズクは私を見ている。恐らく私を誤解している。
いや、私も私自身を誤解している……のかもしれない。シズクに対する興味は、本当にただの有能な戦闘員……隊長を見出したからのことか? それとも、もっと別の理由があるのではないか。
しかし、そんな私の葛藤を知る由もないシズクは口を開き、
「どちらが上なのか。そして下なのか。……私の部下になれ、エミリー」
手を差し伸べる。その提案を断る理由はなかった。
確信と確証を得られたのですから。
私はその手を取り、伝えました。
「いいでしょう。それが貢献する市民のあるべき姿ですから」
それから、私たちはいっしょに過ごすことになりました。
その月日は甘い蜜のように、そしてまた猛毒のように私を蝕んでいったのです。
※※※
「う……ぅ……」
意識が混濁している。走馬灯を見ている。
いつの間にか、空は曇っていた。灰色に。
「シズク……隊長……」
この選択は正しかったのか。間違っていたのか。
答えはわからない。
だが、この愛しさは……ずっと変わらない。
死ぬまで、死んでからも、変わらない。
※※※
シズクが私の前で眠っている。その傍に私は佇んでいた。
「シズク……」
その光景を何度も見た。士官学校でも。フロンティアでも。
このまま……身の内に宿る衝動のまま、欲望のまま、シズクの隣へ入ってしまえばいいのではないか。何度もそう思い……躊躇いました。
それではきっと、私の望むものは、心の底から欲しがるものは手に入らない。
いや……それを手にするためには、一体どうすればいいのでしょうか。きっとその得方にはどんなマニュアルも存在せず。
私には、それを得るための資格すらない。私が、女だから。
いや、仮に男だったとしても、得られたのでしょうか。シズクの……心を。
「シズク……」
もどかしい。この距離が。いつでも手を触れられる位置にいる。その事実が。
私が手を伸ばせば、彼女に触れられる。だが、そうしてしまえば、彼女は二度と手に入れられなくなる。
まさに果物であり、禁断の果実。実際、彼女はとても甘い果物のよう。
甘美で、綺麗で、純粋。美しさのカタマリ。
妹のため命を賭して、他人のためと言って自分を殺せる人。
社会はそんな彼女を当たり前と言って斬り捨てようとする。
私には、社会の方が度し難い。なぜこのような綺麗な人を穢して、貶めて、壊そうとするのでしょう。
シズクは静かに寝息を立てている。
その唇に視線が移る。上下する胸元に目線が集う。安らかな寝顔に目を凝らす。
そして私の中に衝動が生まれる。唇を奪い、服を剥ぎ取り、獣のように。
管理政府が忌み嫌う、遺伝子に記された本能のままに、彼女をめちゃくちゃに犯したい。
そう思う私は確かに存在しています。だからこそ、私は私が嫌いなのです。
「シズク」
何度その名を呼ぼうとも、私が彼女を得られる確率は限りなく低い。
いや、ゼロだと言ってもいい。なぜなら、彼女は見つけてしまったから。
理想的な相手を。無意識に、彼女の身体と心はあの男を求めている。
私のつけ入るスキがないくらいに、彼女はもう虜だ。
私がシズクの虜であるように。
私は得られない。彼女の愛を。心を、身体を。
「シズ……っ!?」
瞬間、唐突に私の口は塞がれる。
目を覚ましたシズクは私にキスをして、床へと押し倒した。
そして私が夢に見続けてきた光景を再現するかのように自らの服を脱ぎだし、その麗しい肉体が露わとなる。さらには、私の軍服へと手をかけて、その服を剥ぎ取り始める。
私が求めた通りに。私の希望のままに。
「私はお前が好きだ。エミリー」
そう優しげに微笑みかけて、獣のように――。
「違う……」
自然と言葉が漏れる。そうです、違う。
私が知るシズクは。私が恋い焦がれるシズクは、そうではない。
これは幻。一時の幻想。
全てが自分に都合のいいように調整された夢。
でも、それは違うのです。私はシズクの偽者が欲しいわけではない。
本当の、本物のシズクが欲しかった。例え、絶対に得られないものだとしても。
だから私は戦った。
そのことに……何一つ後悔はない。
やはり、この道は正しい。
私は口惜しいながらもシズクの幻想を退かして――。
「私も……私がシズクを愛しているのです。あなたよりも、強く、深く」
※※※
「ああ、素晴らしい愛の物語だ」
傍観者が私に語り掛ける。不思議と、先程よりも意識ははっきりとしていました。
「スターゲイザー……」
「私はクリミナル。そうだ、咎人だ。傍から見ているだけの観察者だよ」
クリミナルが中腰になり、私を見下ろしている。彼に抗うだけの術は私に残されていない。その手元には注射器が見える。何かを私の体内に注入したのでしょう。
意識がはっきりしているのはそのせいだと実感できた。しかし、この男は何を注射した?
「これが気になるのか?」
スーツの男は手に持つ注射器に視線を移した。私によく視えるよう目の前へと移動させる。
「一言で言えば蘇生薬だが……今の君に大した効果はないだろう。せいぜい、ほんの少し寿命を延ばすくらいだな。しかし、時間は貴重だ。特に今の君にとっては一分一秒が大事だろう」
と語る男の瞳にはなぜか哀愁のようなものが漂っている。自らを咎人と定義するのもそれが理由かもしれません。
ですが、いかなる理由があろうとも、隊長に害をなす存在は許容できない。私は睨み、彼は上機嫌に笑った。
「身体がちぎれかかっていても、その忠義。感服だな」
「隊長に手出しはさせません……」
「手出しという言葉は語弊があるな。何度も言うように、試験だ。実技試験。彼女の品質は……十分すぎる。素質は備わっている。後はその能力を生かせるかどうかだ」
「私を、彼女と組ませたのも……全てはこの試験のため、ですか」
「気付いていたか。いや、さほど驚きはしない。君なら簡単に気付くだろうな。そして、後ろめたさも感じている。違和感を覚えながらも……告発しなかったことに。素晴らしいな。やはり君を選んで正解だった」
クリミナルは嬉しそうに応じる。私は笑う気になれません。推理の的中を知ったからこそ余計に自分に対して怒りを覚える。
私は利用されていた。シズクの試験に。変革に。だがそれでも私は過ちを犯したとは思えない。
シズクは兵士から……人間になったのです。そのことは誇るべきだと感じている。
「複雑な心境だろう。利用されて悪く思う反面、良かったとも考えている。自分のことだけを考えれば、確実に選択は過ちだったと判断できるが、シズクという観点のみを考慮すればそうではない。いいぞ、エミリー・コール。士官学校での独断から、私は君に目を掛けていた。当初はシズクを観察していたが、君も、十分良い素質を持っていると判断した」
「社会の敵となる素質、ですか」
「勇敢となる素質だ」
クリミナルは笑みを消し飛ばし、真剣な眼で語る。男の真意が読めなくなった。
「世界には勇敢なる者が必要なのだよ。社会を変革させる存在が。だが、私はただの観察者に過ぎない。私自身、異端者、マイノリティでもある。それに私が手を加えたところで……もちろん、今のようなささやかなものではなく大々的に、という意味でだが……何の効果もない。ちょっとした変化をもたらすだけだ。変革には程遠い。しかし、彼女、シズクなら……ドレッドノートなら」
「あなたは、シズクに、何を――かふっ」
血が喉から迸って言葉が遮られる。クリミナルは人差し指を口元に当てて、
「静かに。これ以上喋ると、最後の別れに水を差す。そろそろ来る頃だ」
「ま、待て……」
「シズクには手土産もある。もし全て順調に事が運べば……彼女は幸せな生活を享受することができるだろう。最初に、六歳の時に、ナミダが死んだ時に抱いた、家族との生活を。まぁ彼女は怒るだろうな。それもまた試験の一環だ。アラモは忘れるべきだが……さて、彼女はどうするだろうね」
「スターゲイザー……!」
「今は私を気にするべき時じゃないだろう。シズクだ。気にするべきはそう……一つだけ質問があったな、君に」
クリミナルは立ち止まり……背中を向けたまま、私に訊ねてきました。
「シズクは試験に合格すると思うかね? エミリー」
「当然です。隊長は、優秀ですから。兵士としても、人間としても」
「私もそう思っているよ。では、会話を楽しみたまえ。愛しき人と」
私の即答に反論をせず、クリミナルは去って行きます。そして、隣の赤い騎兵……カグヤが乗った機体も。
シズクは愛する妹と対峙できるのでしょうか。そのためのデータは騎兵内に記録されているので十分に対策は可能でしょうが、しかし……。
「く……」
意識が揺らめく。しかし奇妙なものだ。
死ぬ時はもっと恐ろしいものだと思っていた。
だが今は安心と不安がないまぜになっている。
シズクへの安心と不安。矛盾した情動。
思えば、士官学校で……シズクの身代わりとなった時からそうだった。
あの時も死を覚悟しました。運が良ければ変異体認定。
運が悪ければ殺処分。でも、後悔はなかった。
死んでもいいと思えた。いや、生死のことなど眼中になかった。
ただ、あの人はどうなってしまうのかと、ずっと。
察するに、クリミナルの采配で無罪放免となるまで、私は。
「シズク……」
もはや思考がままならない頭で呟く。
周囲の環境音も認識できず、目の前の視界もぼんやりとしている。
が、その声を聞いた瞬間、全てがクリアとなりました。
「エミリー!!」
ああ、愛しき人の声が聞こえてくる……。
だから、私は。エミリー・コールという、女は――。




