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壊れた歯車

「やはり罠だったか」


 私の隣に来たグィアンはモニターを見上げて忌々しそうに言う。

 スーツの男は彼を一瞥しなるほど、と感心して再び私に視線を合わせた。


『それが君のお友達か。好青年じゃないか』

「なぜ、カグヤがいる……」


 しかし私はカグヤのことしか頭に入ってこない。カグヤがいる。カグヤが、モニターの中にいる。カグヤが、見知らぬ男と、管理政府の関係者の傍にいる。


『ああ、もはやまともに会話もままならないか。安心したまえ。手は出さない』


 男は懐に手を入れる。そして、私たちだけに拳銃のグリップを見せた。


『今はまだ。君の対応次第だな』

「止めろッ!」


 私は隠密行動など忘れて大声を出した。片耳を押さえた男が一瞬だけ苦笑いをみせる。


『イヤーモニターを使ってるんだ。大声は出さないでくれ』

「カグヤに、手を出すな……」


 私はコンソールに手を置く。落ち着け、とグィアンが肩を叩く。


「落ち着いてなどいられない! カグヤが……」

『いや、彼の言う通りだよ。話を聞いてくれ』

「話だと……?」

『ああ、そうだ。人と人がいれば、恐らくは自然に発生する原始本能だよ。口数の多い少ないはあるだろうが何かしら、人は人とコミュニケーションを取ろうとする。昔の人間は言語の壁があったが、今、私たちにはない。幸いなことに、隣の彼もな。だから、お話をしようじゃないか』

「話せ……」


 私は呆然と応える。血の気が引くという感覚は、きっとこのような状態を指すのだろう。身体中の筋肉が弛緩している。吐き気も込み上げている。立っていられるのが不思議なくらいだ。心臓を、命を、相手に握られているような感覚。


『どこから話を聞いていた? ……さっき、妹君にも説明したんだが、私は長い間君に目を付けてきた。君は君が思っている以上に有名人だ。いろいろな人間が君のことを観察していた。私もそうだ。恐らく、君の隣の彼もそうだな。シャルリ・ハンマーも君のことを見ていた。異端者っていうのは目立つ。特に、白色の中で、色付きというのは非常に目立つ』

「だから、杭を打つ……のか?」

『そういうわけではないな。そういう奴もいるだろうが。私たちは観察者だからな。ゲイザー。スターゲイザーだよ』

星の観察者(スターゲイザー)……?」

『正確には世界の観察者、だな。まぁ厳密に言い出すとこの語句は誤りだが……最初は太陽系の惑星しか対象じゃなかったんだ。赦してくれ』


 自称スターゲイザーは肩を竦めると、首を傾げているカグヤに申し訳なさそうに手を振った。それにカグヤはにこりとした笑顔で応える。その男は危険だ。なのに、言葉を伝えられない。いや、仮に伝えられたとしてもカグヤは逃げられないのだ。足が不自由だから。


『簡単に言えば秘密結社のようなものだ。世界を裏から操る組織……などと言えばスパイ映画にでも出てくる悪役のようだが実態は違う。ああ、これは私たちが正義を行使してるだの世界を保護するための必要悪だのと高潔そうな言い訳を述べて、君たちの良心に訴える作戦ではないよ。ただ単に、役目が違う。私たちは何度も言うように観察者だ。世界の在り方を観察し、記録する。アーカイブだな』

「それがなぜ、私を見るんだ……」


 どうにか言葉を捻り出す。男はまた苦笑いを浮かべた。


『ああ、シズク……話を理解しているか? まぁ、彼は賢いようだから覚えていてくれるだろう。君の代わりに。選択次第ではあるが、それは後にしよう。……質問に答えよう。君が異端者だからさ』

「だから、目障り、か?」

『いいや。私はそうは思わない。むしろ、君を邪魔する者たちが目障りだな。だが……本当に、まことに、君が異端なのか、テストをする必要がある』

「テスト……?」

『そうだ。テストだ。どれだけ優れた兵器でも……例えばバトルキャバルリーでも、試験を突破しなければ運用はされない。まずは、性能評価だ。次に実地試験。これ以上待たせるのはカグヤ君に悪いから、早速、性能評価を始めようと思う』


 男が告げた直後、コンソールの下部が開き、中から拳銃が現れる。男は椅子を退かして、カグヤの後ろに回ると、かつて私がそうしていたように車いすを押してカメラの前へと移動させた。

 カグヤの顔が写る。その表情は喜びと期待が混ざった希望色だ。

 だが、違う。そこには絶望しかない。


『今、お姉ちゃんいるんですか?』

『ああ、君を見ている』

『そ、そうですか。……三か月ぶりだ。寂しかったんです、ずっと。家には私しかいないから……。変異体バリアントの私が寂しがるなんて傲慢、ですよね』

『いいや、そんなことはないさ。私はちょっと特殊な立場にいる。すまないがまだ会話はできない。もう少し、話をさせてくれ』

『大丈夫です。やっとお姉ちゃんと話せる……』

「カ、グ……」


 今、私はどうやって言葉を発しているのだろうか。

 当たり前にできることができない。手が震え出していることに気付いた。

 しかし、カグヤの背後に回ったスーツの男は、懐から拳銃を取り出している。事態は私を待ってくれない。


『性能評価は簡単だ。……今、君は選択する立場にいる。随分と恵まれているがね。多くのホワイトベレーは、自分を生かして他人を殺すか、他人を生かして自分を殺すかという二択を迫られる。殺すか死ね(キルオアデッド)。酷い話だ。だが、君は……その天秤から外れた。はかりの上に載せられるのはもちろん、カグヤ君と……隣の男だ』

「グィアン……っ」

『グィアンと言うのか? 確か異世界言語で勇敢という意味の言葉だったな。いい名前だ。もう説明は必要ないな。カグヤ君を救いたければ、グィアンを殺せ。そこにある拳銃で。ただ、もし……万が一、君がグィアンを救いたいと思えば……カグヤ君は死ぬ。君の目の前で。まぁ、どちらにせよそうだな。君の目の前で、どちらかが死ぬ。第三の選択肢は存在しない。どちらか片方が、銃で撃たれる。さぁ、選びたまえ』


 グィアンの顔を見た。次にカグヤの顔へ目を移す。

 最後に、ピストルへ。私は銃把を握りしめ、スライドを少し引いてチャンバーを確認。中身が空いていることを知ると、今度はスライドを最後まで引いて弾丸を叩き込む。撃鉄は起きた。後は引き金を引くだけ。

 拳銃の狙いをグィアンの頭部へ向ける。グィアンは私を見据えている。何も言わない。迎撃行動もとらない。精霊術を発動する気配もない。

 私に殺されても構わないと思っているのだ。仕方ないと。止むを得ない。そう考えていると私には手に取るようにわかる。思考回路が似ている。自死も、致し方ないと考えている。

 息が荒い。スタミナは問題ない。体力的に息が上がるような運動量には達していない。なのに、手は震えて、呼吸が乱れている。心臓が早鐘のように鳴り響いて、私の足はがくがくと揺れている。

 グィアンを殺せばカグヤは助かる。私はカグヤのために生き、動いてきた。無論、それらは全て私のためだ。カグヤは愛おしい。彼女が生まれて、自分の家族であると認識したその時から、彼女は私の一部となった。血であり肉だ。切っても切れないもの。同一存在。カグヤが死ねば、私も死んだも同然だ。

 そしてグィアンは所詮、他人だ。形式上、民族的な意味での家族に迎えられたが、血は繋がっていない。そもそも敵だった。出自から、住む世界から、根本的に異なる他人だ。

 なのに……指は時が止まったように動かない。自問が続く。

 グィアンが死ねば、どうなる?

 リムルが悲しむ。

 インディアンたちが全滅する。

 フロンティアは植民地と化す。

 それは悲しいし、いけないことだ。だが、当初の目的を考えれば、それはどうでもいいことのはずだ。全ては、カグヤ、私のため。

 しかし……。


「なぜ、泣く。当初の目的を思い出すべきだ」

「泣いてなど、いない……」


 指摘されて初めて自分が泣いてることに気付いた。流れてきた滴を拭う。


「私、私は、カグヤのために……いや、私のためにここに来た! お前を、殺すべきだ……殺すべきなんだ! そのために来た! そのために……!!」


 自身に言い聞かせるように叫ぶ。だが、心とは裏腹に、右手は機能を喪失したようにびくともしなかった。涙が床にこぼれて、ぴとぴとと落下音を立てている。


「なぜ……だ。なぜ、私は泣いてる……? なぜ、私は目的を果たすことができない……」


 自問する。そして、自答した。

 単純だった。私がグィアンを殺したくない。

 嫌だと思ってしまった。グィアンを失いたくないと。

 銃口が下がる。スピーカーからカグヤの声が響く。


『お姉ちゃん、聞こえる? 私は今、とても元気――』

『じゃ、なくなるな』


 その声を遮るように銃声が響いた。瞬間、私は元々喪失しかけていた判断能力を完全に失う。身体も、心も、制御できない。獣のように暴走する。


「カグヤ!! カグ!! しっかりしろ!! カグヤ!!」


 背後から左胸を撃ち抜かれたカグヤは、反動で車いすから転げ落ちた。モニターは這いつくばるカグヤを丁寧に映し出している。


『かふッ』

『評価基準には合格だが……非情だな。愛する家族よりも、異世界で出会った男を選ぶとは。次は実地試験だ。また会おう、シズク。妹にお別れを言いたまえ。そんなに時間は残されていないがな』

『おね、お姉ちゃん……』

「カグヤ!!」

『あ、こえ、聞こえる……。いるんだね、そこに。ごめん……言われた通り、家から出ちゃいけなかった……舞い上がっちゃったんだ。お姉ちゃんに、また会えるって聞いて……』

「カグヤ! カグ……!!」


 私は狂ったように妹の名前を叫ぶ。何度も何度も繰り返し。


『ごめん。ごめん……でも、これで、お姉ちゃんが、楽になる……』

「何を言ってる! ダメだ! 死ぬな!」

『無理、みたい……お姉ちゃん……おね……ちゃ……』

「カグ……? カグヤ!!」

「シズク!」


 グィアンは強引にモニターから私を引きはがそうとする。私はその手を振り払い、コンソールへデバイスを挿し込もうとした。


「何をしている! 作戦は失敗した! 撤退する!」

「撤退だと、バカな! カグヤを助けに行くんだ! 今ならまだ」

「もう間に合わない! お前の妹は死んだ」

「嘘つくな! 嘘を……!!」

「嘘を吐いているのはお前の心だ!」


 グィアンの一喝は、私を一瞬停止させる。その隙に彼は私を担ぎ上げて、そのまま走り出した。手には弓ではなく、私のサブマシンガンを構えている。

 次々と現れた敵兵に銃撃を放って、進路を確保しようとしているようだ。

 そんなことを、私は分析できる。冷静な自分が、正直な私が自身の中に存在している。だが、身体も心も拒否していた。ここから去りたくない。去ってはならない。繋がりを絶ってはいけない。


「待て! 止まれ! 私は置いて行け! 引き剝がさないでくれっ!! カグ……カグ……カグヤ!!」



 ※※※



 どうやら私は無事撤退に成功し、おめおめと生き延びてしまったようだ。

 ……いや、たぶん生きているのだろう。実感が湧かない。奇妙なのだ。私はここに確かに存在しているのに、ここにはいないように感じる。


「隊長、食事をお持ちしました」


 エミリーがトレーに食事を載せて運んできた。テーブルの上に置き、椅子に座る私を見つめる。いわゆる、居た堪れないものを見るような表情で。


「そうか、ありがとう。感謝する、エミリー。みんなにもお礼を伝えてくれ」

「隊長……」

「ただ、別に、食事はいらないんだ。たぶん、捨ててしまうから、後で別の人に分けてあげてくれ」


 私は答える。答えながら考える。私はどうやって言葉を発しているのだろう。理論は簡単だ。人の身体は有機物のコンピューターで、脳というソフトウェアが人体に電気信号を使ってコマンドを送信し、受信した部位が求められる動きを実行するだけだ。

 人間のシステムは解析され、マッピングされ、どこがどういう機能を担い、どういう動きをするかが解明されている。

 だから、理論を話すことはできる。それでもわからない。


「隊長、私は」

「すまないな。ありがとう。助かった」


 エミリーはショックを受けたように凍り付くと、そのまま部屋を出ていった。

 二人の自分をより強く感じる。無気力な私と、理性的な私。その乖離は凄まじい。カグヤが……撃たれた時でさえ、冷静な、兵士としての私は単純に状況を把握していた。

 以前はそちらの方が私の中の比重を占めていた。しかし、今や死んだ私の方が大容量だ。

 私は壊れている。そう客観的に知りながらも明確な対策を打ち出すことができない。

 いや、たぶん、意志がないのだろう。改善しようとする意志が。


「……またか」


 私は眩暈を覚えてよろめき、その拍子で椅子が倒れた。

 痛いのだろうとは、思う。だが、痛くない。

 スペック的にも問題ないのだ。この程度で怪我をするように私は調整されていない。丈夫なのだ、丈夫。それは、


 ――カグヤが銃弾で心臓を撃ち抜かれた後も長く苦しみが続いたことを意味する。


「くっ……うっ……!!」


 頭痛を覚えて呻く。吐き気が込み上げて口元を押さえる。

 床に嘔吐した後、私はあちこち悲鳴を上げる身体をどうにか動かして歩き出した。目的の場所はないが、ただ探し物だけはある。何とかこのダメージを抑えなければならない。

 幸いにも、理性的な私は探し場所を覚えていたのでそこに行く。小屋の扉を開け目当ての樽を見つけた。樽の蓋を開け、柄杓ひしゃくを手に取り中身を貪るように啜る。口からこぼれた琥珀色の液体が顎から喉へと滴っていく。


「効かない……くそっ!」


 量を多くする。だが、一向にこの液体がもたらすはずの効果は現れない。何度か柄杓を使って飲んでみたが、やはり、どうしようもない。量が足りないのだ。この程度では。

 だから、私は頭のベレー帽を投げ捨てると、上半身を樽の中へと埋めた。

 液体が私の頭を包み込む。口から盛れた泡がこぽこぽと上へ舞っていく。

 しばらくそうして飲み続けるが、誰かが私の腰を掴んで強引に引っ張りだした。

 咳き込んで、中身を吐き出す。邪魔をした何者かを勢いよく睨み付けて、


「う……」


 怖くなって後ずさる。樽に背中が当たった。


「お姉ちゃん……」


 カグヤがいる。両足で立って私を見下ろしている。


「酒を飲んで……アルコールで、私のこと、忘れようとしたの……」

「あ、あ……」

「でも、無理だよ。私たちにアルコールは効かないから。この樽を全部飲み干したとしても、私たちは酔えないから。だからね、お姉ちゃん……」


 逃げられないよ。カグヤは笑う。笑っている。


「悪かった……すまなかった……」


 謝罪しながら、私は逃げるように立ち上がる。

 もたつく足で、小屋を出ていく。あれほど会いたがっていた存在から逃げ出す。


「シズク……」


 理性的な私は、彼女が私を案じるリムルだと気付いていたが。



 ※※※



 私は海の上に浮かんでいる。周辺には陸地が見当たらず、救助も期待できない。

 このままでは溺れ死ぬ。命綱は一枚の板切れ。

 生き残るのはそう難しくない。その板切れにしがみ付けばいい。

 しかし、難点が一つだけ存在する。

 遭難者は二人いた。私とカグヤだ。板切れの重量制限は丁度人一人分。

 片方を生かせば、片方が死ぬ。溺れて海の底に沈んでしまう。

 躊躇はなかった。私は一度掴んだ板を手放し、カグヤに渡そうとした。

 だが、手が離れない。最初からそうできていたかのように剥がれない。

 そうする合間にもカグヤが沈み出す。ぶくぶく、ぶくぶく。泡を立てて。

 沈む。溺れる。死んでいく。

 カグヤが、死ぬ。死んだ。私のせいで。

 

 ――そうなんだ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、血の繋がった家族よりも、異世界の男を選ぶんだね。私のことを救うなんてきれいごとを言いながら結局、結局、大事なのは自分だったんだ。ああ、そうだったものね……ずっと、言ってた。

 自分のため、私のためだって。あの言葉は、本当だったんだね。



 ※※※



「違う……違うんだ……」

「隊長さん、起きました」


 ミーナの声が聞こえ、頬を伝う涙を拭いながらそちらを見る。

 エミリー、フィレン、ミーナの三人が揃い、私を見返していた。エミリーはラップトップをテーブルの上に置き、私に見やすいよう角度を整える。


「デブリーフィングを行います。前回の……アラモ侵攻作戦の」

「それは、心理的か?」

「いえ、軍事的な意味で、です」

「そうか……続けてくれ」


 私はベッドに横になったまま要請する。画面にログが表示された。

 騎兵隊とホワイトベレーの交戦内容。私が撃破した敵機の数。どの地点で戦闘が起き、どれくらいの時間戦っていたのかが鮮明に記録されている。

 そして、次に表示された単語に反応し、勢い余って私はベッドの下へと落下した。


「スター……ゲイザー……!!」

「あのスーツの男、ですね。……検索をしたところ、彼もまた異世界開拓計画の提唱者のひとりだったようです」

「検索……検索したのか?」

「はい……っ!?」

「なぜ調べたっ!!」


 次の瞬間、私はエミリーの胸倉に掴みかかっていた。エミリーは慄き、ミーナとフィレンは私を止めるべく駆け寄ってくる。

 我ながらおかしな、無意味な行動を執っているとは理解できている。だが、止められないのだ。止まらない。私は自由に不自由だ。


「お前が標的にされたらどうする……! 奴は――」

「恐らくはジェミー・スポットが泳がされていたのと同じように、私たちもずっと監視されていたのでしょう。ですから……」

「監視されてたのは私だ! お前じゃない! だから、下手に干渉するな。もう、これ以上私を追い詰めないでくれ……」


 床に跪く。そこでようやく自身の服装が白から小麦色に変わっていたことに気付いた。リムルが着せ替えたのだろう。その想起に起因してカグヤを思い出してしまい、嘔吐中枢が刺激される。吐くところを寸前で堪え、私は口元に手を当てた。


「ですが、隊長、グィアンの話ではこれはテストだと。奴はもう一度あなたと接触を図る腹積もりでしょう。速やかに対策を講じなければ……!」

「対策?」


 私は顔を上げて笑みを作った。


「対策など、簡単だ……。レンジャーを一機、用意してくれ。それに私が乗り込んで奴と一騎打ちを行う。安心しろ、死ぬつもりはない。そう約束したからな」


 体勢を整えて、ベッドの端に寄り掛かる。荒い息を吐き出し、エミリーを再度見上げた。エミリーの表情はどことなく儚げだった。しかし、何かを決心したような色も窺える。


「隊長……。それが今のあなたなのですか?」

「そうだ、これが今の私だ。失望したか?」


 エミリーは一度目を伏せ、私を見据えた。


「……そうとなれば、話は決まりです。もはやあなたは私の隊長ではなく、私もあなたの部下ではありません」

「そうか。今まで苦労を掛けた」


 私は労いの言葉を放つ。正直、安堵していた。

 これ以上彼女に重荷を背負わせたくなかった。未だ、壊れた私を隊長などと慕う彼女に。

 士官学校の時も世話になった少女だ。彼女にはもっと相応しい居場所があるはずだ。


「では、隊長。いえ、シズク。お別れです」

「ああ、さようなら」


 エミリーはしっかりとした足取りで部屋を出ていった。

 フィレンとミーナが部屋の扉と私を見比べて戸惑っている。


「お前たちも……いいぞ。何も気に病むことはない。今の私が隊長として不適格なことはわかってる。お前たちも自由だ。私はもう兵士じゃない。ただの……」


 人間、ですらない。

 壊れた機械のパーツだ。ただ動いている。ただ生きている。

 目的を文字通り喪失することが、これほどの不具合を自身にもたらすなど考えもしなかった。カグヤと私はイコール。カグヤが死ねば、私も死ぬ。

 恐れていた事態が現実のものとなった。私は生きながら死んでいる。

 唯一残された理性という思考回路が、まるでバトルキャバルリーのオペレーティングシステムのように、周囲の状況を延々と報告してくるだけだ。


「ですが、隊長……」

「好きなように生きろ。私に構う暇はないだろう……」

「隊長さん……」


 ミーナが私に声を掛けようとして躊躇する。彼女はジェミー・スポットを失った時の自分と私を重ねているのだろう。

 だから、わかる。どんな言葉も慰めにはならないということを。経験者が傍にいることはありがたかった。痛みを共有できる気は全くしないが。


「行こう、フィレンちゃん」

「で、でも……」

「無駄だよ。何を言っても……」


 後ろ髪をひかれるように私を見るフィレンをミーナが強引に連れていく。去り際の眼差しには哀れみと同情の念が含まれていた。

 だが、そんなものは何の慰めにはならない。……やはり私は、自己中心的な女だったのだ。

 全ての行動が無に帰した。全ての犠牲が無駄になった。

 私が殺した命は、本当にただ死んだだけだ。妹を救えると勘違いした女に殺されて、命を奪われた屍たち。何かの糧になることもなく、そのほとんどが、まともな遺体も残らず残虐に殺された。

 私が、殺した。自分勝手な理屈で。

 そのあげく、妹を救えなかった。……何も成せなかったのだ。


「く……くそ、また……ああっ」


 呻く、喘ぐ、苦しむ。精神が私の身体を暴走させている。

 これ以上はもたないと、あらゆる部位を誤作動させて訴えている。

 だが私に心をチューニングする術はない。正常な思考回路ならすぐにでも思いついたのかもしれないが、壊れた歯車では不可能だ。

 私は知識として、精神異常を起こした人間が独力で回復する例は極めてまれだと知っている。治療する意志は必要だが、自身の症状を具体的に診断する他者が必要だ。

 治療は不可能だが、心を完全に破壊する方法は知っている。


「感情、調整薬……」


 私はフィレンに支給されていたはずの薬を探しにトレーラーへと向かう。だが、どれだけ車内を探しても、メディカルキットの中身を捜索しても薬は見つからなかった。


「隠したのか……くそっ!」


 恐らく逆の立場ならそうしたであろう行動に、私は腹を立てて窓ガラスを殴りつけた。強化ガラスのため、ヒビが入る程度で済む。腕が折れることもない。私たちは丈夫だ。その分、心の脆さが際立つ。

 次に私が試したのはたばこだった。私たちの世界では一時期麻薬扱いもされたが、今は何歳からでもフリーだ。例え子供が吸ったとしても効果がないからだ。ゆえに、私がどれだけ葉巻を加えて火をつけたところで、特に害のない煙を吸って吐き出すだけに留まった。灰皿に溜まった廃液を飲んでみたが、私にとってそれはただの苦い水に過ぎなかった。


「くそ……他には」


 私は試す。かつて旧人類が逃避に使用していた手段を。そのどれもがまともに効果がない。何かないか――そう思い返して、アラモ砦を思い出した。

 あの男。赤い軍服の将校が、わざわざ異世界に来てまで行おうとしていた行為。


「そう、か……」


 どうして思いつかなかったのだろうか。これほど身近に、私の身体に、逃避手段は備わっていたというのに。

 しかしその方法は、一つだけ問題点が存在する。パートナーがいなければ成せないのだ。

 そして私の脳裏には、一人の男の顔が居座っている。


「グィアン……」


 自分をチューニングするための機器を求めて、私は集落の中を彷徨う。

 もし他者が私を見れば、死人が生への執着を捨てきれず放浪している姿に見えたに違いない。

 病的に何かを求め、固執する亡霊に。

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