疑似カウンセリング
ラップトップデバイスからは映像と音声が流れている。片方は自信なさげな少女、片や命令を淡々と遂行する少女、その二人による会話が画面の中では繰り広げられている。
『えと、あの……え? 本当に?』
『はい。それが隊長の命令ですので』
『な、何で私なんでしょう。適任者は他に……?』
おさげの少女は進言するが、長髪の少女はまともに応じない。氷のように冷たい印象を与える少女が、間髪入れずに命令書を手渡す。受け取った少女は戸惑い、目線をあちこちへと迷わせていた。
『それが命令書です』
『でも、え……?』
『それと、ベレー帽を外しなさい。このヘッドギアを』
『な、何でです?』
『危険、ですから』
危険という単語を聞いたフィレンが青ざめる。
『そんな任務に単独で……? み、ミーナさんは』
『ミーナは別任務中です。私もこれから別の任務へ。隊長も当然忙しく、外部協力者であるグィアンも次なる作戦のために出払っています。つまり、今、哨戒任務に出れるのはあなただけです。フィレン』
『……はい……』
フィレンは納得したようにうなだれた。手に持つヘッドセットを見下ろす。画面上に浮かぶもう一つの映像からは、彼女の困った表情が大きく映っている。瞬時に映像が乱れ始め、最終的に少し離れた距離に立つエミリーが映り込んだ。
『では、出撃しなさい、フィレン』
『わかりました、エミリーさん』
二画面による映像で、俯瞰視点側でフィレンがお辞儀するとともに主観視点側のカメラから送信される映像が上下に動く。
私はフィレンが去って行く様子をリアルタイムでモニターしながら、エミリーに通信を送った。
『これでよろしいですか、隊長』
「ああ。後は手筈通り動くだけだ」
全ては計画通り。予定通りに、つつがなく進行する。フィレンに手渡した命令は簡単なものだが、不慣れな土地での哨戒任務は、不安障害を持つフィレンにとっては酷である。そもそも、土地勘のない人間に周辺を索敵しろというのもなかなかに無茶なオーダーだ。フィレンはスカウトチームに所属してはいるものの、本来の役目は騎兵や武装の整備なのだから。
ゆえに、命令書……フィレンに渡したマニュアルにはきちんと必要事項が記載がされている。
『あ、あの……』
俯瞰視点では二人の少女が現れ、主観では一人の少女が表示される。
インディアンの少女だった。木製の椅子に座っていた彼女は、不思議そうにフィレンを見返している。
『あ、いけない……翻訳機をONに……っと。こんにちは』
『こんにちは。確か、フィレンって人』
羽根飾りのついた帽子が特徴的な彼女は、名前をビヒスという。歳は十七で、フィレンと同い年。提供された情報によれば、彼女は……。
『えっと、実は……』
『困りごと? 変なこと頼まれたとか』
『変なことでは、ないんです。当たり前のこと……なんですけど……』
『いいよ、いい。手伝ったげる。それ貸して』
『え、でもこの言語は……』
『大丈夫。少しなら教わった』
ビヒスはフィレンから命令書を取り上げると、黙読。なるほど、と相槌を打ち、
『見回りってことね。じゃあ行こう。このルートなら慣れてる』
『ほ、本当にいいの……?』
『いいって。家族だもの。遠慮はなし。みんなはどうか知らないけど、私はあんたたちのこと、信頼してるから』
ビヒスは早々に話を打ち切って哨戒に出ようとし、ペースを乱され動けなくなっているフィレンに気付く。彼女は強引にフィレンの手を掴むと、ほらほらと忙しく森の方へと向かい出した。
「ビヒスはいい子ですよ。面倒見もいいし。偏見もないし、いじめもしない」
「リムル」
情報提供者が監視する私の元へ歩み寄ってくる。小型のマテリアルモニターを覗き込んで、フィレンとビヒスが無事に集落の外へ出たことに安堵した。
「でも、私じゃダメだったんですか? 慣れてるのに」
「慣れていてはダメだ。不慣れな状況でも自分が任務を行えると気付かせなくては」
「でも……なんか嘘を吐いてるみたいじゃないですか?」
「それのどこが問題なんだ?」
私が訊き返すと、リムルは納得し難いように困り顔を作る。私は観察を続けながらリムルの罪悪感を氷解させるべく説明を始めた。
「昔は……いや、もしかしたら今も健在かもしれないが、ファントムペインという心の病があった。幻肢痛だ。五体満足の人間が、何らかのアクシデントで腕や足を失った後、ないはずの部位が痛み出す症状だ」
「それ、わかります。聞いたことある」
「なら話は早いな。……ない部位が痛むので、直接痛みを止める方法はなかった。そこで、かつては鏡を使ってそこに腕や足があるように脳を誤魔化したんだ。勘違いする頭に腕がまだ存在し、痛みを与える要素はないと嘘を吐いて、痛みを止めた」
「だから、嘘も有用ってこと……?」
「そうだ。フィレンはできることをできないと勘違いしているだけに過ぎない」
作業中に起きたミスのトラウマから、自身がまた似たような過ちを繰り返すと思い込み、バグを起こしている。いくらハードウェアが万全でも、ソフトウェアに不具合があれば正常に動作はできない。言わばこれは、修正パッチをインストールすることと同じだ。
フィレン・リペアのバグを駆除するためのアップデート。問題は私たちがアップロードしたパッチを、フィレンがちゃんとダウンロードし、最適化できるかに懸かっている。こればかりは私たちの力ではどうしようもならない。当人の意志と意識次第だ。
「フィレンちゃんの様子、どうですかー?」
「ミーナ。食べながら歩くのは……」
エミリーとミーナが戻ってくる。グィアンはいない。彼は別の地点から私たちと同じように監視している。
何も知らないのはフィレンとビヒスだけだ。ミーナが楽しそうに言う。
「なんか、みんなで遊んでるみたいですねー。こういう番組、友達にみせてもらいましたよ。フィレンちゃん、はじめてのおつかいですねー」
「そう気楽に行けばいいのですが」
エミリーの危惧は私と共通している。私はじっと画面を見つめ、フィレンとビヒスの任務を見守り続ける。
フィレンとビヒスは森を進んでいる。不安定に揺れるヘッドギアのカメラが、時折ビヒスの方に向けられた。集音マイクへはビヒスの音声が入力されている。
『そうびくびくすることないよ』
『で、でも危険って……エミリーさんが』
『あの長髪の人?』
『ええ』
『ずっとあんたたちの隊長を見てる人だね。変わってる。でも、それを言い出したらあんたも、いや、異世界全部が変わってるけど』
と述べるビヒスはしかし、好奇心のようなものを瞳にちらつかせている。彼女は唐突に頭上を見上げた。何かいるんですか? と怯えるフィレンに、
『いや、異世界、見えないかなって』
『み、見えませんよ……。空にはありません』
『そうなの? 星から来たんじゃないの?』
『ひ、人を宇宙人みたいに言わないでください。確かに、私は宇宙に浮かぶコロニー生まれですけど……』
「シズクは星の人なんですか?」
一連の会話を聞き受けたリムルが私に訊ねる。私は定義にもよる、と曖昧にぼかす。
『コロニーって?』
『宇宙に浮かぶ……小さな地球みたいなものです』
『やっぱり星から来たんだ』
『違うんですよ。まず私たちの世界とフロンティアの境界線は可視化できないから……ええっと……』
「友達が言ってたなぁ。私たちは宇宙人か否かって」
ミーナが菓子を頬張りながら感慨深く呟く。パンを食べ終えると腕を組み、友達なる人物との会話を懐かしむように再現する。
「もし外の世界……フロンティアの住人から私たちは何人に見えるだろうって」
「異世界人、ですよ」
「でも私、星の人だと思ってました。偉大なる空の底から来た使者だって」
呆れるエミリーにリムルが異論を挟んだところで、
「その解釈だと、お前も偉大なる空の底……に生きる人間となる」
「そうなんですか?」
「人は皆、宇宙に住んでいるからな。この惑星に住む人間を一纏めにして……フロンティア人と定義するとしよう。だが、この世界に生きる人間は、この惑星の前に、この世界に住んでいるとも言える。私たちから見ればそうだ。フィレンが言うように、コロニーは小さな地球だが、フロンティアから見れば、地球から来た人間もコロニー生まれも一つの世界に住んでいるようにしか思えない。だから異世界人であり……宇宙人だ。それに、二つの世界がアクシデントとは言え接続しているのだ。それは、同じ場所に住んでいるとは言えないか。世界という尺度では計れない、もっと高度で巨大な概念の中に」
「私とシズクは同じ場所に住んでる……?」
「そうだ。普段は閉じている扉が開き、ようやく存在を知覚できた隣人だ」
リムルは私の講釈にじっと考え込んで、言葉を捻りだす。
「じゃあ、私たちって、同じところにいるのに、殺し合ってるの……?」
沈黙が場を包む。本質を追求すればするほどそうなるのが世界であり歴史であり現実だった。少数民族は駆逐される。日本人がアイヌ民族を土人と称して差別対象にし、刃向かう者は殺し、北海道と呼ばれることになる土地を不当に開拓したように。オーストラリア人がアボリジニをスポーツと称して狩っていたように。植民地政策は常に犠牲が付き纏う。ホワイトベレーが、他ならぬ私が、数多のインディアンを殺したように。
彼らは皆違う場所にいた違う民族を殺したと語る。だが、本質的には同じ場所にいた人間を邪魔だから殺したり差別したり領土を奪ったりしてるだけに過ぎないのだ。
間の抜けた、バカバカしい話。現代人は負の部分を未来人に笑われる宿命にある。
ドイツ人は二度も世界大戦を起こしユダヤ人を虐殺した自国のご先祖をバカだと考えただろうし、日本人だって勝ち目のない戦いで無意味に死人を増やした敗北者だと若者に思われたことだろう。日本に原爆を落とし東京に大空襲を行ったアメリカ人は自身の先祖を鬼畜だと思っただろうし、オーストラリア人の子孫はアボリジニをハンティングしていたかつての祖先をクソ野郎だと考えたことだろう。
当時実際に戦っていた者たちは誇っていたかもしれない。しかし、年代を重ねるごとに人々は先祖のやり方に嫌悪を抱く傾向が顕著だ。どれほど偉人と慕われていたとしても、負の部分は必ず見え隠れしている。そして結局は、過去の愚行を笑っていた世代も戦争を起こした。
核を撃った。撃って撃って撃ちまくった。人が死に過ぎた。
だから、遺伝子を操作した。人が増えた。増え過ぎた。
今度は、異世界人を殺し始めた。
歴史は人が、人類という存在がバカであることを示してくれる日記帳だ。
それでも私は人で、人であることをやめられない。
画面の中では、同じ場所に住む殺した側と殺された側の二人の少女が、会話を続けている。
『ふーん。わかったようなわからないような』
『ごめんなさい……説明が下手で』
『いいよ。別に。何でもいいし。私が生きてて、あんたも生きてて、誰も不当に殺されなきゃ、なんだっていいし』
『その……やっぱり』
『何? フィレン』
ビヒスはフィレンに問う。不思議と、フィレンの気持ちと私の想いがシンクロしたように感じる。
『恨んでますか? 私たちのこと……』
エミリーたちの視線が一心に注がれる。主観映像に。疑似体験をしている。話していないはずの罪を告白し、鏡を見て脳を騙そうとしている。
『いいや。みんなは知らないけど、私は恨んでない。だって、私たちのご先祖様も似たようなことしてたし』
『インディアンの方も……?』
『そ。先にいたか後から来たか。ここには豊富な資源があるから。そんなこと言って、殺し合ってた。そこにあんたたちが来たから中断されただけ。グィアンもスウゼンも……ここ最近の導師は賢いから部族間の衝突は避けてたけど、少し離れたところにいる粗暴なビジッド族なんかは豊かな場所を探して、そこに別の民族がいたら殺して奪ってる。ま、だから何してもいいとか言わないけどさ、赦さないと、いつまで経っても終わらないでしょ。私は過去の悔恨とかさ、どうでもいい人なの。今を楽しく生きていたい。でもそれが無理なら戦うけど、止めてくれるなら、もうそれでいいよ。責任なんてどうでもいい。平和に暮らせればね』
『そう、なんですか……?』
『うん。だってやってること、子どものしょうもない陣取りと変わらないでしょ。遊び場で遊んでたら別の子どもたちが来て、どっちが先にいたかどうかで場所の占有を主張し合って……喧嘩。今やってるのも、それと変わらないもの。いろんな言葉で豪華絢爛に装飾してるけど、人間ってのはやることなすこと子どもと変わらない。一生懸命背伸びして、大人びろうとしてるだけ。それ、困るのよ。私、静かに暮らしたいから。だから私は喧嘩している子供を見たら、みんなで仲良く遊びなさいって仲裁することにしてるの』
これではどちらのカウンセリングかわからない。私の眼差しも、エミリーも、ミーナも、フィレンが見る鏡へと注がれっ放しだ。
だが、これは確かにフィレンに対しての治療であり、その現実はすぐに彼女たちを襲撃した。
『……ん、待って』
『え……?』
真剣な眼となったビヒスと、それを見て呆けた顔を作るフィレン。ビヒスは手でフィレンを下がらせながらじっと先を見つめている。
「あ、これ――」
「何だ?」
ビヒスが観察しているものを見て、リムルが何かに勘付いた。リムルは特徴的な足跡を指しながら、
「ヴェンデッドの足跡」
「ヴェンデッドってなあに?」
現実に返ったミーナが訊く。リムルは手を大きく広げた。
「こんなに大きい動物です。赤い」
「……データベース、照合できません。まだ未発見の生物なのでしょう」
「危険か? その動物は」
私は唯一の情報源であるリムルに問う。リムルが頷く。
「早いし、力もある。危ないです。もし近くに出たら、戦士たちが撃退に向かう掟になってる」
「中止にしますか?」
「いや……好都合であることに違いない」
とは言え、不都合であることにも相違ない。本来想定していたのは、もう少し難易度の低いアクシデントだ。仕込みでフィレンにショックを与える予定だった。だが、今二人の周囲にいるのはグィアンがけしかけた原生生物ではない。
「監視を続ける。治療もな」
私は黙して画面を見つめる。皆は心配するように顔を見合わせたが、私の指示に従った。
『大丈夫なんですか? 一度帰った方が……』
『いや、ここで探るよ。念のためにね。追跡されたらまずい』
『で、でも……』
『なら、あんたが先に戻ってて。その方が理に適ってるし』
『え、あ……』
フィレンは周囲をきょろきょろと見回す。どっちがリスクが少ないか考えると、フィレンは結局ビヒスの傍にいることを選んだ。
『何、逃げないの? 別に恨んだりは――』
『違う、違います。きっと、傍の方が安全ですし……』
『どうかな……。孤立した敵を狩るのはグィセントの狩りだけど、ヴェンデッドの場合は……』
とビヒスは反論を述べた瞬間だった。唸り声と共に草木をなぎ倒す音が響き、フィレンの悲鳴をスピーカーが捉え、ぐらつく視界をモニターが出力する。
『フィレン!』
『うわ、あああ!』
フィレンは今まで見た来たインディアンたちのように生の感情……恐怖を丸出しにしながら、無様という表現が相応しい逃げ方をする。しかし、笑う気にはなれない。皆、真剣な表情で画面にくぎ付けとなっている。ミーナなど、集中のあまり食事を中断していた。
『闇雲に逃げても!』
『ああ、あああああッ!!』
もはや人語ではなく獣のような叫び声をあげて、フィレンはがむしゃらに逃げている。が、木の根に躓いて派手に転んでしまった。私たちの身体なら、躓いても即座に体勢を立て直すことができる。だが、フィレンには心に問題があり、本来できるはずの動作をしくじってしまった。
慌てて視界を前後左右に向ける。逃げる場所。敵。今通った場所。向かう場所。仲間。……落とした拳銃。
フィレンの視線は当人が何を考えているかを完璧にレクチャーしてくれている。
その瞳の動きから、フィレンが何を考えているか読み取れる。愚策だ、と思った瞬間、フィレンは攻撃手段を握りしめていた。よく観察もせずに。教練で叩き込まれた動作を実行。引き金を引く。カチリ。え? 戸惑う声。カチ、カチ。へ? 疑問の声。視線が揺れる。あっ! 気付いた声。
セーフティがロックされたまま、フィレンは引き金を三回も引いた。そのミスは致命的だ。特に敵を目の前にしている状況下では。
「フィレンちゃん!」
ミーナが彼女の身を案じたその時、俯瞰モニターでは動きが起こっていた。フィレンがまともに視認していなかったヴェンデッドはまさに巨大なイノシシと表現しても差し支えない動物で、その体色は血のような深紅だ。そのイノシシが大きな牙を前面に向けて、大自然の厳しさを、フロンティアの現実を教えようとしている。
刹那、さらなるアクションが起きる。ぐしゃり、鮮血。血。小さく放たれたくぐもった悲鳴。
『く……ちょっとしくったかな……』
『ビヒスさん!!』
『行こう、このッ!』
ビヒスは果敢にもトマホークでヴェンデッドに殴り掛かり、巨体の方向を強引に変えた。矢を使わなかったのは勢いを削ぐのが目的ではなかったからだ。矢では効果が薄く、スピードを抑えることはできない。どう抗ってもフィレンは突撃をまともに食らってしまう。だが、進路に無理矢理割り込めば勢いを殺せずとも、衝突は避けられる。その判断は素晴らしいが、戦術的に優れているかと問われればそうではない。
ビヒスはトマホークを振り回し、イノシシを下がらせる。一度反撃を喰らったので、ヴェンデッドは様子見をしているようだ。ビヒスはフィレンと逃げ始めたが、その足取りは正常なものとは言えない。
怪我を負っている。左わき腹に裂傷。血はたっぷり流れている。
『あ、ああ……』
『いいから、こっちへ……。えいッ!』
ビヒスは球状の煙幕を地面に投げつける。私たちの持っている高度なグレネードとは性能は程遠いが、敵を撹乱するには十分な威力を秘めていた。白い視界が煙を覆い、ビヒスがふらつく足取りの中にも目的を持って進んでいく。手を引かれるままのフィレンはある程度先に進んだところで、急に走りを中断したビヒスにぶつかりそうになった。
『わッ!?』
『はは、ごめん……。ちょっと……疲れちゃった……』
ビヒスは力なく笑うと、手近な大木へと背を付けて、滑るように座り込んだ。幹に真っ赤な血が塗りたくられる。べったりと付着した赤色を目にして、フィレンが顔をひきつらせた。
『ビヒスさ……』
『逃げた方がいいよ。これで狙いは私に集中すると思うから』
ビヒスは血を口から吐く。また笑った。疲労困憊の笑みで。
『な、何を言って……』
『ヴェンデッドは……格下が相手の時、集団を狙う傾向があるんだ。だから、二人行動は危険だった。でも、今は確実に私を狙いに来るから、安全に逃げられるよ』
だって、それが狩りの基本だからね――。ビヒスはフィレンを諭すように笑った。危機的状況化で笑みを作る。フィレンにはないものをビヒスは持っている。フィレンは顔を青ざめて、逡巡している。逃げるべき、残るべき。どちらが正しいのか。
いや、フィレンはわかっているはずだ。この場に残るべきだと。いくらヴェンデッドが獰猛な獣だとしても、拳銃を数発命中させれば一たまりもあるまい。そして、彼女は整備士ながらも拳銃を扱える。人並みに。戦えるのだ。戦おうと思えば。問題は、彼女にその意志があるかということ。
いや、意志はある。改善を望む意識はある。後は、少しの勇気が必要なだけだ。
フィレンは使い物にならなかった……使いこなせなかった拳銃を見下ろす。武器はある。知識もある。それを行使できる身体もある。
後は心。ソフトウェアのバグを取り除くだけ。
フィレンが苦悩する間も、ビヒスはほぼ初対面の彼女に撤退を促す。
『早く……きちゃうから。痕跡は……自分でもびっくりするぐらい残してきちゃったから。はは……グィアンに笑われそう』
フィレンは首を振る。が、それは否定ではない。戸惑う心の表れだった。
どうすればいいのか。指示を求めている。だが、それを与える存在はいない。安全を保障してくれる味方はいない。ここにはビヒスとフィレンしかいない。
動けるのはフィレンだけ。だから、彼女が動くしかないのだ。自分で決断するしかない。そうやっと理解したのか、フィレンは拳銃を強く握りしめた。
『ダメです……逃げちゃダメ。そうだと思います。きっとみんななら……』
『みんなはきっと逃げてもいいって言うよ。だから――』
『みんな……みんなじゃ、ない……私が、嫌になります。たぶん、絶対に。きっと後悔してあの時残ればよかったなって、ずっと苛まれるんですよ。それってきっと、とっても苦しいことです。それが怖い……不安です。はは、こっちの方が怖くなさそうだから……不安にならなくて済みそうだから、残ります。ごめんなさい……自分勝手で。本当は、みんなに伝えなきゃならないのに』
『フィレン……』
フィレンは涙を流しながらビヒスに応じた。声は震えている。だが、主観からも俯瞰からも、手の震えは確認できない。
直後、足音が近づき始めた。その方向にフィレンは銃を向ける。今度はセーフティを外し、スライドを引いてチャンバーも確認済みだ。後はフィレンの意志だけ。意識だけ。
瞬間、ヴェンデッドが現れる。
続け様に銃声が轟いた。一発、二発、三発、四発、五発。
「撃ちすぎ、ですね」
「だが、成果は十分だ」
私は俯瞰モニターでヴェンデッドの絶命を認めた。頭部を中心に銃創が五つ空いている。着弾地点はコントロールされたものとは言い難いが、必要最低限はクリアした。これ以上、フィレンに求めるのは酷だろう。一人で戦えるようになっただけでもかなりの進歩なのだから。
フィレンは息荒く、肩で呼吸している。私たちのスペックでは、今までの逃走劇は運動の内に入らないので、この症状は精神的なものだ。
『すごいね、フィレン。でも、落ち着いて……どうして私よりも苦しそうなの』
『あの、う、あ、わ、私……』
『ありがとう、フィレン。おかげでまたのんびり暮らせるよ。けどさ……』
『な、なんですか!?』
フィレンは神経質そうに尋ね返す。その様子に苦笑しながら、ビヒスは一言申す。
『通信機……だっけ? があったんじゃないの』
『あ……忘れてた……』
フィレンは失敗を悔いるように携帯端末を取り出す。応援を要請すべく連絡を取ろうとしたところで、ビヒスの手がフィレンの方向へと伸びてくる。
『あの……?』
『貸して。私の方が地理に詳しいから』
そういってビヒスは端末を口元へと向けると、じっと彼女を見つめるフィレンにちょっと他に何かいないか周囲を見張ってて、と頼んだ。フィレンの姿が見えなくなったのを確認すると、ビヒスはため息と共に通信を送る。
『もしかして、今のも計算の内なのかな。だとしたら、ちょっと文句を言いたいなぁ……シズク・ヒキガネ。それとグィアン。リムルも仕掛け人かな』
「あ、ビヒス……」
リムルが驚愕する。私は特に驚きもせずに返事をした。
「気付いていたのか」
『私が気付いていたのをずっと前から気付いてた。あんたはそういう女でしょ』
「ああ、そうだ」
「ええっ? そうだったんです……ふぐ」
ミーナの口が塞がれる。事態を把握するエミリーが首肯を返した。
『全く……痛いんだよ、これ。死にそうになったら……今もどこかでこそこそしてるであろうグィアンが介入したんだろうけど……もう』
「だろうな。詫びをする」
『それだけ? 酷いなぁ……。人をダシに使うなんて。まぁ、それは私も同じか……。私たちは持ちつ持たれつ。利用して、利用される。ふふ、随分いい関係だね。そう思わない? シズク、グィアン』
「理想的な関係性であることは確かだ。そうだろう?」
私は同意して、もう一人に確認を取る。すぐに応答は返ってきた。
『ビヒスの言う通りだ』
「グィアン!」
リムルの呼称には咎めるような響きが含まれている。彼女はオブラートに、もっと優しい表現をして欲しいのだろう。例えば仲間とか、友達。家族。
だが、いくらスウゼンが認めてくれたとしても、リムルの不本意でも、私たちの関係性は最初からそうだった。恐らくは、最後までそうだ。
しかし、同意したはずの男は、即座に反対意見を呈示する。
『だが、俺たちは家族であることに変わりはない。それも真実だ。違うか?』
『今度はグィアンのおっしゃる通りだ。シズク、あんたはどう?』
私は黙す。視線が一挙に集中する。
何を求められているかはわかっている。だから、回答した。
「お前たちの言う通り……かもしれないな」
せめてもの抵抗で、言葉を濁す。脳裏には母子の姿が浮かんでいる。私がレンジャーのブレードを振り下ろす瞬間が。
……フィレン・リペアのカウンセリングは、これにて終了する。




