フィレン・リペア
フィレン・リペアは慢性的な不安障害を持ち、予期せぬ事態へ遭遇するとパニックを起こして適正行動不能になるが、あらかじめ設定された事項ならば問題なく作業することができる。
そのため、騎兵の改修も何ら問題なく、完璧に進めることができていた。実際、彼女は優秀なメカニックだ。修復の社会性コードは伊達ではない。
「こんな感じで大丈夫でしょうか……」
フィレンが不安そうに訊ねる。トレーラーのガレージに鎮座するレンジャーは、非戦闘時の卵形態ではなくキャバルリーモードを保持している。
その装甲にペイントが施され、幾何学的文様が記されている。より効率的に精霊とリンクを繋ぐための処置だ。実際、グィアンは右腕に刺青を入れている。この印は、言わばアンテナで、電波強度を高めるための処理……というのが専門知識を持たず、また持とうという発想をしないミーナへ行った一番簡易な説明だ。
「問題ない。もし精霊術を武器として扱えるならそれに越したことはないからな」
と応じながら壁に寄り掛かっているグィアンを見る。お前はそれでいいのか、という問いを視線に載せて投げる。言葉のキャッチボールは無言で行われた。もし異論があるのなら奴は口を開くが、ただ作業光景を眺めているだけだ。
沈黙のコミュニケーションを見て、エミリーが眉を顰める。彼女はどうもグィアンを敵視している傾向にあるらしい。
「さっすがフィレンちゃん、優秀ー! 後は自信を持てばいいだけだね。何かする度にいちいち確認求めてくるし!」
「わ、わかってるけど私の変異はそういうもので、だからどうしようもないし……」
「どうしようもない、ということはありません」
肩をばんばん叩いたミーナに自信なさげに応対したフィレンは、エミリーの言葉に小さく震えた。
現実問題として、変異は治療可能だ。特に不安障害は効果的な薬も存在し、認知療法も存在する。そもそも変異体のほとんどは治療が可能か、症状を持ったまま人並みに生きていくことが可能な人々の呼称だ。結局のところ、変異体が処分対象になるのは変異自体が原因ではない。人口過多によって、間引く対象にちょっと問題がある人間が選択されているだけなのだ。
彼女はいつでも普通の人間のように生活することができる。身体障碍者でなく、また自閉症のように脳機能に障害を持って生まれた子どもでもないためだ。向こうではまともに治療は行われなかったが、こちらでは可能だ。
「病気の治療には、意志が、意識が必要です。通常、肉体の治療は無意識下で行われます。しかし、精神の治療には患者当人の意識、治療する意志が必要不可欠なのです。あなたが真に改善を望めば、治るか、治らなくても不安を適時対処して行動することが可能になるはずです」
「え、ひ……エミリーさん」
落下音が響く。猛烈な不安に襲われたフィレンがスパナを手放し、金属音が鳴り響いた。彼女はそのまま屈みこんでしまう。私はエミリーに近づいて彼女を下がらせた。
「止せ。精神病の治療には時間が掛かる。それに、彼女は今のままでも問題はない」
「しかし、隊長。これから先、何が起こるかは……」
「いいんだ。フィレン、お前は仕事を果たした。休め。ミーナ、お前のコレクションから何か優しい味のするものを分けてやれ」
「了解。行こ、フィレンちゃん」
「うん……ミーナさん……」
ミーナがフィレンを支えて歩いていく。その背姿を見送ると、意外なことにグィアンがエミリーに同調した。
「彼女の言う通りだ。不安障害と言ったか。俺たちは、心気が乱れると表現するが」
「あなたたちの医療レベルでは、どうせ気合や根性で対処する、というのが関の山でしょう。時間の無駄です」
エミリーの一蹴を、しかしグィアンは気にせず言葉を続ける。
「いや、確かに昔の人間はそんなことをのたまっていたが、心の問題は気合や根性で解決はできない。元より、それで問題の解決ができないから心気が乱れる……心が病むんだ」
「その通りだ。フィレンとて、気合や根性というまやかしは試した後だろうな」
「確かに、心理状態の改善には個人差があり……その多くが時間が掛かる。一昼夜で簡単に解決できるなら、とっくの昔に改善されているからな。しかし、エミリーの言う通りなのも事実だ。敵は待ってくれない。相手が不安障害だからと手を抜いてもくれない。シャルリ・ハンマーは彼女の障害を巧みに利用した」
グィアンの言葉は正しい。だが、彼女は補助戦闘員であり、本来の用途は騎兵整備だ。戦闘は私とエミリー、ミーナに任せればいい。グィアンだって戦力に含まれている。
ゆえに、私は私専用にカスタマイズを施したレンジャーを見上げた。
レンジャースピリットとでも呼称するか。
「レンジャースピリットがあれば問題はない」
「安直なネーミングですね……」
エミリーが何とも言えない表情を浮かべた。不満か? と問うとすぐに滅相もありませんと慌てて返す。嘘を吐いているとは思ったが、それ以上言及しなかった。
……なぜだ。わかりやすくて良い名前だと思ったのだが。
「……精霊術適応型があれば、今まで以上に効率的に砦を攻め落とすことができるようになる。だが、もう少し戦力は蓄える必要があるだろう。まずは試運転だな」
「ああ……」
私は言葉では言い表せない情動を実感しながらグィアンに応える。
お前も、私の考えた名前を使わないのか……。
※※※
グィアンと共に試運転を行った後、様々な微調整を繰り返し、最適な状態になったことを確かめて、他の騎兵に同様のペイントを施すことになった。グィアン曰く精霊術との接続は一機が限度のようであるため、他の機体は予備機となる。
ブラックベレーとの戦闘で複数機失ってしまったため、砦の攻略より先に戦力の拡充をしなければならない。
そのため、今は敵がこちらの陣地に入り込んでこないか待機しているところだった。だが、ブラックベレーが消息不明に陥ったという事実はホワイトベレー隊の作戦行動にも影響を及ぼしているらしく、敵は慎重に機会を窺っているようだ。
私は村の中を散策しながら思索に耽る。物理的な仕事はないが、作戦の見直しや地図のアップデート、今後予期される敵の反応など考え物には事欠かない。
一番の不安点は、やはりカグヤの安全だった。シャルリ・ハンマーの言葉を信じれば、彼女は私の裏切りを上層部に報告していない。無論、誰かが事態に気付く可能性はあるが、まだ猶予はあるだろう。もし、結論に達していれば早急に脅してくるはずだ。躊躇う理由はない。機会を引き延ばす理由も。
そう理論的には理解しているのだが、私の頭の中で何かが喚いている。どうしようもなく不安になっているのだ。ここまでの不安を感じたのは生まれて初めてだと言っていい。
フィレンの変異である不安障害は、突発的に発生するものであり、誰にでも成り得る可能性を秘めている。というより精神障害のほとんどに無縁な人間はこの世に存在しない。だからカグヤが好む映画の中には臨床心理士や精神科医というそういう分野専門の人間がいて、読み解くのが困難な他人の心を懸命に理解し、症状にあった治療法を呈示して患者の改善を促してきた。
しかし、その技術はもはや風前の灯だ。知識はある。心理学者や脳科学者、カウンセラーや精神科医たちが懸命に努力して蓄えたデータが。だが、誰も実践しようとしない。変異させたままの方が都合がいいからだ。体のいい口実になる。あいつは不良品だから殺しても構わない、人類存続のために死んでもらって構わないという大義名分に。
カグヤもそうだ。足が不自由ならアシストスーツを着ればいいし、デスクワーク専門にさせるという方法もある。身体障碍者でも精神障碍者でも、工夫をすれば仕事はできる。人並み、もしくはそれ以上に。
だが、社会はそれを赦さない。そしてその理由に、供述に、一定の理解をしているのが私だ。矛盾している。それはわかっている。だが、最強の矛と無敵の盾は私の中で衝突を繰り返し、いつまで経っても結論に至る気配はない。
「シーズク! ここにいた!」
「リムル……」
リムルはいつも何かを運んでいる。今度は木製の容器……樽に何か液体が入ったものだった。
「これは?」
「お酒」
「……酒か」
私は樽の蓋を開けて中身を確かめる。琥珀色の液体。しかし、匂いで材料の判別はできず、また味もわからず、どれだけ身体に有毒なのかを判断することもできない。
「平気なのか? インディアンが酒を飲んでも」
「……さぁ? でも、みんな美味しく飲んでますよ。私はまだ飲ませてもらってないけど」
「いや、愚問だった。手伝おう」
私たちの世界のインディアンはアルコールを摂取する習慣がなく、簡単に泥酔してしまうらしかった。その弱点を白人に悪用され、不利な取引に応じたり、隙をつかれて殺されてしまったらしい。その傾向はアボリジニなどにも見られる。日本でも少数民族であるアイヌの英雄シャクシャインが和平のための酒席で暗殺されてしまったが、アイヌは酒を嗜んでいたらしいのでこの件とは無縁だろう。
フロンティアで長らく過ごしていると、世界の違いというものが薄れてきてしまう。動物も木も人も、そしてリムルが運ぶ酒も私たちの世界のものとは違うはずなのだが、元の世界のそれらを私たちはほとんど知らない。
酒など特にだ。流石のカグヤも酒を要求することはなかったし、私が申請することもなかった。
「シズクも飲みます? 私はダメって言われてるけど、シズクなら」
「どうせ飲んだところで酔えない」
酒の、アルコールの効力は私たちに発揮されない。よほど大量に摂取すれば話は別だろうが。実写版のキャプテンアメリカでも酒を飲んでも酔えずに悲観に暮れるシーンがあった。あれと同じように。
たばこなども同様だ。何なら麻薬の類を摂取したとしても、ただ葉っぱの香りを楽しむ程度で終わるはずだ。旧人類なら廃人クラスの量を得て初めて、私たちの身体は異常を検知し始める。
「でも、だったらなおのこと味を確かめたり……」
「意味がないだろう。酒とは、酔うための飲料ではないのか」
「そういうものかな。わからないです」
と言いながら、リムルは興味津々に樽の中身を覗き込む。味見をしてみたい、という欲求が表情からありありと窺えた。知識がなければ進めただろうが、生憎、私はそれが大人になってから嗜むべきものだと知っていたので彼女を樽から離れさせる。
「それは大人になってから飲むものだろう。ダメだ」
「シズクまで私を子ども扱い……私だって立派な大人です」
「大人なら、分別を弁えろ」
「う……はい……」
私の言葉に納得し、リムルはおとなしく引き下がった。それが奇妙に思えるのは、私がカグヤにこうもあっさりと言い勝てたことがないからだ。そもそも、滅多に言い争いへ派生することもなかった。カグヤは私に強く出ることが少なかった。
しかしリムルはまだ犯行の兆しをみせている。どこかでひっそりと味見しようとしていることがその表情から読み取れたので、私は警戒を強める。
「行くぞ。さっさと運ぼう」
「あ、待ってシズク」
私はリムルが一生懸命運んでいた樽を軽々と片手で持ち上げて、小屋へと運んでいく。途中で出会ったインディアンたちが不思議そうに眺めていた。通常の、いや、こちらの世界の女はこれほど腕力が強くない。強いものもいるだろうが、その身体は筋肉質となる。しかし私の身体はいわゆる華奢だ。それでも旧人類の適正にトレーニングを積んだ大人よりも筋力は上なのだ。私たちは私たちを強くし過ぎた。行き過ぎた力を持てば滅ぶ、という言葉をその身で体現している。
小屋に近づくと、何かが咀嚼している音が聞こえてくる。かりかり、かりかりという音だ。カグヤと鑑賞した映画に出てきたネズミが食料品を盗み食いしている音に近しいが、すぐに私は正体を把握したので躊躇いなく戸を開く。
すると、トウモロコシのような植物性食品を頬張るミーナと目が合った。
「あ、隊長さん。こんにちは」
「ミーナ。盗み食いはいけない」
私は彼女を嗜めるが、特に気にした様子もなくミーナはトウモロコシもどきを食べ進めた。少なくとも今食しているそれを取り上げれば彼女は暴走してしまうので、その一本だけは許容する。
「お前のそれも、改善は不可能ではないはずだが……」
「改善って何です? 私は異常じゃありませんよ」
と言いながらも、一心不乱に穀物を食べるミーナ。こちらのトウモロコシは遺伝子組み換えではないだろうが、あちらでは一時期トウモロコシの遺伝子をいじくって病気に強くしたりしていた。当時の人々の中には遺伝子組み換え商品は危険だとして口にすることを拒む人々もいたという。
彼らはなぜ、私たちという種族を生み出すことに反対してくれなかったのだろう。遺伝子組み換えは危険だと、声高らかに訴えてくれなかったのだろうか。
「ミーナさんって病気なんですか?」
リムルが無邪気に訊く。私は定義による、と曖昧に返答した。
「症状はあくまで症状であり……病気と呼称するのも間違いではないが、個性、と考えることもできる。……専門知識がないと誤解しそうになるが、名前を付ける上で相応しい言葉を選んだ時に、病気や症状という単語が選択されたに過ぎない。そしてそのようなネーミングは当人が自身に問題があると認識するうえで有用だ。例えば……リムルが太っている、とする」
私がわかりやすい例を口に出すと、リムルは不満げに眉を吊り上げた。
「太ってません」
「例え話だ。私から見てもお前が肥満体質だとは思えない。続けるぞ。お前が何か腹部や体形に違和感を感じている、としてだ。自分ではそれが何なのかわからない、という状況に陥ったと仮定する」
「私が太っていることをわかっていないってことですか? 太ってませんけど」
リムルはふてくされたように言う。単語のチョイスを間違った気がしながらも、私は説明を続けた。
「まぁ、そうだ。気を悪くするな。……それを、私に相談したとしよう。何か違和感を持っているが、原因がわからないと。それで私はこう教える。お前は太っている。そうして初めてお前は自分が太っているという症状に見舞われていることに気付く。……だが、もし太るという単語が存在していなかった場合、どうなる?」
「太っているって教えられない、ってこと?」
「そうだ。そこで他人に教える上で最適だった単語が病気だ。心の病気。実際に病気と表現して差し支えないほどに深刻なものもあるし、放置しても構わない軽度なものもある。だが、例え軽度なものであっても明らかに心理内部で発生しているのだから、それは病気であると同時に症状だろう。この二単語に対するネガティブなイメージが先行して誤解を招く場合もあるが、実際に紐解けばなんてことはない。ミーナも過食症は確かに問題だが……コントロールは可能だし、治療しようと思えばできる」
問題は当人に問題解決しようとする意志がないこと。心の病は無意識下で治療することは不可能。
とはいえ、フィレンとミーナであればより深刻なのはフィレンだろう。ミーナは食事を摂取する機会さえ与えれば問題なく仕事をこなせるが、フィレンは予期せぬトラブルに遭遇した場合、まともな判断ができなくなる。自分の殻に閉じこもってしまうのだ。それが今こうして過ごしている日常の中で起きたのなら、大した問題はない。接し方に気を配り、アフターケアを充実させるだけで済む。
だが、戦場ではそうはいかない。エミリーやグィアンの言う通りだ。戦場では予期せぬ事態しか起こらないと言い切ってしまえるほどに不測の事態の連続だ。
考えを改めた方がいいかもしれない、と思い直した後、私は執拗に腹回りを気にし出したリムルに呼び掛ける。
「では、樽を仕舞うぞ、リムル。どうした?」
リムルは疑心に囚われた眼で私を見上げた。
「あ、あの……本当に私、太ってないですよね……?」
「そう言ったはずだ。気になるなら鏡で見直すといい。それに、お前たちの、特に女は太ることに恩恵があるはずだ。明確な肥満体型ならともかく、多少、身体に脂肪分がつくことは……」
「う、う……やっぱり太ってる……!?」
「リムル……待て。ミーナ、それ以上食べるな」
リムルはショックを受けたようにうなだれ、ミーナは私の忠告を聞かずに新しい食料を口にしようとして私が制す。
私は樽を所定の位置へ収納し、今度は樽の中身に興味を示したミーナを小屋から引っ張り出すと、憂鬱なリムルの手を引いてその場を立ち去った。
嘆息し……嘆息することができる自分に若干の驚きを感じながら。
「フィレンちゃんですか? ああ、それならさっき、そこら辺を散歩してましたよ。暇だったんで探しに来たんですけど、食料小屋のいい香りに釣られちゃって……」
後日、照れくさそうに後ろ髪を掻きながら放たれたミーナの証言をもとに、私はフィレンを探し始めた。今日明日に解決することではないが、やはり、一度話し合った方がいいと考えたからだ。
フィレンは、というより異世界人はとても目立つので、大した労力もなく足跡を辿れた。しばらくすると小さな笑い声が聞こえてきて、木造建築の後ろで座るおさげ頭の少女が視界に入った。
誰かと会話を楽しんでいるのとも思えたが、彼女は一人で笑っていたようだ。フィレン、と名を呼ぶと彼女はびっくりして座っていた切り株から転げ落ちた。
「すまない。驚かせるつもりはなかった。大丈夫か」
「た、隊長……す、すみません……」
フィレンは恥ずかしそうに顔を赤らめながら、伸ばした私の手を掴んで起き上がる。
「何をしていた」
「えっと……」
私の質問に彼女は視線で応える。小さな花が咲いていた。
「花を見ていたのか」
「ごめんなさい。変ですよね……」
「いや」
私は腰を落として小花を観察する。青色の、綺麗で可愛らしい花だった。カグヤも羨ましそうに花図鑑を眺めていた。実際に花を見てみたいと。
この花は、この花も私たちの世界のものとは違う。だが、きっと見られればカグヤは喜ぶだろう。
しかし見せるためには彼女をこちらに連れてこなければならない。花を向こうには持っていけない。儚く脆く簡単に、花は枯れてしまうからだ。丈夫な私たちとは違う。
「花が好きなのか?」
「いえ、特別好きなわけじゃ……でも、いいなって」
「いい、とは?」
フィレンは先程と同じように切り株の上に座った。
「この世界って、怖いものもいっぱいですけど、なんか、いいんですよね。いいもの、いいことがいっぱいある。向こうにいた頃は……私、何もできなかったのに」
「不安障害があったからか」
「そう……ですね。一応、自分なりに……治そうとしたことはあるんです。でも、何をやってもダメで……怖くて」
「……意思があるなら、克服できる。いずれな」
私たちはどうやらフィレン・リペアという一個人を勘違いしていたらしい。ミーナとは違い、彼女は自身の症状を克服する意志があった。それならば、後は時間が解決してくれるだろう。だが、その短縮方法を呈示することはできる。もはや廃れた技術である臨床心理学におけるカウンセリングは、治療に数年単位の時間が掛かる場合が多いが、その要因の一つに患者とカウンセラーの信頼性の構築がある。プライベートな事項を包み隠さず話してもらえて初めてカウンセラーはトラウマなどの原因を特定し、ようやく本格的な治療に取り組むことができる。
古き時代ではその治療期間の長さに患者側が辟易して辞退をし、三年で治る症状が五年経っても治らず、さらなる時間を消費する羽目になったという事案も存在したらしい。
しかし今回は幸いなことに、フィレンは私を信用してくれている。私は問いを投げた。
「……きっかけを思い出せるか?」
「きっかけ?」
「自身が臆病だと自覚したきっかけだ。何かないか?」
フィレンは戸惑って私を見たが、意を決したように言葉を探し始めた。
「これかどうかはわからないですけど……一番印象に残っているのは、ミスをした時ですね」
「ミス?」
私が聞き返すとフィレンは苦々しい笑みをみせた。おかしいですよね、と。
「私たちはミスをできないように調整されている……なのに、私はミスをしたんです。マニュアル通りの作業をしている最中に。予期せぬことが起きたのは認めます。私はリペアなので……主に修復作業に従事して、貢献してました。騎兵整備工場で。でも……突然、揺れに襲われたんです。コロニーにデブリが衝突しかけた事件、知ってますよね。クオリア165に」
「ああ、覚えている。私がコロニーを離れていた時だ」
士官学校の教練の最中だった。私がエミリーと同じ隊に所属し、戦闘訓練を受けていた頃。私とエミリーは二人でよく行動を共にしていたが、その時に報告が入ったのだ。クオリア165にデブリが衝突コースに入った。その一文が与えた衝撃は、今も私の中に残っている。
真っ先に案じたのはカグヤの身だった。しかし、帰還が許可されるはずもない。管理政府としては、コロニーが崩壊してくれても構わないのだ。人口が削減されるから。私が抱いていた政府と社会への不信は、あの時により一層磨きがかかった。
動揺した私をエミリーが抱きしめて落ち着かせてくれたことを思い出す。その経験から、私は出兵前にフィレンを抱擁して気を落ち着かせた。奇妙なものだ。人生とは、巡り巡っている。
フィレンは恥じるように言葉を並べる。
「詳細はわからないんですけど、デブリは爆発したみたいで。その時、私はびっくりして工具を……エンジンルームに。その時、臨界状態のコアに接触してしまって……」
「爆発したのか?」
「いえ、そこまでは……。でも、コアは機能不全に。わかってますよね。私たちの、特に整備兵の人為的にミスによるリソースの喪失が忌み嫌われるのを。それから……だと思います。私は心配で……不安でたまらなくなっちゃって」
「……今話を聞いた限りでは、お前に過失があるとは思えない。不慮の事故だ。だが、お前は、お前の心はそう考えていない」
私は率直に呟いた。フィレン自身が自分に責任があると考え、また擁護する者も周囲にはいなかった。そして変異体へ。よくある典型的な変異だ。
だが、典型的だから問題がないというわけではない。フィレンに足りないのは自信であり、補充するためには成功体験が必要だ。ただの成功ではない。不測の事態に陥った状態での成功体験が。
「……先ほど言っていた言葉は真実か?」
「はい?」
「不安障害を克服したいと考えている。そうだな」
「は、はい。でも、たぶん、きっと私はこのまま……。ああ、でも、頑張らないといけないんですよね。頑張らないと……」
フィレンは自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。その様子を見ながら、私は計算していた。
「いや、頑張る必要はない。普段通りにやればいい。……例え、非常事態に陥ったとしても。……私にも責任の一端はあるしな」
「隊長……?」
首を傾げるフィレンを後目に、私は歩き出す。
計算し導き出した解決法を実践するべく、相応しい協力者の元へ。




