8風邪の特効薬は……
ライラの様子がおかしい。目は充血してトロンとしているし顔が赤い。私と違ってもともと朝は苦手なようだが今日はベッドからなかなか起き上がれずにいる。
「ライラ? もしかして風邪?」
「ぞうみだいでず……」
ライラは喉を痛めてしまったようでとても苦しそうだ。私はライラの額に手を当ててみる。何となく熱い気がするがよく分からないので、おでこを直接当ててみる。
「うーん。真っ赤だし、熱があるわよ? 今日はお休みした方がいいわね」
ライラは話すのも辛いのか目をきつく閉じて、真っ赤な顔で何度も頷いた。
朝食はいらないというライラを残して、私は一人で食堂へと向かう。
席に着くまえに給仕係に事情を話し、消化の良いスープと果物を用意して貰う事にする。さっさと食事を済ませてライラに届けてあげよう。
「おはようエリカ君、……あの子は?」
急いで食事を取っていると、王太子殿下とカーライル様がやって来た。王太子殿下はさっそくライラと一緒ではない事が気になったようだ。
「それが、熱があるみたいなんです。今日はお休みをすると思います。喉も痛めてしまったみたいで」
「喉を? そう……最近はかなり強くなったけれど、昔からか身体の弱い子だから心配だ。君には迷惑を掛けるけどよろしく頼むよ」
「はい。……でも、別に殿下にお願いされる事ではないと思います。私の友達ですもの」
私は少し小声で告げる。王太子殿下は無意識にライラを自分のもの扱いしてしまっているのでは無いだろうか。表向きは私も王太子殿下もライラの「友人」で同格のはずだ。それなのに殿下からよろしく頼まれるのはおかしいと私は指摘したかった。
「ああ、そうだね。すまない」
スープと果物を貰って私室に戻ると、ライラはベッドで横になっていたが眠ってはいなかった。
「少しでも食べた方がいいわよ」
私がそう言うと、ライラは小さく頷いて体を起こす。
「……ありがど、う」
ライラは苦しそうだが、何とか起き上がって勉強机に置かれた食事に手を付ける。
しばらくライラの様子を見ていたが、同室の子が病気になったからといって私が授業を休むわけにはいかない。
名残惜しいが授業を受けるために寮を後にした。
*****
放課後、ライラが心配な私は授業が終わるのと同時に寮に戻ろうと急ぐ。
ところが途中で、王太子殿下とカーライル様に引き留められてしまう。
「その、だな…………」
いつも迷いの無い発言をする王太子殿下にしては珍しく、何かを躊躇っている。
「あの子の様子を、きちんと確認しておきたいんだ……この目で……」
そこまで言ったところで私から思いっきり視線を反らす。
私はその意味を正しく理解するのに十秒ほど考え込んだ。意味を理解してからもさらに二十秒、めくるめく妄想の世界の住人となり言葉を発する事が出来なかった。
「し・の・び・こ・み……。殿下って意外と大胆なんですね? うふふ!」
さすがは本物の王子様はやる事が違う。王太子殿下とライラの関係は乙女小説を軽く凌駕している。
「わかりました! 任せてください。この私が絶対にバレない素晴らしい作戦を――」
「いや、そういうのは必要ない。君はすぐに顔に出るから、二時間ほど寮に戻らないでほしいんだ」
言い終わる前に王太子殿下に全否定されてしまう。
「わかりました。私もお二人の邪魔をするほど野暮ではありません」
と、言いながら考えた。王太子殿下は規則破りをするつもりなのだ。タイミングを見計らってちょっと覗いたとしても表立って咎められる事はありえない。私を罪に問える人間はいないのだと。
王太子殿下は潔く引き下がった私の顔をじっと見つめる。澄んだ青い瞳に射ぬかれて、私は思わず目を泳がせる。
「……ディーン、彼女を近づかせないように見張っておいてくれ」
私はがっくりと肩を落とした。殿下がライラを心配するあまり、規則を破って女子寮に忍び込む姿、そして愛する人の大胆な行動に驚きつつも顔を赤らめて喜ぶライラ……そんな二人をぜひ近くで見たかった。
「残念だったな」
カーライル様に肩を捕まれ、私は遠ざかる王太子殿下をただ見送るしかなかった。
暇を持て余し、私は学園の外まで買い物に出掛ける事にした。
食欲が無さそうだったライラのために甘いお菓子や喉に良さそうなハチミツでも買ってきてあげようと思ったのだ。
監視役が一緒というのが残念だが荷物持ち位にはなってくれるだろう。私達は守衛に外出届を提出して学園の外へと出掛けた。
学園の近隣は学生や職員向けの商店が建ち並び、そこそこ栄えている。
ライラへのお土産は最後に買うとして、せっかくなので、文具や雑貨のお店を覗く。
店内は買い物をする学生が多くいて、いつも王太子殿下と一緒にいるカーライル様はここでも注目の的だった。
この流れだと明日あたり、またもや女子に呼び出されそうな気がする。見当違いも甚だしい。彼は私を監視しているだけなのだから。
買い物の後は菓子店でお茶をいただく事にした。持ち帰りが出来る店を選び、帰り際にライラへのお土産を買うのだ。
カーライル様はケーキ三種類と紅茶、私は焼き菓子とレモネードをそれぞれ注文する。
「ケーキ三個って……夕食はどうするんですか?」
「それまでにはまた腹がすくだろ? 俺は普段から鍛えているから甘いものを食べないと体がもたないんだ」
カーライル様は紅茶に砂糖を三杯も入れながらそう言った。太めの眉とたくましい体には不釣り合いだが、かなりの甘党のようだ。彼は身長も体つきもほぼ成人と変わらないように見える。もしかしたら武官の中では細身なのかもしれないが、同じ年の学生と一緒にいるとかなりたくましい部類に入る。
そんなカーライル様が甘党だという事実は、私にはちょっと可愛らしく思えてしまった。
「熊みたいですね! 熊もはちみつが好物ですもんね」
「お前……それ褒め言葉じゃないと思うぜ……」
食べ終わったところで、試験結果の発表時に話した槍術の話題になる。
「なぁ、この前手合わせしたいって言っただろう? あれ……いつなら出来る?」
「練習用の槍を届けてほしいと家に手紙を書いたんです。数日中には届きますから、それからならいつでも」
「そうか、じゃあ武道場を使えるように許可取っておくから」
「カーライル様、私みたいな女の子と本気で闘いたいんですか?」
「だってお前、全然怯んでないし多少は自信がありそうだからな」
カーライル様は良くも悪くも私を女扱いしない。九割は悪い方だが、学園で私と本気で手合わせしてくれそうな相手と出会えた事だけは嬉しい。
私達はライラへのお土産にプディングとハチミツの入った飴、喉に良いというハーブティーを買い、寮へ帰る事にした。
寮に帰ると、ライラはベッドの上で上半身だけ起こして教科書を読んでいた。昼間たくさん寝てしまってもう眠れないのだろう。
「えりが……おがえりなざい……」
「少しは良くなった? ほらお土産買ってきたんだよ。今食べる?」
おでこに手を当てると熱はだいぶ下がったように感じられた。だが、まだ声はかれていて目が充血している。
「ひどりで、かってぎで、くれだの?」
「いいえ、カーライル様と一緒だったわよ……」
私がそう言うと、ライラはなぜか頬を膨らませて拗ねてしまった。もしかして、王太子殿下はあまり長居をしなかったのだろうか? 病気の時に一人で居るのはかなり寂しい。それなのに私が遊んでいたら腹が立つのは当たり前かもしれない。
「……なおっだら、わたじとも、いっじょに……」
「もちろんよ! お出掛けくらいいつだって行けるわ! ……ほらあーんして、プディングなら食べられるでしょう」
私は滅多に風邪を引かないが、体調を崩した時にはよく母に甘えていた事を思い出した。今日はとことんライラを甘やかしてあげよう。
「ところで、恋人との密会はどうだったの? うふふ」
「ぶっ!! えりがのばが!!」
ライラはプディングを噴き出しそうになってしまった。喉の調子が治るまで根掘り葉掘り聞くのは駄目かもしれない。ライラは恥ずかしさを隠すように拗ねてしまったが、つんとした顔のまま口を開けて次のプディングを催促した。
ライラの熱は翌朝にはすっかり治っていた。きっと王太子殿下の愛の力で治ったに違いないのだ。