20出航
エザリントン先輩は、ほとんど意識を失いながら私に手紙を見せてくれた。私達はそれで、シリルや王太子殿下の危機を知る事になったのだ。
「エリカ様、どうしますか!?」
セドリック君が真っ青な顔をした先輩の傷の手当しながら、私に意見を求める。一刻も早く、サイアーズに行って、この事を知らせなければならない。王都とサイアーズの間には魔術による通信装置があるはずだから、距離的に少しだけ近いサイアーズに向かえばいいはずだ。
「先行してサミュエル君にサイアーズへ行ってもらいます」
サミュエル君はカーライル家の次男だ。彼が行けば直接ディーン様やカーライル将軍にこの事を伝える事が出来る。馬に乗り慣れている事もあるし、彼が最も早くサイアーズまで辿りつけるはずだ。
私は揺れる車内でカーライル将軍宛に手紙を書く。先輩の手紙に記された事が真実かどうか――――重傷を負ってまで知らせようとした事が偽りだとは思わないが、先輩自身がどこまで計画を知っていたのかはわからない。それに、カーライル将軍が先輩の手紙をどこまで信用するかもわからないので、私からも口添えをするのだ。
そして、手紙の最後には私達の馬車が着いたらすぐ、治癒の魔術が使える魔術師に治療をしてもらえるように手配して欲しいと記した。
苦手に思う相手でも、私は先輩に死んでほしくない。セドリック君はもっとそう思っているだろう。先輩からは重要な証言が聞ける可能性がある。そういう理由があれば国の魔術師に治療をしてもらえるはずだ。
今回、カーライル将軍の配下に治療の魔術が使える魔術師が同行しているかどうかは知らないが、シリルのお父様で王宮魔術師であるニール様や、サイアーズに本部がある魔術師協会の会長でありシリルのお母様であるアレクシア様。このお二人は間違いなく治療の魔術が使えるし息子の帰国に合わせて現在、領地にいらっしゃるのだ。
私達が本来サイアーズに到着するはずの夕方であればきっとお二人のうちどちらかは確実に領主屋敷で出迎えてくれたに違いないのだが、日中どこにいらっしゃるかは知らない。私達が到着してから慌てて魔術師を探すなどという事にならないようにしたいのだ。
エザリントン先輩が乗っていた馬で、馬車の横を走っているサミュエル君に、それらの手紙を渡してすぐにサイアーズへ向かうようにお願いする。
「僕はエリカお姉さんの護衛だよ! このお兄さんを乗せているという事は、グストリムからの追手に襲われる可能性は無い? 先に行くのは僕じゃなくてダリモアさんじゃ駄目なの?」
サミュエル君はシリルの危機に、誰かが一刻も早くサイアーズまで行くべきだとわかっていても、兄から依頼された任務を優先させるつもりのようだ。
「セドリック君だと、将軍に会うまでに時間が掛かってしまうわ! 襲われる可能性は全く無いとは言えないけど、エザリントン先輩のあの様子では、もし追手がいたら私達に会う前に捕まっていたはずよ」
そして、グストリムとサイアーズは海沿いの街道で繋がっている。エザリントン先輩は当初王都に向かっていたようで、サイアーズへ向かうとしたらかなり遠回りになる内陸の街道にまで追手がいるとは思えない。
「サミュエル君が一番早くサイアーズまで行けるでしょう?」
「わかった! 必ず父上に渡すから!!」
サミュエル君は決断したら、行動の早い子だ。迷わず馬の速度を上げて、あっという間にその背中が見えなくなる。
私は出来る事を冷静にやっているつもりでいる。でも本当に間違った選択肢を選んでいないか、不安で胸が押しつぶされそうだ。もし、私が選択を間違えたら。それ以前に何をやっても手遅れだったら。嫌な考えを振り払う事が出来ずに、両手を強く握りしめる。
サミュエル君に手紙を託し、今はただサイアーズに辿り着くのを待つしかない私の心は急に嫌な想像で支配されていく。
「うぅっ……シリ、ル。 シリルに、何か、あったら……」
目の裏が熱くなり、喉が締め付けられるような感覚を我慢できない。私の目からはいつのまにか透明なしずくが零れ落ちていた。
「エリカ様……」
「ごめんなさい。不安なのは、私だけじゃないのに…………!! うっ! ひっく!」
セドリック君だって、兄弟として一緒に暮らしたエザリントン先輩が瀕死の状態なのだ。
「エリカ様……。特使が乗った船はカーディナの護衛船が守っていますし、シリルさんは優秀な魔術師です。 信じましょう」
セドリック君の強い言葉に、私は無理にでも涙を止めなければと思った。セドリック君も私も、お互いに出来る事はしている。でも、それが報われる保証などない。そうだとしても、今はまだ、泣いてはいけない。
*****
サイアーズに到着したのは昼過ぎだった。私達は港の一部にある海上守備をしている王国軍の施設へ向かった。
高い柵で囲まれたその門の前に馬車を止めると、青年の武官が駆け寄って来る。
「エリカ・バトーヤ様でいらっしゃいますね?」
「はい」
「お待ちしておりました。怪我をされている方は私達がお連れします。バトーヤ様はカーライル将軍のところへ」
手際よく、二人の救護担当の兵と思われる人達がエザリントン先輩を担架に乗せ連れて行く。エザリントン先輩の事は専門家に任せるしかない。私とセドリック君は青年武官に連れられて、建物の中で待つカーライル将軍のもとへ向かう。
途中、王国軍専用の桟橋では兵達が慌ただしく出港準備に追われている様子が見えた。準備が出来次第、停泊している軍船が出航してくれるのだろうか。
青年武官に導かれて司令部となっている部屋に通される。部屋の中にはサミュエル君、ディーン様、カーライル将軍とローランズ夫妻、そして位の高い武官がいた。その方はおそらくこの施設の責任者だろう。
「エリカ殿、よく知らせてくれた! 今、最速で出航準備をしておる。王都にも連絡をしてあるから安心しなさい」
力強いカーライル将軍の言葉に、私はほんの少しだけ励まされる。
指令室では、机に広げられた海図を取り囲んで、最終の打ち合わせが行われる。エザリントン先輩をそれなりに知っているセドリック君、そして私もいくつか意見を求められたが、私の出来る事はもうほとんど無かった。
サイアーズを手薄にするわけにはいかないので、シリルのお父様であるニール様は陸の守備として残る事になったが、カーライル将軍率いる王国軍の精鋭部隊、ディーン様、魔術師としてシリルのお母さまであるアレクシア様が救出部隊として船に乗り込む事になった。
アレクシア様のような魔力も無く、ディーン様のような強さもない。槍や弓を使えても、人に向かって放つ事などやった事もない。だから私はサイアーズの港で皆の無事を待つ事しか出来ないのだ。
こんなに胸が苦しい状態のまま、あとどれ位待てばいいのか。ついそんな考えが頭に浮かぶ。大変なのは私ではないのに。
そんな私を見つめていたアレクシア様が、私の方へ近づいてくる。私は後ろめたさで視線を逸らした。
シリルの乗った船が襲われているかもしれないという状況の中で、一番彼の事を心配している家族が気丈に振る舞っているというのに、私がこんな態度でいいはずがない。
「エリカ様! しっかりなさい!」
下を向いていた私の両頬をアレクシア様の手が包み込んで、上を向かせる。シリルと同じ菫色の瞳には迷いの無い力強い意志が宿っている。
「あなたは、やるべき事をやりました。自信を持ちなさい! ローランズの女性は下を向かないものですわ!」
「アレクシア様……」
「シリルの心配など不要です。あの子だってローランズの魔術師なのですから」
急に優しい表情になったアレクシア様も、本当は不安をその胸の内に隠しているのだろう。でも、彼女はきっと与えられた任務が終わるまでローランズの魔術師であり続けるのだ。
「はい」
せめて、しっかりと顔を上げて皆を送り出そう。ただ待つ事にも勇気が必要なのかもしれないが、私はそれに耐えなくてはならないのだ。
「エリカ、セドリック……それにサミュエル。行ってくる!」
「兄上! シリルを守ってやってね……」
ディーン様が私達の頭をぐしゃぐしゃに撫でながら最後に部屋を出ていく。もしかしたら、私だけでなくサミュエル君も船に乗って友人を助けに行きたいのかもしれない。でも、幼い頃から武官の名門の一員として育った彼は、それぞれの持ち場があるという事をしっかりとわかっているのだ。
本心では私も一緒に船に乗って、一番にシリルの無事を確認したい。でも、軍船に乗っても私には出来る事が一つも無いのだ。ここに残れば、まだ出来る事がある。シリルが笑顔で帰って来てくれた時に恥ずかしくないよう、私も自分の仕事をしよう。