18南へ……
休暇前の試験は大きな順位の変動もなく、順調に終わった。セドリック君は全教科で間違いが二問のみという結果で、次回はもしかしたら並ばれてしまうかもしれない。
ライラの順位は十二番で、病み上がりとは思えない頑張りだと思う。しかも私とは違い婚約発表に向けて準備が忙しいのだから。
冬季休暇に入ってすぐ、私はシリルを出迎えるためにサイアーズに行く事にした。
シリルは、特使としてハーティアに来られるカーディナの第五王子、バルトロメーウス殿下と一緒に帰国する。
王子殿下の出迎え兼護衛として、ディーン様のお父様であるカーライル将軍が指揮する部隊がすでにサイアーズに入っていて、ディーン様はそちらに同行していた。
私は個人的に迎えに行くだけなので、今回は別行動になるのだが、もしかしたら現地で会えるかもしれない。
今回、私と一緒にサイアーズまで行ってくれるのは、セドリック君とサミュエル君だ。
サミュエル君は、本当はシリルの事が好きらしく本心では出迎えたいらしい。けれど天の邪鬼な彼は素直にサイアーズに行きたいのだと言えないという事で、弟想いのディーン様が私の護衛として同行させるという理由を与えたのだ。
出立の前日になって家で荷造りに追われていた私の所へ、セドリック君が訪ねて来た。
「グストリムに寄りたい?」
グストリムはサイアーズの隣にあるエザリントン家の領地で、現在エザリントン先輩がいるはずの場所だ。
「はい、エリカ様をお一人にする訳にはいきませんが、ディーン様の弟君が一緒ならば、少しだけ別行動をさせていただけないかと思いまして」
「何か気になる事があるの?」
「いいえ、一度手紙を出しましたが無視されました。あの方ならそうするだろうと予想はしていましたが……。会ってくれるとは思えませんが、様子だけでも知りたいと思いまして」
「私も行くわ。突然押し掛けて会えるとは思えないけど、一応私も領主の娘という肩書きがあるから、セドリック君一人で行くよりはいいと思うわ」
もともと明日はサイアーズの領主屋敷に宿泊させてもらう予定で、シリルの到着は明後日だ。王族を乗せている都合上、詳しい時間は知らされていないが、少し早めに出発すれば明日の夕方までにはサイアーズに到着出来るので問題ないはずだ。
「ありがとうございます。エリカ様」
私はサミュエル君に宛てて出発時間を変更してほしい旨を書き記した手紙をセドリック君に預け、カーライル邸まで行ってもらう事にした。
*****
翌日、私はセドリック君、サミュエル君と一緒に我が家の馬車で南を目指していた。サイアーズもグストリムも貿易の盛んな港町を中心とした都市で王都から南へ向かう街道は広く、よく整備されていて走りやすい。
「まったく、あのもやし野郎! 僕が山に籠っている間にカーディナへ行っちゃってさ! 本当に薄情だと思わない?」
「山に……? それだと仕方がないんじゃ? でも、少し見ない間にサミュエル君は逞しくなったわね! 山籠もりの成果なのかしら?」
サミュエル君とは初夏にカーライル邸で会っているが、半年ほどの間に少し背が伸びて筋肉も付いているようだ。外見は兄であるディーン様に益々似てきている気がするが、サミュエル君があと一、二年後に突然『硬派を気取っている』人間になるとは思えないし、ディーン様が十四歳の時に愛嬌のある少年だったというのも全く想像が出来ないので、性格は似ていない兄弟なのだろう。
「へへっ! 成長期だからね!! サイアーズまでの護衛は任せてよ。これでもカーライル家の一員なんだから!」
サミュエル君は兄から依頼された護衛の仕事を気合十分で引き受けてくれたらしい。白い歯を見せて素直に笑うサミュエル君は結構可愛い。
そう言えばシリルの手紙に、成長期で毎日修行をしているから期待していてほしいというような事が書いてあったが、少し成長しているのだろうか。シリルが大人になったら、きっと素敵な男性になるのだろうし、私の身長を早く追い越してくれたら、なんて思わないでもない。でも、私のいない所で突然筋骨隆々の武官のような体つきになっていたとしたら……、想像すると少し嫌だ。
王都から南へ真っすぐ延びる道をしばらく進めばグストリムとサイアーズの分かれ道がある。東に行けばグストリム、西へ行けばサイアーズだ。今日は取りあえずグストリムへ向かうので東の道を選び馬車を進ませる。
「エリカ様、あの馬は……?」
最初に異変に気が付いたのはセドリック君だ。眼鏡を掛けている割には視力がいいのだろうか。私は馬車の正面のガラス窓から、サミュエル君は側面の窓を開けて身を乗り出すように、それぞれセドリック君の視線の先を確認する。
馬車の行く先に一頭の馬がゆっくりと走っている。サイアーズ同様、貿易が盛んなグストリムへ向かう街道は馬車同士が余裕ですれ違う事が出来るほどの道幅がある。そういった道では右側を走る決まりがあるのだが、その馬は街道をふらふらとしていて、乗っている人がよく見えない。私達の乗る馬車を操る馭者も前の馬に気が付いて速度を緩める。
「迷子の馬かしら?」
時々、何かの事故で乗っていた人が振り落とされ、馬がそのまま走って行ってしまうという事がある。
「僕、ちょっと捕まえてくる! このままじゃ危ないから!」
サミュエル君が速度の落ちた馬車から飛び下りる。
「気を付けて! 危ない事をしては駄目よ!」
制止する間もなく行ってしまったサミュエル君にそう声を掛けると、彼は大きく手を振って問題ない事をアピールしてくる。
馬は興奮している状態ではなく、自由に散歩をしているような雰囲気だったので、サミュエル君は難なく手綱を握る事が出来た。よく人に馴れた馬のようだ。近づくとその背に荷物か何かを載せているのが見えるので、やはり誰か人を乗せていたのだろう。
「エリカお姉さん! どうしよう? 人が乗ってるよ」
馬の背を見つめていたサミュエル君が、困惑の表情でそう言う。
私とセドリック君は急いで馬車から降りてサミュエル君の言葉を確認する。鞍にしがみつくような格好でほとんど意識を失っているように見えるが、私が荷物だと思ったのは人だった。
とりあえず、一旦私が手綱を預かり、サミュエル君とセドリック君の二人で馬上の人物を引きずり下ろす。
街道の脇にその人物を仰向けに寝かせたところで、セドリック君と私は同じタイミングでその人物の正体に気が付き、唖然となる。
「カルヴィン兄さん……?」
「エザリントン先輩!」
黒っぽい外套を羽織った黒髪の人物。それは今から訪ねるつもりだった、カルヴィン・エザリントンだった。
「うぅ……セ、セドリ……どうし……て?」
「兄さん! どうしたんですか!?」
エザリントン先輩の顔色は土気色で明らかに様子がおかしい。怪我をしている可能性を考えて、私は先輩の外套に手を掛けて脱がそうとする。
先輩の外套は雨が降っているわけでもないのに水分を含み重くなっている。そして中のシャツは脇腹を中心に赤く染まっている。水分だと思ったのは人の血だった。
すぐに、サミュエル君がナイフでシャツを切り裂いて傷を確認する。
「これ……斬られた傷だよ? しかも時間が経ってる!!」
「急いで手当てを!」
馬車の中にはたいした道具は無かった。今ここで出来る事は清潔な布で出血を抑える事と体力を奪われないように濡れた服を着替えさせる事だけだ。
「……まって、人に見られる、と……目立つと……馬車に、のせ……ほしい、サイアーズに……急いで……」
「兄さん! どういう意味ですか? サイアーズって!?」
「セドリック君、とりあえず馬車を動かそう! 二人で先輩を運んでちょうだい」
エザリントン先輩の傷は自分でつけたものではない。もし、犯人がまだ先輩を追っているとしたら野外で手当てをするのも、不自然に街道の途中で馬車を止めておくのも危険だ。
エザリントン先輩の馬はサミュエル君に乗ってもらう事にして私達は先ほど通った分かれ道まで戻り、サイアーズへ向かう事にした。