17紫水晶
冬がやって来た。ノースダミアでは初雪が冬の訪れを告げてくれたのだが、王都では学生らしく休暇前の試験が冬の訪れの合図となるようだ。
ライラはここに来る前の半年間、ほとんどベッドの上で生活していたとは言っても、元々学問は好きな方らしく今度の試験では間違いなく上位に入って来るだろう。
突然、上位に入って不自然ではないのか少し気になったが、そもそもダントツの最下位だった『ライラ』が夏の時点でほぼ真ん中まで順位を上げられたのだから、そこから上位に入っても不自然ではないだろうという事になった。
ライラが学園で大きな問題も無く過ごせるのは本当にシリルの頑張りのお陰だと思う。
シリルは二歳年下だという事を考えれば、たぶんかなり優秀な子なのだと思う。
事情を知らない学生と親しくなる事を避ける意図もあったのだと思うが、いつも私が作った問題集を解いている努力家という印象を同級生に与えていたようだ。
だからあまり会話をしてこなかった事に対して悪く思っている人はいないし、努力したから成績が上がったという事で皆が納得してしまう。
もし私が『ライラ』の秘密を周囲に話してしまうような人間だったら、王太子殿下はどうするつもりだったのだろう。事情があるとはいえ、殿下達が不正をしているわけで、暴露される危険性は十分に考えられた。
私は一度、殿下にその事を尋ねてみたのだが――――。
「あぁ、その事かい? 君とは必要以上に親しくならないように言っておいたんだけどね。初日から手懐けられているから正直焦ったよ。エリカ君が情に厚い人物でなかったどうなっていた事やら……」
殿下の笑顔が真っ黒だったので、その場合にどうにかなっていたのは殿下達ではなく私の方だったという事だけは伝わった。
試験勉強、と言っても私は相変わらず特別な勉強をするつもりもなく、皆が構ってくれないので暇だった。
特にセドリック君は本気で全教科満点を目指していて、鬼気迫るものがある。総合的な学力ではまだまだ私の方が上だという自負があるけれど、今回は私も油断出来ない。
もし私とセドリック君の二人とも満点という事になれば、きっと父や兄が喜ぶだろう。
武のカーライル家、魔のローランズ家、そして知のバトーヤ家などと呼ばれたらすごく格好いい。そんな妄想を話したらディーン様に強烈なデコピンをお見舞いされた。
試験が間近に迫るある休日、新年の王宮行事に出席するドレスを作るために屋敷に帰る事にした。その事をライラに話すと、ありがたい事に一緒に来てくれる事になった。
私に都会的なセンスがあるとは思えないし、兄は流行について多少は心得ているだろうが一応男性だ。ライラがいてくれれば本当に心強い。
屋敷の応接室に仕立屋を呼び寄せて、まずは基本となるデザインを選ぶ。部屋の中には生地の見本や装飾用のレースの見本が大量に持ち込まれていて、それだけで自分がお姫様にでもなったかのように錯覚しそうだ。
「変に流行に乗るよりも、一着目は定番のデザインがいいと思います。エリカは姿勢もいいですし、スタイルもいいですから……」
そう言いながら、ライラが見つめているのは私の胸元だ。
「…………」
「…………」
「やめましょう、この話」
「そうですね、やめましょう」
以前、レイ先生に『ライラ』の胸について相談した事があった。あの時、レイ先生は「王太子殿下は貧乳が大好きだ」と言っていたのだが、あの言葉は真実なのだろうか。『ライラ』への追及をかわすための出任せだったのかもしれない。ちなみに、ライラの胸の大きさはシリルが詰め物もせずに代役を務めていた事で察する事が出来るだろう。
私はいくつもあるデザイン案から、ハーティアで一番定番なスタイルを選ぶ事にした。首回りはスクエアカット、袖は肘の辺りから大きく広がってレースが幾重にも重なっていて可愛らしい。ドレスの裾にも大量のレースが使われている。
ドレスの色はライラが強く薦めるので、私の瞳に合わせたグリーンに決まった。
グリーンと言っても春の新芽のように淡く優しい色合いだ。
最後に細かく採寸されて私の初めてのドレス選びは終わった。
正直、私一人だと仕立屋から薦められる物をそのまま選んでしまったかもしれない。ライラは基本のデザイン案に少し手を加えるなどの細かい注文も的確にしてくれる。さすが、未来の王妃様だと感心するしかない。
「実はエリカにお渡ししたい物があるんです」
ドレス選びが終わりお茶をしていた私に、そう言って取り出したのは大きなアメジストが使われているネックレスだった。アメジストという輝石はそこまで高級な石ではないが、大粒のアメジストの周囲を小さなダイヤモンドが無数に取り囲んでいて、その繊細さと精巧さにはため息が漏れてしまうほどだ。
「わぁ……!」
「私の母の物です。私はウォルター様から、お亡くなりになった前王妃様の物をいただきましたので、今回は使えなくて。だからエリカに使ってもらいたいのです」
「えっ? でも……」
「母から預かりました。未来の娘にと……、少し気が早いのですが」
目の前にある大粒のアメジストと同じ色の瞳が嬉しそうに輝く。
ライラがドレスの色にこだわっていたのはネックレスに合わせるためだったのだ。
ライラ自身はラベンダーのような淡い紫色のドレスを着るそうだから、ライラのドレスの色と違った印象で、この宝石に合う色合いを選んでくれたのだ。でもそんな高そうな物を借りてしまっていいのだろうか。未来の娘というのはいくらなんでも気が早いと思う。
「シリル本人にすらまだ話してないのに……。それに、もしシリルが心変わりしたら?」
口にすると途端に不安になる。シリルは近くにたまたま私しかいなかったから、私に好意を持ってくれただけかもしれないし、カーディナでも帰国してからでも、これからたくさんの出会いがあるのだ。
ついでに最近、カーディナが一夫多妻制である事も知ってしまった。留学先で変な知識を植え付けられてはいないだろうかと心配になる。
「そんな! シリルが聞いたらきっと落ち込みますよ。信じてあげてください」
「うん……」
早くシリルに会いたいと思う一方で、彼の事を考えるだけで胸がざわざわする。ライラが前に好きな人の事を想うと「嫌な気持ちになる事が多い」と言っていた、その気持ちがよくわかる。
「エリカ……。私から言っていいものか悩んでいたのですが、やっぱり聞いてもらっていいですか?」
ライラは何かを決意したような表情で、私にそう告げる。その真剣な眼差しに、私も背筋を正してから頷く。
「エリカは王家やローランズがどのようにしてその魔力を保ってきたか知っていますか?」
「……一応予想は出来るわ。ローランズはともかく、王家は歴史を学べば推測出来るもの」
王家の家系図を見れば一目瞭然なのだが、魔力の高い家系は法の許す範囲で近親婚を重ねる事によって、その力を保っている。ライラの両親が揃って銀髪に菫色の瞳である事や、シリルとライラが異常なほど似ているのもそのせいなのかもしれない。
だが、そうなると魔力がほとんど無い私がシリルの婚約者に望まれている事は少しおかしい。それにライラも王家とは別系統の一族なのだから、ライラが王太子妃になる事も変だ。
「シリルは、とても高い魔力を持っていますが小さな頃はとても体が弱かったんです」
ライラの話によれば、王家の系統で一番力を持っているとされるのはレイ先生で、異常なほどの魔力探知能力のせいで相当な苦労をしている。その事は私も知っているし、先生の探知能力によって危機を救われた事もある。
そして、ローランズの一族ではシリルの魔力の高さがずば抜けている。シリルはその影響で小さな頃とても病弱で、何度も死にかけた事があるそうだ。
どうやらシリルは春の魔力測定の時に私と同じような誤魔化しをしていたようだ。ライラの振りをしていたのだから当然なのだが、本当は王太子殿下と同様に、計測不能のレベルなのだろう。
今さらだが、あの時レイ先生が私を罰する事が出来なかったのは、誤魔化しをしたのが私だけではないという後ろめたさもあったのだろう。もっとも、シリルの場合誤魔化していたのは魔力だけではないのだが。
「私の両親はこれ以上、魔術師の血を濃くすると、逆にその血が滅びる事に繋がると考えています。だから一度も血の交わった事のない、魔力をあまり持っていない、それでいてある程度身分の高い女性を望んでいるのです。でも、一族の中には未だに外の血を入れる事に対して反発があって……」
近親婚を繰り返すと最終的にはその血が途絶えるというのは一般的に知られている事だ。
シリルが小さな体に受け止めきれないほどの魔力を持って生まれてきてしまったなら、出来るだけ魔力のない者を伴侶にと考えるのは理解出来る。
魔力が重視されるハーティアでは、地位の高い者は魔力も高い事が多い。魔術師ではなく武官の名門と言われているカーライル家のディーン様でも普通に中級以上の魔術を使っているくらいなのだ。バトーヤ家は魔力の低い家の中では身分は高いと言えるだろう。
単純に魔力の少ない人間ならいくらでもいるが、ある程度身分のある女性の方が、一族の反対している人間を説得しやすいし、危害を加えられにくい。
将来的に一族の魔力が弱まる事を覚悟して、婚姻による政治的な力の強化という狙いもあるかもしれない。
「王家の場合、ウォルター様自身には切羽詰まった症状は無いようですが、レイ先生はもし先生のような能力を持ってしまったらとても政務は出来ないとおっしゃられていて、これ以上の近親婚に反対されています。私が選ばれたのは別系統で強い魔力があるからだと思います」
「なるほど……」
ローランズ家は魔術師としての力が弱まったとしても早急に対処せざるを得ないと考えているのだろう。一方王家の方には殿下自身が心身ともに健康で強い魔力を持っている。レイ先生という生ける実例があるから血縁から妃を選ぶ事はさすがにやめるが、魔力は出来るだけ維持したいという事なのだ。
「魔術が得意ではないエリカがローランズの人間になったとしたら、辛い思いをする事がたくさんあるかもしれません。エリカは他の誰かを選んだ方が幸せになれるのかもしれませんね」
ライラはテーブルに置かれているアメジストのネックレスを見つめてから私に告げる。
「このネックレスは、母が大切にしているもので、おそらく王宮の大人達はこれが母の……ローランズ家の物であるとすぐに気が付きます。これを着けるか着けないか……エリカが決めてください」