14歪んだ感情
後夜祭まではまだ時間があるのだが、舞台衣装のままだと目立ってしまい真面目に展示や発表を見学する事が出来ない。色々な人達に声を掛けられていつの間にかディーン様や兄ともはぐれてしまった。
私はどこか静かな場所で休憩をしようと思い図書館の方へ向かう。あの付近は展示会場になっていないので、人もあまりいないはずだ。
もし寮に戻っていないとしたらセドリック君もその辺にいるかもしれない。会って特別何かを話したいという訳ではないけれど、様子は気になる。
校舎から図書館に続く道には低木が植えてあり、いくつかベンチが設置されていて予想通り誰もいなかった。
これは調度いいと思った私は空いているベンチに座ってマントと帽子をとる。ついでに腰にぶら下げている模擬刀をはずして身軽になった。
もう季節はすっかり秋だが晴れた日の昼間はまだまだ暑いのだ。今日も秋の涼しい風を感じられるのは、きっと日が落ちる頃になるだろう。
少しぼーっとしながら、低木の葉が風にゆれる様子を見ていると遠くから最近よく会う人物の姿を見つけてしまう。
(げげっ! エザリントン先輩)
私がそう心の中で叫んでも決して自意識過剰ではないはずだ。私の事は放っておいてくれないだろうか、そう願っても私を見つけた先輩はまっすぐこちらへ向かって来る。
「バトーヤさん、こんな場所で奇遇だね」
「そうですね……」
「今日は大活躍だったみたいだね。俺も観ていたよ」
「それは、ありがとうございます」
エザリントン先輩はちゃっかり私の横に腰を下ろす。休憩したいのなら他のベンチにしてくれないだろうか。ここには空いているベンチがたくさんあるのだから。
「じゃ、じゃあ、私はこれで!!」
「待って」
私が立ち上がろうとするのを先輩が腕を掴んで止める。掴まれている左手がぞわりとした不快感に支配される。
セドリック君が公になる事を危惧しているから言わないが、この人はセドリック君を殴ったのだ。私が不快に感じるのは当たり前だ。
「離してくれませんか!?」
私は先輩を思いっきり睨む。睨まれた先輩がなぜか嬉しそうに顔を歪める。
「やっと目を合わせてくれたね。……もっとも俺はそういう瞳を向けられたい訳じゃないんだけど」
「じゃあ、私が嫌な事をしなければいいじゃないですかっ!」
「君が嫌な事って、俺が近寄る事そのものでしょ? 随分嫌われたものだね」
「…………」
「話くらいさせてよ」
そう言った先輩の表情は先程までの薄っぺらな笑顔とは違っていて、何か思い詰めたような顔に見える。本気で私に話したい事があるのか、彼の事をよく知らない私にはわからないが、私はもう一度先輩の隣に腰を下ろす。
「実はね、俺は学園から去る事にしたんだ。だから多分、君と話すのはこれが最後」
「え……?」
学園から去るというのは、退学するという事だろうか。
「父親から戻って来るように言われているんだ。憎い相手の恩情を受けるのが嫌なんだよ、きっと」
先輩の父親であるレイモンド・エザリントンは免職となり領地の一部を没収され、領主という立場も弟に譲らざるを得ない状況となったが、収監されたわけではなく、弟が治める事になった領地で謹慎しているはずだ。父親が罪人であっても優秀な人間であれば先輩自身の仕官の道は残されているのだし、学園を卒業すればそれ以外の職に就く場合も有利になる。いくら自分を罰した王家が気に入らないとしても息子の将来を思えば、卒業させた方がいいはずだ。
「そんなっ! どうしてですか? 意味がわかりません」
「君にはわからないかもしれないけれど、意味のわからない事をする人間は案外多いんだ。息子の将来よりも己の歪んだ感情を少しでも満たす事を優先するんだよ」
先輩は自主退学する事が決まっていたからやけになって賭博場に行ったのだろうか。
「ねぇ、バトーヤさん。なぜ俺が君に付きまとうのかわかる?」
私は首を横に振る。正直、自覚があるのならやめてほしいとしか思えない。
「セドリック達から君を奪ったら、少しは気分が晴れるかと思ったんだ。父親だと思った事はないけれど、本当に俺と父はよく似ている。どうせ落ちぶれるのなら、誰かを巻き沿えにしてやろうってね」
「セドリック君は今でも先輩の事を気にしています! それなのに……」
「知っているよ。でも、考えて……自分が切り捨てた相手に、自分より惨めだと見下してた相手に同情される人間の気持ち……。君にはきっと理解出来ないと思うけど」
「…………」
「まぁ、とにかくもうセドリックを心配させる事も、君を煩わせる事もないから……、セドリックの事よろしくね」
「エザリントン先輩。学園から居なくなったからといって、セドリック君があなたの事を心配しないわけじゃないと思いますよ」
むしろ余計に心配するのではないかと私は思う。
「……それもそうか。あぁ、俺にも君みたいな人間が側にいてくれたのなら、違う人間になれたのかなぁ」
「先輩……」
「さようなら、エリカ・バトーヤさん」
先輩は立ち上がり、最後に一度だけ振り返り、別れの言葉を口にする。
彼が最後に見せてくれたのは笑顔だった。
日が落ちて、後夜祭の時間になる。会場でセドリック君と会うことが出来て、先輩の退学の話を教えたが、一言「そうですか」とつぶやいただけだった。
「さぁ、エリカ。皆が待っていますよ」
「うん。……って私がエスコートする役なのよ?」
私はライラに向かって手を差し出す。
『お姫様、僕と踊ってくださいますか?』
ライラはグローブをつけた手を私の差し出した手に重ねる。
『喜んで、私の騎士様』
ライラの後ろでは心の狭い男性が拗ねた顔をして私達の様子を見守っている。私はそれを無視してライラと一緒にダンスの輪の方へ向かう。
実行委員の先輩達の指示で私達は皆の中央で踊る事になっていた。曲はシリルと初めて踊ったあの曲だ。ライラはシリルと違い私の足を踏んだりはしないのだが、何だかシリルと踊ったあの日の事を思い出す。あの時、私は本当に楽しかったのだ。
「エリカったら! ダンスの最中にパートナー以外の人の事を考えてはダメですよ」
ライラが頬を膨らませて私をたしなめる。この姉弟は怒った顔が最高に可愛らしいので怒られた方はつい顔がにやけてしまう。
「うっ! ……ごめんなさい」
「ふふっ、誰の事を考えていたのですか?」
「いいいい、言わない!!」
私はダンスに集中する事にした。予定では三曲踊るという事になっていたのだが、二曲目が終わった時点でさりげなく殿下が現れて、私にもわかるくらい「交代しろ!」という視線を送ってくるので、パートナーの座を譲る事になってしまった。私と踊っている時のライラもとても楽しそうだったが、やっぱり本物の王子様には敵わない。今日は制服姿の殿下だがそれでも二人はお似合いだ。新年の婚約発表では正装した二人が寄り添う姿が見られるのだ。自分の事ではないのに胸がドキドキして待ちきれない気持ちになる。
こうして私達の一年目の学園祭は終わった。楽しい時間はあっという間に過ぎるという話は本当だ。少し興奮したせいか寮に帰っても寝付けない私はシリルに手紙を書く事にした。遠くにいるシリルにはあまり暗い話を書いて心配を掛けたくないという思いがあって、エザリントン先輩の事には触れなかった。
一緒にいた時は私が落ち込んでいたらすぐに気がついて「どうしたんですか?」と聞いてくれた優しい男の子。何でも相談出来る相手だったのに、手紙になると同じように何でも書いて相談する事は出来ない。なんだかそれがとても寂しい。
シリルも同じ気持ちでいてくれるだろうか。シリルも私と同じように手紙に書きたくても書けなかった事があるのだろうか。私の全てを知ってもらえないというのも、シリルの全てを知る事が出来ないというのも、とてももどかしく感じるのだ。――――彼も私と同じ気持ちであって欲しいと願う私の『好き』はきっとあの時シリルが「僕とは違う」と否定した『好き』なのだ。