12兄弟
学園祭前の最後の休日、私は王都の中心部まで買い物に行く事にした。目的はもちろんシリルへの贈り物を選ぶ事だ。
ライラ達はまた出掛けてしまったが、一人で慣れない場所へ行くのは心細いし、一応上流階級の令嬢という事になっている私が供も連れずに出歩く事は避けるべきという事になっているので、セドリック君に同行をお願いしてある。
セドリック君も買いたい筆記用具や本があるらしく、意外にも快く引き受けてくれた。
最近よく殿下と外出しているライラだが、どうやら年始の王宮行事で王太子殿下とライラの婚約が発表されるらしい。冬季休暇中という事もあるし、その時にはきっとシリルも帰って来てくれる。私にはそれが待ち遠しい。
王都の中心部まで我が家の馬車に乗ってやって来た私は、目抜き通りの遥か先にある王宮を見据えた。年始には私も兄と一緒にあそこに行く事になるのだ。
「セドリック君は王宮に行った事があるのよね?」
「ええ、星の日にバトーヤ家の遣いとして」
「いつか、私やセドリック君もあそこで働くのかな……」
「そうですね。……そうなるように僕も努力しないといけませんね」
「うん!!」
そんな話をしながら、私達は目抜き通りに店を構える寝装具を扱う店に入る。
カーディナの気候を調べると、一年を通してハーティアよりもかなり暑いのだが、意外にも昼夜の寒暖差があり、夜はかなり冷えるらしい。そこで私は何か安眠をもたらしてくれるような物を贈ろうと考えたのだ。
「セドリック君はどんな物がいいと思う? 男の子の意見って貴重だわ」
「そうですね……。たぶん、シリルさんなら何を貰っても喜ぶと思います」
「いやいや、そういう事じゃなくて。もっと具体的な意見が聞きたいの!」
シリルは他人からの贈り物にケチをつけるような人物ではない。そんな事は十分知っているけれど、それでもより喜ばれる物を選びたいと思う。女の子の私が選ぶより、セドリック君に聞いた方がいい物が選べるはずだ。
「エリカ様が間違っています。僕の意見を参考にしたなんてシリルさんが知ったら、きっとがっかりしますよ。エリカ様が選んだという事が重要なんです」
「そうかしら?」
シリルの事になると、私は急に自信が無くなる。私は『ライラ』の事はそれなりにわかっている気でいた。そして『ライラ』も私の事、私の気持ちを何でもわかってくれているような気がしていのだ。
でも、それは私の勘違いで実は何もわかっていなかった。だって本当の名前や性別すら知らなかったのだ。その事が私を臆病にさせるのかもしれない。
私は店内を見て回る。安眠枕、サシェと呼ばれる香り袋、高品質のナイトガウン、花柄のベッドカバー、枕の下に入れると良い夢が見られるという怪しい札……色々あって迷ってしまう。
「うーん。シリルは緑色が好きだって前に言っていたのよね。木や草の……自然の色だからって」
「…………まったく……」
「どうかしたの? まったく、何?」
「いいえ、シリルさんが好きな色ならば、そういった物を選ぶのは有りだと思います」
セドリック君から貴重なアドバイスをもらった事だし、私はもう一度陳列棚の一つ一つを見て回る。そしてある商品に直感のようなものを感じたのだ。
「これはどうかしら? ペールグリーンの夜着!」
淡いグリーンの夜着はシルクで出来ていて学生の私にとってはちょっとお高い。でもシリルからはお詫びという名目で服を貰っているし、貿易の盛んな港町を管理するローランズ家の人だから目が肥えているのだ。だから出来るだけ上質な物を贈りたい。
シルクは摩擦が少なく、温度調節もしてくれる、夜着に使うには優れた素材だ。きっと寒暖差の大きいカーディナでも快適な眠りをもたらしてくれるに違いない。
「先程も申し上げましたが、エリカ様が選んだ物ならシリルさんは喜ぶはず……です…………おそらく……ええ、たぶん」
「うん! そうだよね! よし、これに決定!!」
私は気に入った物が見つかった喜びで気分が高揚していた。考えてみたら家族以外の人間に自分で選んだ物を贈るのは初めてだ。
使ってくれる誰かの事を想って物を選ぶ事、そのものが楽しいし心がほかほかと温かくなる気がする。
「さぁ。次はセドリック君の買い物に付き合うわよ!」
綺麗に包装してもらった贈り物を受け取り、私は軽い足取りで店を後にした。
*****
寝装具の店を出て、私達は文房具の店や古書店を見て回った。
文房具については学園周辺の店でも大抵の物が揃うのだが、古書については比べ物にならないほどの品揃えだ。
ただし店ごとに品揃えの片寄りが激しいので、多くの店をはしごしなければならないのが難点だ。
セドリック君は王都に住んでいるのでこの辺りの事も詳しいようだ。
魔術関連ならこの店、文学作品ならこの店、傷んでいる本を安く販売しているのはこの店というように、役に立つ情報を教えてくれる。
勤勉で読書家のセドリック君は無駄話をするタイプではないが、本の話題ならいつもより会話が弾むみたいだ。
「さすがに少し疲れたわ。どこかで休憩しましょう」
「少し調子に乗り過ぎましたね。……甘い物をいただくならディーン様に『行列が出来ない名店』を聞いておくべきでした」
行列が出来る名店なら目抜き通りを歩けばすぐに見つかる。行列が出来ているのだから見ればわかるのだ。
だけど疲れて今すぐ休みたいこの状況で、行列に並ぶ気は全く起きない。かといってせっかく中心部まで来たのだから、ここでしか食べられない物を堪能してから帰りたかった。
情報がないこの状況では雰囲気と客の入り具合を見て入るしかない。
私達はとりあえず、すぐ近くにある喫茶店を覗いてみる。その店は掃き出しのガラス窓が開けられた開放的な雰囲気で、日中の強い日差しを遮るオーニングの下にもいくつか客席が設置してある。
店の雰囲気も良さそうだし、店内から漂う甘い香りが私達の足をその場にとどまらせる。店内は混み合っていたが幸いにも空席があり、すぐに座る事が出来た。
私はケーキとレモネード、セドリック君は焼き菓子と紅茶を注文して一息つく事にした。
目抜き通り沿いの店は間口が狭く奥に長い建物が多いのだが、この店も入り口から受ける印象よりも大きな店だ。客席が多い割にほぼ満席に近いのでかなりの人気店なのだろう。
疲れて身体が甘いものを欲していたという事もあり、二人ともすぐに完食してしまった。
「セドリック君のお陰で、この辺りにもかなり詳しくなれたわ! ありがとう。このお店も当たりだったわね」
「そうですね」
セドリック君は店の外を見ながら同意してくれるが、明らかに意識は外に向けられている。どうしたのだろうと思い視線を外に向けると人ごみの中に真っ直ぐな黒髪が印象的な人物――――エザリントン先輩がいた。
私達の方からは先輩の姿がよく見えるが、外に比べて薄暗い店内の様子はよく見えないはずだ。先輩は私達の存在に気が付く事はなく、歩いて行ってしまう。
「すみません。エリカ様は先に帰っていてください!」
セドリック君はテーブル上に紙幣を一枚置くと急いで喫茶店から去ろうとする。
「待って! 一時間以内に戻って。ここで待っているから」
「……わかりました」
お会計をしている間に見失ってしまうかもしれないし、こっそり後をつけるのなら私が居ては目立つだろう。
セドリック君がそこまで先輩を気にする理由は不明だが、引き止める事は出来ないと思った。
ただ待っている時間というのはなんだか落ち着かない。飲み物のおかわりを注文したり、先ほど買った本のページをめくったりしてみるが、まったく集中出来ない。
学園からこの王都の中心部までは一時間程度の距離にある。放課後、ここまで来る事は難しいが、今日のような休日なら多くの学生が訪れる場所だ。だからエザリントン先輩が目抜き通りを歩いていたとしても、特におかしな事ではない。
だが、私が先輩と初めて会話をした次の日にわざわざ忠告に来たし、セドリック君は先輩の事をかなり疑っているような気がする。
セドリック君は先輩の人となりをよく知っているのだから、そう思わせる何かが先輩にはあるのかもしれないが、親しかった人物を疑うのはセドリック君にとっては辛い事だろう。
(何も無ければいいけど……)
他人の心なんて私がいくら考えても理解出来るものではないけれど考える事はやめられない。そんな状況で長い一時間が過ぎた。
「エリカ様、遅くなりました」
一時間を少し過ぎた所で、セドリック君が戻って来た。急いで戻って来てくれたようで、息が上がっている。
そして口の端がなぜか赤くなっている事に気が付いた。
「どうしたの? 大丈夫!?」
それは明らかに誰かに殴られたような痕だった。
「ええ。……帰りましょう、エリカ様」
セドリック君は私を安心させるためなのか、少し微笑んでそう言った。
店を出て、私は帰りの馬車の中でセドリック君の話を聞く。
セドリック君が先輩を追いかけた理由は、彼の服装が気になったせいだった。先輩は今となっては危うい立場だが、領主の息子という地位にそれなりのプライドを持っていた。
一度だけ一緒に孤児院を訪ねた時も上等な服を着ていたし、父親が失脚した後も何度か学園の外で見かけた事があるそうだが、その時も仕立ての良い服を着ていたのだ。
でも、今日の先輩の服装はまるで労働者のような服装だった。セドリック君はそこが気になったのだ。
先輩がわざわざそんな服を来て出掛けるという事は、もしかしたらそういう服装じゃないと目立ってしまうような場所へ行くためかもしれないとセドリック君は考えた。
「カルヴィン・エザリントンが向かったのは賭博場がある地区でした」
セドリック君の話だと、孤児院育ちの者の中には裏社会との関わりを持つ者も大勢いるから何かのきっかけでそういった所に出入りするようになる事自体はありうるのだ。
王立学園の学生として、そんな場所に出入りするというのはかなり問題がある。きっとこの事が明るみになれば退学になってしまうだろう。
「引き止めたら、少し口論になってしまいまして……。先輩が孤児院から去った時から、赤の他人になったはずなのに、意外と僕も愚かなのかもしれません」
私はぶんぶんと大きく首を横に振る。先輩がどう思っていても、セドリック君がかつて先輩と家族として暮らした日々が消えてしまう事はない。セドリック君にとって先輩は今でも『兄』なのだ。
「セドリック君は愚かじゃないわ。優しい人だよ……」
私がそう言うと、セドリック君は泣きそうな瞳のまま無理をして笑ったのだ。