10挑戦権を行使する者
孤児院を訪ねた日から五日が過ぎ、学園祭まであと十日ほどとなっていた。演劇の練習は順調に進んでいて、私の演技は先輩達から好評だ。今日の放課後は武道場でディーン様と殺陣についての細かい打ち合わせをする事になっていた。
脚本を書いたイザベラお姉様は剣術についてはもちろん素人なので、その部分だけは私達があらすじに沿って自由に演出していいという事になったのだ。私も剣術はそんなに得意ではないが、ヒーローの騎士が馬に乗っている訳でもないのに槍で闘うというのは少し恰好が悪い。剣の扱いをディーン様に教わりながら何とか形にしていく事になった。
そしてエザリントン先輩はあれから毎日のように私の所にやってきて話し掛けてくるようになり、正直私としてはどうしていいのかわからなくて困っている。
今日も朝食の時間に先輩がやって来た。最近、過保護な友人達が私を取り囲むようにして座るため、先輩は私の隣には来られないのだが、今日もセドリック君を間に挟んだまま話しかけてくる。
「俺はバトーヤさんのお姫様が見たかったけどな、残念だね。きっと似合っただろうに」
「いいえ、そんな事はありません。騎士の役の方が合っています。姫なんて全く似合いません」
「まぁ、これ以上ライバルを増やしてもね」
「残念ながら先輩はまだライバル認定すらされていません。虫除けに払われる虫ですね」
「……セドリック、俺は君と話したい訳じゃないんだけど?」
「ですから、虫除けですと申し上げましたが? エザリントン先輩は、エリカ様に異性としての興味をお持ちだとか。その時点でどんな身分の方でも僕にとっては排除の対象です。……世間知らずのお嬢様に悪い虫がつかないように見張るのは下僕の役目ですから」
先輩が私に話し掛け、私が答える前にセドリック君が代弁するという訳のわからない状態が朝食を非常に不味くする。
私はかなり気が強い性格だし、明らかな悪意を持っている相手には容赦しない。でもエザリントン先輩のそれは本人曰く好意だそうで、そうなると途端にどう対応していいのかさっぱりわからないのだ。
だが今朝はもう一度、乙女小説を参考に考えた作戦を実行しようと思っていた。この作戦はライラには事前に相談してあって、完璧だと太鼓判を押されている。
「あの! エザリントン先輩。虫よけ云々はさておき、私には好きな人がいるので、他の男性と親しくする気が全くないんです! だから先輩ももっと時間を有意義に――――」
「それ、嘘でしょ?」
エザリントン先輩に鼻で笑われて冷や汗が出る。王太子殿下達も「何、余計な事言っているんだ」とでも言いたげな冷たい視線だ。これはおかしい、ライラに相談したのになぜ疑われているのか。
「あらまぁ……。そう言えばエリカ、シリルへの贈り物はいい物がありましたか?」
ライラが唐突にシリルの話題を口にする。はっきり言って急に話題にされると心臓に悪い。
「えっ? まだだけど……なんか迷ってしまって」
学園の近くにある雑貨屋は覗いたが、迷ってしまいまだ買えてないのだ。王都の中心部まで行けばもっといいものがあるかもしれない。
「シリル?」
知らない人物の名前が出て来た先輩は怪訝な顔をしている。先輩のいる場所でわざわざシリルの話題を口にするライラの意図が全くわからない。ライラは結構しっかり者のはずなのに。
「シリルさんはローランズ様の弟君です。……現在カーディナに留学中で、エリカ様とはとても親しい間柄です」
「そうですわ。エリカが気に入っているリボンもシリルからの贈り物ですし、他の方の出る幕など残念ながら無いと思います」
セドリック君の説明に乗っかるかたちで、ライラはエザリントン先輩の方を見てにっこりと微笑む。その笑顔は私でもわかるくらい毒を含んでいた。ライラの珍しく積極的な行動に私は驚いたが、彼女の作戦は理解出来た。
この場にいないシリルが相手という事であれば確認のしようがないのだからちょうどいいのだろう。私はライラの助け船に感謝する。
「エリカったら、シリルから貰ったクッションをいつも抱きしめて――――」
「わぁぁぁぁ――――っ! いつもじゃないわ! あれはいい香りがするからっ!!」
続くライラの発言に、体温が二度くらい上がったのではないかと思うくらい体が熱くなり、心臓が自分の身体のどこについているのかを痛いくらい認識した。確かにそういう事をしていたような気もするが、ライラに見られているという自覚は無かったし、今そんな話を暴露されるとは思ってもいなかったのだ。
「真っ赤ですよ、ふふっ。……わかっていただけましたか? エザリントン先輩」
ライラは私をからかって少し嬉しそうだ。王太子殿下は滅多な事では動揺しないので、優雅な手つきでお茶を飲んでいる。だが、他の三人は明らかに驚いて固まっていた。ディーン様に至っては手にしていたパンに塗ってあった大量のジャムがポタポタと落ちているのにも気が付かず、ポカンとしている。
年下の男の子から貰ったクッションの香りを嗅いでいるなんて、とんでもない変態行為を知られてしまった私は顔から火が出るほど恥ずかしい。
「ライラのバカ! もう帰る!!」
そう言い捨てて私は急いで寮の私室へ戻る。これ以上、皆のドン引きした顔を見続けるのは拷問だ。
部屋に戻った私はそのまま自分のベッドに飛び込む。ふわりといつもの甘く優しい香りが鼻孔をくすぐり少し心を落ち着かせてくれる。
「うわぁぁぁっ! またやってしまった!! どうしよう!?」
無意識に先ほどライラから指摘されたばかりの変態行為に手を染めてしまい、ただ悶絶する事しか出来なかった。
*****
午前中、皆の視線が気になり挙動不審になってしまった私だが、ディーン様達は聞かなかった事にしてくれたようで放課後には普段の調子を取り戻していた。
放課後、私とディーン様は武道場で殺陣の打ち合わせをする事になっている。ライラは衣装の打ち合わせ、セドリック君は大道具の仕事をそれぞれしている。客観的に見て意見をくれる人が欲しいので殿下だけは私達と一緒に来てくれた。
私は毎度おなじみの男装に小道具の剣を腰にぶら下げる。本番では本物の王太子殿下も真っ青な、格好いいマント付きの騎士衣装を着る予定だ。ディーン様は悪の黒騎士(無口)という設定だから、はっきり言って自前の服でもいいような気がする。
「ふーん、形だけなら剣もそこそこいけるな」
私の一撃を軽く受け止めながらディーン様が一応誉めてくれる。
「国内屈指の剣士様に褒められるなんて光栄です!」
「実戦ならありえないけど、演劇なら途中で宙返りとか、空中技を入れると華やかになると思うよ」
近くで見学している殿下が私達の動きを見て、そう提案する。確かに実戦的な動きばかりだと見ごたえがない。大袈裟な動きの方が観ていて楽しいかもしれない。実戦でそんな無駄な動きをすれば、即やられるだろうけど。
「さすがの私でも宙返りはちょっと、手をついてバク転なら出来ますが」
「いや、お前にやれなんて言ってねぇよ。……なんでバク転なんて出来るんだか」
試行錯誤の結果、華やかになるという理由だけで、悪の黒騎士(無口)は二刀流にしようという事になった。
そして、私が一度剣を落としてしまい、ピンチになったところでバク転して剣を拾う案、最後の一撃はセットの裏に置かれた踏み台から空中技を繰り出すという案などが考えられた。
それらを通しで数回練習して、殿下から細かい修正の指示が入り、殺陣のシーンはほぼ完成した。
あとは実際の舞台の上で細かい最終調整が必要になるだろうが、かなりいい出来映えだと思う。早くマーガレットお姉様や台本担当のイザベラお姉様にも見てもらいたい。
「エリカ、時間があるし槍に持ち替えろよ」
少し休憩をした後、ディーン様がそう言った。
「いいですね! 稽古しましょう!」
「いや、今日は稽古じゃねぇ。……自称裏ランキング一位に挑戦権を行使する」
「はっ!? ……まさか、まだ根に持っていたんですか? 急所襲撃事件!」
「違う、何でもいいから早くしろ」
「まぁ、いいですけど!」
私はディーン様に向かってまっすぐ槍を構える。ディーン様も練習用の剣に持ち替えて柄に手を掛けた状態で殿下からの合図を待つ。
「始め!」
正直、ディーン様とはこれまで何度か稽古で手合わせをしていて闘い方を覚えられてしまっている。私が相手の力を受け流す方向はいつも一定ではなく、いくつものバリエーションがあるのだ。でもそれすら見抜かれている。ディーン様の剣を正面から受け止められる力は私にはないので、この勝負はかなり厳しいものになりそうだ。
この場合、私の戦術は間合いの差を活かして剣先が届く範囲に入られないようにするしかない。
殿下の合図とともに抜刀したディーン様が、地面を強く蹴りさっそく間合いを詰めようとする。私は槍をディーン様に向けて平行に構えたまま、素早く後ろに下がり距離を保つ。
だが次の瞬間、先ほどよりもさらに高速で一気に懐に飛び込まれる。放たれた剣をギリギリところで受け止めるがそれが私の限界だった。
重い一撃を受け止めた衝撃で手が痺れ、一瞬その力から解放されたと思った瞬間にはもう私の脇腹すれすれの場所にディーン様の剣がぴたりと止まっていたのだ。
「まいりました……」
たとえ色々な制限がある模擬戦でも相当な実力差がある事はカーライル邸での闘いを見て、いや、それより前から認識していた。
でも、たったの一撃すら受け止められなかった事に少なからずショックを受けた。不甲斐なくて、悔しくて目頭が少し熱くなってしまう。
「大丈夫か?」
「うぅ! 簡単には勝てない事はわかっていましたけどっ! 不甲斐なくて……」
「エリカ君……君って本当に負けず嫌いなんだね」
「ところで、勝負に負けたんだから義務は果たせよ? ……学園祭が終わったら遠乗りに連れて行ってやるから付き合え」
「え!? いいんですか? やったー!! 私はてっきりケーキ五個くらい奢らされると思っていたんですが……」
負けたのに、前から行きたいと思っていた遠乗りに連れて行ってもらえるだなんて。さっきまでの悔しさが嘘のように消えていったのだ。