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8孤児院を訪ねる

 そして楽しみにしていた孤児院を訪問する日がやって来た。私は一旦バトーヤの屋敷に帰り、料理人にディーン様へのお詫びの品の用意をお願いした後に着替えをする。孤児院を訪ねるのであれば、服装は出来るだけ地味な物がいい。でも、田舎とはいえ領主の娘で孤児院の運営費を出資している家の娘なのだからみすぼらしい服装も駄目だ。その辺りの塩梅が難しい。

 手持ちの服の中から、装飾の少ないブラウスと濃い青のスカートを選んで踵の低い靴を履く。孤児院は王都の中にあるのだが、院の周囲は舗装されていない道だとセドリック君から聞いたのだ。

 兄にこれから向かう事を告げると、院長先生への手土産を渡される。中身は必需品の紙や筆記用具だった。

 子供達にあげるのなら、お菓子などを持って行った方が喜ぶだろうが、定期的に渡すつもりが無いのであれば嗜好品を軽い気持ちで持って行くのはあまりいい事ではないというのが我が家の考えだ。必需品を渡せば、繰り越して余った資金については院長先生の裁量で使えるという訳だ。

 私はそれらをしっかりと抱えて馬車で孤児院へ向かう。もちろんセドリック君も一緒だ。たどり着いた場所は王都の中でも端の方に位置して所々田畑が広がっている地域だった。


「王都の中でもここは土や緑の匂いがするのね、なんだか新鮮……というか懐かしいわ」

「そうですか、僕も一度ノースダミアに行ってみたいですね。僕は王都から出た事がほとんどありませんから。先日サイアーズに行ったのが初めてかもしれません」

「馬車で十日もかかるもの、学生のうちは帰れないかもしれないわね」

 そんな話をしていると、一軒家よりは大きな木造の建物が見えてくる。かなり古そうだが、所々新しい木材で修復された跡があり、管理はきちんとされているという印象だ。手作りの柵で仕切られた敷地の中では卵を産ませるために飼っている鶏が自由に歩き回っている。そして、それを追いかける子供や庭の木に登っている子供もいる。

 ある子は笑顔で、ある子は喧嘩をしてしまったのか泣きながら、ある子は何かに腹をたてながら。そして、そのうちの一人がセドリック君の姿を見つけて駆け寄ってくる。


「セドリック兄ちゃんだ!」

「あっ! ホントだ」

「兄ちゃん、お帰り!」

 走って来た小さな男の子の一人が、セドリック君の腕に絡み付いて抱っこをせがむ。セドリック君がそれに応じて持ち上げると、同じ年頃の子が両手を広げて僕もしてほしいと主張する。

「ずるいぞ! 僕も抱っこ!」

 いくら小さな子であっても、二人の人間を抱きかかえるのは大変だろう。でもセドリック君は嫌がる様子も無く一度膝をついて抱きついて来たもう一人の男の子をしっかりと支えながら立ち上がる。


 セドリック君は普段冷たい素振りを見せるし、入学当初は私達と距離を置こうとするようなところがあった。本当は情に厚く優しい人だという事はもちろん知っている。ただ、いつも無表情なのに対し、今日は眼鏡の奥の瞳も、口許も、穏やかに歪んでいる。

 セドリック君の笑顔に思わずこちらまで笑顔になるが、私が笑っている事に気がついた彼は少しムッとしていつもの無表情に戻ってしまった。

 なんだかすごく勿体ない事をしてしまった。


「おねーさんは、だれなの?」

 セドリック君の近くを歩いていた女の子が私に尋ねてくる。

「えっと、セドリック君と同じ学校の友達で、エリカです。よろしくね」

「わたし、マリー! 五さいなの!」

 マリーも二人の男の子同様にセドリック君に抱っこをしてもらいたかったようだ。しばらくためらった後に、私の腕にぶら下がってくる。セドリック君に抱かれている二人の方が年下だから譲ったが、本当はマリーもしてほしかったのだろう。


 建物の前まで来たところで、子供達の声で私達の到着に気がついた院長夫妻と思われる初老の夫婦が出迎えてくれる。

「ようこそお出でくださいました。エリカお嬢様」

 院長先生は負傷によって退役した武官と聞いていたが、カーライル将軍と同じくらい体が大きい。足に障害があると聞いているが、鍛錬か農作業のせいなのかはわからないが現役の武官と同じくらいの筋肉を維持しているように見える。そしてかなり強面で、声が低い。隣にいる院長婦人がふくよかで温和そうな印象である事と、セドリック君から人となりを聞いていた事で何とか笑顔を維持出来たが、知らずに出会ったら失礼ながら顔が引きつってしまったかもしれない。

「さぁ、先生達はお客さんとお話があるから、お前達はまた遊んできなさい」

「はーい! おねーさん、あとでマリーと遊んでくれる?」

「ええ、後で行くから待っていてね?」

 幼い子なら聞いただけで泣き出しそうな迫力のある声に対し、馴れているマリーは笑顔で返事をして年下の男の子二人の手を引き庭の方へ走っていく。


「お忙しいところ、押しかけてしまって申し訳ありません」

「いいえ、セドリックがお嬢様を連れてくるなんて意外でしたが、親としては嬉しい限りです。こいつは無愛想で偏屈ですから、育ちのいい方々と上手くやっていけるか心配だったんですがね」

 孤児院の中を案内してくれる院長先生は、やはり足を引きずりながら歩いている。足を悪くして引退したというのは本当だったようだ。最初は少し怖かったがいくつか言葉を交わすとその印象も和らいでいく。

「それは大丈夫です! セドリック君は知的眼鏡男子として学園の女子に人気があるんですよ」

「エリカ様、余計な事は言わないでいただけますか?」

 セドリック君がとても嫌そうな顔をしている。確かに親の前で異性の話は恥ずかしいだろう。少し配慮に欠けていたかもしれない。


 この施設では現在約二十人の子供達が暮らしている。農作業をしながらある程度の年齢になると読み書きを教わり、働ける年齢になればここを出て行く。

 知識として知ってはいたが、貧困層での『働ける年齢』というのは私達とほぼ同じ年齢だ。

 セドリック君は、こちらに帰って来た時には院長先生と一緒に読み書きや計算を教えているらしい。読み書きはもちろんだが、細かい計算が出来る事で働き口が一気に増えるからだ。

 建物の内部を一通り見終えると、先ほどの庭に出る。相変わらず小さな子供達は楽しそうに遊んでいるが、その横で、十歳前後の男の子達が剣を振るっていた。

 一通り案内し終えた院長先生は、これから剣術の指導をすると言って私達の側を離れる。セドリック君が一緒にいるので後は私の好きに見させてもらう事になった。


 さっそく剣術の稽古に加わった院長先生が十歳くらいの男の子を容赦なく吹き飛ばす。急いで立ち上がった少年にまた重い剣を振り下ろし、受け止められなかった少年が膝をつく。

「随分と厳しいのね……」

 私自身も武術をたしなむ身だから、悲鳴を上げたりはしなかったが、正直子供にここまでするのかと疑問に思うほど院長先生の剣には容赦がない。

「はい、エリカ様。この院に限った話ではないのですが、孤児のうちかなりの人数が一般の兵として志願する事になるんです。院長の指導が過酷なのはそのせいです」

 身元の保証が無い孤児が安定した職に就くのは大変な事なのだ。すぐに生活出来るだけの給金が貰える職は限られている。それで男の子は一般の兵として志願する者が多いという事だ。


 ハーティアではここ数年、大きな戦や内乱は起こってない。それでもたったの数年の話だ。そしてつい先日も下手をすれば内乱になる火種をこの目で見たばかりだ。

「僕は文官になりたいんです。最初に犠牲になる一般の兵を守れるのは――――戦を事前に防ぐのは、文官の仕事でしょう? もっとも、戦がなければただの兵が出世する事は出来ませんので、それが僕の兄弟達のためになるのかわかりませんが」

 ここで同じように育った同世代の友人達はもう巣立っていってしまったのだろう。セドリック君は彼なりの方法でその人達を守ろうとしているのだ。

「今だから言えますが、僕はエリカ様のように家族に大切に守られて家柄にも才能にも恵まれている人間が嫌いでした。それだけで憎いと思えるほどに」

 その言葉は決して私を非難するものではないはずだ。けれど、後ろめたさで心が抉られるように苦しくなる。

 人から与えられるままに、望まなくても豊かな生活と知識を手に出来てしまう私と、もがいても決して手に入らない物だらけという生活の中で必死に上へ行こうとしてきた彼とでは、あまりに違いすぎる。


「今日はどうして誘ってくれたの?」

「僕も誰かに僕自身の思っている事を知ってほしかったからです。……前にも言いましたけど、あなたの事は友人だと思っていますから」

「うん! ありがとうセドリック君」

 私がそう言うと、セドリック君は照れ笑いを浮かべている。セドリック君がこんなふうに笑っている事そのものが貴重だが、それが私に向けられているのは本当に初めてかもしれない。


 その後、私は約束通りマリー達と一緒に遊んだ。つるつるの泥団子を作ったり、雑草で冠を作ったり、田舎育ちの私は面白い遊びをそれなりに知っているのだ。

 マリー達と遊びなから、私は自分の将来について考えなければと思っていた。

 今の私にはセドリック君のように強い思いや目的があるわけではない。

 もちろん私にも守りたい人や力になりたいと思う人は沢山いる。田舎とはいえ領主一族に生まれたという責任も理解しているつもりだった。

 けれども、たった一度セドリック君に現実を見せられただけで、こんなにも世間知らずでいたらない自分の事が恥ずかしくなる。その程度の理解だったのかもしれない。

「ねぇ、セドリック君。またセドリック君の見てきたものを私にも見せてくれる? 私は本当に世間知らずで……、でももう皆に庇護されるだけの人間じゃいけないもの」

「いいですよ。エリカ様のそういうところは嫌いじゃありません」

 たぶん、その言葉は彼としては最上級の誉め言葉だ。

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