7ディーンの超不運
外では人目に付くので、レイ先生の研究室を借りる事にして、私はとりあえず弁明に追われていた。
「エリカ君、君は人の話を聞いていたの? ご自慢の記憶力はどうしたんだい?」
「いや、でも断れなくて。それに相手の真意がわからないのが気持ちが悪いし、いっそ思惑に乗るのもありかなぁと」
「何を言っているんですか! 全く『あり』じゃありませんよ。エリカ様」
セドリック君が大きな声を出す事なんて今まで無かった。そして、大きくため息をついてから言葉を続ける。
「でも、今回は僕も悪かったですね。僕とエザリントン先輩が親しかった事を話したから余計に断れなかったんですよね?」
「セドリック君の事が頭の片隅にも無かったと言ったら嘘だけど、それだけじゃないの。……私は出来れば今の学園の雰囲気を変えたいと思っているし、そのために利用……いいえ、少し協力するくらいはいいと思ったんだけど……」
今回の件で王太子殿下と親しい私とエザリントン先輩が対立関係には無いという事を周囲に伝える事が出来た。人の心を変える事は出来ないが、表面上だけでも嫌がらせを封じる効果はあると思っている。
これがもし兄だったら、少しでも怪しいと思う相手なら煽って踊らせて排除するだろう。でも、それでは駄目だと思っている。エザリントン先輩の目的が、本当に学園内での立場を強くする目的だけで私に近づいたとして、もし先輩を拒絶したらそちらの方が後々の火種になりかねない。さらにこの話は先輩一人だけの話ではなく、立場を同じくする他の学生達への意思表示にもなる。
私はその考えを殿下達に伝えると、あまりいい顔はしてくれなかったが、有効性は認めてくれた。
「それで、エリカ様はあの人から他に何か聞けたんですか?」
「それが、異性として興味があるから近づいただけだーとか言って誤魔化されちゃって……なんとなく苦手だわ。あの先――――」
ドンっという大きな音が私の言葉を遮る。私の隣に座っていたディーン様が思いっきり作業台の上に拳を振り下ろしたのだ。
「…………あの?」
皆の怒りのピークはすでに去ったのだと思っていたのに、今まで無言だったディーン様がやけに真剣な表情で私を睨む。はっきり言ってめちゃめちゃ怖い。
何となく殿下とセドリック君には相当絞られるだろうと予想していたのだが、ディーン様は話せばわかってくれそうな気がしていた。
予想が外れて戸惑った私は思わずライラに助けを求める。
「少し危機感が無さすぎて、さすがに庇えません!」
ライラにまで冷ややかな視線で睨まれた私は、本当に孤立無援だ。
ディーン様が突然、無言で私の右手首を掴み、強い力で私の腕を後ろ側にひねって拘束する。
「痛っ!! 何……?」
右手だけ後ろに回され関節を曲げられているために身動き出来ない。その状態のまま、いつもより低い声が耳元に響く。
「お前、男の力で抑えられて、逃れられるのか? いくらなんでも危機感が無さすぎるぞ!!」
なぜこんな事をされなければいけないのか理解出来ない私は、彼から逃れようと必死になるが、無理に動かすと関節が変な方向に曲がってしまいそうで力任せでは到底無理だ。
どうやら、この拘束から逃れられる事を証明しなくていけないらしい。女だからといって馬鹿にしないでほしい。私は売られた喧嘩は買う主義なのだ。
こんなひどい事をするディーン様に腹が立ったという事もあり、最終兵器を使ってしまおうと決心する。
私はディーン様の拘束から逃れようとする振りをして、拘束されてない左手を制服のスカートの中に入れる。ディーン様の位置からは見えないが、セドリック君とレイ先生はぎょっとした顔をしているが気にしない。私だって緊急事態でなければ足をさらしたりしない。
そして完全に死角になる位置からディーン様に向けて魔槍を展開する。
「ぐっ!!」
背後で呻き声がして掴まれていた手が自然に離れて自由になるのを感じる。
「ほら、逃げられましたよ! 私を普通の女の子と一緒にしな――――って、あれ? ディーン様?」
私が勝ち誇って振り向くと、ディーン様が真っ青な顔をしてうずくまっていた。当たり所が悪かったのだろうか。
「エリカ君……えげつない。ディーンも彼女に普通の反応を期待するのが間違っているよ」
「酷すぎます。急所ですよ」
「エリカ、一番心配してくれている人にそこまでしなくても……」
三人から次々と非難の声が浴びせられる。男性陣は真っ青になってディーン様を見つめ、ライラは思いっきり視線を逸らしている。急所というのはつまり――――。
「わぁぁぁっ!! ディーン様、わざとじゃないんです。ごめんなさいっ!」
私は慌てて彼に駆け寄り、様子を確認しようとする。ダラダラと額から流れる汗を、せめて拭ってあげようと手を出すと強い口調で止められてしまう。
「くっ、寄るな、さわるな…………」
うずくまったままのディーン様は額に汗をかいて苦しそうにしている。殿下からそのままにしておくように言われて私はどうしていいかわからず、とりあえず少し距離をとって立ち尽くす事しか出来ない。
「まじで、こっち見るな…………」
私には一生理解出来ない痛みだと思うので、ちょっとした好奇心で遠目に観察をしていたら、とんでもなく嫌がられる。
ディーン様の回復を待つ間、私はレイ先生にまで怒られる事になってしまった。学園内で魔術を使った事と、男性の急所を狙った事。急所については狙った訳では無くディーン様がたまたま長身だったから当たってしまったのだと言ったら雷撃が飛んできた。
先生が男性の急所がいかに痛いか、かつ大切な物であるかという事を医学的に語り始めたところで、これ以上さらし者にするのはやめてくれと懇願するディーン様のお陰で話は終わった。
「とにかく、お前はカルヴィン・エザリントンとは極力関わるなよ!」
「え? でも私、相手がディーン様でも逃れられるって証明しましたよね?」
エザリントン先輩の腕前は知らないが、割と細身だし武術よりも学問という雰囲気の人だと思う。この学校で一番強い生徒は間違いなくディーン様なのだから、そのディーン様の拘束から逃れる事が出来た私の実力を認めてほしい。
「まだ言うか! 全然わかってねぇ」
「エリカ! 本当にあなたは女の子としての危機意識が欠けていると思います! 今回はディーン様の言う通りにしてください」
ライラがそう言うなら、そうなのかもしれない。私が大人しく頷くとディーン様がより一層不機嫌になる。
「俺の言う事は全然聞かねぇくせに…………!」
「ディーン様? 今日はいつもに増して怒りっぽいですね。もしかして糖分不足なんじゃないですか? 今度お詫びの品を贈りますね」
「いらん!」
まだ本調子ではないのだろうか。ディーン様は作業台に肘をついて頭を抱えている。いらないと言ってもお菓子なら絶対に受け取るくせに。今度の休日は、孤児院を訪ねる前におそらく一旦家に帰る事になるだろうから、料理人に頼んで珍しいお菓子でも作ってもらう事にしよう。
そして、結局エザリントン先輩については無理に遠ざけようとはしなくてもいいが、絶対に二人きりにならないように念を押された。
ディーン様は自分がいない時はセドリック君と一緒にいるかレイ先生の所に行くようにとやたらと過保護に命令してくる。私もあの先輩と二人になるのは何となく嫌なので異論はなかった。