4弟弟子~おとうとでし~
ハーティア王立学園は十五歳から十八歳までの良家の子息令嬢が通う学園なのだが、最近になって一般庶民にも入学の機会を与えるようになった。
書類を提出するだけで入学が許される私達とは違い、厳しい試験と身分の高い者からの推薦や後見がなければ入学が認められないため、かなりの狭き門ではあるのだが……。
そして、我がバトーヤ家は本年度から一人の学生の後見を務めている。
その学生の名前はセドリック・ダリモアという名の少年で、兄が出資をしている私塾で特に優秀だったため、我が家が後見となり学園に通わせる事になったそうだ。
きっと将来は私の兄、アーロンの右腕……という肩書きでこき使われるに違いない。
兄や父からは庶民の少ないこの学園で快適に過ごせるように手助けしてあげなさいと頼まれていた。
彼とは入学式と実力試験を終えた後、教室でさっそく顔を合わせる事になった。
初日からレベルの低そうな生徒に絡まれている真っ最中だったのだ。
「なぜ俺が、庶民の隣なんかに座らなければいけなんだ! どけ!」
セドリック君は栗色の髪の細身の少年で、黒い縁の眼鏡を掛けている。眼鏡のレンズが反射して、私の位置からその表情は読み取れないが、レベルの低そうな男子生徒に絡まれても無反応を貫き通すつもりのようだ。
だが、逆にその事が相手の怒りを助長させる事に繋がった。セドリック君はそうなる事がわかっていてあえて無視をしているように見えた。
「何とか言ったらどうなんだ!?」
「…………」
ここは後見をしているバトーヤ家の一員として、黙って見過ごす訳にはいかない。私は揉めている場に単身で乗り込む事にした。
「ちょっと、そこのあなた! 彼……セドリック・ダリモア君は私の家が後見になってここにいる事が許されているのだけど、文句があるのなら……」
「なんだ? お前がどうにかするという事か?」
「いいえ。聞くだけなら聞いてあげてもいいけど、私には何も出来ないわ。権限が無いもの……馬鹿じゃないの?」
「はぁ? ふざけているのかっ!?」
レベルの低い男子生徒が、私の方へ向かってくる。そこで初めてセドリック君が顔を歪め感情らしきものが伺えた。彼はなぜか私の方を睨んでいる。睨むなら男子生徒の方を睨んでほしい。
男子生徒が今にも私に掴みかかりそうな勢いだが、そんな事でひるむ私ではない。
「だから、文句があるのならこの制度を作った人か彼を退学に出来る権限のある人間に言ったらどうなの? 彼や私に言ったって全く無意味で時間の無駄でしょう? そんなの当然の事少し考えればわからない? あなたこそ、ふざけているとしか――むぐっ――――!!」
いつの間にか現れたライラに口を塞がれる。
さらに後ろから制服のベストを引っ張られ、教室の外へと無理矢理連れ出される。
ベストを引っ張っていた人物は、カーライル様だ。
「エリカ、危ない事はしないでください!」
「お前みたいな馬鹿が乗り込んで行っても悪化するだけだろうが」
「むぐーっ!――――ぷはっ。カーライル様っ! 馬鹿ってなんですか、馬鹿ってっ!」
ライラの拘束から逃れ、私はこの失礼な男に抗議する。
「事実だろ? ……もっと適任がいるんだから任せとけばいいって」
「適任?」
私の疑問はすぐに解消される。教室を覗くと先程の男子生徒の前に王太子殿下が立っていた。
「君はアントン・ヒューム君だったかな? 私でよければ話を聞かせてもらうよ?」
王太子殿下はあくまで柔和な表情だが、私からすればちょっと怖い。
「いいえ! そんなっ! 王太子殿下に聞いていただくほどの話など何も……」
突然王太子殿下から話し掛けられるとは思いもしなかったであろうアントン・ヒュームという生徒はかなり戸惑っている様子だ。
「そうそう、エリカ君が話していた『制度を作った人』? 私も一枚噛んでいるのだけれど、何か不満があるならぜひ聞かせてくれるかな?」
「いいえ! ふ、不満など全くありません!」
「そうかい? 私は王太子という立場だが、少なくとも学園にいる間は皆と対等でありたいと考えている。……ヒューム君もぜひそうしてくれないだろうか?」
これは効果的だが、矛盾した狡い手だと思う。対等でありたいと言っているが、やっている事は強制だった。
自分より弱い立場の者に対して親の身分を笠に着て横暴な振舞いをする事を許さないと、自身はちゃっかり王太子という身分を利用して他者に強要しているのだから。
「はい……」
「ありがとう。お互いに楽しい学園生活が送れるといいね。……じゃあ、ダリモア君は私と一緒に来てくれるかい?」
「はい、殿下」
セドリック君は何故自分が呼ばれるのかわからないといった様子だが、殿下の言葉に素直に応じる。
「なんか、既視感を感じるわ」
昨日の私を思い出す。私も彼のように間抜けな顔で狼狽えていたのだろうか。
「がはははっ。昨日のお前だろ?」
わかっているのでイチイチ指摘しないでほしい。脳みそ筋肉ことカーライル様は私を不愉快にさせる名人のようだ。
武官の名門出身で精悍な顔立ち、さらに長身の彼は、デリカシーさえあれば物語のヒーローになれそうなのだが勿体ない。
カーライル様とそんなやり取りをしていると、王太子殿下とセドリック君がこちらにやって来る。
「お待たせ。……ダリモア君、知っているかもしれないけど、彼は私の幼馴染で護衛兼お目付け役のディーン・カーライル。それとエリカ君とは顔見知りなのかな? もう一人の彼女はエリカ君の同室でライラ・ローランズ嬢。彼女も私の幼馴染みたいなものだ」
「エリカ様とは初対面です。彼女の兄上にはお世話になっていますが……まさか乱入してくるとは思いませんでした。男子生徒相手にあんな事言うなんて危険ですし、はっきり言って迷惑です」
眼鏡の越しに見える瞳は榛色で、怒りを隠そうとしないその瞳がまっすぐ私に向けられている。
「何ですって? 私は兄様からあなたが困らないように助けなさいって頼まれているんだから!」
私にはバトーヤ家の者として彼を守る役目があるのだ。本人が嫌がろうが知った事ではない。
「だから、余計なお世話です。僕だってアーロン様から常識の無い田舎娘のじゃじゃ馬が問題を起こさないように監視しろって言われています」
私の脳みそが沸騰した。だがこの場合彼に怒りをぶつけていいのか、彼にそんな情報を与えた兄にぶつけるべきなのかと迷い、次の言葉が出てこない。
「エリカっ! エリカが危ない事をしたのは事実でしょう? 女の子なんだから、男子生徒に喧嘩を売るような事はしないでください……」
次の言葉を探していると、思いつくより先にライラに窘められてしまう。ライラは私より背が低い。眉間に少し皺を寄せ上目遣いで潤んだ菫色の瞳で見つめられたら、本当に同性でも悩殺される破壊力だ。
私は彼女を思いっきり抱きしめた。
「ライラ! か、可愛い……。ごめんね、ライラがそう言うなら危ない事はもうしないわ!」
「エ、エリカ……恥ずかしいから離して……」
真っ赤になって抵抗するライラをそれでも堪能していると突然、脳天に衝撃が走る。カーライル様に教科書で叩かれたのだ。同時に王太子殿下がライラの腕を引っ張り二人の体は離された。
「……お前、正真正銘のアホだな」
カーライル様がとんでもなく白い目で私を見ている。軽くであっても女の子を叩くなんてひどい男としか言いようがない。私は頭を押さえながら睨む。
「エリカ君のせいで脱線してしまったね。ダリモア君、君にとっては不本意だろうけど出来るだけ私やディーンを頼ってくれないか? 身分の高い者と一緒にいれば理不尽な事を言われずに済むだろう」
「ですが、僕は……」
「利用できるものを利用しないのは本当の馬鹿だぞ。将来国の中枢で働きたいと思うのなら余計に……今後もこういう世界で生きていくんだから」
なぜだがカーライル様がすごくまともな人に見えた瞬間だった。背が高くて同じ年に見えないせいだろうか? 彼の発言にはとても説得力があるのだ。
「……わかりました。よろしくお願いします」
「私も頼ってくれていいわよ! 私にとってセドリック君は弟弟子みたいなものだし、バトーヤ家の一員として私にはあなたを守る義務がある! もちろんライラに心配掛けるような事はもうしないけど」
「それは嫌です」
「はぁ? なんで!?」
「馬鹿は嫌いだから」
「何を言っているの? 私はセドリック君より先に兄に師事して才能を認められているのよ? 馬鹿じゃないわ」
「エリカ……」
「エリカ君、自己分析は大切だよ」
「万が一勉強が出来たとしてもお前が馬鹿って事には変わりないと思うぞ」
ライラ、王太子殿下、カーライル様がそれぞれ痛々しい者に向けるような視線で私を見てくる。彼らはなぜだか私の事を誤解しているようだ。
「そこまで言うなら、勝負しませんか? 今日の試験の結果で」
セドリック君が私に挑発するようななまなざしを向けて勝負を申し出る。
「なるほど。負けた方が勝った方の下僕になるという事ね? そういうの嫌いじゃないわ」
「下僕って……別にそこまでは言っていませんけど、あなたが黙ってくれるのなら、それでいいです」
勝負事は嫌いではない。私は結構負けず嫌いだし、勉強は得意だ。
でもいいのだろうか? 実は今日の試験ではわからない問題が一問も無かったのだ。計算ミスや解答欄の書き間違えがなければ全教科満点のはずだ。
全教科満点だったとしたら、私は最初から負ける訳がない事を知っていて勝負に乗った事になる。それは勝負ではなくて詐欺ではないだろうか。
その事を正直に告げると男性陣から失笑されてしまった。カーライル様は昨日から私をネタにして何度も大爆笑していたのでいまさらだが、他の二人にまでそんな事をされるとは思っていなかった。
正直かなり腹が立つが、結果の出る明日まで待って証明するしかない。