5セドリックの昔話
初めての読み合わせから一夜明け、朝食を取り終えて一旦寮へ帰ろうとしていた私の所へセドリック君がやって来る。
「エリカ様、お話しがあります。少しいいでしょうか?」
セドリック君から私に話し掛けてくるなんてかなり珍しい事だ。あまり周囲に聞かれたくない話なのか、食堂から外に出て外に置かれている古めかしいベンチに腰を下ろす。
「どうしたの?」
「昨日、カルヴィン・エザリントン先輩に会ったそうですね……」
きっとディーン様から聞いたのだろう。だが、セドリック君がその事を気にする理由がわかならい。
「彼は、僕と同じ孤児院の出身なんです」
「えっ? 孤児院? セドリック君の家は王都にあるって……」
「王都にある孤児院です。今の両親は養子として迎えてくれたので……エリカ様はご存知無かったのですか?」
私は首を縦に一回動かす。本人があまり家の事を話さなかったので、セドリック君の生い立ちや家族についてはよく知らない。兄はよく知っているのだろうけど。
「エリカ様、カルヴィン・エザリントンはエザリントン家の前当主が外に作らせた子で、正式な妻に子が出来なかったために引き取られたんです。それまでは僕と同じ孤児院にいました」
王太子殿下の見せてくれた資料によれば、先輩の父親は罪人用の腕輪の持ち出しに関与した事で罰せられた。本人の王宮での身分は剥奪され、領主としての地位についても退いている。領地は混乱を防ぐために先輩の叔父にあたる人物が新たに領主となって治める事になった。だからセドリック君は『前当主』という肩書を使ったのだ。資料には彼の生い立ちまでは記載が無かったが、それがどう私と関係しているのだろうか。
「それと、今回の件とどう関係が?」
「はい。エリカ様……というよりバトーヤ家が殿下以上に恨まれているかもしれないという事です。あの人に」
セドリック君は眼鏡の奥に少し寂しそうな瞳を隠しているように見えた。もしかしてエザリントン先輩とは親しかったのだろうか。
そしてセドリック君は彼自身の事、先輩の事を私に聞かせてくれる。
セドリック君やエザリントン先輩がいた孤児院は私設でかなり劣悪な環境だったそうだ。働ける年になったら過酷な労働現場に売られるような形で本人の意思に関係なく働きに行かされる。そんな場所だった。
孤児院にいる子供達の中で、エザリントン先輩はとても賢くセドリック君と二人で施設の大人達から隠れるようにして文字を覚えた。もし見つかったら「そんな事をする暇があれば農作業を手伝え」と殴られるのがわかっていたからだ。
セドリック君は赤子の時に施設の前に置き去りにされていた完全な捨て子であるのに対し、先輩は母親も父親もはっきりとしていた。もっとも母親は先輩が施設に来る直前に亡くなったのだが。
「僕が星祭りに行きたくないのは、祭りの日は財布の紐が緩くなり人も多いという理由で、寄付を募るための見世物にさせられた記憶しかないからです。…………物乞いですよ、まるで」
毒を吐き出すようにセドリック君が口にした言葉を私はただ聞く事しか出来ない。田舎育ちとはいえ、家族から愛されて何不自由なく育った私の事をセドリック君はどう思っていたのだろう。それを想像するのが怖い。
「何でも顔に出す癖は直した方がいいですよ。正直に言えばエリカ様の事を最初は少し妬ましいと思っていまいました。今では『お仕えすべき方と友人の中間』だと思っていますので。……話がそれてしまいましたね」
そしてある日、先輩の父親が迎えに来た。セドリック君はその時、見た事もないような上質な服を着た大人達が数人やって来て豪華な馬車に先輩を乗せて連れて行ったので、彼は本当の父親の所で幸せに暮らすのだと感じたそうだ。
先輩が孤児院を出た直後、施設に新米の文官がやって来た。それが、私の兄であるアーロンだった。
孤児院は上流階級からの寄付や国からの補助金で成り立っているので文官が視察に来る事はおかしな事ではない。だがセドリック君の記憶によれば、今まで国の担当者が実際に視察に訪れた事は無かったのだという。
「今ならわかるんですが、施設の院長が集めたお金を着服していたんですよ。国の役人は賄賂でも貰っていたのかもしれないですね。きっと書類だけで健全に運営されていると報告していたんですよ」
兄が後任となってから、孤児院の院長が急に代わったそうだ。新たに運営者となった人物は退役した元武官とその妻で、現在のセドリック君の養父母という事だ。見た目は怖く、片足を負傷して引きずっているがとても優しい養父なのだという。
新たに運営者となったダリモア夫妻は農作業もするが、子供達に読み書きや計算を教えた。そして少しでも安定した生活が出来るように巣立っていく子供達の職探しにも力を注いだ。
私は詳しく知らなかったが、現在この孤児院の運営費の多くはバトーヤ家が出しているそうだ。
父や兄が領地でも王都でもいくつかの慈善事業をしている事は知っていたし、領地の方で行っている事業については私も把握していて時々母と一緒に慰問などをしていた。セドリック君が兄の出資している私塾で学んでいた事は聞いていたが、バトーヤ家が資金援助している孤児院の出身という事までは知らなかった。
「入学当初、エザリントン先輩から話し掛けられた事があるんです。孤児院の現状を僕から聞いて一度見に来てくれました。彼は、なぜもっと早くアーロン様のような方が来てくれなかったのかと嘆いていました。そして、アーロン様やエリカ様の事が気になっている様子でした。僕の事が妬ましいとも言っていましたよ、冗談半分でしたが……」
「でも、先輩はエザリントン家――サイアーズの東にあるグストリム領の領主に引き取られたのでしょう? サイアーズほどではないにしても、あそこも豊かな港町で……」
実の父親に引き取られて、その父と一緒に裕福で幸福な暮らしをする事が出来ているとしたら、その後の孤児院の運営が改善された事を嬉しく思わないのだろうか。だって、一緒に過ごした兄弟のような存在がそこにいるのだから。
「裕福な親がもし少しでも子供に愛情を感じていたのなら、あんな所に子供を置いていく訳がありませんよ。日々の食事に困る生活が幸福だとは僕には思えませんが、裕福であればそれだけで幸福だとも思えません」
つまりセドリック君の今の生活を知って嫉妬するくらい、エザリントン家ではひどく扱われていたという事なのだろうか。
「先輩がどういうつもりなのか、本当のところは僕にはわかりません。でも元々因縁があって気になる存在だったバトーヤ家に親の罪を暴かれ、将来約束されていた地位を奪われたら……。僕から言わせれば逆恨みですが、恨まれている可能性は高いと思っています」
「セドリック君……」
「とにかく、気をつけてください。本当にあの人には関わらないでください」
「わかったわ」
エザリントン先輩が私に悪意を持って近づこうとしたのかはわからない。でも、殿下からは十分に注意するように言われているし迂闊な行動は控えようと気を引き締める。
兄弟のように育った先輩を疑うような真似をさせる結果となってしまい、私はセドリック君に対して申し訳ないと感じた。
「そうだ。今度の休日、孤児院に行ってみますか? アーロン様が支援してらっしゃる事業ですから、エリカ様も訪問してみたらいい経験になると思いますよ」
また顔に出てしまったのか、セドリック君が困った顔をした後に、いつもより少し優しい声で私に提案する。
もしかしたらセドリック君はあまり自分の過去を知られたくないのかもしれないと思っていた。でも、この半年で少しは私に心を許してくれたのだろうか。
誘われた事が嬉しくて私の沈んでいた心は一気に浮上した。