3シリルとカーディナの王子
※シリル視点です
サイアーズの港を発ってから丸二日、僕は海を隔てて南の大陸にあるカーディナの港に着いた。この国は南の大陸への玄関口で、大陸の他の国々から色々な物や人が集まってくる交易の国と言っていい。
昔からハーティアとカーディナは貿易が盛んに行われていて公用語も一緒なのだが、文化としては南方諸国の特色が色濃く、その中に少しだけ僕らの国の影響も垣間見えるという雰囲気だ。
港に降り立ち、僕は出迎えてくれた叔父や侍従達と一緒に今後の僕の住まいであるハーティア大使館に向かう。
港の周辺は市場になっていて、色とりどりのテントがひしめき合いごちゃごちゃとしているが、珍しい異国の商品が所狭しと並べられていて見るだけで楽しめる。
僕はつい、何かエリカや姉が喜びそうな物はないだろうかなどと色々な店を覗きながら歩く。
僕が行く先々で「ハーティアのお坊ちゃん、お土産はどうかい?」と客引きに声を掛けられ、バサールで買い物を楽しんでいる一般客も皆が振り返って僕の事を二度見している。
この国には様々な肌の色の人間が住んでいるし船が多く行き来するハーティアの人間は多い。それでも僕の銀髪とハーティア風の衣装はかなり目立つようだ。
自国でも髪と瞳の色からローランズ家の人間だとすぐにわかってしまうので、今さらなのだが。
港から徒歩で歩ける距離にハーティア大使館が建っている。この建物は完全にカーディナの伝統的な建築様式で建てられている。特徴的なのが白と灰色の二色の大理石によって縞模様になっている壁で、大使館だけでなく遠くに見える王宮もよく似た外観をしている。
ハーティアの建物は暖かみのあるオレンジ色の屋根瓦が特徴なのだが、カーディナの建物でまず目に入ってくるのはその鮮やかな色彩だ。屋根はドーム型になっていて鮮やかな青が好まれるそうだ。馴れるまでしばらくは落ち着かないような気がするが、街並みはとても美しいと思う。
カーディナには父の仕事に同行させてもらう形で二回訪れた事があった。久し振りに市場を見学すると、サイアーズ以上の活気と異国の独特な雰囲気に飲まれてしまいそうだ。
見学ついでにエリカと姉にあげる贈り物を選んでから叔父と一緒に大使館へ入る。するとすぐに使用人の一人が僕達の方へやって来て叔父に耳打ちをする。
何か急ぎの要件でもあったのかと思いながら二人のやり取りを見ていた僕に、叔父から急な訪問者の存在が告げられた。
「カーディナの第五王子であらせられる、バルトロメーウス王子殿下がいらっしゃっているそうなんだ」
叔父は苦笑いで僕に教えてくれる。王子殿下が他国の大使館に突然現れる事なんてあるのだろうか。
そんな僕の疑問に答えるように、叔父がバルトロメーウス殿下について少しだけ教えてくれる。
それによると、バルトロメーウス殿下は僕と同じ年でこれから学友となるらしい。カーディナの王は複数の妃を持つ事が許されていて子だくさんだそうで、全部で十三人の王子がいる。バルトロメーウス殿下の母君はあまり身分が高くなく、殿下に王位が回ってくる事はないそうだ。
これだけ王族が多いと力の無い王子は成人すると結構苦労をするらしい。将来王位を継ぐ兄殿下に仕える事が出来れば一番いいのだが、下手に政治に関わると野心ありとみなされる可能性もある。
そこで殿下は将来商人になるという可能性も考えて僕の叔父に色々と教わりに来ているそうだ。
「バルト様はちょっと変わっている方だけど、なかなか面白い人物でね…………」
そして僕たちは急いで応接室に向かう。船旅で疲れているから正直休ませてほしかったのだが、王族の一人が来ているのなら挨拶しない訳にはいかない。
応接室に入るとカーディナの衣装に身を包んだ少年がお付きの者に扇子で仰いでもらいながら優雅に果実水を飲んでいた。
「やあ、ヴィンス! 我が学友となるローランズの子息にさっそく会いに参ったぞ!」
ヴィンスとは僕の叔父の名前だ。叔父もこのお方の事を愛称で呼んでいるし、かなり親しいのだろうか。
バルトロメーウス殿下はカーディナでよく見られる健康的な褐色の肌、亜麻色の髪、そして少し赤みを帯びた茶色の瞳の少年で、僕よりは少し背が高く細身ながらそれなりに筋肉もありそうな方だった。
亜麻色の髪は右側面の一部だけが伸ばされ、色ガラスと金属で出来た飾りがいくつもつけられている。ハーティアでは男性がアクセサリーをつける習慣が無いため、僕からすると少し違和感がある。
彫の深い顔立ちだが、目元は人懐っこそうで、少し大きめの口からは真っ白な歯が覗いている。
僕は恥ずかしながら人見知りをしてしまう方だが、この方は不思議と大丈夫な気がする。
ただし、後ろに控えている護衛の青年は少し怖かった。
護衛の青年はエトさんという名前でディーン様と同じくらい背の高い人だ。そして、細身だがやたらと手足が長くて無愛想な印象だった。
「して、そなたがヴィンスの甥か? 名は何と申す?」
「お初にお目に掛かります。ヴィンス・ローランズの甥でシリルと申します。本日はわざわざのご訪問、心より歓迎いたします」
「シリルか……。私の事は『バルト』と呼ぶ事を許そう。『殿下』も要らぬぞ」
「バルト様。どうぞよろしくお願いいたします」
「ふむ……それにしてもシリルは本当に男か? 細すぎではないか!」
僕が一番気にしている事を何の躊躇もなく口にされた事で内心ムッとしたが、相手は他国の王族だ。顔に出してはいけない。
「お恥ずかしい限りです。実は幼い頃は病弱で今まではあまり武術などの鍛練をしていなかったのです。こちらでは勉学だけでなく立派な大人になるために武術もしっかりと身に付けたいと思っております」
「そうか! それでは学院が始まるまでの期間は私とエトが稽古をつけてやろう!」
何となくバルト様に対し不安を感じるが、カーディナでは強い男が正義であるとされるらしい。当然これから僕が学ぶセルファース記念学院という教育機関ではハーティア以上に武術の授業が多く、同級生はそれなりの腕前のようだ。
バルト様がなぜか僕に興味を持ったのかは全く謎だが、鍛練に付き合ってくれるというなら願ってもいない申し出だと思う。
「ありがとうございます。でもいいのですか?」
「継承順位の低い王子など、毎日暇で仕方がないものだ! シリルが気にする必要はない。大船に乗った気持ちでいたまえ!」
ドンと胸を叩き、自信に満ちた表情で宣言するバルト様の後ろで、叔父上とエトさんが困った顔をしていて、僕はさらに不安になった。
嵐のようなバルト様の訪問が終わり、僕は荷ほどきをしてゆっくりと食事や入浴をした後、早めに就寝した。二日間の船旅は思った以上に体に負担だったようで、考え事をする間もなく、すぐに瞼が重くなったのだ。
*****
「シリル! 朝だぞ!! 訓練の時間だ、起きろっ!」
誰かが僕の事を揺さぶる。僕は元々寝起きが悪いし毎日遅くまで勉強をして疲れている。きっとエリカが起こしに来てくれたのだ。エリカが僕を起こしてくれる時は甘えたくて寝たふりをする事がある。今日もあと少しだけそうしていようと寝ぼけた頭で考えていた。
「起きろ! 男子たるもの日の出と共に訓練あるのみ!」
絶対にエリカの声ではない低い声と力強い揺さぶりが僕を一気に現実へと覚醒させた。ここにエリカがいるはずはないし、エリカが僕の事を起こしてくれる事なんて、もうありえない事だった。
「バ、バルト様!? なんで僕の部屋にっ!?」
昨日帰ったはずのバルト様がなぜか僕の部屋にいる。寝ぼけた頭では状況が全く理解出来ない。おそらくバルト様によって勝手に開けられたと思われる窓から差し込む光はまだ弱く、日の出の早い夏である事を考えると相当早い時間だ。
「今日から、早朝の訓練を行う! 時間がないぞ、早く支度をするのだ!」
僕は彼の事をよく知りもしないでお願いしてしまった事を激しく後悔していた。絶対に暴走している。叔父やエトさんはどうして止めてくれないのだろう。もはや助けも来ないしバルト様に従うしか道はなく、僕は急かされながら身支度を整えた。
大使館の庭まで行くと、エトさんとバルト様が僕を待ち構えている。
「この国は暑いからな! 訓練をするなら早朝に限る」
バルト様がさわやか過ぎる笑顔でそんな事を言う。殿下は王宮に住んでいるはずだから、僕を起こすためにさらに早起きをした事になる。昨日出会ったばかりの僕のために一体どこからそんな熱意が出て来るのだろうか。
「よろしくお願いします!!」
とにかく僕はこの方についていくしかないのだ。腹をくくって彼らに指導してもらう事にする。
「では、まず走り込み五キロと腕立て百回、腹筋百回から始めましょうか」
「えっ…………」
エトさんがまるで訓練前の軽い運動だとでも言うように、本日の訓練内容を指示する。
大変まずい事になった。腕立て伏せは十回しか出来ないのだ。
そして何とか五キロの走り込みを終えて腕立て伏せを未知の領域の十五回までやったところで、僕は地面に突っ伏した。
「バルト様…………もう腕が上がりません…………ハァ、ハァ」
「シリル! 情けないぞ。まさかここまでとは思わなかった!」
「シリル様、気力で立ちなさい!」
エリカに勉強を教えてもらっていた時は、忙しかったが毎日楽しかった。ここへは修行のために来たようなものなのに、僕の心は二日目にしてもう折れそうだ。その前に疲労で腕が折れそうだ。
この日からバルト様は毎朝僕の寝室に現れるようになる。
最初の三日ほどはベッドから起き上がれないほどの筋肉痛で死ぬほど辛かったが、バルト様のお陰で学院が始まる前に腕立て伏せが連続三十回まで出来るようになった。
そして、僕の学院での新たな生活が始まろうとしていた。