2残った者
次の日、私とライラは初の読み合わせが行われる『白百合の会』の活動拠点となっている二年生の教室へ向かった。
教室に入ると二年生を中心としたメンバーが私達を歓迎してくれる。
会長のマーガレット・シーウェル先輩は二年生で、この『白百合の会』では上級生の事を『お姉様』と呼ぶのが通例となっているので、私達はマーガレットお姉様と呼んでいる。
マーガレットお姉様はクリーム色の髪を綺麗に編み込んで、少し垂れた青い瞳が優しそうな印象のなかなかの美少女だ。
「ごきげんよう。ライラさん、エリカさん」
「「マーガレットお姉様、ごきげんよう」」
私達が挨拶をして教室に入ると、手伝うと言っていた殿下の他、ディーン様とセドリック君も来ていて他のメンバー達と打ち合わせをしている。
昨日は特に言っていなかったが二人とも手伝ってくれるのだろうか。
ちらりと三人の方を見ると、ディーン様がやたらと不機嫌そうな事に気がついた。自由参加なのだからそんなに嫌なら手伝いなんかしなくてもいいのに。
「さぁ主役の二人も揃ったし、まずは読み合わせから始めましょうか」
「主役?」
「あらっ! エリカさんには言っていなかったけれど、ヒーローの騎士役はカーライルさんにお願いしましたの」
マーガレットお姉様が少しおどけた表情で私に告げる。
「えっ――――!!」
私は驚いてディーン様を凝視する。すると彼は思いっきり視線をそらしてしまった。明らかに乗り気じゃないのにどうしたのだろう。マーガレットお姉様はいったいどんな手でディーン様をおとしたのだろうか。考えて思いつくのはアレくらいしかない。
「お菓子で釣られましたか?」
「詮索すんなっ! ほっとけよ」
王都ではカーライル家の紋章入りの菓子を販売している店に行列が出来るほどだし、甘党の一族である事は誰もが知っている話だ。それでも、いつも冷静沈着な剣士を気取っているディーン様は、お菓子につられてやりたくもない劇の主役をやる事になった事が恥ずかしいのだろう。私はそれ以上の突っ込みを控えた。
「エリカさん達は演技の経験が無いのよね? まずは出演者で台本の読み合わせからはじめましょう」
マーガレットお姉様の指示で出演者が輪になって台本を読みながらセリフの練習を始める。演出や大道具を担当する他の学生達は近くで私達の様子を眺めている。
『まぁ、なんとすばらしいけんのうでまえ。あのおかたはなんとおっしゃるのかしら。ひかりのまじょライリー、あなたはしっていて?』
『姫様、あのお方は隣国の騎士ディーノ様でございます!』
『ああ、きしさまが、こちらへいらっしゃるわ。どうしましょう、わたくしはどうしたらいいの?』
『ウル、ウルワシキ……ヒメ、ド、ド、ドウカ、コノオロカナワタクシニ、シュ、シュ……シュクフクヲ!』
「「「…………」」」
『きゃあ。たすけて。ひかりのまじょ、きしさま』
『姫! なんという事でしょう! 姫が攫われてしまったっ!』
『ヒ、ヒ、ヒメ……イマオタスケイタシマス!』
「安易に人気者を起用した私が愚かでしたわ…………」
マーガレットお姉様が溜息混じりの感想をもらす。
「そうですね、集客力を優先した私の作戦ミスです。申し訳ありません、会長」
そう言ったのは副会長のイザベラお姉様だ。イザベラお姉様はグレーの髪と瞳をしていて、しっかり者という印象の女性なのだが、今私達を見つめる瞳は完全に失望の色に染まっている。
初めて演技をしてわかったが、自分と性格の全く違う人間を演じる事は私にとっては恥ずかしすぎた。私としては頑張ってやろうとしているつもりなのだが、抑揚をつけて話すことがどうしても出来ない。でも、はっきり言ってディーン様の方がもっとひどいと思う。
「しかし、会長! 女子生徒からの人気第一位のエリカさんと、二位のカーライルさんが出演しないとなれば大打撃です」
イザベラお姉様が指摘する。なぜ私が男子生徒からではなく女子生徒からの人気一位なのか微妙に納得出来ないが今はそれどころではない。
「エリカ君はダンスの練習の時に胡散臭い男装の麗人を気取っていたらしいのに、お姫様役は出来ないの?」
唐突に王太子殿下が私に尋ねてくる。
「おそらくですが、お姫様の性格が私とは違いすぎて上手くできないのだと思います。私は大人しく捕まっている性格ではないですし、気になる相手の名前を尋ねるのにいちいち恥ずかしがるという感情がいまいち理解できなくて…………」
「では、こっちの騎士の台詞なら言えるんじゃないかな?」
「え、えっと『あぁ、麗しき姫よ! どうかこの愚かな私に祝福を!』……という感じでしょうか?」
今度は自然に言葉が出る。そもそもこんな台詞を言うのは劇か物語のヒーローだけなので、それを自然と言っていいのかはわからないが。
「どちらかと言えば、今の台詞の方がよほど恥ずかしいと思うよ……エリカ君の基準がよくわからない」
「私にもわかりません…………私どうしたらいいんでしょう?」
「緊急会議を致します! 殿下にはぜひ、オブザーバーとして参加していただきたいですわ。そしてエリカさん、貴女は…………そうですわ! この書類を職員室まで持って行ってください。カーライルさんもご一緒に!!」
明らかに追い出された。だが、私達の不甲斐ない演技が原因なのでおとなしくマーガレットお姉様の指示に従うしかない。
職員室は教室のある建物とは別棟となっていて渡り廊下で繋がっている。
渡り廊下を進んで、二階にある職員室に行くための階段を上ろうとした時に、急に目の前が暗くなり私の体に衝撃が走る。誰かが私の上に覆いかぶさって来たのだ。私は突然の事に声も出ず、しりもちをついたまま人の重みに耐える。
後ろを歩いていたディーン様が焦った様子で覆いかぶさっている人物を乱暴に退け、私を立たせてくれる。
「怪我は!?」
「大丈夫ですが…………」
しりもちをついたのでお尻が少し痛むが、怪我をするほどではなかった。私はディーン様に退けられたまま呆然としている男子生徒の方を見る。黒いまっすぐな髪を肩まで伸ばした人で、藍色のタイをしている事で二年生である事がわかる。
黒髪の先輩は私達の顔を見て驚いていたが、やがて立ち上がり謝罪する。
「申し訳ない、怪我はない?」
「はい。あの、先輩。どうされたんですか?」
「押されたんだろ、……なぁ、カルヴィン・エザリントン先輩?」
「まぁね……、変なところを見られてしまったね」
その名前は昨日、殿下が私に見せた名簿に載っていた。ディーン様が誰もいない階段の踊り場をじっと見つめている。そこから誰かに押されたという事なのだろうか。私が階段の前を通りかかった時にはすでにエザリントン先輩が落ちてくる最中だったのでよく見えなかった。
「それって――――」
「エザリントン先輩、怪我は?」
私の言葉を遮るようにディーン様が先輩に確認する。
「あぁ、無いよ。本当にすまない。…………そうだ、バトーヤさんぜひお詫びをさせてよ」
声色は優しそうなのに先輩の深い緑色の瞳はまったく笑っていなかった。私は先輩が何を考えているのか理解出来ずに戸惑う。
「詫びなんて必要ありませんよ。行くぞ、エリカ」
ディーン様が先輩を睨みつけて私の腕を強く引っ張る。
「そう、それは残念。またねバトーヤさん」
早足で階段を上るディーン様に腕を掴まれているために先輩がどんな顔でそう言ったのか見えなかった。
マーガレットお姉様から預かった書類を提出した私達は教室へと戻る。
「いいか、あいつと関わるなよ。なんか信用出来ない。殿下にも後で報告しておく」
私は黙って頷いた。上級生と関わる機会なんてそうはないだろうから大丈夫だと思う。一度会っただけの人物を悪く言う事は控えたいのだが、私自身「信用出来ない」というディーン様と同様の感想をエザリントン先輩にいだいていた。
ぶつかったのは完全に偶然だと思うが、あちらも私の名前を知っていたし、ディーン様が先輩の名前を知っている事に関しても何の疑問も持っていない様子だった。必ずしも敵対しようと考えている訳ではないが、互いに意識している事をわかっていてあえて私を誘った理由は何だろう。わからないが、用心するに越したことはない。
「ただいま戻りました」
私が戻って来た事を告げると、マーガレット先輩が嬉しそうに目を輝かせていた。
「お帰りなさい、エリカさん。今ちょうど配役の見直しが終わったのよ」
「配役の変更ですか……」
「ライラさんが主役の姫、エリカさんがヒーローの騎士、カーライルさんには悪の黒騎士(無口)をお願いするわ! 休み明けまでにイザベラが台本を手直しするから待っていて。殺陣のシーンを盛り込んで派手な舞台にしましょうね」
なるほど、私が騎士でディーン様が悪の黒騎士(無口)ならば面白い舞台になりそうだ。私としてもお姫様役より、剣を振り回す演技の方が絶対に向いていると思う。
「わぁ! 楽しみですね。でも悪の黒騎士(無口)なんて台本にありませんでしたよね? イザベラお姉様、私達のせいで余計なお手間を……」
「いいの、だって断然楽しい舞台になりそうですもの」
台本担当のイザベラお姉様は普段あまり感情を表に出すタイプではないと思っていたのだが、マーガレットお姉様以上に燃え上がっていた。
台本の大幅な修正が入るため、次の練習は休日明けからという事になり、『白百合の会』の今日の活動は終了した。
*****
夜になって、私はシリルに手紙を書いた。
友好国であっても、他国に住んでいる人間に手紙を出すのは本来なら難しい。でも、ローランズ家はサイアーズの港を管理しているだけではなく、領主自らが船を持っていて貿易の仕事をしている。シリルからはローランズ邸に一度手紙を届ければ、そこからカーディナへ船荷と一緒に運んでくれると聞いている。
実は、カーディナとハーティアにはそれぞれ魔術による通信装置があり、国家間での至急の要件がある場合はその装置を使って声のやり取りが出来るようになっている。ぜひ私も使ってみたいが外交関係の至急の用件、海賊対策や海上での事故や災害時にのみ使われるそうだ。
時間は掛かるけれど、手紙のやりとりが出来るだけで十分だと思わなくてはならない。
『シリル・ローランズ様
素敵な贈り物をありがとう。クッションの柄も可愛いし、心が落ち着くいい香りがします。そして何より、シリルが心を込めて作ってくれた事が嬉しいです。
ライラと私はとても仲良くやっています。ライラからの手紙にも書いてあるかもしれませんが、同級生達とも自然な会話が出来ていると思います。
ライラの事を少し、女の子らしくなったと思っている同級生もいるようですが、そこは殿下とお付き合いを始めたせいだと皆、納得しています。殿下とライラの無自覚なイチャイチャが毎日見られてドキドキな学園生活を楽しんでいます。
そして今一番熱い話題が学園祭です。一年生は自由参加となっていて、何もしなくてもいいのですが、私はなんと白百合の会のお姉様方に誘われて劇に出演する事になりました。
今回、めずらしくディーン様も劇に出るそうです。私がヒーローの騎士、ディーン様は私に倒される悪の黒騎士で、とっても似合っていると思います。ちなみにお姫様はライラで、殿下とセドリック君も大道具のお手伝いをしてくれています。
学園では、星の日の政変で粛清された人達の親族が少し浮いてしまったり、中傷されたりという事があり、心配しています。でも、私やセドリック君が入学当初にされていた嫌がらせも、そのうち無くなり同級生と仲良くなれた事を思えば、時間が解決してくれるのでないかと思っています。
カーディナはとても暑い国だと聞いていますが、体調を崩したりしていませんか。
健康第一で頑張ってくださいね。
エリカより』
ライラと親しくなるにつれて、私にとって二人は全く別の人間だとさらに強く感じるようになった。ライラとは新たな友人として仲良くなったし、おそらくいつかは親友だと思えるくらい仲良くなると思う。でも友人が増えたからと言って、シリルと会えない寂しさが無くなる訳ではないのだ。
シリルが私のために刺繍をしてくれたクッションを抱きしめて、私はベッドに寝転がる。ふわりと広がる甘く優しい香りを『心が落ち着くいい香り』だと手紙に書いた私は嘘つきだ。心が落ち着くなら涙が出る訳がないのに。
『寂しいです』
『シリルに会いたいです』
『早く帰って来てほしいです』
そう書きかけた便箋を私はごみ箱へ捨てたのだ。
大変お待たせいたしました。
今日から第二部の投稿をいまします!
活動報告にショートストーリーを載せる予定ですのでよろしければそちらも御覧ください。