1学園の再開
夏季休暇が終わり、学園が再開された。それはとても嬉しい事なのだが学園内の雰囲気が少し変わってしまった気がする。
入学当初、私やセドリック君がされていたような嫌がらせが、身内の粛清後も学園に残った生徒達に対して行われるようになっていた。それに、過度に王太子殿下を持ち上げようとする雰囲気もある。
嫌がらせを受けている生徒から、私達はいったいどう見えるのだろうか。その事を考えるのが少し怖かった。
私はあまり他人からどう思われていようが気にしない性格だと自覚していた。でも実はそうでは無かったのだ。私は周囲の人間が誰一人として私を傷つける心配の無い世界で生きてきたのだと思う。だから他人の気持ちに対して鈍感なところがあるのかもしれない。
王都に来てから、今まで家族にどれだけ大切にされて守られていたのかを思い知った。そして初めて自分ではどうしようもない悪意というものがあるのだと知って臆病になってしまったのかもしれない。
「何ですか? これは」
レイ先生の研究室で手伝いをしていた私とライラの所に王太子殿下達がやって来て、数枚の書類を見せる。ライラは特に手伝う必要はないはずだが、何だかんだといつも一緒に居てくれる。そしてさすがにハーティアで一番の魔術師一族という事だけあって、レイ先生の研究に興味があるようだ。
シリルは陣や魔術の研究についてあまり興味が無さそうだったが、ライラは魔力ではシリルに劣るそうで、その分魔術の研究に取り組みたいと思っているとの事だ。
「学園に残った生徒の名簿だよ。一応、頭に入れておいてほしい」
少し困った顔をした殿下が私に告げる。
「それは、恨まれているかもしれないから気をつけろという事ですか?」
「エリカ君にしては鋭いね」
「そうですか……」
私は名簿に目を通す。生徒の名前や特徴、粛清された人間との関係が書かれている。何人かは顔と名前が一致したが上級生になると会った事の無い人が多かった。それらを全て頭に入れてから殿下に書類を返す。
「もういいの? もしかして全部覚えたの?」
「はい。……それよりも、今の状況を殿下はどう思っているのですか?」
私は思いきって聞いてみた。殿下も一部の生徒が影で何をしているのかを知っているはずだし、殿下自身がそういう事を好む人間ではない事は、私も知っている。でも今のところ嫌がらせを止めさせようと動く素振りはなかった。
「お前、絶対に関わるなよ。エリカが責任を感じる必要なんてねぇし、とにかく動くな。何もするな」
どう思っているのか聞いただけだというのにディーン様がすごい剣幕で怒っている。
「信用ないですね、私」
「違うよ。ディーンは君の事を心配して言っているんだ。私は今のところ、この件で動くつもりはない。何というか、私が口を挟む事で逆効果になると思っているんだ。それはエリカ君も同じだから、なるべく関わらないようにね。そのために名簿を見せたのだから」
入学当初、同級生の男子生徒に言い掛かりをつけられていたセドリック君に対して、殿下達は出来るだけ自分たちのそばにいるように説得していた。
あの時のセドリック君は特に殿下達を嫌っていた訳では無いが、しぶしぶ従っているように見えた。
今回、学園に残る事を選んだ学生達はもしかしたら私達の事を恨んでいるかもしれない。少なくとも友好的な関係をすぐに築く事は難しいだろう。そんな相手から助け舟を出される事を彼らは望んでいるだろうか。殿下が口を挟む事で悪化するというのはつまりそういう事だった。
「エリカ様、おそらく時間が解決してくれるのではないかと僕は思います。それと本人の心がけも…………僕の場合は殿下と、それにエリカ様がきっかけをくれましたけど」
セドリック君が自ら会話に加わる事は珍しい。
「そんな事あったかしら?」
「エリカ様がオーレリア・マクブレイン様を泣かせた事がきっかけに――――」
「わっ――――!! それ、褒めていないでしょ? しかも、結局セドリック君の自力じゃない!」
確かに私がマクブレインさんを泣かせた件をきっかけに、女子生徒がセドリック君に対する態度を改め男子生徒も徐々に差別的な発言をしなくなったのだ。
「さすがにわかりましたか?」
セドリック君の眼鏡の奥に見え隠れする榛色の瞳が少しだけいたずらっ子のように細められている。出会った頃はもっとツンツンしていて私と関わりたくないという態度だったのに、彼も随分変わったと思う。身分は違っても、殿下やディーン様という友人が出来たせいなのだろうか。
セドリック君がそうだったように助けてくれる誰かがその人達にもいてくれればいいのに、私はそう願った。
名簿についての話が一段落したところで、ライラが学園祭の話題を持ち出した。
「私とエリカは『白百合の会』のお姉様方が主催する演劇に誘われているんです」
ライラの言う『白百合の会』とは優雅にお茶を楽しむ同好会なのだが、なぜか私はその会によく誘われるのだ。学園祭の出し物は二年生が中心で、一年生は自由参加となっているのだが先輩達にお願いされて劇に出る事になった。
昨日、台本をもらって明日から練習が始まる予定になっていて、ライラと私はすごく楽しみにしている。
「そう……、ライラとエリカ君はどんな役?」
「実はエリカが主役のお姫様役なんです! 私はお姫様を助けるいい魔女役です」
私が主役になった事をライラは自分の事のように嬉しそうに話す。私としては、お姫様役なら断然ライラの方が似合っていると思うのだが、お姉様方の話によれば恋人のいる人を主役にすると集客力が下がるのだとか。
特に宣言をした訳ではないが、ライラと殿下が恋人同士の関係である事はすでに学園中が知っている事実となっていた。明らかに殿下の態度が今までと違う事が皆にも伝わってしまったのだ。
星の日の政変以降、ライラの事を心配した殿下が度々サイアーズを訪れて幼馴染から恋人へと進化したというのが皆の共通認識となっている。
「エリカ君……君って演技なんて出来るの?」
私が主役だと聞いた殿下が疑いの眼差しを向けてくる。
「本当に失礼ですよ! セリフは全て頭に入っていますし、やった事は無いですが大丈夫です! 私としてはライラのお姫様が見たかったんですが……」
「いや、ヒーロー役の生徒にベタベタ触られるのは不快だから魔女でいい」
殿下はライラの方をチラリと見てから涼しい顔でそう言うが、言われたライラの方は火が着いたように顔が真っ赤になり、うつむいてしまった。
「さらっと激甘ですね!」
私は思わず口走っていた。今となってはシリルと殿下のやり取りを時々激甘な会話だと勘違いしていた自分が恥ずかしい。真の激甘とはこうなのだ。
「そそそ、そういえば、ヒーローの騎士役はどなたなのでしょうか? エリカは聞いていますか?」
真っ赤な顔のまま、ライラは話題を再び演劇に戻そうと懸命だ。
「会長のマーガレットお姉様の話では集客力抜群の人物を連れてくるから楽しみにしていてって言っていたわ!」
「まぁ、それは楽しみですね。誰なのでしょう?」
「…………」
「僕はわかった気がします」
「なるほど、なんだか面白い事になりそうだから、私も裏方として手伝おうかな?」
殿下の「面白い」という言葉をそのままの意味で理解していいのかは不明だが、白百合の会は女子生徒限定の同好会だ。大道具などの裏方を手伝ってくれたらきっと助かるだろう。
「…………貴様らっ! ここは神聖な研究室であって、貴様らのたまり場で無い! 手伝うつもりが無いのなら出ていけ!!」
それまで黙って聞いていたレイ先生に叱られてしまい、私達は寮へと帰る事になった。