30星が流れる夜に
激しい音と飛び散るような閃光が鎮まるまで、私はただライラに強く抱きしめられていた。
おそらく一瞬の出来事だったと思う。でも私にはとても長く感じられたその時間が終わり、私はライラがどうなってしまったのかをすぐに確かめようと腕に力を込めて離れようとした。
「ライラ?」
「生きていますよ、ほら…………大丈夫ですから」
私が離れようとすると、ライラはさらに力を強めて胸に抱くように私を引き寄せる。ライラの力強い鼓動が聞こえて私は少しだけ安堵する。
「ギリギリ間に合ったな」
当然後ろから聞こえた声はレイ先生のものだった。そして二十人以上の武官が敷地内に流れ込んできて男達と戦闘になる。
少し顔を上げて周囲を確認するとライラのすぐ後ろに大きな防御用の陣が展開されていた。おそらくレイ先生が私達を守るために魔術を使ってくれたのだ。
「はぁ…………。今回は本当に死ぬかと思いましたよ。先生、遅すぎです」
ライラが大きくため息をした後に、疲れてしまったのか私の肩に頭を預けるように体の力を抜く。ライラに怪我が無かった事、レイ先生が助けに来てくれた事で安心して、気がついたらポロポロと涙がこぼれた。一度涙がこぼれると、それは次から次へと止まることなく流れ私の頬を濡らす。
「う、うぅ、怖かったっ、怖かったよ…………」
今はもう涙を我慢しなくていい。私はそう思ってしばらく自分の感情を全てさらけ出すように泣いていた。
「エリカは膝を擦りむいていますし、出来れば早くここを離れて休ませてあげたいのですが」
私が落ち着くまで待って、ライラがレイ先生に提案する。
「わかっている。…………悪いが、その前に捕まえた襲撃犯を確認してもらう」
犯人の人数や特徴、簡単な経緯を説明し私達はこの場を離れる事にした。
レイ先生が連れて来た武官によって四人が捕らえられたが、キャスケット帽の男の姿だけは見つからなかった。今後も捜索範囲を広めて男の行方を追うそうだが、とりあえず私達が出来る事はもう無く、後日詳細な聞き取りがされる事になった。
そして先生はすぐにライラの腕輪と私の札を取ってくれて、大切な証拠品として押収した。
「それにしても、なんで私には暗示が効かなかったのでしょうか?」
レイ先生は回収した札をしばらく眺めたあと、この手の札には対象者を限定するために正確な名前や年齢などが必要なのだと教えてくれる。
つまり、運よくライラの個人情報が間違っていたのかと納得しかけた私に、先生はそうではないと断言しとんでもない事実を口にする。
「この札は対象の人物が一定の範囲内にいないと効果が無いようだ――――そこにいるのはシリル・ローランズだからな」
「…………シリル?」
それは、ライラの弟の名前だった。
「エリカ、ずっと騙していてごめんなさい。僕の名前はシリル…………シリル・ローランズと言います」
申し訳なさそうに、そして私の反応を気にするように伝えられたその言葉に、出来る事なら気絶してしまいたかった。
命の危険に晒された後でどうでもよい事かもしれないが、真っ先に頭に浮かんだ事は彼に下着姿をおもいっきり見られているという事だった。
すでに日は完全に落ち、木々の隙間から星々が瞬きながら消えていく不思議な夜が始まっている。だが、私はそんな幻想的な夜を楽しむ余裕も無くしばらく呆然としていたのだ。
*****
私達はレイ先生が用意してくれた馬車に乗り、それぞれの屋敷に帰る事になった。学園内部に犯人がいた以上、もはやそこは安全な場所ではないからだ。
馬車の中でシリルは何度も謝罪をしてくれて事情を説明してくれた。私はシリルに対して怒りを感じる事は無かったが、突然知らされた事実に心が追いつかないという状態だった。
そしてレイ先生からはすでに寮監が捕まっているという事を聞かされた。
敵に捕らわれた馬車の中でシリルは『居場所がわかる魔術』が掛けられていると説明していたが、正確には『声を変える魔術』を常に使っている状態だった。
レイ先生は学園内で使われた魔術を全て把握してしまう能力の持ち主なので、結果的に常にシリルの居場所を把握出来ていたのだ。
寮監に腕輪を付けられ、シリルが使っていた声を変える魔術が消失してすぐに、レイ先生は裏門へと向かった。その途中で寮監とすれ違い、私達の居場所を尋ねたところ、一時間以上前に出掛けて行ったはずだと答えたのだという。
それを不審に思い問いただすと、寮監はすぐに自白し始めたという事だ。
だが、寮監も私達がどこへ連れて行かれたのかは知らされておらず、信頼できる武官を手配し、すぐに魔術探索範囲を最大まで広げた。
そして私が魔術を使っている痕跡を見つけてすぐに駆けつけたというのが事件のあらましだった。
「あの魔術の使い方は最悪だったぞ。例えて言うなら騒がしい蚊か蝿か、貴様の性格がよく表れていたな」
レイ先生は疲労困憊といった様子で眉間に指先を当てている。そういえば前に、先生がその気になれば王都全域の探査が可能だがそんな事をしたら過労で倒れると話を王太子殿下から聞いた事があった。
「ひどいです! 普通ではあり得ない魔術の使い方をすれば先生が気づいてくれると思っただけです」
実はレイ先生にどうやったら気が付いてもらえるかを考えた結果、私はとにかく高速で何度も魔術を使い続けたのだ。
せっかく描いた陣をすぐに消し去り、また同じものを描く。そんな使い方をする人間はいないだろうと私は予想した。
私としては蛍の光のようなイメージだったが、レイ先生に蚊か蝿と言われてしまいショックだ。
先にバトーヤ邸に着き、先生からはとにかく身体を休めるように言われ私は馬車を降りる。
疲れているだろうに、シリルは私より先に降りて手を差し伸べてくれる。
「近いうちに、きちんと挨拶をしたいと思っています。でも、今夜はゆっくり休んでください」
「うん。…………おやすみなさい、シリル」
私がその名前を初めて口にすると、シリルは一瞬驚いて、少し微笑む。
「ずっと、本当の名前で呼んでほしいと思っていたんです。…………おやすみなさい、エリカ」
シリルとして初めて見せてくれたその笑顔はなぜか少しだけ愁いを帯びていた。
*****
屋敷に入るとさっそく兄が出迎えてくれた。
「お帰り、エリカ。とりあえず汚れを流して着替えてきなさい」
兄はとっくに日が暮れた時間だというのに、身支度を調え、まるでいつでも出掛けられるという雰囲気だ。
しかも、泥だらけ傷だらけの妹が先触れも無しに帰って来ても表情一つ崩さない。
「私の支度が出来るまで屋敷に居てくれますか?」
「一応、そのつもりだが。…………予想外の事態が起こらなければ」
「わかりました」
どうやらこれから兄と一戦交える事になりそうだ。その前に頭の中を整理して兄との舌戦に備えよう。
本来なら使用人に頼んで湯を沸かしてもらわなければ入れないはずのお風呂がなぜかタイミング良く準備されていてすぐに身体を清める事が出来た。
兄は私が帰ってくる事を知っていたのだ。冷静になろうと思っても怒りがこみ上げてきて、思わず洗う力が強くなってしまう。ゴシゴシと身体を洗うと膝や腕に出来た擦り傷がしみる。
「うっ!しみる……」
身体を清めてから少しだけお湯に浸かり疲れを癒す。お湯には香油がたらされていたようで、ラベンダーのいい香りがする。その香りが私の気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。
兄が待っているはずだし早々に湯船から上がり、よく水分を取ってから服に袖を通した。普段であれば風呂上りには寝間着を着ているが、今日は白いブラウスとモスグリーンのストライプのスカートに着替えた。
浴室を出ると、使用人の一人から兄が二階の書斎にいる事を告げられ、私もそこへ向かう。
ノックしてから入室すると、灯りの落とされた室内に心地よい風が吹き込んでくる。兄はバルコニーにいるようだ。
私はゆっくりと兄の待つバルコニーへと歩む。無数に流れる星を見つめている兄は何を考えているのだろう。隣に立ち顔を覗き込んでも全く読めない。
「兄様、何を考えているのですか?」
「俺が考えているのはいつも家族の安全と、この国の未来だよ」
「そうですか。…………単刀直入に聞きますけど、今日の事件を企てたのは兄様ですね?」
兄は私の言葉をどこか満足そうな表情で聞いていた。出来の悪い生徒がやっと答えにたどり着いたとでも言いたげである。
「企てたとは人聞きが悪いが、まぁいい。お前の推測を聞こうか?」
そして私は兄に自分の予想を述べる。
まず私がおかしいと感じたのは、敵が近いうちに自分たちが粛清される可能性がある事を知っていた事だ。王太子殿下の事までは正直わからないが、兄が指導しているのに簡単に情報が漏れた事がとても気になった。
だからこれは兄がわざと敵に情報を漏らしたのではないかと考えた。そして諜報員を使って私が出来るだけ安全でかつ、敵にとっては一見成功しそうだと思わせるような作戦を教えて実行させる。兄はレイ先生の能力も「ライラ」の正体や魔術を使って声を変えている事も全部知っていたのだから。
唯一捕まっていないキャスケット帽の男はもしかしたら兄の手の者なのかもしれないと私は考えている。レイ先生が間に合わなかったら、おそらくあの男か別に潜んでいた人間が私達を守る事になっていたのだろう。
「俺はただ、無謀で危険な計画を企てている悪人がいるという情報を掴んだから、お前達が安全なものに置き換えてあげただけだよ」
「兄様なら、その無謀で危険な計画とやらを潰す事も出来たのではないですかっ!?」
「それで? 俺はその計画を潰した後、事が片付くまでずっとウジ虫みたいに湧いてくる無数の悪だくみをずっと監視して潰していかなければならないのか? そちらの方がよほどお前を危険に晒すだろう」
兄はやはり私の安全をきちんと考えてくれている。でも、兄は私の安全は優先してくれても心までは優先してくれない。愛情はあるはずなのに家族に対しても常に冷静な兄の事を私はどう思えばいいのだろう。
「正直、めちゃくちゃ腹が立っています。でも私の安全を一番に考えてくれている事は理解しているつもりです。そこは感謝を…………でも、でも、私はたぶん兄様のような人間にはなれません」
「俺のような人間ばかりだと、つまらない世界になってしまうよ。エリカにはエリカの役割がある。それでいいと俺は思う」
なんでも見えすぎてしまう兄の瞳には、今日の夜空はどんなふうに見えているのだろう。私には涙が出るほど美しく儚いものに見える。それと同時に星が流れる秘密を解き明かしてみたくてワクワクする。
兄もそうであってほしい。でも兄が見ているものは星ではなく、この特別な夜に紛れて行われている争いなのだということも私にはわかっていた。
「俺はたまにお前が羨ましいよ。同じように過ぎたる頭脳を授かっても、いつまでも純粋でいられるお前が…………」
私は兄の瞳を覗きこむ。私と同じグリーンの瞳が見ている世界はきっと私とは違うものだ。でも、せめて兄の瞳の中にきちんと私が映っている事を確認したかった。
しばらく二人で夜空を眺めていると、兄の部下らしき人物がやって来る。
「さて、俺は仕事をしてくる」
「兄様、お気をつけて」
星祭りの夜にひっそりと始まった宰相一派の粛清は、その後『星の日の政変』と呼ばれる事になる。私と『ライラ』の誘拐事件の失敗は、宰相派にとって多くの証拠を残す結果となり、日和見を決め込んでいていた中立派の有力者達は、そこから一気に不正や汚職の一掃についても協力せざるを得ないと判断したのだ。
学園内で誘拐事件が起こった事で学園が臨時休校となりそのまま夏季休暇に入る事になった。私は一度だけ護衛を伴って荷物を取りに行ったが、もう私の知っている『ライラ』と一緒に寮で暮らす事はないのだと思うと何だか寂しかった。
シリルは近いうちに会いに来てくれると言っていたが、星祭りの日から数日は王都中がかなり混乱していたし、政変を主導した側の身内という事で気安く出掛ける事が出来なかった。
そして二週間後、私はシリルに招待されてローランズ家の領地であるサイアーズまで行くことになった。