26試験より気になる事
それから三日後、ついに試験期間になった。
王太子殿下やディーン様は兄との会話など忘れてしまったかのようにいつもと変わらぬ様子で授業を受けていた。
放課後に外出する事もあったので公務や例の件での根回しなど、実際には色々と奔走していたのかもしれないが態度には出さなかった。
こういう切り替えが出来る殿下達の事を私は純粋にすごいとは思うのだが、同時に少し怖いし悲しいと感じてしまう。
私と同じ年齢でそうならざるを得ない環境に身を置いて生きてきた事は果たして幸せなのか。そう考えると切なくなる。
私は今まで兄と同じ道をあまり深く考えずに歩もうとしていた。ただ単純に自分の能力が王都でどこまで通用するのかを試したい気持ちでノースダミアから出て来たような気がする。
でも、今は少し違う。殿下やライラの事を支えられる人間になれたら、武器を持たずとも誰かを助け、誰かを守る事が出来たなら……。いつの間にかそう考えるようになっていた。
「今出来ること……」
ライラの言うように、とにかく私に出来る事をしよう。
「おはよう、二人とも。試験の準備は万端かな?」
朝の教室で王太子殿下が私達に話し掛けてくる。ディーン様とセドリック君も一緒だ。
「殿下、おはようございます。……全教科平均以上を目指して頑張ったつもりです!」
最後の悪あがきにまだ教科書とにらめっこしているライラの代わりに私が答える。
「それは楽しみだね」
殿下は公務も試験勉強も同時にこなしていたとは思えない余裕の表情を浮かべている。
「エリカ様はどうなんですか? ……試験間近なのに先生の手伝いなんてして随分と余裕がありそうでしたね」
「エリカ、お前……他人に勉強教えて、先生の助手をして……また試験勉強はしない主義だとか、なめたこと言わねぇよな?」
セドリック君とディーン様から思いっきり睨まれてしまった。ディーン様は少し顔色が悪いというか、目の下に隈がある。
同じように公務と学業を両立している殿下とディーン様だが、今日の二人の顔色は随分と違っている。
単に殿下が顔に出ないタイプなのかディーン様が殿下以上のもの凄い追い込みでもしたのか、私には少し気になった。
「こ、今回はちゃんと試験範囲の確認はしましたよ! ライラの勉強を見てあげる事が自分の勉強に――――ふむっっっいひゃい!!」
なぜか左頬を思いっきり引っ張られる。今日は何もしていないはずなのに。抗議したいがディーン様に頬を引っ張られているために上手く声にならない。
「その余裕っぷりがムカつく!」
「…………ご利益がありそうですね」
ディーン様だけでなく、セドリック君まで空いている方の頬をツンツンと押してくる。
「きゃあ――――っ!! 私にもご利益を!」
「わたくしにもっ!!」
「私だってエリカ様に触りたいですわ!」
私達の会話を聞いていた女子達がなぜか私に群がる。ディーン様とセドリック君はいつの間にか追いやられ、女子達が私の頬を触ったり体に抱きついたりしている。
私はそのパワーに圧倒され、されるがままになっているが、正直こういうのは嫌いではない。
女の子達はなんだかすごく柔らかいし、いい香りがするのだ。
特に香水をつけている訳でもないと思うのだが、そういえばライラもいつもいい香りがするし、とっても柔らか――――。
(んん? ライラって…………)
なんだか、他の女子よりも固い気がする。私は頭の中で知識を総動員してライラの事を分析してみる。ライラはよく私に抱きついてくるが、こんなに柔らかくはない。今まで女子に抱き付かれた事が無かったので全く気にしていなかったのだが――――。
(大変な事に気がついてしまった…………)
ちょうど予鈴が鳴り、私は一旦ライラの事を考える事をやめて、とりあえず試験に集中するのだった。
*****
試験は二日に分けて行なわれた。ディーン様がやたらとやつれていたのが気になるが、彼は妥協が出来ない性格のようだ。二日目はさらに顔色が悪かった。
「私は王太子として恥ずかしくない点数が取れそうなら、妥協して寝るんだけどね。間違っても君に勝とうなんて事は考えていないし……ディーンは真面目で負けず嫌いだから……」
殿下が苦笑してディーン様の目の下の隈の秘密を教えてくれた。ほとんど寝ずに勉強して、試験中に集中力が途切れないものなのだろうか。
そして私達は順調に二日目の試験をこなした。ライラはかなり手応えがあったようで、後は結果発表を待つばかりだ。
試験が終わって、私は急いでレイ先生の研究室へ向かった。どうしても知りたい事があったのだ。
私が許可を得て研究室に入ると、レイ先生は優雅にお茶を飲んでいた。
「何の用だ。今日は手伝いを命じていなかったはずだが?」
「先生に相談があるんです! 先生にしか相談出来ない事で……」
「ふむ。…………生徒からの相談に応じるのは教師の努め。能天気な貴様が悩み事とは珍しい……言ってみたまえ」
先生は私の事を門前払いしなかった。本当に先生は生徒思いの教師の鑑だ。
「はい! あの、胸が大きくなる魔術はありませんか?」
「貴様っ! 貴様の脳内には慎みや恥じらいという言葉が無いのか!! そんな事を魔術に頼ろうとはっ!!」
「ひぃぃぃぃっ! 誤解です。私の事じゃなくて…………」
私は個人名を出さず、事情を説明した。女性としての魅力が不足すれば、後継者問題等が発生する由々しき事態になりかねない。これは真剣な相談であると。
「……ローランズの事なら気にする必要は無い」
私は今まで他人の胸の大きさなど気にした事がなかったが、さすが男性は目の付け所が違う。お胸が貧相であるというだけでライラの事だとわかるとは思いもしなかった。
しかも思春期真っ只中の同級生ならともかく立派な成人男性でもこれが普通なのか。正直、驚きを通り越して呆れてしまう。
「はぁ……。なぜ大丈夫だとわかるのでしょうか?」
「ぐっ! それはだな、そう……人にはそれぞれ趣味嗜好というものがある!」
レイ先生がきっぱりと言い放つ。さすがは殿下のはとこにして魔術の師だ。
きっと殿下はレイ先生に恋の相談や異性のタイプまで話しているのだ。それに対して真摯にアドバイスをするレイ先生の姿が全く想像出来ないが、想像しても不気味なので止めておく。
「なるほど、殿下はささやかなお胸が好みと……それは、出過ぎた真似をいたしました……」
「星祭りが近いと頭痛がするのだ。あまり下らん事で騒ぐな」
「前にも頭痛がするとおっしゃっていましたけど、大丈夫なんですか?」
「魔力が高まりいつもよりさらに余計な情報が入ってくるのは毎年の事だからな、慣れている。……早く帰り、妻の手料理でも食べれば回復するだろう」
「えぇっ!! 奥さんいらしたんですかぁ!?」
私は思わず口にしてしまった。潔癖で気難しいレイ先生の奥様とはいったいどんな女性なのだろう。しかもちょっと惚気が入っていたような気がする。
詳しく聞きたかったが、先生は恥ずかしいのか私を研究室から追い出した。
部屋に帰るとライラは黙々と刺繍をしていた。既に課題は提出しているはずなのに、ずいぶんと熱心だ。
そういえば不器用で努力家、胸が小さい事が悩みと言えば乙女小説のヒロインの王道設定ではないか。やっぱりライラは物語のヒロイン体質なのだ。
そして、私はしばらく殿下の顔を見るたびに顔がニヤけてしまいディーン様から怒られ、殿下からは冷たい瞳を向けられる事になった。