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25夏の訪れ

 一年に一度、星の流れる特別な夜がある。


 大量に星が流れるこの現象は、天空に漂う魔力が空を駆けて世界を巡っているのだとされている。

 星が流れる現象は夜空を長い時間見上げていれば意外とたくさん見つけられるのだが川のように流れるのは一年で一度、夏の夜一日だけだ。


 王都では「星祭り」という名で日中から賑やかな祭りが行われる。星祭りの日とその翌日は祭日となり、学園もお休みだ。王都に屋敷がある生徒は一時帰宅する者も多い。


 王都で初めて過ごす星祭りの夜を私は楽しみにしていた。

 でもライラは学園の外に出ることが許されていない。王太子殿下も街で行われるお祭りに簡単に参加出来るわけも無く、セドリック君も祭りには行きたくないという。

 セドリック君は王都生まれで幼い頃から何度も祭りに行っているし騒がしいのは嫌いとの事だ。

 きっと一人で行っても楽しくないだろう。それならば街へは行かず、ライラと一緒に寮から空を眺めた方がきっといいだろう。


 その前に試験だ。試験の後、星祭りがありその後一週間で夏期休暇が始まる。

 今は試験間近で皆が勉強に集中しているが、試験と星祭りが終ると、皆がそわそわして授業態度がおざなりになってしまい教師達を困らせる事になるらしい。


 試験勉強をするつもりが全く無い私は、今日もレイ先生の研究室でお手伝いをしていた。

 ライラは一緒に研究室に来て、一人で黙々と刺繍をしている。裁縫などの実習授業はこの時期に課題の提出があるのだ。

 私や他の生徒は授業中に課題を終わらせているのだが、ライラには無理だったようだ。

 試験勉強も刺繍もやらなければいけない大変な状況だが、ライラはとても努力していた。

 刺繍なんて、出来栄えにこだわらなければ適当に針を刺して終わらせる事も出来るのだが、彼女は一針一針丁寧に正確に刺している。人の倍くらいの時間は掛かっているが、出来栄えはかなり良さそうだ。

 試験の方もおそらく入学直後のようにダントツの最下位という結果にはならないだろう。

 ライラは真面目だし、頭も悪くない。本当に病気がちだったせいで遅れていただけなのだと私は思う。


「ローランズ、貴様っ! 私の神聖な研究室に糸屑を落とすな」

「すっ、すみません!」

 私は太さ一ミリにも満たない糸屑を見つけるレイ先生の視力の良さに驚く。やはりレイ先生は几帳面で潔癖症だった。


 しばらくそれぞれの作業に没頭していると、ドアがノックされ王太子殿下達が入ってくる。殿下がここに来ることはよくあるので特段驚かないが、いつもの三人に続いて入ってきた人物を見て私は驚いた。


「兄様っ!?……何で」

「やぁ、エリカ。何って恩師であるレイ先生に面会に来たんだ。…………名目上は」

 名目上はという事は実際にはそうではないという事だ。


「先生、お久し振りですね。新任の頃より皺が増えたみたいですが、お元気そうで何よりです」

 兄はにっこりと微笑んだ。本人も嫌われている事を自覚しているはずなのに本当に神経が図太いのだ。

「貴様…………どの面下げてっ」

「嫌ですねぇ。私は殿下の命に従いこちらに伺ったんですよ?」

「くっ!!」


 殿下はレイ先生に事前の相談をしないでここに兄を呼んだのだろうか。だとしたらとても意地が悪い。

 殿下が今まで全く付き合いの無かったバトーヤ家を何度も訪れる事は不自然で難しい。密会の場所としてはこの研究室は最適なのかもしれないが、レイ先生に言わなかったのは、言ったら絶対に断られるからだろうか。だとしたら殿下はかなり腹黒だ。殿下の表情を伺うと無表情を装っているが、少しだけ唇が震えている。


 前から感じていたのだが、殿下は腹黒な上にムッツリだ。兄のように思っているはとこを困らせて喜んでいるのだから。


「ところで……君がローランズ家の……?」

「はい。お初にお目にかかります、アーロン様」

「ふーん。噂にたがわぬ美少女(・・・)だね。エリカの事くれぐれも(・・・・・)宜しく頼むよ」

 なぜか兄は少し含みのある言い方をした気がする。兄の考えている事はたまに理解できない時があって困る。


「エリカ、俺はこれから殿下と大切な話がある。同席したいのなら絶対にくれぐれも口を挟むなよ」

 強い口調で念を押され、私はしっかりと頷いた。



*****



 研究室には小さな焜炉こんろがある。焜炉といえば普通は薪を使うはずだ。だが、レイ先生の研究室にだけ魔術で稼働する焜炉があるのだ。

 まだ試作品の段階で扱いが難しく、知識の無い者が使って火事にでもなったら一大事なので、ここにしかない特別な品物だった。

 生徒は魔術禁止で飲み物を温める事すら許されていないというのに、レイ先生だけいつでも温かいお茶が飲めるなんて羨ましい。


 残念ながら私の魔力では扱えないので、ライラに着火してもらい、二人でお茶の準備をする。


 その間、ディーン様とセドリック君は研究室に置いてある椅子を並べる。

 背もたれのある立派な椅子は先生専用の一脚だけで、それ以外は重ねて収納できる木製の丸椅子だった。


「待って! まずはティーポットを温めた方がいいのよ……ほら」

 いきなりティーポットにどばっと茶葉を入れようとしたライラを私はあわてて止める。

「そうなのですか? ……知りませんでした」

 髪を自分で結う事が出来ないライラは、当然お茶も淹れた事など無いのだろう。

「ライラったら、本当に箱入り娘なんだから!」

 私はライラの額を指先でつんと弾いた。

「もう、エリカってば!!」

 ライラは両手で額を抑えて私を非難する。


 ライラに教えながら白いティーカップにお茶を注ぎ、研究室の中央に置かれた金属製の作業台を取り囲むように座っている皆にそれを配る。

「随分と仲のいい友達が出来たみたいで、兄としてはとても嬉しいよ(・・・・)

 兄からそう言われて私はつい嬉しくなる。正直に言えば授業そのものはとても退屈であまり学ぶべき事がないのだ。でも友人と過ごす生活はとても楽しいし気に入っている。

「本当にね。ほらっリボンもお揃いだし、怪我した時なんて包――――」

「エリカ君! そろそろ話を始めたいんだが……」

「失礼しました。そうですね」

 前のように追い出されるのはもう嫌だ。私は黙って椅子に腰を下ろす。


「早速ですが、ライラ・ローランズ嬢襲撃事件の実行犯と宰相家との繋がりは確かにありました。……ですが……」

「宰相に否定されれば、それ以上の追求は難しい……その程度の証拠しか出てこない?」

 殿下は予想していたようだ。兄は殿下の言葉に頷く。


 事件についての捜査はもちろん王国の警備隊が行っている。しかし警備隊は非合法な捜査は出来ないし確実な証拠が無ければ動けない。

 今回の事件では実行犯三人、それを依頼した裏稼業の人物が一人、捕らえられていた。

 だが、その先にも何人かの裏稼業の仲介者が入り、真の依頼者までたどり着けなかったのだ。


 兄はあまり合法的とは言えない手を使ってそこから先に関わった全ての人間を洗い出した。

 だが、宰相を罪に問えるほどの証拠は無い。目に見える証拠を残すほど甘い人物ではないという事だ。


 私はライラの事がただ心配だった。殿下も含め王族は皆そうなのかもしれないが、常に暗殺されるかもしれないという恐怖に怯え、街へ遊びに行くことも許されない。そんな状況そのものが堪えがたいというのに、それがいつまで続くかわからないというのは彼女にとってどれだけの負担だろう。


「という事で、私としてはもう一つの案をお薦めしたいのですが……そちらはいかがですか?」

「根回しはしている。この夏の間に出来るだけの危険は取り払いたいと思っている」

 私には「もう一つの案」という言葉の意味がわからない。殿下はセドリック君を通じて兄とやり取りをしているようなので、私が知らない話も当然あるのだろう。


 私の顔に疑問符でも付いていたのか、それを察した兄がセドリック君に「教えてやれ」と促す。


「アーロン様は以前より、宰相及びその周囲の人間が関わる不正や汚職についての証拠をお集めでした。それを使って失職させるおつもりです」

 以前よりというのはどういう事だろう。証拠があるならさっさと行動に移れないものなのか。


「……エリカ君。宰相含め、多くの特権階級が何らかの不正や汚職に関わっている事は皆が知っている……必要悪としてずっと見逃されて来たんだよ」

 殿下の表情は暗く、紡がれた言葉は苦しみを吐き出すようだった。

 皆が法を守り、法を侵せばすぐに処罰される清らかな国など現実には存在しないのだ。

 証拠だけ示してただ正義を振りかざしても逆に殿下が追い込まれる可能性もあるし、下手に宰相をその座から追い落としてはまつりごとが混乱する。

 国王陛下も殿下も出来る事ならば宰相家の力を削ぎたいと考えていた。だが、今までは例え自身や肉親が危険に晒されていようが、内政の混乱を避ける方を選んできたというのだ。

 ここに来て、宰相家をこのままにしておく方が将来の混乱を招くと判断した…………というのが殿下の説明だった。


「政変…………」

 殿下達が行おうとしているものは、そう呼ばれている類のものだと当然私は知っていた。そして自分で口にしてみる事で、はじめて事の重大さを実感するのだ。

 まさか、単なる学生にすぎない私の近くで、兄や友人達が絡んで国を揺るがすような大きな事件が起きようと――――いや、起こそうとしているとは思いもしなかった。



*****



「ねぇ、ライラ……まだ起きてる?」

 研究室での話を自分なりに考察していたら目が冴えてしまい寝付けなかったのだ。

 消灯時刻からかなり時間が経っているのに、仕切りカーテンの向こう側からもまだ規則的な寝息が聞こえてこなかったので私は囁くほどの声で尋ねた。

「はい……ちょっと眠れなくて……」

 ライラも同じだった。やはり眠れないのだ。

 上手くいけばライラだけでなく王太子殿下も以前よりその身を害される可能性が減って、安心して過ごせるようになる。

 でもリスクが無い訳ではなかった。こちらの動きを察知され先に手を打たれる可能性もあるのだ。

 兄や殿下、殿下を護衛するディーン様はたぶん一時的には今よりもずっとその身が危うくなる。

 期待と不安で胸の中が混乱してしまい、自分の気持ちすら正確に把握できないようなそんな心境だった。


「はぁ……やっぱり、私はまだ何も出来ないんだと思うともどかしいっ!」

 溜め息と一緒にこの不安な気持ちが少しでも出ていってくれたらいいのに、私はそう思った。


「エリカ…………私、今は何も出来ないですし大人になってもディーン様みたいに何でも出来る人間にはきっとなれない。……でも、今じゃないかもしれないですけど、大切な人を守れる人間になります。それまでは今出来る事をしようと思います」

 ライラは一見、儚く頼りないように見えるのに、心はとても強い子なのだと私は思う。


「…………ねぇ、ライラ。秋になったら一緒に買い物に行ったりして、たくさん遊びましょう! きっとそういう経験も今しか出来ない事に入ると思うわ」

「秋になったら。……素敵ですね、とっても……」

 それきりライラは何も言わなくなった。私も少し眠気を感じて瞼を閉じた。

 不安な事はたくさんあるが、夢の中までそんなものに支配されるつもりは少しもないのだ。

 今夜は意地でも楽しい夢を見よう、私はそう思った。

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