21覆水盆に返らず
寮に戻った私は、早速ライラに魔槍を見せようとして、スカートの裾をたくしあげ左の太ももに固定してある魔槍を取り出そうとした。
「ひゃぁぁぁぁ――――っ! エリカっ! やめてくださいっ!!」
運動音痴とは思えない素早さで私のスカートをぐっと下げて仕切りカーテンをざっと閉める。
「簡単に肌を見せちゃダメって言ったじゃないですか!」
「え? でも前は包帯――――」
「あれは治療ですっ! 言い訳しないでください!!」
「…………もう、わかったわよ」
カーテン越しで顔が見えないが、とんでもなく怒っている。
そういえば、淑女が着る夜会用のドレスは肩や胸の谷間は視線のやり場に困るほど開いているけれど、足を見せている人はいない。女の子同士でも足は駄目だという事を今知った。
仕切りカーテンの内側で魔槍を取り外した私は、カーテンを開けてからライラに魔槍を手渡す。
「これが、魔槍ですか……」
ライラは自らの手元にある魔槍をじっと見る。武術については詳しくないライラも魔術に関する事なら興味があるようだ。
ライラが軽く触れると魔槍が輝き本来の姿となる。
「本当に簡単なのですね……」
「でしょ? 私でも使えるくらいだから。でも再収納が出来ないの。これなんだけど……」
私は再収納に必要な陣の説明書をライラに見せようとする。だが、その前にライラが大きな陣を描き始めて――――。
「え? 最初の形に戻すだけですよね?」
ライラがそう言った時にはすでに陣は消え、魔槍は元の長さとなっていた。ライラが描いた陣は説明書に記載されている陣よりかなり大きかった。
「ちょっと! ライラってば、魔術を直感で使っちゃダメでしょ? そういう事をするから魔術理論が赤点なのよ!」
陣とは数学の公式のようなものなのだ。公式を知らなくても問題を解く事ができる人もいる。
ライラが今やった事はその場で公式を作る作業に等しい。しかも自らの魔力が高のをいい事に非効率なやり方をそのまま陣に組み込んだ。だから説明書よりも大きな陣になったのだ。
ライラの悪いところはどこぞの匠や親方のように「設計図は頭の中だ」と、他人には全く説明出来ない事なのだ。
だから魔術の実技は得意でも理論が壊滅的に出来ないのだ。
「ご、ごめんなさい……」
今度は私がライラをたしなめる番になる。ライラはしゅんと小動物のように小さくなり瞳を潤ませて反省の態度を示す。
「まぁいいわ。今度から使ったらライラに再収納してもらおうっと! ……ねぇ、ライラはディーン様が本気で闘っているところって見た事ある?」
「ディーン様!?」
ライラは私の質問には答えず、呼び方が変わった事に驚いている。
「うん。屋敷にお邪魔したら、皆がカーライルだから名前で呼べって……」
「……ず……い」
「…………? どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。私の家と彼の家は交流がありますから何度も見たことはありますよ……それで、何かあったんですか?」
「うん。あのね――」
私はライラに今日見て感じた事を話した。
ディーン様が闘っているところを見て、敵わないと思った事。
私自身に魔術の才能が無い事や、いくら鍛練しても男性のような強靭な体と身体能力は手に入らないという事。
ディーン様が羨ましくて嫉妬した事。
ライラは私の話を笑わずに聞いてくれて、何度も頷いてくれる。
「そういう気持ち、私にもわかります。……私がいつも感じている事です……私も大切な人に守られるなんてもう嫌なんです。巻き込みたくない、私が守ってあげたいって、いつも……本当にいつも思っています」
「そうなんだ……」
「特に、私は病弱な事に甘えて全然努力してこなくて……大切に想う人が出来てから後悔しても遅くて……」
「うん……」
ライラにそんなにふうに想われている王太子殿下の事を少し羨ましいと思ってしまった。
まだ恋を知らない私が今すぐ守りたいと願っているのは、菫色の澄んだ瞳をしている私の親友なのだから。
「これじゃ、エリカの相談にのった事になりませんね」
ライラは申し訳なさそうに言うが、私は一緒に悩んでくれる友人の存在を嬉しく思う。
領地で同世代の子との交流が全く無かった訳ではない。でも私は領主の娘で他の子達はいくら親しくしていてもあくまで領民だ。相手には遠慮があったと思う。
本当に対等な友人というものは、もしかするとライラが初めてなのかもしれない。
「いいの! ライラに聞いてもらうと何だかすっきりするし、それにライラは最近とっても頑張っているわよ。私は頑張っているライラが大好きだもの!」
私の言葉に照れたライラが耳まで真っ赤になってしまった。ほとんど毎日照れたり拗ねたりして忙しい子だと思う。
ライラは他人にはあまりそういう子供っぽい部分を見せない子だ。良家の令嬢とは本来そういうものなのかもしれないが、同級生の前では常にほがらかに笑っている事が多いのだ。
でも私はそういう笑顔よりも拗ねて頬を膨らませているライラの方が可愛いと思っている。
私以外だと、ライラはディーン様の前で比較的感情を隠さない。王太子殿下とは普段あえて会話をしないようにしているようで、周囲の人間には殿下よりも私やディーン様と仲が良いように見えるかもしれない。
ディーン様に対するライラの態度は、シリル君の事を「もやし野郎」と言っていた時のサミュエル君とどこか通ずるものがあって、なんだか可笑しくなる。
カーライル家とローランズ家の仲は良いのか悪いのか不思議な関係だ。
「そういえばサミュエル君が話していたけど、ライラの弟ってシリル君っていう名前なのね」
「えぇ……気になりますか? シリルの事……」
「それはもちろん。迷惑掛けそうだし……。ねぇ、シリル君ってどんな子?」
「シリルは…………」
その時、急に廊下の辺りが騒がしくなりドンドンと私達の部屋が乱暴にノックされる。
「やはり貴様らかっ!!」
寮監を従えて勢いよく扉を開け放ったその人物の眉間には数えきれないほどの皺が刻まれていた。
「まったく、この時季はただでさえ頭痛がするというのに貴様らはいつもいつもいつも――」
「忘れてた…………」
学園内で魔術を使ったら先生に察知されてしまうという事を私はすっかり忘れていた。
私とライラは互いの肩を抱いて震えながら沙汰を待つ事しか出来ない。
そして先生の研究室に連行された私達は一時間のお説教と罰掃除を命じられた。