14眠れない夜
皆の前で強がっていた訳では決してない。ただ、実感が無かっただけだった。
ライラと一緒に部屋に戻り、ゆっくり休むつもりだったが、ついさっきまで寝ていたせいで目が冴えてしまっていた。
夜の静寂は私の感覚を過敏にする。あまり感じていなかった肩の痛みが気になりだし、同時に包帯の下がどうなっているのかを確認したくなる。
音をたてないように気を付けて備え付けの鏡台の前で夜着をずらして包帯を取ってみる。もし袖の無い服を着たとしたら完全に見えてしまう位置にかなり深い傷がある。
魔術による治療で体の内側の太い血管などの大切な部分は完全に繋いであるので見た目よりも痛みは無いのだが、自分で考えていたよりも深い傷だという事に少なからずショックを受けた。
傷を見ても、ライラを助けた事に対する後悔は無い。それは偽りのない私の気持ちなのだが、例えば私の行動が本当に最善だったのか、あの一撃をもっと上手に避ける事は出来なかったのか、もっと真面目に武術の稽古をしていたら……そんな後悔で、胸が詰まり涙を我慢出来なくなる。
「うぅ……うっ……」
涙を我慢しようとすると声が漏れてしまう。
その時、仕切りカーテンの向こう側で衣擦れのような音がした。ライラを起こしてしまっただろうか。
ライラは私の怪我についてとても責任を感じているようだった。もし私が泣いているなんてわかったらきっと彼女は余計に責任を感じて傷付くのだろう。私はそれを知られてしまうのが嫌で急いで包帯を巻き直した後、布団をかぶる。ライラは起きてしまった訳ではなかったようで、その後はただ静寂が部屋を包み込む。
暗闇の中でライラを守れた事への安堵と、傷が出来てしまった事への後悔や不安で頭の中がごちゃ混ぜになり、なかなか寝付くことが出来なかった。
*****
私にとって長い夜が明ける。今日は休日で、いくら寝ていても大丈夫なのだが寮生活の習慣でいつもと同じ時間にベッドから起き上がる。
「痛っ!!」
洗面台で顔をジャブジャブ洗うと、擦り傷がヒリヒリする。顔の傷の事はすっかり忘れていた。
私の声を聞いたライラが洗面室の扉をノックする。
「大丈夫ですか? ……開けてもいいですか?」
「うん」
洗面室の扉からこちらを覗くライラはもう制服に着替えていた。
「傷が痛むのですか?」
「大丈夫! うっかり忘れてゴシゴシ洗っちゃったのよ」
「じゃあ、着替える前に包帯を巻き直して顔の傷も消毒しましょう」
ライラの腕には昨日レイ先生から貰った包帯や傷薬が入った籠がぶら下がっている。
「自分で出来るのに……」
ライラは私の言葉を無視して、無理矢理椅子に座らせようとする。やはり昨日の事件で責任を感じているのだろう。それなら、ライラのしたいようにさせてあげよう。
私は寝間着のボタンを三つ外して右肩をはだけさせる。いくら女の子同士でも、下着を見られるのは気恥ずかしく、顔が熱くなってしまう。多分赤くなっているに違いない。
「包帯をとりますね」
ライラが丁寧に包帯をとった後、消毒をして薬を塗ってくれる。
「…………」
ライラは傷を見て何も言わないが、私には泣きそうなのを我慢しているように見えた。
「ライラったら! そんな顔しないでよ。昨日も言ったけど私は気にしていないんだから!」
私は少し嘘をついた。でもこういう嘘はついていい嘘だ。ライラが悲しまないようにという事だけではない。いつまでもウジウジしていたら負の感情の深みにどんどんとはまってしまう。そんなのは私らしくない。
着替えの後、包帯をしているせいで上手く腕が上がらない私の髪をライラが結ってくれる。
いつも通り、高い位置で一つにまとめる。
「ねぇ、せっかく買ったんだからお揃いのリボンをつけようよ!」
「え……でも……」
私がそう提案すると、ライラは困った顔をする。やはりあのリボンはその後の事件を思い出させてしまうだろうか。
「私、女の子同士で買い物に行ったのも、家族以外からプレゼントを貰ったのも初めてなのよ。 それを嫌な思い出にはしたくない」
私がそう言うと、ライラは頷いてくれる。二人でお揃いのリボンをつけてから、私も制服に着替えて食堂へと向かった。
朝の食堂で、いつものメンバーが集合する。私はライラの隣、カーライル様の向かいに座る。運ばれてきた紅茶に口をつけた時――。
「きゃ――! エリカ様よ! 昨日ライラ様を暴漢から救ってお怪我をされたらしいわ! 名誉の負傷よ!」
「見たわ! お怪我をされたエリカ様を大切に運ぶカーライル様! 素敵っ!」
「お姫さま抱っこでしたわ!」
「ぶっっ――――!!」
「汚ねぇな……」
私は飲んでいた紅茶を盛大に吹き出してしまった。そんな話は聞いていない。
カーライル様は仏頂面で、かかってしまった紅茶を拭う。私が自分のハンカチを取り出してカーライル様に渡そうとするとライラが私の手を止める。
「ディーン様、これを使ってください」
ライラはポケットからハンカチを取り出してカーライル様に手渡す。
「ああ、気が利くな……ってなんだ糸屑ついてるぞ」
「糸屑ではありません。刺繍です。……エリカのハンカチなんて勿体ない。私の練習用を差し上げます」
「お前な……」
昨日からなんだかこの二人はいがみ合っているような気がする。喧嘩でもしているのだろうか。
「ところで、昨日……私を運んでくれたそうで……あの、ありがとうございました」
私がカーライル様に礼を言うとなぜか周囲が騒がしくなる。ざわざわというよりキャーキャーだろうか。なんだかとんでもなく居心地が悪い。
「まぁ俺が一番、力があるからな……ところで、傷の痛みは?」
カーライル様も周囲の雑音が気になるようで、微妙に気まずい雰囲気を漂わせつつも私を気遣ってくれる。
「全く無い訳ではありませんが、大丈夫です。今朝もライラが包帯を替えてくれたり薬を塗ってくれたり、お世話してくれましたから」
「エリカの事は同室の私がしますから! ディーン様は心配なさらないでください」
ライラは私の左腕に手を回してギュッと抱きしめる。二人は喧嘩をしているというより、ライラの方が一方的に突っ掛かり、カーライル様はそれをたしなめているようにも見えた。
なぜか彼女はカーライル様に対して嫉妬しているようだ。――――王太子殿下と同室で常に一緒にいるカーライル様はライラにとってはお邪魔虫的な存在でつい噛みつきたくなるのだろう。可愛い嫉妬というやつかもしれない。
*****
出来るだけ安静にしていようと午後は図書館で本を借りて部屋に戻ろうとしていたところでレイ先生に呼び止められる。
昨日は全く気にしなかったが、レイ先生はこの学園の校医も兼任しているらしい。肩の傷の確認をしたいとの事で私の事を探してくれていたようだ。
昨日私が寝ていた医務室と続き部屋となっている場所にレイ先生の研究室があり、私は一人で眉間の皺と対峙する事になった。
「まずは傷を見せてもらおうか」
「お、お願いします」
校医なのだから仕方がない。だが知っている男性に肌を見せることが恥ずかしいので、私は部屋の中を見回して気をそらす。
研究室の中には魔術と医術の本が整然と並んでいる。実験器材も種類や大きさで分類され、いつでも必要なものが取り出せるようになっている。
先生自身も白に近い金髪で、今日はベストの上に白衣を羽織っている。研究室も医務室と同じような優しい光が射し込む白い部屋で……とにかく何もかもが白く輝き落ち着かない。
魔術の研究というと、何となく薄暗い部屋で黒いローブを着こんだ怪しい人間がやっていそうなイメージだが、レイ先生は違うようだ。
この部屋に汚い靴で足を踏み入れたら間違いなく先生の眼光で射殺されるだろう。
「……ふむ、まぁ大丈夫だろう。化膿しないように毎日消毒をして清潔に保つ事を怠るなよ」
「はい、今朝もライラが手当てをしてくれました!」
「ローランズが? 貴様! 人に甘えずそれくらい自分でやりたまえ!」
眉間の皺が五本になり、鋭い目つきで睨まれる。
「ひぃっ! なんで怪我してるのに怒られなきゃならないんですか……」
「ところで、魔術の授業の件だが……」
包帯を巻き終えた先生が昨日の騒動で忘れかけていた話題を持ち出した。
「ゴホン、ゴホゴホッ!! ……忘れていました」
「学生の本分たる学業を、ましてやこの私の授業の事を忘れてしまうとはいい度胸だな……まぁいい。学長とも相談したのだが、親の身分や魔術の才能を問わずに入学させる方針が決まっている以上、いずれは努力をしても初級レベルの魔術すら使えないものが出てくるだろう……現在の救済措置の不備は認めよう」
「それなら……」
「おそらく、実技が出来ない者は論文等の提出で単位を認める方針になるはずだ。潜在能力の十割を引き出す方法論でも今からまとめておく事だな」
「やったー!!」
「…………喜ぶのはまだ早い。この私を謀ろうとした罪は別だ! 貴様には放課後週二回、私の雑用係をしてもらおう」
「え?」
私はちょっと拍子抜けしてしまう。レイ先生の雑用というか、研究の助手が出来るのなら私にとっては罰にはならない。怖い顔にさえ慣れてしまえばここは知識の宝庫である。
「まさか、不満があるとは言わないだろうな」
「とんでもございません!! やらせていただきます」
「腹立たしいが、貴様の知識を研究に利用した方が少しは私の気が晴れるというものだ」
話がついたところで、研究室のドアがノックされる。レイ先生が入室の許可を出した後に入ってきたのはセドリック君だった。
「エリカ様に手紙です。……アーロン様から」
「あら、珍しい。でもなんでセドリック君が?」
「昨日の事件は公になっていますから、殿下の指示で僕が事情説明に行って来ました」
「仕事が早いわね……。あれ? セドリック君は私の下僕で、殿下の侍従じゃないわよね?」
「殿下にはお世話になっていますから……。アーロン様はあらゆる意味でお怒りです。次の休暇には絶対に帰ってくるようにとの事でした。殿下も同行されるそうです」
「えーっ? いいの? 王太子殿下を呼びつけたって事!?」
それは不敬ではないか。ちょっと兄の事が心配になる。手紙の内容を確認すると、やはり傷が心配だからとにかく帰ってくるように書いてある。だが、殿下まで呼びつけて大丈夫なのだろうか。
「非公式なものですが、殿下ご自身のご希望です」
昨日も私に頭を下げてくださったのにわざわざ兄のところまで出向くつもりだという事に私は驚く。
「殿下は貴様の件についての謝罪だけをしに行く訳ではない。おそらく協力を仰ぐつもりだろう。……貴様の兄は気に食わんが優秀な男だからな」