1兄の洗脳
私の名前はエリカ・バトーヤ。ハーティア王国の北の国境付近にあるノースダミアという地方の領主を父にもつ、十五才だ。
ノースダミアはこの国の主食の一つである芋や麦の主要生産地としてそれなりに栄えている。本当にのどかな……つまりは、とんでもないド田舎なのだが、私にとっては住みやすく愛すべき所だ。
ハーティアの王都までは、馬車で十日間以上とかなりの長旅になる。私は今、領主である父と一緒に王都へと向かっていた。
父や、後継ぎで現在王宮に出仕している兄は領地と王都を行ったり来たりとしているのだが、私は今までノースダミアから出たことがなかった。
馬車の中から眺める景色は徐々に姿を変えて、ノースダミアでは見ることの出来ない木々が目立ちはじめる。立ち寄った街の雰囲気も、宿で出される郷土料理も――――初めての旅は私にとっては全てが新鮮だった。
特に、王都の街並みは田舎育ちの私の度肝を抜いた。小高い丘の上に建つ王宮は縦のラインが強調された荘厳な建物で、遠くからでも存在感を放っている。
その下に広がる街は建物の高さが揃えられ、どの建物も同じ製法で作られたオレンジ色の屋根瓦を使用しているために統一感がある。道は石畳できちんと舗装され、かなりの横幅がある目抜き通りは馬車道と歩道がかちんと分けられており、その境には手入れのされた街路樹が植えられている。
私の乗った馬車は目抜き通りから少し離れたバトーヤ家の屋敷に向かった。この一帯は私の家と同じく、代々領主を拝命している家や王宮で役職を得ている比較的身分の高い者が暮らしている区画だ。
バトーヤ家の邸宅は周囲と比較するとやや小ぶりだが、整えられた庭が自慢の二階建ての屋敷で、やはり屋根の色はオレンジ色だった。
屋敷に入ると三人の使用人と、この屋敷で暮らしている兄のアーロンが私達を出迎えてくれる。
「久しぶりだな、エリカ。少し会わないうちに随分と背が伸びたし綺麗になったじゃないか?」
茶色の髪を短く整え、第一印象では人の良さそうな好青年だと称される事が多い兄は、前に会った時よりもさらに洗練された印象になっていた。
都会とはそこに住んでいる人さえも素敵に変えてしまうのだろうか?
「兄様! お久しぶりです。本当ですか? 私って美人ですか?」
領地では比較対象があまりいないので自分ではイマイチわからないが、都会暮らしの長い兄が言うのなら本当なのかもしれない。
私の外見といえば――――ゆるく巻かれた茶色の髪とグリーンの瞳というこの国ではよく見られる特徴のない容姿だが、鼻は高すぎず低すぎず、目は大きめでパッチリとしているし髪がツヤツヤだ。
田舎では毎日走り回っていたので足は速いし体力には自信がある。馬にも一人で乗れるし、雪国育ちだから薪割りなどの力仕事も得意だ。
魔法の才能はほとんど無いが、秀才の兄から勉強を教わって頭もいいはず。
王都で磨いたら私はもしかしたら相当いい女になれるかもしれない。そんな期待に心が踊る。
「うんうん。お前はなかなかの美少女だ! 学園に入ったら、お前の魅力で王太子殿下に見初められてきてくれっ! 俺の将来のために!!」
兄はとても頭がいい。本当に頭はいい……だが、自分勝手でお調子者だった。
「いやー。そんなの無理だし、面倒くさいです……」
私がド田舎のノースダミアから王都にやって来たのはハーティア王立学園に入学するためだった。
特に義務付けられている訳ではないが、この学園に入る事は仕官の登竜門となっているのだ。
ハーティアには女性の文官も数多く存在している。私も将来は国に仕える文官になるつもりだ。
ついでに、素敵な未来の旦那様候補とも出会いたい。そんな夢と希望を抱いて王都までやってきたのだ。
この国の王太子殿下は私と同じ十五歳で光栄にも今年学園に入学すればいわゆるご学友という事になるだろう。年頃の娘である私も当然、王太子殿下に興味はある。だが、現実に王太子殿下と恋に落ちて未来のお妃様になるなんて事を考えてはいなかった。そういうのは夢物語の世界だから楽しいのだ。
「そんなっ! それでも俺の妹かっ! いいかよく聞け。我が領地ノースダミアはまだまだ豊かになる可能性を秘めている。まず我が国は河川の整備が多国に比べて十年は遅れているのだ。軍備や魔法関連ばかりの偏った予算では国民の腹は満たされない。農地と河川の整備こそが真に豊かな国をつくり上げ国力を高める。エリカもそれはわかるだろう? 河川の整備をする事により農作物の不作、水害、飢饉を未然に防ぐ。それこそが今真っ先に取り組まなくてはならない事業だと! 俺は自領可愛さで言っている訳ではない。国全体の繁栄を考えてこその持論なのだ! エリカも甘ったれた事を言っていないで領主の一族に生まれた義務を果たすのだ!」
つまり兄は妹である私を王族に嫁がせる事によって、王家の外戚となり自身の提言する政策を実現させたいのだ。
河川の整備は一つの領地で解決できる問題ではない。例えばノースダミアの主な水源の元は隣の領地から流れているものであり、自領だけ整備すれば済む話ではない。国策でどうにかする問題だと兄は考えているのだ。
この話は長いし、もう何度も聞いているのだが、兄は話し出すと止まらなかった。
「……なるほど」
私にとって兄に逆らう事ほど恐ろしい事はない。とりあえずわかった振りだけはしておく。
「まだ自覚が足り無いようだな…………まぁ、そんなエリカがやる気を出せるようにいい物をあげよう!」
兄が大げさな身振りで指し示したテーブルの上には十冊ほどの本が積まれていた。
「兄様! これはまさかっ!」
「そう。ノースダミアのようなド田舎では売っていない! 乙女小説の最新版だ!」
「おおーっ!」
私は兄と大いに盛り上がった。娯楽の少ないド田舎で、兄や父が王都の土産として買ってきてくれる乙女小説は私の大好物なのだ。
屋敷で少し休んだら王都の商業地区まで買い物に行こうと考えていた事もすっかり忘れ、私は与えられた部屋に閉じこもり本を読み漁った。
兄から貰った本は、どれもこの国の王太子殿下と同じ金髪碧眼の王子様をヒーローにした恋愛ストーリーだった。
田舎で育った私は当然お会いした事など無いが、王太子殿下は金髪碧眼の美少年で年頃の少女達の憧れなのだ。小説の中でも王子様は実際の王太子殿下をモデルにして金髪碧眼である事が多い。
そして王太子殿下が学園で学ばれる今年度の流行本は、平凡な女の子がひょんな事から王子様のご学友になり恋に落ちるという時事ネタであった。
そして二日後、私は大きな鞄を使用人に運ばせながら兄に元気よく挨拶をして学園の寮に入るため屋敷を後にする。
「では、兄様! 私……ノースダミアのため、兄様の夢のため、そして何よりも自分のために、学園で精一杯頑張ってきますっ! 勉強も恋も!!」
「さすが、わが妹だ! 頑張ってこい! 俺とノースダミアのために!!」
すっかり恋する乙女となった私は、夢と希望を抱いてハーティア王立学園の門を叩いたのだ。