第32話 心の扉
薄暗い個室の中、ジークはベッドを椅子にして、腰かけていた。反対側のベッドに横たわっているのは銀色の髪をした少女。命に別状はないようで、安らかな寝息を立てている。屋根の上で見せた、嵐の様な戦いぶりが嘘のように、部屋は静寂に包まれていた。
特にすることもないので、次々と変わっていく景色を、窓越しに眺めている。
「・・・・っ」
目の前の少女が目を覚ます。頭を痛がる素振りを見せたが、特に問題は無いようですぐさまこちらへと視線を向けてくる。
「気が付いたか」
「・・・・あ・・・・・・」
いつもの彼女に戻ったのだろう。瞳の色は紅玉色から、蒼玉色に戻っていた。
「ユーリ?」
しかしその瞳は虚ろで光を伴っていない。どこを見ているのかさえ怪しい。
まるで聞こえていないのか、彼女の名前を呼んでも、反応することはなかった。
「な!?」
ユーリが立ち上がったと思ったら、こちらに一気に距離を詰め、ジークの首に八重歯を当て噛みついてきた。ちくりと痛む首。
突然の事態にジークは声をあげてしまう。
「・・・・・・んっ・・・・・・・・ずずっ・・・・・・・・・・じゅ」
目を閉じながら、一心不乱にジークの首に噛みついてくる少女。伝わってくる感覚からして、ユーリは地震の血を吸っているのだろう。オルヌ村で彼女が吸血鬼であることは知っていたが、前振りもなく血を吸われるとなると、流石に動揺してしまう。
昔読んだ本には「吸血鬼は血を対価に人間を守護した」という記述があったことを思い出す。恐らく血を吸うことが、その対価なのだろうとジークは推測していた。
「くぅ・・・・・・ん・・・・う・・・・・・・・ず・・・・んん・・・・じゅる・・・・・・・・」
艶めかしい水音を立てながらも、ユーリは血を吸い続けている。察するにそこまでの多量の血を吸われてはいないようだが、延々と吸い続けるようなら、背中を叩いたりして意識を取り戻すように行動した方が良いのだろうか。
「・・・・・・リ」
微かに声が聞こえてくる。薄れていた意識が覚醒していく。
閉じていた目を開けていくと、目の前には彼の上半身があった。意識が戻っていく感覚は眠りから覚めたような気分であった。
「ん」
通常なら、彼との距離が近いことに驚き、赤面の一つでもして飛び退くところだが、身体は重く、今一つ力が入らないので、そんな行動を起こす気力は無かった。風邪を引いた直後の病み上がりの様な体調。
「大丈夫か?」
「あーうん。ちょっと頭痛が」
薄れ行く意識の中、悪漢共を蹴散らしたことはおぼろげながら覚えている。激しい頭痛によって気絶してしまったとばかり思っていたが、現在の状況から察するに、撃退には成功したらしい。
恐らく気を失ってしまった自分をジークはここまで運んできてくれたのだろう。ならばアスカは部屋の前か、先頭車両で事態の収拾にあたっているのかもしれない。
彼女に丸投げするのは、流石に心が痛む気もするし自分たちも手伝いに行くべきだろう。
そう思った所であることに気が付いてしまった。
「・・・・・・・・あ」
彼の首には小さな傷が二つあり、そこから僅かに血が垂れていることに。
自分の口から涎が流れていることに。
――否、それは涎ではなく、赤い水であることに。
「・・・・僕・・・・・・は」
これら全ての要因が点と点を結ぶようにつながる。
――とどのつまり、自分は吸血行為をしたのだと。
それは、もっと先に考えるべきだったのだ。問題を先送りにせず、現状と向き合って血を吸うとはどういうことか、魔法の待ち時間同様に調査するべきだったのだ。
ここにきて、問題を後回しにしたツケが回って来てしまった。
「っ!」
自分は人間ではなくなってしまった。その事実はユーリには受け入れがたい事実であった。
彼の顔を見るのが怖くなってしまい、勢いに任せて部屋を飛び出そうとする。連馬車は今もなお走行中で逃げ場所などどこにもないのに、この部屋にだけは居たくなかった。彼に嫌悪の眼差しを向けられるのが怖かった。
「ユーリ!」
後ろから羽交い絞めにされてしまう。吸血鬼の真価を発揮できる夜なら、人間の男一人の腕力で取り押さえられることは無い筈。しかし、目覚めてから身体に力が入らないせいでジークの拘束を解くことが出来ない。
「やだっ! 離して!」
「絶対に離さないからな」
せめてもの抵抗とばかりに声を出すも、通用しなかった。彼は意外と腕力がある様で、逃れることは叶わなかった。
「・・・・落ち着いたか?」
「・・・・少しは」
どうあっても逃げることは出来ないので、ゆっくりと深呼吸をして、息を整える。まだ心臓は早鐘を打っている。
「僕は人間じゃないみたい」
「見せてもらっただろ? そんなことくらい知ってるよ」
恐らくはオルヌ村の村長の家で見せたステータスのことを言っているのだろう、そのこと自体に彼が驚くことはなかった。
「違うんだ・・・・・・僕は君に酷いことをした」
「・・・・そうだな」
無意識の内とはいえ、突然血を吸うような行為。断りもなく。半ば押し倒すような形で血を吸うなど失礼極まりない行為だと思う。本来なら彼は激高し、縁を切られたとしても決して文句は言えないだろう。
「問題を先送りにして・・・・・・自分のことしか考えていなかった」
先の事を見据えて、彼に頭を下げて協力を依頼すれば、違った結果になったのかもしれない。最も、今考えたところで既に手遅れのわけだが。
「・・・・・・だから、もう。一緒に居られないね」
自分と彼は違い人間ではないことを今回の一件で痛感させられた。これまではステータス等の違いだけで済んだが、今後はそういうわけにはいかない。
「・・・・」
「僕は君とは違うんだから。次の街でお別れだね」
出来る事なら、彼の旅を見送りたかったが、それは出来そうにない。この空気の中、旅を続けるなどユーリの胃がもたないし、そもそも彼が拒否するだろう。
「怒るぞ」
「え?」
肯定されると予想していたユーリは思わず聞き返してしまう。
「人間か吸血鬼か。その程度の違いだけで、嫌いになったり避けるようになる男だって思っていたのか?」
「・・・・・・・・・・違うの?」
全ての人間が差別や区別をするわけではない。中には種族の差など、気にしないという考えの人間の方が多数いるのかもしれない。
「少なくとも危害を加えようとしているなら。俺はもう生きていないだろうし」
ジークはエルヴ村で風邪を引いた時のことを思い出す。寝静まったところにユーリが看病をしに来てくれたのだ。
人の顔をぺたぺたと触ってきた理由については依然として謎のままであった。
しかし、人が見ていない所で優しさを見せることが出来る人間は、どれだけこのミッドガルズにいるのだろうか。
少なくとも、寝静まっている人間の所にこっそりと様子を見るような真似はせず、我関せずといった態度を取るだろう。
この少女は、人目のつかない場面でも他者に思いやりをもてる心の優しい子だ、とジークはユーリのことを思っていた。
「人間じゃなかったとしても、俺と違っていたとしても、ユーリはユーリだろ?」
彼は特に何も考えていないのだろう、頭に浮かんだ台詞をそのまま喋っているのだろう。
「あ」
その言葉を聞いた瞬間。何かが崩れていくのがわかった。心のどこかで彼との間に作っていた壁。その壁が、その言葉だけで、音を立てながら崩れ落ちていく。
「ぐっ・・・・・・ぅ・・・・う・・・・・・ふっ・・・・・・・・ぐっ・・・・・・う」
もう限界であった。嗚咽がこぼれてしまう。涙をこらえることは出来なかった。決壊したダムの様に涙が濁流となってあふれ出す。
「・・・・僕・・・・・・は・・・・違うんだ・・・・・・せっ・・・・てい・・・・どおり・・・・・・なら・・・・年を・・・・・・とらない」
この世界の人間ではないこと。所持している圧倒的なステータスは仮初めのもので、血の滲むような努力をして手に入れたものでは無いこと。
彼に対して後ろめたさを感じてしまい、勝手に壁を作り、距離を取ってしまっていた。
「友達に年齢とか関係ないだろ?」
ジークは、彼女の言葉に良くわからないフレーズがあったが、聞き返す真似はしない。
今、彼女が求めている言葉はそれではない。
「・・・・・・ふっ・・・・・・・・ふ・・・・ぐす・・・・うううう・・・・」
どうしていいかわからず、ユーリは彼の胸に飛び込んだ。それを彼は優しく受け止める。
身寄りもいないこの世界で。人間を辞めてしまっていたことに動揺し、自暴自棄になりかけていたところに全てを受け入れてくれる存在の出現に、ユーリは心の中で深く感謝した。
その後も腕の中で、彼の温もりを感じながら、今まで貯め込んでいた負の考えを吐露し続けた。




