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9 宇宙船が不時着した原因、そして端末のおねがい

 ざば、と頭の上から湯をかけてやる。ぶるぶると頭を振ると、銀色の髪は、水しぶきを飛ばす。

 湯当たりなのか疲れなのかそのあたりは判然としないが、歌姫はひとしきりしたあと、ずる、と身体を起こすと浴槽のへりにまた身体をもたれさせた。

 気温と湿気、そして身体の奥からの熱が、お互いの全身からじっとりと汗をにじませていた。

 俺は自分のそれを一気に流すと、残されていた海綿に湯とシャボンを一杯に染ませると、奴の身体をそれでこする。もう情欲とは別だ。それはそれで、さっぱりさせたいところだった。

 頭も同じだった。髪専用などという気の利いたものは見つからなかったから、直接シャボンをつけてかき回す。

 目を閉じて、奴はひどくゆったりとした顔をしている。湯をかける。今にも眠りそうだった。だけどここで眠られても困る。


「起きてろよ」

「…起きてるよ」


 だらだらとシャボンを洗い流す。そんなひどくゆったりとした時間の中で、歌姫は眠気覚ましだろうか。それまでしなかった話を始めた。


「…俺さあ、別に、好きじゃあなかったよ」


 ふうん、と俺はあいづちをうつ。何が、とは聞かない。予想はつく。


「だってさ、好きなひととはそうできなかったから。いつも」

「好きじゃない奴とはできたのか?」

「うん」


 歌姫はうなづいた。


「だって、その時好きだったのは、女のひとだったから」


 なるほど、と俺は思った。意外に驚かない自分に気付いた。


「好きだって言っても、信じてもらえなかった」

「…一度お前に聞きたかったんだが…」

「何?」


 独り言のような口調。真っ赤な目はまだとろんとしている。

 少しつっつけばまだ倒れ込めそうな雰囲気はあったが、さすがにこの場でそんなに長く続ける程、歌姫は暑さには強くはなさそうだ。


「お前は故郷でどっちとして育てられたんだ?」

「男か女かってこと?」


 俺はうなづく。少し考えるような顔をして、歌姫はどうだろ、とつぶやいた。


「…育ててくれた人は、女にしたかったみたいだね。歌姫、だから。女でいてくれた方が楽だと思ったんじゃないかなあ」

「楽?」

「男の『歌姫』は、取り扱いが厄介だと言われていたから」

「何で」

「お前知らないの?」


 知らない、と俺は答える。そりゃその声の効用は多少は聞いてはいたが…


「あのさお前、どっかの馬鹿が、放送とかで使うので、男の歌姫って見たことがある?」

「無いが」

「だろ? 何でだと思う?」

「何でだ?」

「女の歌姫は、人の心を揺るがし、男の歌姫は、大地を揺るがす」


 歌姫は棒読みの口調で言う。それは俺も、聞いたことがある。


「…だからさ、人の心を動かすのは、女のひとの高音なんだ」

「…男の低音は、違うのか?」


 こすった腕の内側が、赤くなる。


「男の低音は、人間の心には作用しない。逆だよ。人間以外のものに作用するんだ」

「人間以外?」

「人間以外だよ」


 人間以外のもの。俺は想像してみる。…何かとりとめのない言葉だ。


「だからさ、大地を揺るがすだろ?」

「自然か?」


 口に出した問いに俺は自分でも驚く。それはもしや。歌姫は目を伏せる。


「当たりと言えば当たり。でも、自然だけじゃないんだ」

「自然の意志?」

「と言うか、全てのものの意志」


 …話が大きくなってきた。


「…自然もそうなんだけど、…だから、自然は、男の歌姫の感情に同調して、…例えば、海に道を作ったり、大地を割ったり、そういうこともする。でもそれだけじゃない。人間以外のもの、は自然だけじゃない」

「…と言うと?」

「例えば機械」


 ぴた、と奴の首すじをこすっていた俺の手が止まる。


「だいたい最近の宇宙船って、メカの命令系は、一つに集中させられてるんだって」

「…ああ」


 俺も一応飛行機乗りだったのだ。


「それに、同調させることができたら?」

「させたのか?」


 とっさに浮かんだ問い。歌姫は、黙ってうなづいた。


「…『暁の歌姫』、ってのは、男であることも女であることもできないんだけど…逆に、男の歌姫でもあり、女の歌姫でもあるんだ」

「…」

「オゲハーンの軍が、俺を特に掴まえたのは、そのせいだ。俺はプロパガンダのため、よりは武器として、捕らえられた。敵軍の、襲い来る飛行機を狂わす武器として」

「…何で」

「敵軍の飛行機が、民間の地までも爆撃を始めたからさ」


 俺は自分の中の血が一斉に引く音を感じた。

 それは、俺のせいなのか? 歌姫が捕らえられたのは、俺のせいだと、言うのか?


「…馬鹿馬鹿しいよね」

「…馬鹿馬鹿しいよな」


 俺の考えていることに気付いてか気付かずか、歌姫はそんな言葉を言う。俺は似た言葉を繰り返す。


「俺自身は半信半疑だった。だって、俺の惑星には、そんなにややこしい機械は無かった。できない訳ではないとは思ったけど、実際やったことないものに、そんな武器としての価値を持つ気持ちは判らない」

「でもお前は連れて来られたんだな」

「お前手が止まってるよ」


 歌姫は俺に指摘する。海綿を動かす手が復活する。くすぐったいのか、気持ちいいのか判らない表情を奴は浮かべながら俺を見る。


「連れて来られた。…でも連れてきた連中は、俺が何なのか、よく聞いていなかったようだよね。少なくとも武器じゃなかったみたい。珍しい生き物。珍しい綺麗な『男じゃないもの』。そういう目で最初から見たよ。だから嫌な予感はしていた」


 つん、と胸のあたりに針で刺したような痛みが走る。


「案の定、奴らは俺に手を出してきた」

「抵抗はしたのか?」

「したさ。でも人数が多くなった時点で、しても無駄と思った。俺はお前と違って普通の、そういう力は無い」


 視線が、不意にこちらを向く。


「だから俺は、叫んだんだ。男の声で」


 歌姫は、繰り返す。


「俺は、男の声で、叫んだんだ。ここから逃げたい、と思いながら」


 喉に詰まるような、何やら突き上げるような感触。


「何処だっていい、何処でもいいから、ここから逃げたい、と俺は思ったんだ。その時。奴らに組み敷かれた下でさ。…できるかどうかは判らなかったけど…でも計器はいきなり狂った。ううんそうじゃないね。船自体が、俺の意志を映し取って、何処かへと行きたくなってしまったんだよ」

「船が」

「そう。船が。船が、こんな戦域なんか放っておいて、何処か、誰もいないような星域に行きたいって思ってしまったんだよ。…でここに飛んだ。あの時、結構突然だったろ? 超空間航行に入ったのって」


 ああ、と俺はうなづく。

 あの時、何の予兆もなく、窓の外の光景は変わった。身体に奇妙なGがかかり、それを押さえるのに一苦労した。何が起こったかと思った。

 だがそのせいで、船内はパニックに陥り、そのパニックを利用して俺は扉を破り、空間の様子を見はからい、小型船を奪取して、最寄りの惑星に不時着した訳だが…


「お前はよく平気だったな」


 よ、と腕を回し上半身を抱えながら、背中を流す。奴の頭がこっちの肩にもたれかかる。まあね、という声が耳元に近づく。


「船は、俺は守ってくれたから」

「船が、か」


 同じ言葉を俺は繰り返す。


「そ。他の奴はどうか知らないけど、とにかく船は俺だけは守ってくれた。無茶苦茶な状態になったからさ、奴らは慌てて出て行ったよ。ひどいもんさ。もう格好なんて見ちゃいられない。滑稽なもんだよ」


 …予想はつく。


「でも、ま、連中が持ち場に着くべく出て行っちゃったから、俺は俺で、慌てて適当な服を着込んでさ」


 それがあのぶかぶかの真っ赤な防寒服という訳か。


「で、俺は俺でどうしたもんか判らなかったから、廊下に出てうろうろしていたら、気配の中に、ここに入っていろ、ってのがあったから、その気配の言うところに入って、じっとしていたんだ。そしたら急に速度がおかしくなって…その部屋は、着陸寸前に、それごと飛び出した」


 俺はうなづく。おそらくは、そこは脱出ポッドになった特別室だったのだろう、と俺は推測した。大きな船には必ずそういう部屋は一つあるのだ。大抵は、お偉いさんのために。

 だが船が選んだのは、歌姫だった。


「可哀相なことをしたよね」

「何、船員達がか?」

「まさか。船だよ。俺が同調させちゃったから、まだ飛べたのに、こんな遠くまで来させてしまった」


 する、と奴の手が俺の首に回る。


「本当に」


 ぎゅ、としがみついてくる気配。俺は手を止める。


「…俺はさ、別にこんな身体に生まれたことには恨みはないよ。そんなのは、だって、結局お前が言う通り、運だもの。どんな身体に生まれようが、いい場所に生まれようが、何かいいことも辛いこともあるし…上を見ても下を見ても切りはない…」


 口の中で転がすような声が、聞こえるか聞こえないかくらいに俺の耳に響く。


「だけどさ、時々嫌になる。武器としか見られなかったり、味方してくれたものを傷つけてしまったりするんじゃ…」


 腕の力が、やや強まる。


「俺の持ってるものって、一体何なの?」


 それは。


「滅多に出ない『暁の』歌姫だから、メゾニイトの連中は俺を好きにはならない。好きなひとができたって、俺は男じゃないから、そのひとが女である限り、子供を作ってやることもできない。そのひとが男だったとしても、子供を産んでやることもできない」


 そういえば、と俺は思い返す。メゾニイトは、子供が生まれにくいから、そうすることが、一番の愛情表現だと聞いている。そして、相手が何人だろうが、誰が誰とそうしようが、結果として子供ができれば、それは大した問題ではないと…

 そんな中で、男に子供を生んでやることも、女に子供を生ませることもできないこの歌姫は、確かに枠の外だったのだろう。


「じゃあその代わりにって、男の声も女の声も与えられていたって、結局、誰のためになるっていうんだよ… どっかの独裁好きの馬鹿のためになんか、俺歌いたくない」


 語尾が、震えている。


「歌うことは好きか?」


 俺は歌姫の背中を軽く指先で叩きながら訊ねた。奴はうん、とうなづいた。引きつった声で、奴は続ける。


「それ自体は、好きだよ。俺の声は、故郷の誰よりも、遠くに届いた」

「じゃあ俺は、お前の歌を聞きたいよ」


 奴は顔を上げた。目の下が、赤く染まっている。俺はその脇を軽くついばむ。奴は目を閉じる。だがそれだけだ、今は。


「…今?」

「今じゃなくていいさ。いつでも。お前が好きな時に」


 この地は、きっとそれを許してくれるだろうから。

 歌姫は考えとくよ、と言って絡めていた腕を離し、ゆっくりと目を開けると、その横をこすった。

 俺は気付かれない程度にくす、と笑うと、ほら目をつぶれと言って、奴にざぶん、と湯をかけた。



「えー」


と言ってからこほん、と向こう側の椅子に座った端末は咳払いをした。

 もぐもぐ、と口を動かしながら俺は声の方に顔を向ける。

 浴室から出て、そこの従業員用だったらしい作業服を身につけ、乾かした髪をくくってしまうと、さすがにさっぱりした。

 歌姫にも同じ服が渡されたのだが、どうもそれは奴には大きかったらしい。袖も裾も折られ、腰のベルトは一番奥の穴でも緩いので、ほとんど結んでいるような状態だ。

 どういう具合か、浴室から出たらすぐに端末は待っていた。そして食事を用意してある、と俺達に告げた。

 案内された部屋は、がらんとした大食堂だった。やはりかつては大人数が使っていたのだろう。その一番厨房に近い席だけが、灯りを点けられ、ほこりを払われていた。

 言われて、温蔵庫の中からトレイを取り出す。フォークやナイフ、もしくは箸と言ったものも適当にそこいらにあるものを使ってくれ、と言うから、目についたものを手にした。歌姫は意外にも箸を希望した。なかなか訳の判らない文化圏だ。最も、資源の少ないところでは便利な道具ではある。

 どうやら俺達が浴室に居た時間は結構なものだったらしい。そこのトレイをどうぞと指された温蔵庫に入った食事パックはちょっとばかり煮詰まっていた。

 何だか判らない肉団子のようなものや、形があるかどうか、という位の野菜の入った、香りからするとトマトシチュウかと思われるもの、妙に緑色の濃いポタージュのようなもの、それに何だろう、黄色の茶。

 主食は… これは焼きたてのような香りがするパンだった。ただし、ぺたん、と平たくやいた、さほど膨らみのないものではある。

 歌姫はその皿からはみでそうなパンをちぎると、迷わずにトマトシチュウにつけては頬ばっている。

 本当に大丈夫かよ、と俺は一瞬思った。ここがもし地球だとしたら、一体ここに貯蔵されていた食料はいつのものなんだ?

 だがその疑問はとりあえずおいておくことにした。嫌な臭いはしない。おそらくは冷凍しておいた粉末の合成タンパクや小麦粉から急速に加工したのだろう、と考えた方が気楽だ。

 それに俺も、長湯したせいか、腹はなかなか空いていた。とりあえずはメシなのだ。一口すすると、酸味の効いたシチュウの味が、口いっぱいに広がった。

 そしてその皿が大半空になったのを見越してか、端末は俺達の前の椅子にかけると、先ほどよりはやや自然な表情になった顔を向けた。


「とりあえずご満足でしょうか?」


 おお、と俺は口にものが入ったまま答える。


「ではそろそろこちらのお願いも聞いていただけますか?」

「何だ?」


 そして端末は歌姫の方に目を向ける。歌姫はポタージュの入ったカップをずず、とすする。 


「先ほどは失礼しました。確かにそういう気配はあったのですが、本当にあなたがメゾニイトの歌姫なのかどうか、確かめたかったので、ああいう方法を取らせていただきました」

「…」


 歌姫はカップを置くと、憮然とした顔になる。そりゃそうだ、と俺は思う。そして歌姫の肩に手を乗せる。奴は特に払う気配はない。だが黙ったままだ。当然だろう。

 俺は奴の代わりに反論する。


「だがな、いくら何でも神経拷問の機械を使うことはないだろ?」

「他に人間の精神に直接作用するものが見つからなかったもので。それに」

「それに?」

「効果が少しでもあれば、すぐにスイッチを切ればいいと思ったのです。長時間稼働させるつもりはありませんでした」

「…だが結構な時間、していたんじゃないか?」


 いやそうじゃない。あれは、十分も続ければ受けた奴が参ってしまう。大抵は五分もやれば拷問としても充分だ。


「だから十秒か十五秒で済ませようとしました。ところが、番狂わせが起きまして」

「番狂わせ?」

「我々までが、共鳴してしまったのです」


 ち、と俺は舌打ちする。そりゃ確かに番狂わせだ。端末の表情も、微かに歪んでいる。


「…なるほどそれであんた等自体が、身動き取れなくなったんだ」

「はい。さすがにこちらも反省しております。あれはひどい」


 …だったら最初からしなければ、いいのに。


「ですが、どうしても、メゾニイトの歌姫でしたら、お願いしたいことがあったのです」

「だからそれは何だよ」


 歌姫は初めて端末に向かって口を開いた。


「あんたも俺を、武器か何かに使おうっていうの? ここには人間がいないもの。歌姫の俺ができることなんて、そのくらいだろ?」

「いいえ」


 端末は目を大きく開く。そして首を大きく横に振った。


「そんなこと」

「だって他に何ができるって言うんだよ?」


 だん、とテーブルが音を立てる。奴の肩に乗せた手が、立ち上がり際、ずるりと落ちた。

 黄色い茶がガラスのカップの中で揺れる。眉を思い切り寄せ、思い切り不機嫌そうな顔になって歌姫は反論する。


「この地で武器は必要はありません。戦争をするのは人間だけです。人間がいないこの惑星で、それはあり得ません」

「だったら」

「我々があなたにしてもらいたいのは、目覚ましです」


 端末は、両方の腕をテーブルの上に立てた。


「め… ざまし?」


 気が抜けたような声が、俺の頭上から響く。落ち着け、と俺は奴の腕を掴み、再び椅子に引きずり下ろした。


「ええ。目覚ましです」

「それは、何を、起こすんだ?」


 今度は俺が問う番だった。端末は一度テーブルに視線を落とす。


「…ここから200㎞くらい先に、ここよりはやや大きい都市があるのですが…二十年程前から、停止しています」

「都市」


 俺はその言葉を繰り返す。はい、と端末は答えた。とすると、こいつのように、意志を持つ管制コンビュータの居るタイプということだろうか。


「それを?」


 歌姫は短く訊ねる。はい、と端末は再び答えた。


「『彼女』にはレプリカ脳が使われています。あのレプリカの反乱が起き、鎮圧された時に、それが大きな悲しみとなって『彼女』達を襲い、永の眠りにつかせました」

「…あんたコンピュータのわりには詩的だな」

「失礼しました。私を組んだ方にそういう傾向がありましたので。…言い換えれば、この地球上にある、大小関わりなくそれを中枢に使われている管制コンピュータが、そのショックで停止してしまったのです」


 何で、と俺は反射的に訊ねていた。


「だって、ここはあの惑星からはずいぶんと離れているじゃないか」


 歴史としてはまだ浅い「レプリカの反乱」は、確かまだ俺も子供の頃だ。何でも、各地からレプリカントが一つの惑星に集結して、人間に対して反旗を翻したらしい。独立を宣言して。

 なかなかそれは事件だった。何せ人間に楯突くことなど考えられなかった人工の生命体が、いきなり「反乱」なのだから。

 俺も詳しくは知らない。知っていることと言えば、その程度だ。そしてコウトルシュからは遠い惑星だったということ。だがここはもっと遠くないか?

 だが端末は頭を横に振る。


「距離は関係ないらしいのです」

「らしい」 


 曖昧な言葉。


「『彼女』はそう言っていました」

「そうかあんた『彼女』が好きなんだ」


 歌姫はいきなり口をはさんだ。は? と俺は奴の方を思わず向いていた。だがそれは真顔だった。冗談ではない。そして端末もまた、はい、と答えた。


「…無論、この地にも私以外の者は存在します。雪が溶ければ、冬眠している動物も植物もデザイア達も目を覚まします。そうすれば私も仕事が始まります。特に大きなことをする訳ではありません。自然本来の食物連鎖に水をさすこともしません。ただ、門は開けておきます。そして嵐が来て、彼らが私の地に雨宿りをしたいというなら、その軒を貸してあげる、その程度です」

「でもそれがあんたの仕事なんだ」


 歌姫は低い声でつぶやく。はい、と端末も同じようにつぶやいた。何やら俺は、暖かいものが胸に広がるのを感じていた。


「私はその仕事が好きです。少なくとも、欲望溢れる世界で、都市内の些末なことで争いを繰り返し、悪いことは全てこちらに責任を押しつけるような人間達の社会を管理するよりは」


 俺は苦笑する。その部分が、人間の生気溢れる部分だ、と言ってしまえばそれまでだが…管理する方は、確かにたまったものではなかったろう。


「遅い春、短い夏、僅かな秋の間、私は自然の移り変わりを見ながら過ごしています。ですが、長い冬の間は、そうもいきません」

「あんた一人になるんだ」


 はい、と端末は歌姫の問いに答える。


「長い間、そうでした。人間が居なくなって百年程、そんな四季を見てきました。…そこへ語りかけてきたのが『彼女』でした。『彼女』は私より大きな都市ですが、やはり同じ様な日々を過ごしていました。そして宛ても無く電波を飛ばしていたら、近くに私の存在を見付けたそうです」


 悠長な話だ、と俺は思った。百年も近くの都市の存在に気付かなかったのだろうか。…まあ寿命が違うのなら、仕方がないのだろうが…


「だけど」


 俺は口に出していた。


「それまでずっと、あんた等はお互いの存在に気がつかなかったのか? 地図くらいあるだろう?」

「それは無論あります。地球上の何処の都市が何処にあり、どれが純粋メカニクルで、どれがレプリカ脳であるかも、無論判ります。ですが、私は『彼女』が語りかけてくるまで、そういうことがあるとは思ってもみなかったのです」


 …俺は何となく、同級生の恋の悩みを聞いているような気分になっていた。女が多い惑星だったから、男も女に囲まれて育ってくることが多い。そんな中では、だんだん女という存在に鈍感になってくるのが普通だ。

 だがその中で、いきなり一人だけ、輪郭がはっきりして、その唇から流れる言葉一つ一つが新鮮に感じられる女が出てくるのだという。

 つまり、それが恋なんだと。

 俺は無意識に目を細めていた。どうだったろうか、俺は。

 彼女に、それを感じていただろうか。

 歌姫の赤い瞳が、ちら、とこちらを向いて、また端末の方へと戻る。

 …俺は。


「それからは、長い冬もさほどに長くは感じませんでした。彼女の見る風景を私も見、私の見る風景を送り、春夏秋にあったこと、もっと昔にあったこと、これからのこと、様々なことを語り合ったものです。それはひどく楽しいものだった。だけどそれは、二十年前に、いきなり止まってしまった」


 端末の表情は微かに曇る。


「幾ら電波を飛ばそうが、返事は無い。心配して探索機も飛ばしました。反応はありません。全く停止している訳ではないのです。低いエネルギー反応はあります」

「つまりは、眠っていると」

「そういうことです。エネルギーの再生産機能は、『彼女』なしの自動運転では動きません。ですから残存エネルギーだけが、眠る『彼女』を生かし続けている状態です」

「…ああ…」


 歌姫はやや苦しげな顔で大きくうなづく。しめつけられるような感覚が、俺の胸にも響く。


「お願いします。あなたなら、できるはず」

「…本当にできるかどうか、判らないよ」


 乾いた声が、歌姫の唇から漏れる。いいえ、とそれを見て端末は手を振った。


「あなたの声は、よく響きますよ。おかげで我々もよい気持ちにさせていただきました」


 え? と歌姫は目を丸くし…

 次の瞬間、顔を真っ赤に染めた。


 …鈍感な俺がその意味に気付いたのは、後で睡眠を取るべく用意された部屋でだった。

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