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7 幻覚から醒めたら風呂を要求しよう

 だがそれは、俺の意志に反することだった。

 俺が空戦隊の撃墜王だったのは、相手がやはり俺を、味方を狙い打ちする同業者だったからに過ぎなかった。

 その場に身を置いた以上、攻撃を自分からする奴には、俺は容赦がなかった。そこに罪悪感はなかった。そして自分がやられたとしても、きっとその時に、恐怖はあっても、憎悪はないだろうと感じていた。

 だが、その時、俺は確かに、躊躇した。

 その都市は、よく似ていた。俺達の育った街に。大して裕福でもなく、かと言って貧困にあえいでいる訳でもない。ごくごくありふれた街だった。

 目標を定めた。指が躊躇した。


 だったら何故俺は逃げ出さないのだ?


 指がボタンを押した。一瞬のうちに、眼下は火の海になった。

 俺はその光景に眩暈がした。飛んでいて、初めてのことだった。生理的な眩暈ではなかった。それは、自分の中の何かが分裂する感覚だった。


 中途半端なんだ。


 彼女の声が耳の中に聞こえた。


 お前は責任を取りたくないんだ。


 ああそうだ。彼女の肩には、ずいぶんな重みがかかっていた。

 正規軍を飛び出した昔はともかく、今は彼女の一挙動に、アルビシンの兵士の未来がかかっていた。

 判っていた。だから俺はそうなりたくなかった。

 そんなものは、クソ食らえ、だった。

 だが力が、足りなかった。

 結局俺は、彼女の、司令官殿の言葉には逆らえなかった。俺は俺でありたかったから、人の下にあることを逆に、選んだ。

 だが結局このざまだ。

 眼下に火。燃える、街。黒煙が立ち上った。眩暈がした。


 …眩暈が…


 ちょっと待て!


 俺は、腕を伸ばしていた。足を大きく踏みしめてみた。

 

 黒煙が…


 そんなものは、何処にもない!

 目を一度強くつぶり、そして開ける。

 途端に、耳に、強い音が、飛び込んできたのを感じる。

 悲鳴、だ。


 歌姫の、悲鳴だった。


   *

  

 広げた目の外は、闇ではなかった。

 夢を見ていたのか? 頭を一度、ぶるん、と振る。そうかもしれない。でも今は、ここは、夢じゃない。

 だが隙あらば、夢の… いや幻覚の中に引きずり込もうとするものが、耳に飛び込んでくる。

 悲鳴が、耳に飛び込む。そしてその悲鳴の出所が、俺の目の前にあった。


「…おい…」


 意識をかすめとられて行きそうな感触と必死で戦いながら、俺は、目の前の椅子にくくりつけられている歌姫に手を伸ばした。

 俺はそれが何だか知っていた。

 黒い合皮ばりの大きな椅子。大きな背もたれは、奴の小柄な身体をすっぽりと抱きしめる。だが抱きしめるのは、背もたれだけではない。

 手を伸ばす、同じ色の太いベルトが、奴の華奢な身体をしっかりと、逃げられないように抱え込んでいた。

 それだけではない。目にはアイマスクをかけられ、頭に、妙なヘルメットの形のものをかぶせられている。

 それが何だか俺は知っている。神経拷問の機械だ。形式はやや違うが、捕らえた捕虜を尋問する時の機械だ。

 ち、と俺は舌打ちをする。

 ふっ、とまた意識が過去に飛びそうになる。俺は反射的に二の腕の肉を大きく鷲掴みにし、自分自身が飛んで行くのを引き留める。


 そうか。


 それが何故起こるのかようやく俺は気付いた。無意識が、奴の声に、共鳴しているのだ。

 記憶そのものが、そのまま見える訳じゃない。ただ、伝わるのだ。

 神経拷問は、最悪の記憶を導きだす。

 奴がどんな情景を見ているのかは判らない。ただ、それが最悪ということだけが、俺にも伝わり、それは、俺の中のそれをも引き出した。

 止めなくては、と俺は思った。この声を止めなくては。

 奴にこんなことをしたはずの周囲は不気味に静かだった。俺だけが、この中でたった一つ動いているものに感じられる。

 何かが妨害するかと思ったが、その懸念は必要なかった。

 だが、近づくにつれて、歌姫の声は、強く頭に響きわたる。

 意識を失いかける。

 膝をつきかける。

 そのたびに俺はその転ぶ感触に覚める。

 こんな距離、ほんの十歩かそこらだ。

 特に俺を妨げるものもない。

 なのに、ただ俺自身が、それを拒むのだ。


 いい加減にしろ!


 俺は椅子に飛びついた。至近距離で歌姫の声が、耳に飛び込む。眩暈がする。あの最悪の光景が、一気に目の裏に広がる。頭を振る。違うこれはもう過ぎたことだ!


「目を覚ませ!」


 椅子を揺さぶる。ヘルメットを取る。アイマスクを取る。

 真っ赤な目が、大きく広がって、涙をいっぱいに含んで、俺を真っ向から見つめた。

 腰からナイフを抜き、俺は一気に奴を拘束してるベルトを切りはなす。強力だ。新品だ。

 眉を寄せる。力が要った。

 首の、手の、胴回りの、足の、次々に切っていくうちに、手袋の下の手のひらが痛くなる。

 どん、と奴の身体が強くぶつかってきた。

 戒めを解かれた身体が、いきなり立ち上がったのだ。

 声は多少弱くなったが、まだ溢れている。

 俺は何かから逃げようとする奴の手を握った。

 大きく振り回し、奴はそれを振り解こうとする。俺はもう一つの手をも取った。涙目が、大きく広がって、俺ではないものを見ている。


 やめろ、そんな目で俺を見るな!


「…あ…」

「何だよ何が言いたいんだ!」

「熱い… 火が…」

「ここには火なんか無い! 火があるなら、消せばいいんだ!」


 そして次の瞬間、俺は歌姫を引き寄せ強く抱きしめ、その口を塞いでいた。

 喉から漏れようとする声を止めようと、強く深く、その奥へと入り込む。

 背中を抱え込む右手に、柔らかく暖かい感触が伝わってくる。銀色の頭を引き寄せる左手に、じっとりと汗が伝わってくる。

 真っ向から、俺は奴の視線を受け止めていた。

 初めは見せられていた夢に開け放していた目も、ゆっくりと力を無くし初めていた。

 やはり大きく広げたままだったが、それは次第に焦点を間近に結びはじめ…やがて伏せられた。

 もがいていた手が、空をさまよっていたかと思うと、こちらの首に回された。

 強く抱きしめる。凄い力だった。

 腕の中に、自分を強く求めているものがいる。久しぶりだった。


 いやそうではない。


 俺は気付く。


 そんなこと、今まで俺にはあっただろうか?


 胸の鼓動が、伝わってくる。俺はゆっくりと歌姫から唇を離した。

 再び視線が合う。途端に奴の顔は、さっと色がさした。

 瞳と同じ色に頬を染め、目を反らし、離せよ、と腕を振り解こうとする。

 だが俺は解かなかった。こんな歌姫は、滅多に見られるものではない。

 奴はそれまで自分が俺にしがみついていたことも忘れたように、俺に怒鳴りつけた。


「おい!」


 …そして天井から水が降りかかってきた。



 すみません、とそいつは言った。

 濡れネズミになった俺は、腕組みをし、そこに現れた奴に口を歪める。

 歌姫が正気になり、頭の上から水をひっかぶせられたところで、俺はようやく辺りを見渡す余裕ができた。

 天井のさほど高くない部屋だった。コンクリートの打ちっ放しの壁に、窓はない。暗い部屋ではなかった。ごくごく当たり前の、蛍光灯の照明が、煌々と部屋中を照らしている。

 スプリンクラーが急に作動したらしい。

 見上げた天井には、シャワーのノズルのようなものから、さあさあと水が音を立てて降り注いでいた。

 一体何が起こったのか、という顔をしていたのは歌姫も同じだった。

 乾いている時には、あっち向きこっち向きしていた奴の銀色の髪も、しっとりと濡れて、重力に従い、水を滴らせている。俺は俺で、濡れた重い髪をざっとかき上げた。

 そこへ、扉へ開けて、そいつが入ってきたのだ。俺は無意識のうちに、そいつと歌姫の間に立って腕を軽く広げていた。

 ところが、そいつは扉を開けるなり、ぺこんと頭を下げた。そして、言った。


「すみません」


 見た所は、青年と言うところだろうか。

 奇妙に特徴の無い、整った顔。ブラウンの短い髪、ブラウンの目、高すぎも低すぎもしない背、太りすぎでも痩せすぎでもない身体。

 ただ妙に声にも顔にも表情がない。


「少し試すつもりが、どうにもこうにも、こちらまで身動きが取れなくなってしまいまして… 止めて下すって感謝致します」


 だが言葉だけは流暢だ。俺は言葉じりを捉えて、問いつめる。


「止めて… って、お前がやったのか?」


 こんな、神経拷問の機械を。


「ええ。すみません。程度の資料が少なかったので」

「そういう問題じゃないだろ!」


 危うくそいつにつかみかかるところだった。だが歌姫が後ろから袖を引っ張ったので、それは未遂に終わった。


「すみません。お二人に危害を加える気はなかったのです。ただこの方の、声の特性を確かめたかったのです」


 ぴく、と俺の服を掴む歌姫の手が震える気配がする。


「…こいつに、用があったのか?」

「はい。メゾニイトの、『歌姫』の方なら、きっとそれはできると私共は思いました」


 複数かよ、と俺は思い、口をとがらす。


「どうしても、かなえていただきたい願いがあるのです」

「願い?」


 背後で声がする。


「ええ。おそらくあなたならできるでしょう。…いえできなくても、仕方ないのです。駄目もとなのです。ただ、我々には、もうそれをここにあるもので試す術がない…」


 何だかこいつの言っていることの意味はさっぱり判らなかった。こちらに向かって言っているというよりは、自分自身のつぶやきの延長の様だ。


「…ごちゃごちゃとややこしいな」


 ぶつぶつと勝手に納得されているのは、面白くない。俺は腰に両手をあて、目の前の奴に向かって言う。


「とにかくあんたは、俺達に危害を加える気はなかったというんだな」

「もちろんです」


 顔を上げ、そいつは間髪入れずに、答える。


「そういう意味で言うなら、あなた方は、客人です。大変申し訳ないことをしたと思います」

「だったらな」


 俺はぐっと顔を突き出す。


「客人に対する礼って奴があるんなら、とりあえず俺達に着替えと風呂と食事をくれ」

「着替えと、風呂… ですか?」


 相手は無表情をようやく崩す。言われるとは思わなかった、という顔だ。俺はそれを見てようやくにやりと笑った。


「これを見てそれが必要だって、思わないのかよ?」


 かき上げた髪からは、まだ水が滴っている。



 先に「着替え」を受け取ってから、俺達はそこから早足で移動した。

 この中は暖かかった。だが、かと言って、暑いという程ではない。そのままでは風邪をひく。風邪のビールスがこの地にあれば、の話だが。

 案内され、その水浸しの部屋の外に出た。薄暗い廊下がそこにはあった。

 何やらひどく人気の無い廊下だった。

 いや人気が無い、というよりは、人間無しで長い時間が経っていたような気配だ。

 時間が、建物そのものに染みつかせるにおい。少なくとも、そこには長い時間、誰もいなかったような。

 だが、何かの気配がある。それは歌姫の方が強く気付いていたようで、気がつくと、奴は俺の左の腕を強く鷲掴みにしていた。そんな掴み方されてはさすがに俺も痛いのだが…まあ仕方がない。


「…もうずいぶんと使われていなかったのですが、コントロールは可能です。先ほどの部屋を出る時に起動するように呼びかけましたから、もうそろそろ使える筈です。…かつての職員が、利用していました」


 二重の扉を開けると、いきなり熱帯雨林のような大気が押し寄せてきた。歌姫はややむっとした顔になる。何これ、とでも言いたそうだ。


「…その昔閉じたままですから、中のものが果たして使えるのか、私には判りませんが」

「あんたは使ったことはないのか?」


 案内人は湯気をまといつかせてゆらりと振り向いた。


「私は端末です。この姿はどのくらいぶりでしょう。ここは私には必要はないのです」

「た」


 端末?! そう口が動く俺に、案内人ははい、とうなづいた。


「私は、この小規模都市管制コンビュータの端末です。あなたがたの生体反応が私のレーダーに反応したので、私はこの身体を起動させました。長いことこの身体は眠っていたので、なかなか表情が安定しません。不愉快でしたら謝ります」

「…や、…いやそれはいいが…」

「ねえ、人間はいないの?」


 背後で歌姫が訊ねた。


「俺は全くその気配を感じなかったけど」

「はい」


 案内人… 端末はうなづいた。


「人間は、存在しません。ここは、そういう惑星なのです」

「静かだった」

「はい」

「だけど人間以外の気配はする」

「はい」


 端末は歌姫の問いに一つ一つうなづく。


「そうです。この惑星は、かつて人間がひしめいていました。しかし今では、一人もいないのです」


 誰一人として。その時俺の頭に、一つの記憶がひらめいた。学生時代。歴史の授業。


「おい… あんたもしや… ここは…」

「何でしょう」


 あくまで冷静に、端末は問い返す。


「ここは、もしかして、地球なのか?」


 そうです、とあくまでも冷静に、端末は答えた。

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