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銀の歌姫  作者: 江戸川ばた散歩


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13/13

13 雪の下から動き出す緑―――春はここにあった

「…船が来た?」


 端末が告げた言葉を、俺は思わずそのまま返していた。ええ、と端末はうなづいた。

 廊下からの光に、逆光で表情までは掴めなかったが、決してそれが笑顔ではないことは、容易に想像できた。

 時計を見ると、朝だった。朝も朝、日照時間の短いここいらでは、時間はともかく、空はまだ暗い時間だった。

 俺は隣に丸まっていた歌姫を揺さぶって起こすと、端末について、中央制御室へと向かった。

 そこには、ここいら一帯の状況が見渡せる設備があった。奴が俺達を確認し、導きよせたのは、この機能のせいだった。今となっては怒るにも怒れないが、端末は、俺達が不時着した時点からその行動を見ていたのである。

 端末の彼は、この近辺50㎞半径の地図をスクリーンに映し出した。その中に、赤の光点が一つ、輝いていた。


「ここ、です」


 彼は手を上げ、やや上にあるそのスクリーンを指した。


「だいたいあなた方がやってきた方向です」


 俺はぴしゃ、と自分の額を叩いた。しまった。

 あの時。戻ることを期待して、打ち上げた救命信号。あれが何処かに届いてしまったに違いない。皮肉だ。ここに留まることを決めた今になって、そんなものがやってくる。

 ちら、と歌姫のほうを見ると、奴はかなり不機嫌そうに口を一文字に結んでいた。何って余計なことをしたんだ、という罵詈雑言が今にも口を開いて飛び出してきそうだった。


「困りましたね」


 端末はぼそっと言った。彼もまた、やや不快そうな表情を眉間に浮かべている。


「何か、困るのか?」

「…ちょっとこの船は規模が大きいですね。しかも機体の損傷とかは無さそうですから、下手するとここも見付けられる可能性があります。あまり喜ばしいことではありません」


 だろうな、と俺は腕を前で組んだ。利用価値のある俺達、馴染みのある俺達個人はともかく、彼らは人間全般は敵と見なしている。


「だいたいいつも、漂着した奴らはどうしてるんだ?」

「場合によりますね」

「と言うと?」

「ここを見付け、私を利用しようという動きが見えたら、その動きに応じて、私は応戦します」

「応戦」


 何となくこの端末からは想像のしにくい言葉だった。この一見穏やかそうな外見のせいかもしれない。だが彼はこの身体で相対することはまず無いのだという。


「程度がひどければ、その場で消去することもありますし、そうでなければ、ポッドに乗せて打ち上げますね」


 自分達が彼らにとって利用価値があって良かった、としみじみ思った。

 いや俺達、というより、利用価値があったのは歌姫だろう。俺はそのおまけに過ぎない。

 でもまあそれはどうでもいい。とりあえず俺は彼らにとって、危険人物とは見なされてないようだ。それにもし何か悪いことが起きても、その時はその時なのだ。

 とりあえずは、ここで生きていくなら、この目前の問題を片づけなくてはならない。


「じゃあどうする?」

「この機体に、見覚えはありますか?」


 スクリーンが切り替わる。途端、俺の目はそこに釘づけになった。

 灰色の流線型の機体。確かに小さくはない。だが大きくもない…そして、サイドに、アルビシンのマークが描かれていた。

 俺は思わず顔を歪めた。とどめが、流れる赤の五本のライン。

 何だって、よりによって。


「…運が良ければ、か…」


 歌姫のつぶやきが、耳に飛び込んだ。


「どうすんの? お前」


 奴はちら、と俺を見る。俺は迷わずに答える。


「…決まってるだろ」

 端末は、さりげなくそっぽを向いていた。



 二時間です、と端末は告げた。

 二時間経ったら、私はその船に容赦なく攻撃をします、と。俺はうなづいた。端末の彼にそれ以上は望めなかった。

 彼はその機体を見付けた時、即座にそれを撃墜しても良かったのだ。それが、この惑星を人間達から奪い取った彼らの権利なのだ。俺達が口出しできることではない。

 極端な話、俺もまた、見過ごしても良かったのだ。この惑星の上で生きていくことを選んだ以上、むしろ、そうしなくてはならない、と思いもしたのだ。

 ただ、それができない理由があった。

 少なくとも、俺が呼んだのだ。俺が呼んだものを、むざむざ見殺しにはできない。

 乗組員に、戻ってもらうように説得したい、と俺は端末に言った。端末は少しの間考えていたが、時間を限定して、許可をくれた。たったの二時間だった。雪の上を走り、そこまで行くのに一時間程かかる。説得の時間は長くはない。


「何が見えたの」


 歌姫は、その場に向かう雪上車の中で、俺に訊ねた。


「赤の五本のラインだ」


 俺は答えた。ふうん、と奴はうなづき、窓の外を見た。それ以上は奴は訊ねなかった。

 またあのふわふわのコートに全身はくるまれ、奴は毛皮のかたまりのようになっている。


「お前まで来ることは無かったのに」


 俺は歌姫に言った。すると奴は、ばぁか、と一言放った。

 行かない、と俺は奴に言った。繰り返し言った。何度も言った。それでも疑い深いのか、それとも何か別の考えがあるのか、奴はそれ以上俺には言わなかった。

 ただあの時のように、ひたすらぼんやりと夜明けの雪景色を眺めているだけだった。


「…そう言えばさ」


 不意に奴が口を開いた。


「お前と会った時にも、こうゆう感じの空じゃなかった?」

「あん?」


 ほら、と歌姫は窓の外を指した。俺は車を止め、陽の昇る方角に目をやる。ああ、と俺は目を大きく広げ、その光景にしばし見とれる。

 灰青色の雲の淵が、金色に染まる。ゆっくりと色を変える空は、あくまで澄んでいる。深い青。遠い青。それが雲の周りに漂い出す光にゆっくりと染められ、その色を次第に変えていく。金色に、薄紅に、また漂う雲の色をも灰色から白や金やセピアに変えていく。


「綺麗、だよね」


 短く歌姫はつぶやく。


「…ああ」


 俺はうなづく。本当に、綺麗だった。


「最初に来た時にも、思ったよ。すごく、この惑星の大気は、俺には心地よいんだ。すごく、そこにあるのが自然なものだけがそこにある。何処にも無理が無いんだ」


 何となく、俺は奴の言いたいことが判るような気がする。


「だから、この惑星には、人間を来させてはいけないんだ」


 判るだろ? と歌姫は俺のほうを向いた。俺は黙ってうなづいた。元より、そのつもりなのだ。

 そして再び車を出した。行きの道中とはうって変わって、素早く、簡単な道中だ。これだけの道に、どうしてこんな時間がかかったんだろう、と思えてしまう程だった。だが無駄ではない。無駄ではなかった。



 やがて、白い平原に、赤い色が見えた。それは初め、雪の上に落ちた血の染みのようにぽつん、と見えた。

 だがそれは近づくにつれ、その姿を大きく俺達に見せつけてきた。赤だけではなく、灰色の機体が、夜明けの空と雪の明かりを受け、鈍く光っていた。

 そしてその胴には、五本の赤のライン。


 …司令官の専用機だ。


 見覚えのある焦げ茶色の防寒着が、幾つもそこにはあった。

 落ちた船の辺り、転がった座席、こじ開けられたコンテナやらを、あれこれと調べ回っている姿。慣れないこの寒さに、身体が縮み上がっているのは、一目で判る。

 俺は車を止めた。歌姫は帽子をかぶり、マフを手にすると、外に飛び出した。俺もまた、手袋をきっちりとはめ、コートの下に銃を隠すと、ゆっくりと外に出た。途端に頬に、刺すような痛みが走る。

 ざくざく、と雪を踏む音が、耳当てごしに聞こえてくる。それだけだ。俺も歌姫も、どちらともなく、言葉は発しなかった。

 やがて、俺達の姿に気付いたのか、焦げ茶色の一群が、一度灰に赤の機体の中に飛び込んだ。中の一人は雪に足を取られて転んでいた。

 奇妙に冷静に観察している自分が判る。いや、そうなろうとしていたのかもしれない。斜め後ろを歩いていた歌姫の腕をぐっと引っ張ると、俺は自分の横につけた。何だよ、と言いたげな視線で奴は一瞬俺をにらんだが、握る手の強さが判ったのか、歌姫はそれ以上何かしらの抵抗は見せなかった。


「…アルビシン同盟の船と見たが」


 俺は焦げ茶色の一人に声をかけた。よそ行きの声だ。いつも以上に低く、圧力を込めた声。兵士の一人は、マスクと帽子の間から見せる目に、明らかに不審の色を浮かべていた。


「俺はチュ・ミン空戦隊補佐だ。アニタ・ユン司令官が、この船には乗っている筈だが」

「…!」


 まだそれでも撃墜王の俺の名と顔は、アルビシンの兵士の中には知れているようだ。兵士はまじまじと目を大きく広げて俺の顔を見ると、ああ、と大きくうなづいた。


「失礼しました!」

「司令官殿に、話がある。とりついでもらいたい」

「…判りました、しかし…」


 兵士は機体の方を向く。


「先ほど、近づいてきたあなた方の姿を捕捉した時、連絡が司令官の元に行った筈ですが…」


 間違いではなかった。この兵士が全部言うか言わないかくらいの間に、ぐぅ、という音が、機体の方から聞こえてきた。

 赤い五本のライン。


「生きていたか、チュ・ミン」


 聞き覚えのある声。よく通る声、そして、その行動とも、地位とも決して似つかわしくない程、「可愛らしい」と彼女自身悩んだ声。


「お元気でしたか、司令官どの」


 俺は声を張り上げた。遠目にも彼女は、露骨に嫌そうな顔をした。タラップを下りてくる。その降り方すらも、ひどく落ち着き払っているくせに。


「早く入るがいい。チュ・ミン空戦隊補佐、貴官には帰還する義務がある」

「そのことで話がある」


 彼女はひらりと視線を動かすと、一瞬足を止めた。


「中で聞こう」

「いや駄目だ。時間が無い。俺はここで話をする」

「貴官は上官に向かって命令をするのか?」


 可愛らしい声が、だが実に威厳を持って俺に突き刺さる。だがそれに動揺している時間は無いのだ。ここまで来るのに一時間は経っている。夜明けを鑑賞してしまったから、少し時間が経ってしまっていた。


「よかろう」


 彼女はタラップを下りる。相変わらず小柄だ。歌姫と大して変わらないのではないだろうか。いや逆だ。歌姫が彼女と同じくらい小さいのだ。

 その歌姫は、というと、俺の左腕につかまるような形になって、いつのまにか、それをぎゅっと掴んでいた。顔をその腕の中に伏せているので、彼女からは見えない位置に入っている。


「話とは何だ」


 彼女は俺を見上げる。大きな丸い、黒目がちの目。その目は決して俺にしがみつく歌姫を見ようとはしない。故意的に無視している。俺には判った。


「手短に言おう。ここから即刻撤退してくれ」

「撤退。そういう言葉を使う理由があるのか」


 ある、と俺は大きくうなづいた。


「ここから数十㎞先に、都市がある。その都市がこの船を狙っている。あと一時間以内に、出発しない限り、破壊すると」

「何を世迷い言を」


 彼女は首を大きく振る。濃い黒の、きついウェーヴのついた髪が、ゆさゆさと揺れる。そういえば、三つ編みをしていない。解いたままだ。こんな姿は久しぶりだ。


「世迷い言じゃない。俺は使者だ。平和に治めたいから、忠告しに来たんだ」

「撤退という言葉は気にくわないが、何も我々は、長居する気は無い。遠方のこの惑星に別段我々は用は無い。お前を回収したら、即刻引き上げる。それはそもそも決定していることだ。お前に言われるまでもない」


 相変わらずだ、と俺は思う。彼女の言うことは、正しい。とても正しい。

 だが。


「俺は行かない」


 きっぱりと、俺は言った。彼女の大きな瞳が、読んで字のごとく、丸くなる。信じられない、という感情と、何をこんなところに好きこのんで、と言いたげな嘲りとが入り交じった笑いが、口元に浮かぶ。


「正気か? ミン」

「あいにく、俺は正気も正気だ」


 は、と彼女は大きく息を吐き出す。瞬く間に、その息はきらきらとした氷に変わってその場に落ちて行く。


「冗談は顔だけにしろチュ・ミン。お前の言うことが本当かどうか私は知らないが、戻らん?」


 彼女は最後の言葉をひどく強調した。ああ、と俺は大きくうなづく。


「それではお前は、我々の軍を脱走するというのだな」

「そう取りたかったら、取ればいい」

「どう取ったってそのものだろうが!」


 あははは、と高い笑い声が、きらきらと光りながら落ちていく。そして、俺にくっついている歌姫にその時やっと気付いたかのように、そのコートの端をむんずと掴んだ。

 ぐい、とその細いにも関わらず強い手が、歌姫の襟元を強く掴んだ。帽子が落ちる。彼女は歌姫の顔を無理矢理自分の方へと向けた。


「何を…!」


 高い声が、俺の耳に届く。胸に走る痛み。彼女もまた、一瞬顔をしかめた。


「…なるほど」


 黒い目と、赤い目の視線が、ぶつかる。


「メゾニイトの歌姫か。お前、これに捕らわれたな」

「そう言いたければ言えよ」

「堕落したな、チュ・ミン」

「俺は変わってはいない。お前が知らなかっただけだ、アニタ」


 歌姫はその時どうやら、彼女が俺にとっての何であるのか理解したらしい。奴ははっとして、彼女の顔を改めて見据えた。

 彼女は押し戻すようにして、歌姫の身体を自分の元から離した。奴はバランスを崩して、その場にへたりこむ。


「知らなかった? 私が知らなかったというのか? お前を」

「知らなかったさ」

「私は知っていたよ。お前の知らなかったお前の素質を。だから私はお前をも誘った。間違ってはいなかった。お前は私と共に、アルビシンを率いる… いや、私の上で率いることも、できたはずだ。そういう素質は、あったのに!」

「そんなもの」


 ぽろ、と俺の口からそんな言葉が漏れる。自然と首が横に振れる。


「そんなもの、だ?」


 彼女は声を張り上げる。

 俺はちら、と横に視線を飛ばす。

 敬愛なる司令官どのと、親愛なる撃墜王の口論を彼らははらはらしながら見ていた。司令官と空戦隊補佐がそういう関係であったことは、兵士の中では知られたことだった。

 しかし訓練のせいか、手から銃は手放さない。それが彼女の命令なのだろう。俺はどうしようもなく、自分達の間には埋めようもない溝があることを思い知らされてしまう。そして彼女もそれを知っているのだ。だが、彼女はそれを埋めたがっていた。

 ただし、その方法を彼女は見誤っていたのだ。


「俺が本当に望んでいたものを、お前は知っていたか?」

「…何」


 彼女は眉を大きく寄せる。

 知っていたのかもしれない。だがそれを決して彼女は認められないだろう。俺はそれだけはよく知っていた。

 一緒に駆け回った子供時代。なし崩しに関係を持つようになった頃。

 俺は、彼女とただ一緒に居るだけでよかった。彼女は前向きだった。前向きな彼女と、ごくごく平凡な、だけど毎日が新鮮な、そんな日々を過ごしていく、それだけで良かったのだ。

 だがそれを認めることは彼女にはできないだろうことは、俺も気付いていた。それに気付いて、それを認めて、それを実行することは、彼女が彼女であることを否定するものだった。

 だからそれは構わない。彼女が自分のやりたいことに向かってまっしぐらに進む姿は、それはそれで綺麗だった。魅力的だった。そこにはやがて理想が芽生えた。それもいい。それはそれで構わなかった。

 だがその理想を俺にも押しつけようとした時、そこには溝が生まれた。

 それでも俺はできる限り、彼女の理想を一緒に見ようと思った。そうしてきたつもりだ。

 ただその理想そのものを、彼女がその手で壊した時、全ては終わったのだ。

 彼女が必要としていたのは、俺じゃない。そんな素質のある者なら、俺じゃなくても、良かったのだ。


「それではお前の本当に欲しいものを、その歌姫はくれたというのか?」

「そうだ」


 俺は即座にうなづいた。歌姫はまだ腰をついたままだった。

 そして何やら手で妙な具合にあたりを探っている。何か落としたのだろうか?いい加減に立たないと、身体を冷やすというのに。

 そして目の前の彼女は、ぎゅっと手を強く握りしめた。殴られるだろうか、と俺は一瞬身体を固くする。

 だがそれは間違いだった。

 握りしめた右手をぱっと開くと、高々とそれを空に向けた。


「この裏切り者を拘束しろ! 脱走兵だ!」


 兵士の間に、ざわめきが起こる。まさか、という声が中には上がる。俺はあっという間に、両脇を固められ、後ろ手に捕まってしまった。


「そういう気か」


 俺は彼女に向かって言った。そうだろうな、と俺は思っていた。予想はついた。


「…司令官閣下… この… このひとはどうしますか」


 焦げ茶色の一人が、まだ腰を下ろしたままの歌姫を指して上官に問いかける。滅多に司令官に直接問うことはないのだろう。寒さも加わってか、声が震えている。

 変だな、と俺は思う。

 妙に冷静だ。こんな、捕まってしまって、アルビシンに連れ戻されたら、脱走兵として処分されるのは目に見えている。

 処分。いやそれ以前に、「見つからなかった」として途中で殺されることだってありうる。いやまずそうだろう。

 それとも、俺は何かをまだ期待しているのだろうか。

 横目で歌姫を見る。まだ何やら、雪の上を撫でているようにも見えた。


 一体何してるんだよ、お前。


 と、その手が止まった。

 そして不意に歌姫は顔を上げた。

 ゆっくりと立ち上がる。ぱんぱん、とコートについた雪を払う。

 赤の視線は、焦げ茶色の兵士を通り過ぎ、彼女の方に向けられる。


「このひとを連れて行ってしまうんだ?」


 奇妙に可愛らしい声だ。やや高めに作ってるのが判る。何でまた、わざわざ作っているんだろう?


「そうだ」

「じゃ、お別れの歌を、一曲、歌ってもいい?」

「歌か?」

「好きなひとと、永久に別れるんだもの。そのくらいのことはいいでしょう?」


 普段の奴だったら、やめろ恥ずかしい、と絶対にわめくような言葉。

 あれからずっとそうだ。端末でも俺でもあの都市の彼女でも、少しでもその気配があると手を大きく振ってやだやだとわめいていたくらいなのに。


 …お前、何を考えている?


 彼女は少しの間、嫌そうな顔をしたが、やがて、いいだろうと言った。

 そんな内容なら、別段構わないだろう、と思ったのだろう。


 だが。


 今までに見たことの無いほどの、凶悪な笑みを、奴は浮かべた。

 そして数歩後ずさる。首を軽く振る。

 そして。


 …


 暗号のように、その低い声は、響いた。

 大きな声を出している訳ではない。何を言っているのかもよく判らない。

 喉の奥から吐き出すような、低い、低い、声が、その時あたり一面に、響き渡った。

 奴はふらり、と首を大きく回す。

 声が辺りに散らばる。

 彼女の表情が変わる。

 小さなつぶやきが、耳に届く。

 女の子じゃなかったの!? ―――明確な怒り。

 彼女は、焦げ茶色の兵士の手から、銃を奪い取る。

 どうしたのですか、と叫ぶ兵士。

 だが上官の剣幕に、手はつけられない。

 怒り。確実に怒り。

 俺が見たこともない、彼女の怒りがそこにはあった。


 何で。


 つぶやきが、耳に届く。


 女じゃないっていうのに。


 俺はもがく。腕を離せ。彼女を止めなくては。

 彼女は標準を定める。引き金に手をかける。


 凶悪な、笑みが。

 

 銃声が、響く。


 だが。


 白い雪が、散った。

 俺は目を伏せた。

 だが地を這うような声はまだ続いていた。俺は目を開ける。


 雪柱が立っていた。


 いや違う。雪が立ったのではない。雪の下にあったものが、雪の壁を大きく突き破ったのだ。


 巨大な、葉が、蔓が、彼女の手の銃をはじき飛ばしていた。


 声は次第に大きくなる。ゆっくり、だが確実に。

 そのヴォリュームに比例するかのように、雪の下の植物が、白い壁を突き破って立ち上がっていた。

 拘束する手が緩む。俺は一気にそれをはね除け、飛びついてくる歌姫の身体を抱き寄せると、転がった銃を拾った。

 混乱が、兵士の間に広がっていた。当然だろう、と俺も思う。俺だって、混乱しそうだった。この場で平然としているのは、当の歌姫だけだったろう。

 その歌姫は、俺の左腕の中で、未だに低い声で歌を続けている。

 俺達の周囲で、巨大な蔓が、葉が、うねうねと動いている。

 なるほど、大地を揺るがす声か。

 奴が少女の声をわざと使っていた理由が判る。

 だが判っていても、心臓のばくばくと脈打つ音すら聞こえそうな程、俺が驚いていたことは間違いない。

 銃の標準を俺は彼女に合わせた。それでも司令官だ。この事態を目の前にしても、他の兵士と違ってパニックを起こしてはいない。


「撃つのか、ミン」

「撃ちたくはない。時間が無いと言ったろう。そしてお前は撃たれる訳にはいかない筈だ。司令官どの」


 彼女はぎり、と歯を噛みしめる。


「女ではないのに、お前はそれが大事なのだな」

「ああ」


 彼女は大きく頭を振る。黒い巻き毛が、大きくヴェールのように広がった。


「勝手にしろ!」


   *


 五本の赤のラインの入った機体が、空高く飛び去って行く。しばらくその飛行機雲は、青い青い空から消える気配はなかった。


「行っちゃったね」


 歌姫は落とした帽子をかぶり直しながら、つぶやいた。俺はああ、と短く答えた。


「本当に、いいの? …彼女は」

「いいさ。彼女は強いんだ」


 無論彼女には彼女なりにそれを支えるものは欲しいはずだが… それは俺である必要は無いのだ。


「彼女は、強いんだよ」

「そうみたいだね。俺かなり怖かった」

「…お前も、かなり怖かったけどな」


 そう? と奴は肩をすくめ、ゆらゆらと揺れる巨大な蔓や葉に向かって、すりすりと顔を寄せる。


「ごめんな、眠っていたとこ、起こしてしまって」

「眠っていた?」


 俺は思わず奴に問いかけていた。


「この雪の下にさ、たくさんの何か生き物が居るからさ、ちょっと助けてもらおうと思って呼びかけたんだ。そしたら彼らが出てきた」

「出てきた、って… これ植物じゃ」

「何言ってんの、これの何処が植物なのさ」


 こだわりの無い奴はこれだから怖い。ああそうか、と俺はやっと気付いた。

 これが、デザイアだ。端末の言った、植物の形をした不定形生物。端末達コンビュータの、メカニクルの同類。


「…ああそう、また眠るんだ。ありがとう。お休み…」


 歌姫の言葉に応えるように、するするとまた、デザイア達は雪の下にもぐっていく。そして春が来るまで、また眠るのだろう。…ああ全く。


 帰ろうか、と俺は歌姫の背を叩いた。

 痛い、と奴は抗議の声を上げた。

 ざくざく、と再び雪の音が耳に届く。リズミカルなその調子に気を取られていると、不意に歌姫がこちらを向いた。


「…そーいえばさ、お前、チュ・ミンって名なんだよな」

「へ?」

「名前。お前の名、そういえば、俺ずっと聞いてなかった」

「そうだったっけ」

「そうだよ」


 そう言えば、そうだった。別に言う必要もなかったからだと思うが、無くても平気だったことも事実だ。


「変な名だな」

「うるさいよ。これでもちゃんと親が意味を考えてつけたんだからな。祖先の国の言葉でちゃんと書けるんだからな」

「俺だってそうだよ。言葉がどうだか知らないけどさ、生んでくれたひとがつけたんだ。ハリエットって言うんだ」

「ハリエット?」


 結構意外な名だ、と思った。だがその響きには、確かに男とも女ともしれないものがある。


「みんなはハリーとかハルとか呼んでた」

「ハル?」

「短いほうが呼びやすいだろ? 何か変か?」

「いや…」


 俺は思わず苦笑する。そしてその苦笑は、次第に大きな笑い声へと変わって行った。


「…何だよ一体… そんなにおかしいかよ」

「…や、すまんすまん… けどなあ」

「だから何だよっ」

「…お前、春を探しに行こうって言ったよな」

「言ったよ」

「それなあ、その音。ハルって、あの失われた国の言葉で、春を意味するんだよ」


 奴は足を止めた。


「…ホント?」

「本当。お前にここで嘘ついてどーすんだよ」


 奴の顔がさっと染まる。それは最初に会ったあたりに、奴が言った言葉だ。俺はそんな奴の手を取って言う。


「ほら、春は、ここにあった」


 奴の顔はますます赤くなる。そしてうめくような声で言う。


「お前言ってて恥ずかしくないか?」


 ふふん、と俺は口元に笑いを浮かべると、奴の手をぐいっと引っ張り、そのまま肩に担ぎ上げた。


「何やってんだよ、下ろせってばっ!!」


 わめけわめけ。俺はこいつを離す気はなかった。

 端末は俺に言った。


 それに、あなた達は増えませんから。


増えないから、彼らは俺達を見逃してくれるだろう。

 この惑星の上で生きてくことを。お前の故郷での欠点は、ここでは美点だ。

 でもまあ、そんなことはどうでもいい。


 そして俺は言った。


「ほら行くぞ、ハル」

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