少女との出会い
朝からぽつぽつと降り始めた雨は、次第に激しさを増していき、本来であれば満月が爛々と輝いているであろう時間となった今では、土砂降りとなっていた。
その雨の中を一人の少年がふらふらと歩いている。
年の頃は十歳といったところだろうか。
周りに人は誰もいない。
聞こえるのは、雨の音と、少年の激しい息遣いだけだった。
◇
少年、柴崎 創が着ている服は真っ赤な血で染まっていた。
普段であればこんな時間に出歩いたりしないのだ。
しかし、母親にしかられてむしゃくしゃして家を飛び出してしまった。
創の生れはなかなかに複雑だった。
吸血鬼王の娘の母親と、凄腕の退魔師であり、神父である父。
その血のせいで、満月に近づくと吸血鬼の血が、新月に近づくと退魔師の血が段々と強くなっていくのだ。
そして今日は満月だった。
吸血鬼の力が最も強くなる日だったからこそ、夜眠れなかった創は家を飛び出してしまったのだった。
そして、運悪くアベーラに遭遇してしまった。
いくら父親が退魔師だからといって、まだ十歳の子供に出来ることは無い。
アベーラが吸血鬼を認識できる知性をもっていれば、あるいは攻撃はされなかったかもしれないが、あいにくとそのアベーラに知性は無かった。
茫然としている間に最初の一撃を脇腹に受けてしまった。
痛みで現実に返った創は、叫ぶことも忘れて全力で走りだしたのだった。
どれ程走ったのか、もう創には分からなかった。
気づけば自分の姿は吸血鬼のそれになっている。
赤い瞳と少し伸びた八重歯。
今の自分の力では人間の姿に戻ることは出来そうにない。
早く家に帰らなければと思うのだが、今自分が居る場所すら分からなかった。
雨は増々強くなっている。
血を流し過ぎたせいか、残暑の厳しい時期だというのに、寒気を感じていた。
少し休憩しよう。
創は近くの公園のベンチに横になった。
しばらくすると、一つの足音が近づいてきた。
ピンクに白の水玉柄のかわいらしい傘をさしている。
背丈から推測するに、創と同じ年頃の少女だった。
「あなた、こんなところで何をしているのですか?
この辺りに悪い気配がするので、早く家に帰った方が良いですよ」
その少女は不釣り合いな丁寧な敬語を話した。
「ありがとう。
でも帰り道が分からないんだ」
悪い気配とは自分の事だろうか。と創は不安になりながら、目を見られないように俯いたまま返した。
赤い瞳は魔族の証だ。
「まったくしょうがないですね。
お家の電話番号は分かりますか?」
「うん」
「では携帯電話をお貸ししますから、とりあえずあの屋根の下に行きましょう」
そう言いつつ、少女は手を差し出してきた。
しかし、今の創にその場から動ける体力は残されていなかった。
「ごめん、ちょっと怪我をしていて、ここから動けないんだ」
申し訳なさそうに答えると、少女は少し考えてから、
「では私の肩を貸しますから、こちらに体重をかけてください」
と創を覗き込んできた。
その時、創には少女の首元が目に入った。
「美味しそう」
創から発せられた呟きに、創自身が驚いていた。
生まれて初めて感じた吸血衝動だった。
思わず顔を上げてしまい、少女と目があってしまった。
少女はまっすぐな黒髪を胸元まで伸ばした、中々の美少女だった。
そして、お互い大きく目を見開いていた。
「ごめん」
急いで立ち去ろうとする創だったが、足に力が入らず、その場に崩れ落ちてしまった。
「何をやっているんですか。
早くこちらに」
そう言う少女は、創を力ずくで屋根の下まで運んだのだった。
携帯電話を借りて連絡をすると、母親はとても怒っていたが、すぐに迎えに来てくれる事になった。
それを待つ間、創は少女に何と言い訳をしようかと考えていた。
「私は文月 美玲と申します。
あなたのお名前を伺っても宜しいですか?」
「…レオ。
助けてくれてありがとう」
創は咄嗟に自分の洗礼名をもじった名前を答えた。
「レオ君。
あなたの瞳の色は珍しいですね。
私は、人でその色をしているのを初めて見ました」
どうやら美玲は、創の事を人として認識しているようだった。
「うん。
母さんにも言われた」
「レオ君はまだ子供だから分からないかもしれませんが、その色はとても特別です。
これから他の人に嫌な事を言われるかもしれません。
そうなったら私に相談しても良いですよ。
今夜ここでお会いしたのも何かのご縁です。
お友達になりませんか」
「本当に?
友達になってくれるの?」
物心ついた頃から、両親に自分は他の子供とは違うのだと言い聞かされて育った創には、なかなか友達が出来なかった。
そのような中で、若干上から目線とはいえ、赤い瞳を見ても恐れない美玲に、創は少なからず心を許し始めていた。
「はい。
また夜にここで会いましょう。
今度はもっとゆっくり話せると良いですね」
そう話しているうちに、母親が来てくれた。
車の中では散々怒られたが、創はずっと俯いていたから、美玲には瞳を見られていないと言い張った。
そうしなければ、もう二度と美玲とは会えないと分かっていたからだ。
今度いつ会えるだろうか、そう考えるだけで、創の心は躍るのだった。