夜闇
それから彼女の人生が変わったのは言うまでもありません。
世界は存在しました。しかし
『この世界に生きている生命は、全てわたし』
この世の生命は、全て自分が生まれ変わった姿。
この大きすぎる事実とどう向き合えばいいのか。
彼女は、目の前の人間をどう捉えればいいのか分かりませんでした。
魂を共有する存在は、自己と他者、どちらとして認知するべきなのか。
真理を根拠に、「目の前にいるのは私だ」と言ってしまっていいのか。
人は、その気になれば他者の存在、そして自己すらも疑える生き物です。
彼女は自己と他者の境界を失いました。
目の前の存在を、どう捉えればいいのか分からない。
自分と他人の区別ができない。目の前のこの人は誰?
彼女は何も見えない霧の中で、何にも触れられずに浮いていました。
そしてその迷いは、夫との関係に特に強く影響しました。
彼女自身が夫の記憶を維持しているが故に、余計に強く。
わたしはあの人を愛している。でも、それは他人なの?
わたしはあの人の記憶を持っている。あの人が感じる世界を全て知っている。
見つめ合うと、向こうの視点から見つめ合っていた記憶がよみがえる。
あの人の瞳は、合わせ鏡のような底のない深淵。
あの人が怖い。
真理を彼に伝えることも、彼女にはできませんでした。
もし伝えたところで、わたしの言葉もあの人にとっては「言葉」でしかない。
あの人は信じないだろう。わたしの言葉を裏付ける経験がまだ無いのだから。
なんの根拠もなく人の言葉を鵜呑みにするほど、安易な思考は持っていない。
それでも、わたしのこれまでの経験を切に訴えたら信じてもらえるだろうか。
でも、もしそれであの人が真理を理解したら、一体どうなるだろう。
輪廻の構造を理解しても、あの人はわたしを愛してくれるだろうか。
もしわたしのように苦悩した挙句「自分自身は愛せない」と拒絶されたら、
きっとわたしは耐えられない。
そうして、彼女は苛立ちと悲しみを繰り返しました。
しかし他方で、どれだけ夫を自分自身として意識しても
妻は既に、他者として彼を深く愛してしまっていました。
その人を自分だと割り切るには、あまりにも深く。
わたしの中には、あの人の記憶の全てがある。
あの人を愛することは、自分を愛することに他ならない。
でも、それでも。どれだけ事実がそうであっても、
もう、私は愛してしまっている。
あの人が好き。
彼女の想いの強さがどこから来るのか、不思議に思われるかもしれません。
しかし、それには理由がありました。
彼女の想いを支えていたのは、彼女の誠実さだけではなかったのです。
彼女には、彼が自分を愛してくれていたという記憶がありました。
たとえ何があっても、彼は彼女を大切に想っていた。
その事実が、彼を愛する彼女の気持ちを余計に後押ししたのです。
あの人の記憶を想起するたび、自分自身を愛していることに嫌悪を感じる。
でも、それを思い起こすたび、自分が愛されていたことも思い出す。
それが他者としてのわたしに、どうしようもない喜びを与えてしまう。
前世の記憶により、彼女は彼を自己として嫌悪し、他者として思慕しました。
彼女はその葛藤を抱えながら、夫と生きていくことになります。
しかしそんな迷いも、じきに彼女からは消えていきました。
彼女が、人間の心の中で最後に残るものを既に知っていたからです。
わたしは、あの人を愛している。
わたしは、あの人を愛する他者であることを止められはしない。
どれだけ辛くても、どれだけ心が擦り切れても。
それは、自身の前世の経験から確信したことでした。
この想いは捨てられない。わたしは、あの人がわたしを想っていたように
あの人を想う他者であることを、どうしたって止めることはできないだろう。
あの人は、わたしの大切な他者だ。たとえ記憶があっても、自分じゃない。
その信念が、霧に飲まれた彼女の心に支えを与えました。
そして諦めたように微笑みながら、
彼女は自身の心の底にある「それ」を見つめます。
愛
また、ここにたどり着いた。
愛する人がいて初めて、人は辛くても生きていける。
相手を真摯に想うことさえできれば、互いを殺す争いは起こらない。
なんて平凡で、月並みで、ありふれた答えだろう。
なぜこんな当たり前のことに、世界の人々は気付かないのか。
そして今度は、彼女はその答えを知っていました。
「言の端、か。」
自分が愛という平凡な答えにたどり着いたのは、
世界の真理を知り、そこから大きな迷いを経験したから。
それがなければ自分自身でさえ、その答えを綺麗事だと笑っただろう。
言葉は器。経験という水を満たさなければ、渇きを癒すものにはなれない。
そうして彼女は、かつての自分が追究した問いに結論を下しました。
世界は、世界を争いから救う言葉で既に溢れている。
人を温かく繋いでいく、そういう平凡な綺麗事を素直に受け取るだけでいい。
でもその言葉を本当に受け止めるには、苦しみを伴う相応の経験が必要だ。
世界は徹底的な荒みと苦しみを経ることで、初めて救いに向かえるのだろう。
哲学者であった彼女が死さえ越えてようやくたどり着いたのは、
悲観というには温かく、楽観というには冷たい答えでした。
彼女はその達観を抱きながら、残る人生を生きていくことになります。
全てを理解して、受け入れて、静かに微笑みながら。