明星 後
「理解してもらえたようで何よりです!」
『この世界に生きているのは、全てわたし』
彼女は、このあまりに大きすぎる事実に途方に暮れました。
あらゆる人も、獣も、虫も、草も、すべて自分の転生した姿。
なにそれ。
悪魔は彼女の前に立ってその様子を見守っています。
すると彼女は、あることに気付きました。
「でもあなたは、私が生きている間は干渉しないって。
いまさら現れて前世の記憶を呼び戻すなんて契約違反よ!」
「世界に言葉がなかったら、人間はもっと幸せだったかもしれませんね。」
悪魔はため息をつきながら言いました。
「僕は、前世のあなたとこう契約したんです。
『あなたのその生涯において以後、僕はあなたに干渉を行いません。』
ちゃんと『その』生涯って言ったんですから、次の生涯は含まれませんよ。」
彼女は憤慨しました。
「あんまりよ!あの場で輪廻の可能性まで考慮しろなんて。
『その』なんて言葉一つにそんな意味があるなんて気づけるはずない!」
「あなたが気づくべきだったのはそこじゃない。」
すると悪魔は静かに、しかし二の句を継がせぬ強さをもって言いました。
今までとはうってかわって、冷たい表情でした。
「あなたはあの時に言いました。『私に真理を語る気はないか。』と。
それが既に間違いだったんです、
真理という結果を得られれば過程は不要だと考えたことが。
学問をする人間は特に、世界の全てを言葉で説明できると思っている。
でも、世界は言葉だけで表せるものじゃない。
言葉というものには、否応なく『解釈の余地』が生じるものなんです。
だからこそあなたも、僕の語る真理を独我論だと解釈し誤解した。
その真意を理解するに足る経験が相手になければ、言葉は正しく伝わらない。
どれだけ言葉を尽くして説明しても、それは同じ。
『愛の反対は憎しみではなく、無関心である。』
この言葉は、ある聖人が生涯をかけてたどり着いた、美しい悟りの言葉です。
しかしその讃えるべき生涯を知らない人間にとってみれば、
いくらでも反論が可能な言葉でしょう。『愛の反対は憎しみだろう。』と。
たとえ救世を成し得る言葉でも、
『それを発した者がそこに至るまでの経緯』を無視して伝えたら、
字面の解釈をめぐって更なる迷いと争いを生むだけ。
啓示や正論を頭ごなしに伝えるだけでは、人は救えないんです。
あなたはそれを知らずに『真理を語れ。』と言った。
人間は言葉の持つ限界を弁えない。そこに至る経験の重要性をいつも忘れる。
言の葉は知っていても、言の端は知らないんです。」
言葉の限界、言の端。
返す言葉もありませんでした。
私は悪魔に、真理を言葉で語ることを求めた。
その言葉さえあれば、正しい生き方を構築できると考えた。
しかし、言葉はそこに至る経緯が伴わなければ誤解を生む。
真理は、経験と言葉が揃って初めて完成するのだ。
人類が真理を得れば世界を救える。それはきっと正しい。
しかし、かつての私はその半分しか悪魔に求めなかった。
茫然と立ち尽くす彼女を見て、悪魔の表情は楽しげな笑みに変わりました。
そして、
「さて、輪廻という経験を経て本当に真理を得たあなたのこれから。
見せて頂きますね。」
悪魔はあの時のように掻き消えました。