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落陽

 

太陽は、山際から覗く小さな赤い欠片となりながら書斎を照らしています。


「楽しいな楽しいな。人間の方から契約を迫ってくるなんて、

 楽しくて困ってしまいます!」


悪魔は嬉しそうに体を左右に揺らしながら、また交互に足を振っていました。


哲学者は言います。


「悪魔がいくら嘘つきでも、契約した内容を曲げることはできんはずだ。

 絶対に履行されるからこそ、悪魔の契約というのだろう?」


「ええ、もちろん。

 悪魔の契約は、その内容が世界の秩序の中に刻まれます。

 だから人間の契約のように、お互い反故にすることは絶対にできません。

 あ、これも嘘じゃないですよ。なんなら誓いの契約でもします?」


「必要ない。というより、その言葉が嘘なら誓いの契約も意味はあるまい。」


「あ、そうか。おじさま賢い。」


どこまでも呑気な子供の悪魔に、学者は急かすように言います。


「とにかく、契約という形をとれば

 その拘束によってお前は嘘をつくことができなくなる。

 そうなれば、私はお前の言葉の真偽を疑う必要はなくなるわけだ。

 もし『真理を知っていること』自体が嘘なら、契約自体が発生するまい。」


悪魔も理解したようでした。しかし尋ねます。


「でも、少し楽観的じゃないですか?

 契約というのは、悪魔が人間を破滅させる目的で交わすものです。

 だから悪魔との契約で幸せな結果を得る人間なんて、

 僕の小さな手で海辺の砂を一つまみしたくらいしかいないのですよ?」


紅葉のような手をぱっと前に開きながら、悪魔は言いました。

 

彼は答えます。


「それは心配ない。絶対的な『正しい真実』を得れば、それを基準にして

 対立する価値観の優劣を公正に比較し裁定することが可能になる。

 そうなれば、じきに人間にとっての『本当に正しい生き方』が確定するはずだ。

 そうすれば世界から争いは消え、人類は幸福になる。」


彼は自身の人生を支えてきた信念を述べました。さらに続けます。


「悪魔と取引して得をした人間が一人でもいるなら

 私もそちら側になれるのは間違いない。

 なにしろ、全ての人間が強制も洗脳もなしに納得できる絶対の正義という、

 人類史上最大の成果がもたらされるのだから。」


悪魔は、哲学者が相応の覚悟をもっていることを理解しました。

そして、こくりこくりと頷きながら言います。


「なるほど、勝算は大ありというわけですね。

 僕もいろんな人間と契約してきましたけど、

 富でも名誉でも僕の体でもなく、真理なんて望む人は初めてです!

 ・・・最後については、正直ちょっとだけ悔しいのですけれど。」


こころなしか恨めしそうな悪魔の上目使いを無視して、哲学者は言います。

 

「それで、お前は対価に何を要求するのだ。

 言っておくが、私が聞いた真理が世に広まらない類の対価なら契約は無しだ。

 例えば、真理を聞いた瞬間に私の命をとるというなら、

 私は契約をするつもりはない。」


「そうですね。

 僕はあなたのことがとても気に入ったので、

 寿命は遂げさせてあげます。」


そう言うと悪魔は目を細めて、いたずらっぽい笑みで続けました。


「ただ、あなたの死後、少しだけあなたの魂で遊ばせてくださいな!」


「遊ぶとは、具体的にはどういうことか。」


「それは秘密です!」

 

悪魔は、ふふん、と得意げに笑いながら言いました。


「でも、あなたがその生を全うするうえで

 僕が何の干渉もしないことは約束しますよ。

 あなたが望むなら、僕の語った真理を世界中に広めることだってできます。」


悪魔は続けます。


「僕があなたで遊びたいのは、あくまでもあなたが死んだ後ですから。

 もちろん、あなたが広めた知識を死後に世界から抹消するとか

 そういう荒業もしませんから、安心して死んでください!」


可愛らしく笑っても悪魔は悪魔でした。


学者は考えます。

私は人類の平和のために生きてきた。

死んだ後に私一人がどうなろうと、安い買い物だ。


悪魔の言っていたとおり、彼は高潔でした。

彼のような人間ばかりなら、真理など求めなくても

世界はすでに平和だったかもしれません。


しばらく考えた後、哲学者も納得して言いました。


「いいだろう。それで手打ちだ。さっそく契約に移ろう。」


「わかりました。では確認しますね。」


悪魔は一呼吸おくと、真面目な表情で契約内容を語り始めました。


「僕はあなたに、『絶対に正しい真理』を語ります。

 そして僕はあなたの死後、あなたの魂でしばらく遊ばせてもらいます。

 なお、あなたのその生涯において以後、僕はあなたに干渉を行いません。

 あなたと僕が以上の契約を行うことを認めますか。」


哲学者は一度深く息をして、ゆっくりと答えました。


「認めよう。」


「では、契約成立です!」


最初こそ厳かな様子でしたが、

最後には、悪魔はやはり子供のように小さく跳びはねていました。


すると哲学者の方も、契約が成立したのを確かに感じました。

言葉ではうまく表現できませんが、五感を超越して、

まるで世界が最初からそういう秩序を持っていたかのように

契約が成立したことを確かに感じとることができたのです。


「ああ、楽しいなぁ、楽しみだなぁ。」


胸を躍らせている悪魔に、哲学者も少し興奮気味に言いました。


「では約束だ。世界の真理を語ってもらおうか。」


すると、悪魔は哲学者に微笑み、立ち上がります。


「いいでしょう。」


そして彼の座るソファの前にやってきました。


それから一瞬の間をおいて、真理を語ったのです。


「これから述べることは、絶対に正しい真実です――。」


太陽が、山際に沈みました。


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