月の涙
その昔、月は一粒の涙を流した。
争いに汚された目の前の星を憂いて。
愛する星の腐敗を嘆いて。
青く霞むその星に送られた、白く輝くヒトシズク。
――そしてそれは、いつしか持つものに、幸福と平和をもたらすと言われるようになった。
「その話を信じろと?」
王は自分の椅子で余裕の笑みを浮かべながら、威厳と風格を目の前の人物に見せ付けている。だが、その鋭いまなざしの先に居るはずの異国の衣装をまとった女性は、何の臆する様子も無く同じく余裕の表情で、慎ましく笑みを返すのだった。
「お聞きの通りですわ、陛下。そして、ここにあるこの宝石こそ、その『月の涙』にございます」
月の光を落としたかのような輝きを放つその見事な宝石は、彼女の手の平の上でただ慎ましやかに存在を知らしめる。その持ち主を写し取ったかのように。
「ふむ。して、何が望みだ? それだけの物を己で使わずに献上するからには、それなりの見返りが欲しいのだろう? 申してみるが良い、出来る範囲で用意してやろう」
「そうですか。では、遠慮なく」
理解を深くするにはあまりにも唐突な出来事であるにもかかわらず淀みなく進む二人の会話に、周りを囲む従者たちは主を止める術もなく女性の答えを待った。
「私をお側に置いて頂けますか?」
「ふむ、それは余の伴侶としてこの国の政治に干渉したいという事かな?」
「いえいえ、そのような大それた事ではございません。ただ側に居て、陛下がこれを持つに相応しかった、私の考えは正しかったと証明したいのでございます。もちろん、その間に陛下が私の身をご所望ならば、好きにしてかまいません。私自身には何の魅力も力もないただの女なのですから」
王と対等に渡り合い不思議な力を持つという宝を献上せしめた若く美しい女性は、はたして魅力のない人物であっただろうか。その言動一つでも、彼女を怪しい人物で有ると決定付けるのに申し分ない。
「証明と申したか?」
「はい。陛下はこの大国の最高位にあり、周辺諸国とも概ね友好な関係を築き上げつつあります。陛下ならば他の有象無象のようにこの世界を破壊させかねない願いなど持っていないと思うのでございます」
挑戦的な言い方ではあった。しかし王はそれを不適に笑って見せるのである。
「面白い。良かろう、汝には最も近くで見せ付けてやろう。我が覇道の行く末を、な」
「それでも、結局その王は争い事の全てを止めることは出来なかったのです」
「それを何で俺に聞かせるんだよ」
話の中のシチュエーションをそのまま取り出したかのような光景が、今目の前にあった。美しい女性と輝く宝石。
違うのは彼女の目の前に居るのが王ではなく、ただの自宅警備員だという事である。
「もちろん、この宝石に相応しい人物があなたで有ると判断したからです」
「どこが?」
「権力が欲しいですか?」
「いや、別に」
「莫大な財産は?」
「使い切れないほどは要らねえよ。そんなのはトラブルの原因にしかならんだろ」
「不老不死とか」
「そんなに長生きしてどうすんだよ」
「女性をはべらせたり?」
「一人居りゃあ十分だって」
「私とかどうですか?」
「え、と。そりゃあ美人だと思うけど……」
「だからです」
「いや、全然わかんねえよ」
「今まで私の一族はずっとこの宝石とこのやり方を継承してきました。おかげで今も平和に何不自由無く暮らせています。今までは時の権力者に取り入る事が多かったらしいです。でも、結局結果は似たようなものでした。だから私は、あなたの様な人がこの宝石に相応しいのではないかと思ったのです。それとも……やっぱり私じゃ不満でしょうか」
「い……いや……」
上目遣いで潤む瞳で必死の様相で頼み込まれれば、断る事なんて出来るわけも無く。またそうする理由も見つけられない。
仕方ないふうを装いながら了承する青年に彼女は輝く笑顔で答えるのでした。
終われ