従者
「タバコ、ねぇ。別に旨くて吸ってる訳じゃねーよ。ただ、そう、間が保つんだよ。やることない時とか、何言っていいかわからねえ時とか。あるだろ。」
そう誰かが言っていたのを思い出す。別にだからといってタバコを吸いたくなったわけではないのだが、その言っている意味は今になって身に浸みてわかる。
「まったく。なんともまあ綺麗な牢屋だな。」
そう呟いた涼の言葉は、残念ながら今は誰も理解できないだろう。
『勇者様のお友達』である涼と静。この二人の扱いもまたそれなりに丁重なものであった。しかしそれは、二人をぞんざいに扱うことで竜也の機嫌を損ねてはならない、という意図のものであって、決して善意からくるものではない。なにせ本来の召喚術では現れるはずの無いオマケなのだから。ともすればそのせいで竜也の記憶の覚醒が起こらないでは、などと言う者までいる。冷遇一歩手前くらいの視線。別にそれで不満はないので二人とも文句を言うつもりはない。
竜也と隣接して与えられた客室は従者用のコネクティングルームとはいえ豪華な装飾が施されている。来賓用の中でも一番格上の部屋があてがわれていた。部屋の中もさらに2部屋に分かれているので、それぞれ1部屋ずつ使うことが出来る。外と竜也の部屋への扉がある方を涼が、奥の寝室専用の部屋を静が使うことにする。
付け加えて専属の従者がそれぞれ一人。言葉のわかる静には神官戦士見習いという少年。そして、涼の目の前にいるのは、一応通訳の呪文が唱えられる宮廷魔術師見習いの少女。この『見習い』というところが彼ら二人の扱いを十二分に表している。
その少女、名をミリィという、は13歳だという。育った環境のせいか涼の知る13歳よりは大人びて見える。しかしそれは雰囲気の問題で、発育の方はさして変わらない。ともすれば発育過剰の現代っ子より劣るだろう。
ダークブラウンの瞳と肩口で切りそろえられた同色の髪。北欧系白色人種が近いイメージか、と判断する。静に言わせるとそれより少しはアジア系に近いかも、ということらしい。
性格は大人しいの一言。元々無口な涼としてはあれこれと詮索されても困るし丁度よい。とはいうものの、彼女のそれは度を超している。どうやらかなり消極的な性格らしい。涼を見る目にもどこか怯えのようなものが見て取れる。
また、通訳の呪文といっても、見習いというだけあって心許ない。一回呪文を唱えて持続するのは1時間程度。それも魔力の限界で1日3回ほどまでというもので、使いどころを妙に悩ませる制限である。
1日に魔法を3つしか使えないのでは魔術師としてどうなの?という竜也のストレートな疑問は、幸い彼女が呪文を唱える前だったので聞かれずに済んでいた。通訳の呪文は滅多に使わないもので、練度が低いと魔力の消費も多くなる。また、元々の呪文自体かなり燃費は悪い方だとのこと。静曰く、彼女の年で3回使えれば上出来らしい。
とりあえずは必要なときだけ頼むということで最低限の取り決めだけをしている。基本的には、一日3度の食事時。そこで使うことにし、もし緊急で通訳を頼みたいときはサインで知らせることになっている。そのサインは、呪文の詠唱時に行う手の動きの一部で、間違っても日常で使うような動きではない。
静は冗談混じりに指をパチンと一回鳴らしたらお茶、二回鳴らしたら呪文にしよう、と言ったのだが当然却下された。別に涼は二杯のお茶に必要性を感じなかったのである。
朝食後、竜也は渋々と文句を言いながらもかなり自発的に訓練場へと向かっていく。それを見送ってから涼は自室に戻り昼まで本を読んで過ごすことにした。といってもこの国の本が読めるわけでもなし。必然的に愛読書の『宮本武蔵』しかない。すでに何度も読んでいるが、無論その本そのものには文句などあるはずもない。
本来ならば、どうせ稽古をつけるのなら自分の手で紅華流を教えたいところである。しかし、両刃片手剣はともかくとして、盾の使い方はよろしくない。剣術だけではなく槍、弓、そして無手、果ては暗器に至るまで。およそ戦う術は一通りこなすのが紅華流の後継である。もちろん盾を持ってもそれなりに使う事は出来るが、素人に教えるのは控えることにしたのだ。
「涼に教えさせると盾の正しい使い方よりベイルアタックを覚えそうな気がするよ。」
という静の言葉も指導を控えた理由でもある。全くもって同感だったのだ。
「あ、あの、リョウ様。お茶をお持ちいたしましょうか?」
かすれるように小さい声。左腕の時計に目をやると、朝食時から魔法を使い始めて40分ほど。後20分くらいは呪文の効果が続くこととなる。静が昨夜涼にかけた通訳の魔法は実のところまだ続いている。おそらくここ数日は継続するだろうという話であった。それが術者としてのレベルと練度の差だが、もちろんその事はミリィには言っていない。
涼は少し考えた。基本的に日本茶。それが駄目ならウーロン茶。百歩譲って紅茶。最後の最後にコーヒーという嗜好なのだが、この国に緑茶があるとは思えない。昨夜飲んだお茶は悪くなかった。そこら辺のことを静に確認しておくべきだったと後悔する。
「そうだね。お願いしよう。」
無碍に好意を断ることもない。涼は出来るだけ静かな声で頼むことにした。残念ながら優しげな声色というサウンドセットは用意されていない。また、油断していると呪文の影響で日本語ではなくエストラーザ語が出てきかねないので、ただでさえ少ない口数がさらにぶっきらぼうなものになるのだった。
それでもミリィはほっとしたような顔でポットを取りに行く。その顔を見て思わず苦笑する。そういえば道場に来る少年達も最初は皆同じように怖がっていたな、と。
「ど、どうぞ。」
カタカタと音が鳴っている。緊張のためか腕が震えている。罪悪感とともに、そんなに自分の顔は怖いのか、と悲しくなる。
「ミリィ。」
「は、はい!」
涼は彼女がカップを置いたのを確認してから声をかけた。出来るだけ優しい声を出したつもりで。それがどう聞こえたかはわからないが、彼女はお盆を持って硬直してしまう。
「君の分もいれておいで。それと、私は昼まではずっと本を読んでいる。君も退屈だろうから時間をつぶせるものを用意してくるといい。」
控えている必要はない。そう言いたいところだが止めておく。彼女は上の命令でここにいるのだ。追い出したら行き場所が無くなるだけでなく、場合によっては叱られるだろう。周りの大人達を見るとその可能性は低くない。ひょっとしたら監視の役目も言いつけられているかもしれない。本来の監視役をカモフラージュするための拙い監視役を。
「で、でも、」
生真面目な性格なのだろう。少し躊躇いを見せる。
「ずっと黙って立っていられても心苦しいからね。君は魔術師見習いと言ったね。なら勉強することが山ほどあるんだろう。時間は大事に使わないといけない。道具を取りに行く間のことは外にいる兵士殿に中に入ってもらってかまわない。別に頼むほどの用も無いだろうしね。」
「は、はい。」
遠慮がちながらも喜色を浮かべた。昨夜に引き合わされてから初めて見る笑顔であった。自然と涼の顔もほころぶ。自分でも随分喋ったものだと思うが、その甲斐があったというものだ。
「で、では、本を取ってきます。」
「ああ、行っておいで。」
余程嬉しかったのか、ミリィはお盆を持ったまま駆けだしていってしまった。入れ違いで複雑そうな顔をした兵士が一人、中に入ってくる。入り口で無言のまま直立不動だが、別に会話をする必要も無い。
「……そんなに怖いか?」
思わず顔を撫で苦笑する。道場の幼年部に新入生が入るたびに繰り返す言葉を呟きながらカップのお茶を一口飲んでみる。当然飲んだことのない味であるが、強いて言えばミント系のハーブティーというところだろう。
思わず部屋の隅に置いてある荷物の山に目を向ける。
「お茶っ葉も買っておくべきだったな。」
今のところ、彼の最大の悩みがそれであった。
一方、勝手知ったる他人の家という静は涼ほど悩む必要はなかった。この王城も記憶にあり、大半の兵士よりも詳しいくらいである。ともすれば、王家の人間よりも細部に通じているかもしれない。さすがに来賓用の部屋を使ったことはないが、だからこそ新鮮な気分でくつろいでいた。
静の従者は14歳の神官騎士見習い。こちらは修行の時間を削られることに対し不満を隠さない様子。面と向かって口にはしないものの、不機嫌な顔を隠しもしない。静の遠慮のない態度にも問題があるのかもしれないが。
「ルーク、お茶にしよう。僕はフィフィア茶がいいな。モーリト産のやつね。それとお茶請けも用意してくれたら嬉しいな。カッシュ(クッキー)なんかどうだい?」
なんで異世界から来たはずなのにこんなに詳しいんだろう?という疑問よりも先に馴れ馴れしい態度に怒りを感じる少年。ルーク・ルア・ルード。神官騎士の父と司祭の母を持つが身分そのものは平民と変わらぬ程度。周りの扱いから見てもそれほど期待されているわけではない。本人も押しつけられた仕事と自覚しているのだろう。
「ただいま用意してきます。しばしお待ちを。」
短く切りそろえられた金髪に意志の強そうな太めの眉毛。口がへの字なのはひょっとしたら生来のものかもしれない。神官が短気でいいのか?とも思えるが、それを言うと怒りそうなので静は黙っておくことにした。彼は彼なりに忍耐を最大限に発揮しているのだろう。
ちなみにフィフィア茶とはミリィが用意したものと同じで、この国で一般的に愛飲されているお茶である。値段は少し高めなので一般的、といっても貴族中心の嗜好品であろう。庶民は葉ではなく、その裁断時の削りカスを使っている。いわゆるティーバッグの中身である。モーリト産の葉は、それらの中でも高級品に位置する、いわば玉露というところか。確かに遠慮がない。
「あ、この子にミルクもね。」
「っ!ただいまお持ちします!!」
ルークは足音を立てて部屋の外へ向かい、これまた大きな音をたてて扉を閉めていった。
「やれやれ。神官戦士ってのはどいつもこいつも皆堅物が多いこと。洗脳でもされてんじゃないのかね。もっと気楽に行かないと、ねぇ。」
肩をすくめ、涼とは別の意味で苦笑を浮かべる。静の指をガジガジとかじる子猫は尻尾だけを振って静に答えているようであった。
「あなたはレインドル様のお手伝いをしなくてよろしいのですか?」
と食後に聞かれたのだが、
「僕は付き添いだからね。ここは一つ高みの見物としゃれこませて貰うさ。」
と答えたら不機嫌になってしまったのである。当たり前かもしれないが。
「さ、て、と。」
ルークが見えなくなり、静の顔が少し真面目なものになる。それでもどこかうっすらと笑っている雰囲気は消えないが。
「どうしたもんでしょうね。」
静は今後のことを考えることにする。
第一の目的は取りも直さず元の世界への帰還である。絶対に3人揃って、それも五体満足で。
「あのお馬鹿さんが。」
表面では嫌がりながらも、どこか嬉しそうに騎士達に付いていく竜也の姿を思い出し眉根にしわを寄せる。
「英雄とおだてられて祭り上げられる程単純ではないはず。基本的にはお人好しだけど。だとすると、何を考えているのやら。下手に怪我したらどうするつもりなんだか。」
竜也の考えをそれ以上推測することは出来そうにない。理詰めで考えれば考えるほど、竜也の思考からかけ離れていくことをここ数年で身に染みて思い知らされている。そしてその経験を元にした推測を行うと今度は頭痛がしてくるのである。だからその件に関しては後回しにする。
さて、帰るとして、理想を言うなら服装も元の状態がいいだろう。今は3人ともこの国の普段着を着ている。学ランはハンガーに掛けられ壁にぶら下がっている。竜也はいまごろブレストプレートをはじめとした鎧を着せられているだろう。静の服も、この国の貴族の平服としては一般的だが、当然現代日本では見かけないものである。
「ままぁ、あのお兄ちゃん達変な格好。コスプレ?」
「しっ、見ちゃ駄目よ。こら、指ささないの。」
戦闘装備バリバリの状態で元に戻りあの公園から家に帰る。その際聞こえてくるであろう世間の嘲笑を想像して思わず身震いする。
「いかんいかん。それだけは絶対に避けないと。イベントでもないのに町内コスプレデビューなんて洒落にならない。人気の少ない公園で助かったかな。東京タワーでないだけナンボかマシだけどねぇ。」
どうも真剣味に欠けることしか考えられない。絶対的に危機感というものが欠如している。その理由が17年間にわたる日本人としての生活だということは気付いているのだが、それを直せる気が全くしない。平和ボケのいい典型であった。
「ダークウィザード、じゃなかった。継承者やってて400年。こんなにボケボケっとしてるの初めてですよ、まったく。ニッポン文化畏るべし。というか君も少しは野生というものを持ちなさい。」
自分の手にじゃれつく猫の頭を撫でながら微笑を浮かべる。以前の自分とあまりに違う自分が妙におかしかった。魔法戦闘能力という点では大分落ちるかもしれない。だが、そんな自分が静はかなり気に入っていた。
ギンッ!ガキン!
「のえぇぇぇぇぇ、ひえぇぇぇぇぇぇぇ!」
そんな二人の穏やかな午前に較べ、こちらはまさに生と死の狭間にいた。実際にはそれほど危ない状況ではないのだが、心情的には地獄の一歩手前もいいところである。
何しろいきなり訓練場に連れていかれ、刃引きとはいえ実剣を持った騎士達に囲まれたのである。そしてエンドレスとも思われる訓練が始まってしまったのだ。
刀身の折れたウィズリードには仮の刃を付けられている。もちろん刃は訓練用に潰されている。光の剣が出せることは、3人の統一見解として黙っておくことになっていた。
「ほら、足下に隙が出来てますぞ。次は右。盾とのバランスを忘れないで。攻め手を欠いた防御は死の延長に過ぎないことを忘れないで下さい。」
そういってこの国の一級の騎士達が入れ替わり立ち替わり手合わせしてくれるのである。あるいはこの国の少年達にとって憧れのシチュエーションなのかもしれないが、それを楽しむ余裕は今の竜也には皆無であった。
それでも、有るのか怪しい過去の記憶のなせる技か、はたまたその手に持つ剣、ウィズリードの力か。勝てはしないものの、どうにかこうにか訓練らしき様子にはなっている。とても初めて実剣で斬り合いをしている素人には見えない。まあ普段から涼の道場に上がり込んで稽古に混ざったりしているので免疫が無い訳ではないが。それでも、自分がこれだけ動けるのは本来ありえないと自覚している。
あらかじめずぶの素人であることは言ってあるので、騎士達に失望の色はない。むしろ、その上達速度は無用の期待感を煽るものであった。何故無用かというと、どんどん手加減がなくなっていくからである。
「ほんがらげぇぇぇぇぇえ。」
昼食の時間が来る頃には叫ぶことも出来ないほどになっていたという。
「や。何してた?」
「本を読んでいた。そういうお前は?」
「ま、情報収集、かな。」
案の定昼食の席には竜也の姿はなかった。城の大広間では今頃国の貴族達が集まり昼食会を行っている頃であろう。竜也はそのつまみになっているに違いない。二人は涼の部屋で、ルークとミリィも含めた4人と一匹で慎ましく食事をとっていた。
「あの子もご苦労なこったね。ま、しばらくは老人どもの餌になっていてもらうとして。問題はこれからどうするか、だね。」
今は日本語で喋っている。よってルークには何を言っているのかわからない。ミリィは食事時ということで再び呪文を唱えていた。だからルークはミリィに何を話しているのか尋ねるのだが、ミリィは短気なルークの性格を知ってか知らずか、あいまいな表情で首を横に振るのみであった。そんな態度がルークをいらつかせるのだが、ミリィとしてもこの国期待の英雄を『餌』呼ばわりしている会話をどう受け止めていいのかわからないのである。もちろんそれを諌めるなどとは思いつきもしないだろう。
「どうするか、それを考えていたんじゃないのか?」
「だから。僕一人で考えてもしょうがないでしょうが。」
そこまで言って顔をしかめる。サンドイッチに入っていたマスタードの固まりに当たったらしい。元の世界のマスタードよりも少し鼻に来るそれは刺激が幾分後に残る。思い起こせば食べ慣れた味ではあったが、比較をすると現代のマスタードの方が美味いと感じられる。
マスタードの部分を避けてハムを千切りルイに食べさせる。ルイはなかなか食欲旺盛らしく、与えた先から平らげていってしまう。元の世界に帰り飼い主の元へ返すときのことを考えると、ここでデップリと肥えさせるのはいかがかと思うのだが、はぐはぐという擬音が似合いそうな子猫の食べっぷりを見ているとどうにも止まらないのである。
「まずは帰る手段。」
涙目になりながらも気を取り直して静は説明を始めた。
1.目的の達成
召喚主の願いが達成されれば呪文の効力が失せ元の世界へと返される。この場合は敵の魔族の長であるアモルファシスとやらを倒せ、ということであろう。
2.召喚主の死亡
文字通りである。宮廷魔術師リーゼナイセ。彼女が死ぬことにより持続魔法は力を失う。集団で儀式を行ったので協力した魔術師達の力もある。だが契約の核となる彼女が死ねば、そう長いことはなく魔力は消え失せるだろう。
3.自力で帰る
次元追放の魔法の応用でこの空間からもとの次元へ穴を開け強引に帰る。
「のだが、3は100%不可能だね。何せ追放だから。穴開けたはいいがどこに繋がるかは運任せ。正気の沙汰じゃない。」
「ならばついでに言えば2も却下だ。どんな事情であれ女性に手をかける術は持ち合わせていない。」
「まあね。その点では僕も同意。結局連中の望みをかなえるしかないわけだね。」
「だろうな。」
それを聞いて密かにミリィは胸を撫で下ろす。どんな事情が上にあるかはわからないが、竜也、いや、彼女達にとってはレインドルか、はこの戦局を打開する救世主である。何もせずにはいサヨウナラ、では困ってしまう。しかも宮廷魔術師長の死などと聞かされては生きた心地がしない。仕掛ければ返り討ち。それどころか企てるだけでも命が無いと思われる。
「しかし要は1が達成されればその他の条件はないのだな。」
「ま、そうなるね。」
「ふむ。そのことは竜也は?」
「知っている。今朝さらっと話した。」
「ふむ。」
涼は1人で考え込み出す。静は少し首を傾げたものの、思考の海に沈んだ涼を引き上げようとはせずに食事を再開した。ルイにどこまで食べさせられるのか悩みながら。
「Bozって知ってる?AK48娘は?知らない。ああ、そう。やっぱりね。いや、いいんだ。そうだと思ったから。」
何とか伯爵家ご令嬢、とやらに愛想笑いを浮かべ一礼し、顔を上げると同時にそそくさとその場を離れる。
「音楽、駄目。映画、駄目。ワールドカップ、もちろん駄目。メジャーリーガーなんじゃそれ。ふみぃー、ネタがねぇよぉ。」
汗だくになり闘技場を転げ回っていたのはついさっきのことである。そして今は仰々しくもきらびやかな服を着せられ昼食会というモノに出されていた。
午前中延々と剣をふっていたので当然竜也の胃袋は声高らかに歌い続けている。ところが、何とか伯爵夫人だのどこそこ家のご令嬢だのがひっきりなしにやってきて、今まで一向に物を口に入れることが出来ないでいた。
それでも最低限の会話は交わそう、と思うのだが、何せ話題がない。元々女の子とはあまり話をしたことがない竜也にとって、時々静が語る簡易版会話マニュアルが全てであった。ところが、「これだけは押さえておきなさい。」と言われた話題がほぼ全滅なのである。当たり前と言えば当たり前だが。
竜也とてせっかくファンタジー世界に来たのだ。いろいろな情報を鮮やかにゲット、といきたいところである。しかしこの場では残念ながら珍獣は竜也の方なのだ。質問はあくまで向こうの権利。しかし答えたところで理解はしてもらえない。どこまで話していいのかもわからない。おかげで会場内をグルグルと逃げ回ることしかできないでいた。
「メ、メ、飯、メーシィ。」
パーティー会場にはこの国の貴族の中でも有力貴族と言われる一部の、それでもそれなりの数なのだが、貴族達が集まっていた。そういった連中にはまず最初に延々と自己紹介をされたのだが、竜也の頭にはさっぱり残っていない。そして、貴族達が引き連れてきた娘達が我先にと竜也のご機嫌を取りに来るのである。
今もやっとの思いでテーブルにたどり着いたと思ったら、足を止めたのを見計らったかのように1人、派手な服の女性が声をかけてくる。手を伸ばしかけた鳥の唐揚げ(らしきもの)に未練を残しつつも、物を食いながら挨拶するわけには行かず女性の方に顔を向ける。
「リュウヤ様。お初にお目にかかります。トリュイフィルス子爵家の長女、ファイナティシアと申します。お会いできて光栄ですわ。」
この舌を噛みそうな名前が竜也の脳味噌に残るはずもない。それはこの子だけのことではなく、今まで出会った全ての人間について言えることでもあった。とにかく日本人離れしたネーミングは竜也の頭を混乱させるのである。ともすれば嫌がらせか早口言葉の一種かと聞きたくなってしまう。
「あ、どうも。」
そういって頭を下げた瞬間にもう名前は忘れ去られている。しかし向こうはそんなことお構いなしに自分をひたすら売り込んでくる。竜也はついていけない話題にただ曖昧な相づちを打つことしかできない。
「(あ、もみあげがロールパンだ。すげぇ。)」
結局彼女について記憶に残ったのはもみあげだけであった。他の女性達など存在そのものが記憶から抜け落ちているのだから、その点では彼女は1歩リードしたといえるかもしれない。もっとも、顔も名前も思い出せないという点では他と同じなのだが。
「リュウヤ様。お食事の方はお済みになりましたか?」
長いヒゲを揺らしながらスジオパークが近づいてくる。のんきな質問に、そのヒゲに火をつけてやりたくなるが、最後の理性で思いとどまる。
「済むわけないでしょ。まだなんも口に出来てないよ。爺さん、わりいけど30分だけ休ませてくれないかな。ちょっとバルコニーに出てくるわ。」
「りゅ、リュウヤ様!?」
「いい、誰も入れないでよ。入れた日にゃ俺はここからそのまま逃げ出すからね。オーケイ?」
竜也は最早問答無用とばかりにテーブルの食料を抱え込むと、その場をスジオパークに任せ背後にあるバルコニーへと出た。そして後ろ手に扉を閉めてしまう。心情的にはこのままばっくれてしまいたかったが、2階であるはずのここから下を覗くと何故か3、4階建てくらいの高さがある。1フロアあたりの高さが学校やマンションなどとは段違いなのだ。さすがに飛び降りる気にはなれなかった。
「そーいややたら天井高かったもんなぁ。ま、飯さえ食えればなんでもいいや。」
味も作法もなくとにかく手にした食料を胃袋に流し込んでいく。かすかに舌の上に残る後味が、この料理が高級なものであることを主張していたが、今の竜也にはそんなものは幻以下に過ぎなかった。とにかく腹に入れば何でもいいのである。当然そんな食べ方をすれば、
「ぐ、ぐぅ、んぐぐぐぐ、」
このように喉に詰まらせるのは目に見えている。
「はい、お水です。」
差し出された水がなければそのままあの世へと旅立っていたかもしれない。
「ぷはぁーーー、ふぃー、助かったよ。君は命の御人だ。」
「あはははは。どーいたしまして。」
「ん!?」
「?」
目が合った。
竜也の目の前にいるのはまだ小学生くらいと思われる子供であった。さらさらの銀髪にブルーの瞳が印象的で、顔立ちも整っている。左耳にだけイヤリングがしてあり、それ故に中性的な雰囲気はあるが紛れもなく男の子である。罪のない笑顔を浮かべ竜也を好奇心いっぱいの目で見上げていた。
「おいっす。」
思わず手をあげ挨拶する。
「レインドル様ですね。お初にお目にかかりま、あでっ!」
お辞儀をしようとした少年に、竜也は問答無用にデコピンをくらわせた。もちろん十分に手加減はしている。
「レインドルじゃなくてリュウヤ。ドゥーユーアンダスタン?」
「は、はい。」
少年は目をぱちくりさせながら肯いた。無理もない。おそらくデコピンなどされたのは初めてなのだろう。
「てわけで自己紹介。俺は草薙竜也。17才。高校2年。現在彼女……募集してる訳じゃないけどいたらいいなぁって思ってたりするよ。」
「えっと、フィリップ・ディス・ガロート・モーリス、11才です。モーリスの第14王子です。以後お見知りおきを。」
少年は笑顔を浮かべながらお辞儀をする。竜也も合わせて頭を下げるが、すぐに身体を起こしてしまった。
「そんなに固くならないでいいよ。肩こっちゃうよ。っておうじぃ……様!?」
「はい。あ、でも、兄弟の中では一番下で、序列はもっと下になっちゃうんです。竜也様の方こそ畏まらないでくださいね。」
「ふーん。いろいろありそうだねぇ。」
「はい。あるんです。」
竜也は少々遠慮しつつ、この末の王子をまじまじと見た。王は病に伏せており、王太子とは夕方に謁見することになっている。よってこの国の王族というものに会うのは初めてであった。
少し悪いかな、と思いかけてすぐにやめた。どうやら竜也の方が観察される側らしいと気付いたのである。少年は遠慮のない視線を顔いっぱいの笑顔と共に向けてきている。だが、それはとてもまっすぐなもので、先程までの本音を隠した仮面舞踏会より遥かに気持ちのいいものであった。
竜也はとりあえず、手持ちの食料を無くすほうを優先することにする。少年もわかっているのか、それ以上話しかけようとはしない。ただ、遠慮のない視線だけは変わらない。竜也は食事よりも動物園のサルにでもなったような気分を味わっていた。
ベランダに出ていく姿を目にしておきながら、スジオパークはそれを止めようとはしなかった。昨日悩んだ問題の回答が自分から出てきてくれたのである。
廃王子
この王城で最も忌避される存在。国王が戯れでメイドに手を出し産ませた子供であり、本来なら王位継承権など以ての外であった。だが、国王の気まぐれにより王子となってしまった少年は、この王城で腫れ物のような扱いを受けながら育ってきたのである。
そんな少年であるから、ショタ趣味(と思われている)の竜也の世話役には適任であった。他の王子や貴族達も文句はないであろう。
しかしそこには一つだけ問題があった。
母親が後宮に上がり、フィルが物心つくころに『病死』し、この第14王子は後ろ盾がなくなった。その王子の『病死』もすぐだろうと言われていたが、急に後見人が現われてしまったのだ。
この廃王子の後見人を買って出たのは元神官騎士団長であり王室相談役の一人である老神官であった。その老人が王子の教育係になったため、誰も手を出せなくなったのである。
その老人が、王子に男娼のような真似をさせることを許すとは思えない。だから思い止まっていたのだが。
窓の外を見ると、さっきまで仏頂面の上に辛うじて作り笑いを張り付けていた竜也が、今は楽しそうに笑っている。それを見たスジオパークは、昨夜の静の言をあらためて信じたのだった。
「……はぁ。」
実際には、そこにいるのが男だろうと女だろうと、あるいは老人でも、貴族的な傲慢さを漂わせてさえいなければ竜也は笑っていただろう。
「ふーん。やっぱこっちも向こうも、庶民の生活はあんま変わらないんだね。フィルもそれ程贅沢してるわけじゃないっぽいし。」
食料を一気に飲込んだ竜也は、フィリップ王子と雑談をしていた。話題は主にそれぞれの世界の事である。この王子は生まれやその後の生活のためか、王宮の外の事情にもそれなりに詳しかった。
ちなみに王子の愛称はフィルだそうで、竜也はすでにそちらで呼んでいる。
「そうなんですか?」
「まあ大体はね。」
人口比率は置いておいて、と心の中で付け加える。
竜也はだいたいイメージ的には、江戸時代くらいかな、と推測してる。実際はかなり違うが。王宮から見える限りではそれなりに家屋が密集しているが、それはあくまで城壁の内側だけである。山の手線沿線ぐるり一周しても切れ目が見えないほどに密集している過密の東京を基準にしてはいけない。
そこら辺の予備知識は、静に聞かされるまでもなくある程度揃っている。伊達にゲームやアニメ、マンガエトセトラのマルチメディア世代をやってはいない。知識との相違点を見つけるよりも、類似した設定の作品を思い出すほうが早いだろう。
「さすがに王様とか貴族とかはいないけどね。あ、国によっちゃいるか。」
「え?じゃあ政はどのようにして行われるんですか?」
「え?うーん……えーっと、そうだなぁ。民主政治つってもわからないだろうしなぁ。」
「ミンシュセイ?」
案の定フィルは首をひねっている。
「えーっと、詳しくはりょーちゃんに聞いてくれ。あはははは。」
と責任転嫁し笑ってごまかしておく。
「リョウ様、リュウヤ様の従者様、ですね。」
「んにゃ。友達。どっちかっていうと保護者に近い。いっつも殴られてるもん。」
「あはははは。」
そんな話をしていると、いつの間にやら指定していた30分は過ぎてしまったようである。スジオパークが何やら複雑な顔をしてこちらにやってきた。
「竜也様。そろそろお時間です。中へお戻りくださいませ。」
「んあ。そんな時間かぁ。しゃあないね。約束だし。フィル、そんなわけで俺はまたあっちに連れ戻されてしまうらしい。また後で遊ぼうな。」
「ハイ、お待ちしております。」
「さ、俺は逃げも隠れもしない。どこへなりと連行するがいいさ。どなどなどーなーどーなぁ……竜也がいーくーよー。」
竜也は哀愁漂う歌を口ずさみながらふらふらとバルコニーを出ていった。
残されたスジオパークは、竜也が出ていくのを見計らってフィルに話しかけた。
「王子、一つ、よろしですかな?」
何も知らないこの少年はおそらく喜んで提案を受け入れるであろう。この王子に対しては王位継承権に見合った敬意しかはらったことはないが、それでもやはり気が進まぬことであった。




