聖域
「う~、ほんの一瞬だったのに、どこ行ったのかなぁ……」
「フィル様、こっちです。」
わずかに残る足跡から逃げた方向を見極める追跡術。シーフギルドの者なら誰でも習う技術であるが、知識としてだけなら魔術師も学ぶことが出来る。とはいえ実地が伴っていないので少々あやふやではあるが。
「様は無しだよ。」
「もう、今はそんなこと言わないで下さい。」
ついたばかりの足跡といっても、あの家には今朝になって10人以上が入ってきたのだ。出ていく足跡はルークだけだろうが、それを追うのはミリィには不可能に近い。ほとんど感に近いと言っていい。
しかし2人が向かう先には教会がある。騎士達の視線から逃げ出したルークだが、村の外などへ行くとは思えなかった。
案の定、ルークは教会の入り口に立ち、薄暗い中の様子をじっと見つめていた。そこは中から来る腐臭が漂っていて、慣れない者には立っているだけでも辛い。しかし近づいてくる二人に気付いても、ルークはそこから離れようとはしなかった。
「フィル様……」
「フィル、だよ。」
「私は……」
「いつも通り、俺、でいいよ。」
ルークは少し躊躇ってから言いなおした。
「フィル、俺は、村の人と、デルファギドの2人を助けたい、です。」
「うん、僕もだよ。」
「あ、あの、私も同じです。」
ルークは何かを抱えるように持ち上げた両手を見つめた。そこには何もない。だが、抱えたティアリシア姫の感触は鮮明に残っていた。流れ出る血と、冷たくなっていく身体。治療のためにつぎ込む魔力がそのまま漏れていくような無力感。あの瞬間、実戦の最中よりも鮮明に死を身近に感じていた。
それは目の前の光景にも同じ事が言えた。ミーティングの前にこの光景を見たとき、ルークはそこに具現化した死を見たような気がした。そして真っ先に身を隠してしまった。先程のような、癒しの力を求める視線を恐れたのである。
こうしてここにいざ立ってみると、それがいかに愚かだったかよくわかる。村人達の視線は一切こちらに来ない。来る余裕すらないのだ。仮にここに神官がいると気付いても、すがることすら諦めるほどの絶望。死ぬことすら出来ない彼らに救いなど無い。
「神は、俺をお許しになるでしょうか?」
「どうだろうね。」
それは神ならぬ身のフィルにもわからない。もちろん、根拠のない励ましなど意味がないこともわかっている。
「だけど僕はね、この状況を見て、何もしようとしない神なら要らない、と思うよ。」
かなり不遜な発言にミリィがぎょっとしてルークを見たが、いつもなら怒りそうな彼が今は穏やかに笑っていた。
「大丈夫です。我らがタイクーンは弱き者を見捨てることはなさいません。たとえこの身と引き替えになろうとも、村人達は私が助けます。」
「その時は僕の命半分あげるよ。そうすればみんな助かって”えぶりしんぐおっけー”だよ。」
「あ、あの、私もお手伝いしますから。私は魔術師で、信仰の力はありませんけど、でも魔力だけならありますから。それしか出来ないから……」
「ありがとうございます。でも……」
「”でも”も”しかし”も無しだよ。僕らはパーティで仲間なんだから。一人だけ危ないことはさせちゃダメなんだよ。ね、ルーク。」
微笑みながらフィルは宝杖を差し出した。それを受け取るという事はフィルの言葉を受け入れることになる。言葉にはしていないがルークもそれは感じていた。だから伸ばした手が止まる。
戒律の中で生きてきたルークは神官内での序列はもちろんの事、国に属する神官として王族や貴族への敬意も骨の髄までたたき込まれてきた。少し出世すれば、高位の神官と貴族の序列付けに悩むことになる。だが今は最低ランクであり、全てを敬っていればよかった。
一瞬の躊躇。そしてルークは迷いなく杖を受け取った。
「聖域を、創る。……今の俺には神託の宝杖があっても身に余る秘術。危険は計り知れません。それでも、俺はあの人たちを助けたいです。二人とも、お願いします。」
「もちろん。」
「大丈夫ですよ。静兄様も涼兄様もついていますから。」
「それが一番複雑なんだよ。」
気難しい顔から一転拗ねたような顔になり、二人は顔を見合わせて笑いあうのだった。
「えー、さってー。じゃあ覚悟決まったところでさくっとやっちゃいまっしょー。」
「げ、い、いつから、」
「んー、聖域を創る、くらいからですからご心配なく。」
「くっ、」
歯軋りするルークの見つめる先、相変わらず軽い笑顔の静と、それの後ろにモーリス、デルファギドの面々がいた。
「お前の言うとおり、やってやろうじゃないか。お前に言われたからじゃない。そうすることが我が神の教えと、俺自身がそうしたいと望んだからだ!」
「結構。」
まるで敵でも見るかのような視線で睨まれても、静は柳に風で受け流した。そしてナップサックの中から人数分の呪符をとりだす。呪符は簡易スクロールの一種で、一つの魔法を発動させる媒体となるが、それを作り出すにもそれなりの技術が必要であり、しかもレベルが低い効果しか出せないことが多いのであまり重宝はされていない。しかし、本来必要とされる詠唱技術がいらないので、発動ワードさえ唱えられれば魔術師でなくても魔法を使える場合があるのだ。
「それは?」
「マジックドレインの亜種ですよ。」
相手の魔力を吸取り自分のものにする。ドレイン系の魔術の一つで、これさえあれば永久機関?という夢の魔術、に聞こえる。だが、残念ながらそうはいかず、発動コストを上回る効果はなかなか得られず、またレジストされることが多いので、言ってみればネタスキルかせいぜい気休めに近い呪文であった。
「ドレイン?それを俺に使えっていうのか?」
それは不可能だろう。ルークは聖域の呪文を唱えなければいけない。それと並行してドレインの呪文を、呪符で補助してとはいえ発動させることは出来るはずも無い。
「亜種って言ったでしょ。これはどちらかというと譲渡に近いです。ま、拒否したらそれまでですけどね。」
受け手一人に供給者の魔力を一方的に渡し続ける。これを使い儀式魔術の集団魔術と同じ魔力をここにいる全員から搾り取るのである。そして複数人数での制御は、神託の宝杖が肩代わりする。
「つまり皆の元気を分けるんだな!」
竜也が嬉しそうに右手を上げていたが、まあそういうことである。ただし、別に右手を上げる必要は無い。
「呪文はどうするんだ?」
『わしが教えよう。』
「グラゼーオ様!?」
呪符に続けて取り出した水晶から聞こえた声にルークは慌てて膝をつき頭を垂れた。
『顔を上げなさい。これから聖域を降ろそうといのだろう。お主の願いは決して間違ってはおらぬ。胸を張り神にその心をお見せしなさい。』
「は、はい。」
その言葉に従い立ち上がると、ルークはまっすぐに水晶を覗き込んだ。そこにはおそらく神殿の自室であろう部屋に立つグラゼーオの姿があった。その向こうの、嫌そうな静の顔は敢えて視線から外す。
『フィル。』
「はい。」
『お主も神官戦士としての修行を積んでいる。二人で寄り代としての核となるがよい。厳しいとは思うが耐えてみせよ。』
「はい。」
「おおう、結構厳しいね、おじいちゃん。」
『黙れクソガキ。』
厳しさの中にも慈愛を含んでいた厳格な声が一瞬下賤な罵倒に切り替わったが、小声だったため静にしか聞こえなかったのは幸いだろう。
「しかし今からって、準備とかはいいのか?」
デルファギドを代表してオリバが口を挟んできた。あまりにも軽い静の言動に、儀式としての威厳がまったく感じられないのだ。本当に効果があるのか疑いたくなるのも無理は無い。
『ほっほっほ。タイクーンの魔術は実戦魔術じゃよ。戦場で戦いの最中に使えなくては何の意味も無い。それに本来あるべき実力差はこの際どうしようもない。なればあとは勢いと気合じゃよ。』
「ジジイ、マジかよ……うぐ、」
思わずうめいたフィッツの脇をシルビアが肘でどついて黙らせたが、内心は皆同じだろう。
「ま、勢いなのは否定しません。役割分担ちゃっちゃとしちゃいましょう。」
ルークとフィルが聖域の核となる呪文の詠唱。聖域の効果は怪我、欠損の修復。リーゼナイセとミリィは聖域の発動と同時に魔法薬を用いて解呪を行う。静は魔力の制御。これは流れを制御するだけなので現状でも可能とのこと。それ以外の人間は、村人も含め全員魔力タンクとして参加する。
あと竜也=カメラマン。これだけはゆずれないらしい。
状況を把握しやすくするため、けが人も病人と同じ場所に運び込む。この際感染などはどうせ治るのだから気にしない。
集められた村人たちの不安そうな視線がルークに集中する。それはそうだろう。宮廷魔術師長や青龍騎を差し置いて、見習いでしかない神官の少年が治療の中心となるのだ。デルファギドの騎士たちなど、失敗したら腰の剣を抜く可能性すらある。
だが、それでももうやると決めたのだ。ルークも後に引く気は無い。
「いいですか。この儀式は正確さよりも祈りの真摯さです。神を、それ以上に自分を疑ってはいけません。いいですね。」
「お前が神を語るな。覚悟は出来ている。はじめるぞ。」
「結構。でも魔力集約の呪文は僕の担当ですからね。パスを繋ぐまでは僕を信じてくださいね。」
いつになく真剣な表情の静に、ルークは真面目な顔でうなずいた。
静の指導で魔力供給役の人間すべてがその右手を頭上に掲げる。その手には魔力供給用の呪符が握られている。
「両手を挙げて。大気から自分の中へ魔力が流れ込んでくるイメージを思い浮かべる。」
ルークがその手を広げて両腕を頭上に掲げた。
「僕の言うとおりに復唱して。流量制御はしてあげるけど、気を失ったら当然失敗ですからね。意識を手放さないように。いいね。」
ルークには神聖魔法以外の魔法知識は無い。エストラーザ語ではない発音を聞き逃さぬよう、しっかりと静の言葉に耳を傾ける。
【MINNAORANIGENKIWOWAKETEKURE】
視界の隅で竜也が小さくガッツポーズをするのが見えた。
静の呪文と呪符がキーワードによって発動し、その場に集まった全員の魔力が呪符を通して放出され、頭上に大きな光の球が出来上がった。それは中空にもう一つの太陽が出来たかのように見える。魔力の放出になれていない村人達はそれだけで気を失っている。騎士たちも随分と顔色が悪そうだ。竜也も少し青ざめているが、意地でも手振れを起こさぬ様右腕を地面に突き立てたウィズリードに固定していた。
側に控えていたフィルが宝杖をルークに手渡す。まるで従者のような仕事をさせているが、それに恐縮する余裕も無い。すぐに水晶の中のグラゼーオが聞きなれた神聖語での詠唱を開始する。輪唱のようにそれに続いていく。
長大な儀式呪文は数小節から数十小節に及ぶ呪文群を順に唱えていく。1小節が終わるたびに体の中から魔力が抜き取られる。本来ならそれで魔力が尽き儀式は失敗してしまう。だがそのタイミングで、頭上の光球から繋がったパスを通して大量の魔力が送られてくる。
「くっ、」
魔力の喪失により意識が飛びかけ、強制的な魔力供給により体が破裂しそうな錯覚で気絶することも出来ない。だがその中で呪文詠唱を止めることも出来ない。グラゼーオの詠唱から少しでも遅れてしまえばそれで儀式は失敗してしまうのだ。儀式を引き受けたことを後悔したりはしないが、それでも本当に出来るのかと弱気になってしまう。そんな弱音を感じたのだろうか。両肩に置かれたフィルの手にわずかに力がこもった。儀式の邪魔にならないよう、それでもすぐ側でルークを励ますように。パスから注がれる無慈悲な魔力とは違う、暖かい力を感じてルークは目の前の静を睨みつけて儀式を続けるのだった。
「(なんで僕が親の敵みたいな目で見られるかなぁ……)」
ちょっと理不尽な気がして悲しくなる静であった。
「すごい、ですね。」
「ええ。そうね。」
元気玉、もとい魔力球の輪に加わらず、病人たちの側で待機していたミリィとリーゼナイセ。二人は同じ魔力球を見て、しかし違う視点でその光景を見ていた。
ミリィは単に集まった魔力の量に驚いている。魔術師でなくても、人間であれば一定の魔力は持っている。それを村人も含めここにいる全ての人間の魔力を集めれば、その量は個人が持ちうる魔力をはるかに凌駕する。それを見た魔術師であるミリィが驚くのは無理も無い。
一方リーゼナイセはそれ以上に魔力のコントロールに舌を巻いていた。ルークの呪文詠唱に合わせて絶妙なタイミングで補給と停止を繰り返す。タイミングが早くても遅くてもダメ。流量が少なければ術は失敗し、多すぎればルークの体が持たない。
本来魔術師とは縁が遠い神聖魔法の儀式にもかかわらず、その流れを見ながら絶妙の魔力コントロールをこなしている。しかも静は同時にリーゼナイセの解呪を、半ば自動とはいえ並行してこなしているのだ。自身の魔力自体はほとんど使ってないにしても、そのコントロール能力はリーゼナイセを上回る。少なくともルークが常日頃見下すような”能無し”に出来ることではない。
静が竜也に説明していた例えでは、ダムの放水でタービンを回し発電するイメージである。ただし、その放水を一度水風船で受け止めてそれを放出して水を流す。水風船は当然小さいのでそれを強制的に何度も繰り返すしかない。コントロールを間違えれば当然水風船は破裂するし、タイミングを間違えれば発電が止まり停電してしまう。もちろん、そんな荒行を続ければ風船自体も脆くなっていくだろう。
一流の魔力コントロールと儀式のはずなのに。静が全身全霊でルークをサポートしているはずなのに。その光景から思い浮かぶのが「生かさず殺さず」という言葉なのはなぜだろう。きっと気のせいだとリーゼナイセは思うことにした。
実際のんびりと見とれている余裕も二人には無い。魔法薬を用意し、村人の解呪の準備を進める。ルークがあれだけ頑張っているのに、こちらが間に合いませんでした、などとは絶対に言えない。フィルの期待に応えるためにも、リーゼナイセはミリィに指示を出し続けるのだった。
村からかなり北上したガリュア街道への入り口。崖の中腹のため一番道幅が狭くなっている地点に涼は一人佇んでいた。その姿は鎧などの防具も無い、一般的なこの世界の平服。武装は腰の刀のみ。難所を歩くには少々無用心と言えた。
事実その眼前には、前回ほどでは無いにしろ数匹の魔獣と、そして人型の魔族が威圧しながらこちらに向かってきているのだ。
その魔族は、姿こそ人の形をしているものの、その首から上は二本の角を生やした獣のものであった。牙を生やした牛のようで、その目は深淵のごとく黒く濁っている。口からだらだらと垂れ流される唾液は、村人の肉体と同じ腐臭を放っていた。
「なんだ貴様は。」
牛頭の魔族は率いていた魔獣とともに歩みを止めると、その人間離れした口角からかろうじて言語と思われる発音で話しかけてきた。
「うちの師範代見習いが「強くする」と約束した以上、あの3人は門下生と言えるだろう。であれば、彼らが必死で事を成そうとするなら、形式ばかりとはいえ道場主としてはその手伝いをしなくてはなるまい?」
「何を訳のわからぬことをごちゃごちゃと。オレはその先の食い頃の肉を喰いに来たんだ。お前は不味そうだから少し寝かさねぇとダメだな。オレ様は味にこだわる美食家なんでな。」
言い終わるか終わらぬかのうちに、魔族の口から緑色の唾液が涼に向かって飛ばされる。それは唾液というにはやたらと粘性が高いスライムのようであった。
顔面に向かってくるそれを首を傾げるだけでやり過ごす。それを一瞥するだけで、村の惨状の原因は嫌でも理解できる。
「なるほど、関係ないから切り捨てると言いつつ、そう簡単には割り切れないのもまた事実。どうやら私も結構怒っているらしい。」
「怒ってるだ?そりゃこっちの台詞だ。オレが刈り入れのためによこした部下どもをどうした?」
「途中で見なかったか?崖下で仲良く昼寝しているぞ。」
魔族の殺気が膨れ上がるが、それを前にする涼はそよ風ほどにも動じない。
「まあ、あとはあれだ。いい加減野犬や熊相手にも飽きてきた。ここのところ修行も滞りがちだったしな。しばし稽古に付き合ってもらおうか。」
涼の口角が凶悪なまでに釣りあがった。上着を一気に脱ぎ去りその引き締まった上半身があらわになる。その左肩には桜吹雪の刺青が彫られていた。
「この桜吹雪、冥土の土産に目に焼き付けておけ。紅華流剣術三代継承者紅華涼、推して参る。」
音もなくその長身が魔族へと駆け出した。
「(ああ、いかん、これ、クセになるかもしれん。)」
静に押し付けられたタトゥーシール。剥がすのはすこし先延ばしにしようと思う涼であった。その光景を、少し離れた崖の上から子猫が寝ぼけ眼で眺めていた。




