車
モーリス北部に広がるエルフの森。ドーナツ状に分布するエルフ達の領域。その南部に位置する集落にその家はあった。代々長老とその一族が住むこの家は、同時にこの森で最も長い樹齢を誇る神木でもあった。彼らはその神木の内部、及び外に作られた部屋に住んでいる。
その神木には精霊ドライアードが宿っており、長老と心を交わすことが出来るという。それはつまり長老にとってこの家は友人でもあり、そして同時に戦友でもあるという事なのだ。不埒な侵入者はその身をもって森の中でエルフに喧嘩を売る愚を悟るだろう。
「で、静は悟ったの?」
「はっはっは。僕はまだ未熟者だからね。悟りを開けるほど枯れちゃいませんよぉほぉぉぉぉぉ!」
ギリギリギリ、と音を立てて静を締め上げている木の枝がうごめく。
久々に暖かい布団で寝た竜也は気分良く目覚めた。そして与えられた布団に静と涼の姿がないことに気付き、カメラ持参で朝の散歩に出かけた。
朝練が日課の涼は長老の家でもある御神木の下で正座し瞑想していた。竜也にとっては見慣れた姿だが、はたしてここの住人にその文化を理解してもらえるかどうかは疑問である。というより、よく考えれば人の家の玄関先で正座して瞑想するというのはかなり迷惑と言えよう。
また、静の方も同時に発見することが出来た。遙か上空から降りてきた木の枝が、折れることもなくしなやかに静に巻き付いて縛り上げていた。涼の上空5メートルほどの位置にまるでミノムシのようにぶら下がっている。逆さ吊りにされなかったのはせめてもの情けだろう。
「なんか楽しそうだね。」
「反省しているようには見えんな。」
とりあえず珍しい光景なので色々なアングルでメモリに入れていく。モデルがモデルなので画質は最低ランクだが。
「そう見える?」
「うん。とっても。」
「ところがそうでもないんだなぁ、これが。」
実は、縄抜けの要領で抜け出そうと、昨夜右肩の骨を外してみたのだ。ところがそれを察知したドライアードは、弛んだ分をさらに締めあげてしまった。おかげで肩ははずれっぱなし。痛みはあの手この手でどうにか中和しているとはいえ、本気で泣きそうな状況であることに変わりはなかった。
「どこの波紋使いだよ。馬鹿だねぇ。」
「いつものことだ。これくらいたまにはよかろう。」
「ああ、なんて薄情な友人達だ。少しくらいは心配してくれてもいいと思うけど。」
「リョウさまー、あ、リュウヤ様も、こちらにいらしたんですか、って、きゃ、きゃあ、セ、セイ様、どうしたんですか?大丈夫ですか?今降ろします、ってどうやったらいいのかしら?あ、あの、リョウ様、どうしたら、」
起きて部屋を訪ねたところ、涼と竜也がいないので子供達3人揃って探しに来たのだ。
「ほらね。これくらいの反応普通だと思いますよ?」
おろおろするミリィの隣で、フィルとルークは静を見上げて固まっていた。こちらは驚きに言葉が出てこないらしい。
「あ、あの、ひょっとしてそれがセイ様の寝方なんですか?」
「フィル様、いくらあいつが変な奴でもそれはないと思いますが……」
なにげに静を扱き下ろすルークに静は苦笑した。そもそも数日とはいえ一緒に寝起きしてきたが、こんな寝相を晒した記憶は一度も無い。
「君達、あれほど言ったのにまだ『様』付けだね。呼び捨てでもかまわないと言ったでしょうに。ここはエルフの村だからともかく、トルーナの村に入ったらそんな調子じゃ困りますよ。」
言うことはいちいちもっともだが、簀巻きで吊されながら言われても素直に受け取りづらいものがある。
「は、はい。わかってるんですが、それでも面と向かうと、つい……」
「ふむ……」
育ちの良さだろう。普段は気を付けていても、急な場面では敬語が出てしまう。だがその急場でこそ身分がばれては困るのだ。だが、シュン、となっているミリィを見ると、静がいじめているように見えてしまう。
「よし、じゃあこうしましょう。」
ピン、と閃いた静の顔は晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
「フィル、ミリィ、どうしても呼び捨てがいやなら、僕らのことは『お兄様』と呼びたまへ。」
「また阿呆な事を……」
と間髪入れずに突っ込むことが出来ないのがもどかしい。涼は片眉をピクリと動かしただけで表面上は無反応を突き通した。
「なるほど、それなら様付けでも問題ないね。フィルもあんな馬鹿兄貴だけが上じゃ悲しいもんね。よーし、今日から俺のことは兄貴と呼ぶんだ。あはははは。」
一人っ子の竜也は何気に嬉しそうだった。
「っ、何勝手なこと言ってんだこの馬鹿。リュウヤ様も変に納得しないで下さい。だいたいそれじゃ何人兄弟ですか。そんな大人数でぞろぞろ冒険に出る家族なんて聞いたことありませんよ。」
ルークが一瞬言葉を詰まらせてからすぐさま反論する。とりあえずルークが静に対して敬語を使う心配はまずないと言っていいだろう。
「別に家族である必要はありませんよ。義兄弟って言葉もありますでしょう?」
「だからって何で俺がお前らのこと兄貴呼ばわりしなくちゃいけないんだ!」
「ふむ、まあ君が人前で敬語を使う心配はあまりなさそうだし、そうだ、僕と涼のことを師匠と呼ぶのもオッケーだよ。」
「役立たずの魔術師となまくら抱えたでくの坊を誰が師匠と呼ぶもんか!」
「知らないってすごいねー。」
涼には聞こえないと思って思い切りさんざんなことを言っているルークだが、実情を知ったらどんな顔をするだろう。それを想像すると、静の韜晦は大成功と言える。少なくとも竜也にとっては、だが。涼に言わせれば悪趣味の一言に尽きるだろう。もちろん涼は静の魔法でルークの言ったことも理解は出来たが、それに腹を立てたりはしない。涼は涼で自分の力をひたすら隠し続けているのだから、でくの坊と言われるのは悪いことではない。むしろ背伸びしている様を微笑ましいとすら感じている。その関係は確かに兄弟や師弟のように見えなくもない。
「あ、あの、」
「ん?」
ぶら下がってへらへら笑っている静にがなり散らす(早朝から迷惑な話だが)ルークの脇を恐る恐る通ってミリィが涼の前にぺたん、と座り込んだ。人んちの玄関先で座談会はどうかとも思ったが、竜也も一緒に座ることにした。当然手持ち無沙汰になるフィルも寄ってくる。
座ったまま寝ているようにも見えた涼が返事をしたのでミリィは安堵の息を吐いた。それでもなかなか言いたいことを言えずにいる。何事かと三人に見つめられてなおさら緊張してしまう。
「あ、あの、ですね。涼兄様、とお呼びすればよろしいのでしょうか?」
「!!!!?」
それだけ言うとミリィは赤くなってうつむいてしまった。何を言っているのかわからないフィルははてなマークを浮かべたような顔でミリィと、何故か固まってしまった涼を見比べている。面白いので竜也は記念に一枚スナップを撮っておいた。
まだ雪の残る山道。10人強の一団が息を潜めるように進んでいた。男達は音を立てぬよう皮の鎧を着込み、剣も鞘ではなく布を巻き背に縛り付けている。これまで長く逃避行を続けていたのだろう。皆一様に疲弊し、負傷もあちこちに見られた。
その男達に囲まれ護られている女性達はさらに疲労の色が濃い。その足取りもおぼつかなく、どう見ても山歩きに馴れているとは言い難い。本来ならこのような山道には一生縁がない暮らしをしてきたのだろう。
ガラ……
道行く一行の上から残雪を巻き込みながら石が降り注ぐ。男達は剣に手をかけ上を見上げた。昼間の逃避行ゆえ逆光に近い。雪の照り返しもあり反応がわずかに遅れる。その一瞬が一人の命を奪う。
「ぎゃっ!」
垂直に近い崖を一気に駆け下りてきた魔物が男の首をはじき飛ばした。悲鳴はごく短く、そしてその身体はゆっくりと倒れていった。二度と動くことのない男の口に代わって女性の悲鳴が響く。それが、もう何度目になるのか最早数えることもやめてしまった戦闘開始の合図であった。
朝食を早めに切り上げ、竜也達は早速森の中にあるゲートを通り目的地へと急いだ。その案内を買って出たのはテクサである。竜也達が余計なことをしないように、と言っていたが、本音は少しでも多くフィルと話をしたいというところだろう。フィルの話を聞きながら、昔の姉の記憶を思い出しているようだった。
「しかし何も話さなくてよかったのか?」
「よかったも何も、話せる雰囲気じゃなかったしねぇ。」
静がアロアに近づこうとすると長老が睨み付け、隙を見て近づいても無視を決め込まれる。取り付く島もないとはこのことであろう。その状態でお別れの挨拶などしてもまあ返事が返ってくるとは思えない。かといってせっかく気付かないでいてくれるアロアにさっさと事実を告げてしまうのも勿体ない。結果、端から見れば最悪とも思える別れ方をしたのだ。おかげで今はうごめくぼろ雑巾のようになっている。
「人間の分際でアロア姉を口説こうとした度胸は認めるがな。俺から言わせてもらうと無謀以外の何ものでもないぞ。」
フィルとの話が一段落付いたのか、振り返りながらテクサが声をかけてきた。
「いきなり女の人にキスしようとするのをエルフは口説くって言うの?」
「いや、言わん。エルフをあいつと一緒にしないでくれ。」
「あはははっ。何事もやってみないとわからないじゃないですか。それにね、いつまでもいない人のことを思い続けるってのはね。一途なのはいいけど、やっぱりもったいないでしょ。」
「まあな。だから新しい恋人もいないことはないんだが……」
「えっ!?」
ぽろっと出たテクサの一言に、竜也達三人の声が重なった。
「うはぁ。NTRキタァ……」
竜也と涼が複雑な視線を送るが、静もどんな顔をしていいのだか自分でもわからないのだ。ショックという気もするし、それはそれでいいのでは、とも思う。少なくとも今更しゃしゃり出て三角関係に持ち込むような真似はしたくないしする義理もない。竜也の言うNTRではない、と断言できる。
だが、遊ぶネタが一つ減ったような寂しさは否めなかった。そんなことを言うとまた涼に殴られるから黙っているのだ。さすがに今、涼の雪月花が飛んできたら急所を外せるかどうかかなり怪しい。
テクサはそれ以上はあまり語ろうとはしなかった。自分でも失言の度が過ぎたと思ったのだろう。しかし、何故かリーゼナイセに対する遠慮があるようにも見えた。その理由こそ、絶対に話してはもらえないだろう。
時折アロアとリーゼナイセの間に複雑な視線が交差することを涼は気付いていた。だが悪意等は感じられないので放っておいたのだ。涼はそれが正解だったと安堵していた。何せそういった類の話は、涼にとっておそらく一番遠いところにある世界なのだ。クラスの女子達がデートだ何だと話しているのを聞くと、本当に同じ日本人かと疑いたくなってくる。静に言わせると、涼の方が異質なのだということになるが、涼としてはどこかにまだ現存しているであろう大和撫子との邂逅を求めているのだ。
まあそれは置いておいて、涼は珍しくあてが外れて困惑している静を見られただけでも十分溜飲の下がる思いであった。だからこんなところで厄介な痴情のもつれなど起こして欲しくないのである。
「ま、まあ、あれだ。チャンスは皆無とは言えないしな。努力するだけして玉砕するもまたよしだろう。」
テクサが苦しい結末に辿り着いたところで森の結界の終わりに辿り着いていた。これから先はだんだんと樹がまばらになり、そして草原になっていく。野生の獣や魔獣がそれぞれのなわばりを持っている、エルフの森とはまた別の治外法権地区。そこを抜けるのもまた一苦労な話であった。手練れの冒険者なら、獣の残すなわばりの印を見つけ、その隙間をかいくぐるように進むことで危険を最小限に抑えることが出来る。実のところトルーナはそれも期待していたのだが、
「ギルドを出てからはずっと王宮勤めでしたので。」
「俺にそれを聞きたいか?」
という年長者二人の言葉を聞き泣きそうな顔になっていた。
「まあ辺りの気配に注意しながら進めばそうそう出くわすことはありませんよ。それに会ったら会ったで、食糧確保とお子様達の経験値稼ぎには悪くないですしね。」
一応獣なら食料にすることもできる。ただ、よく言われていることだが、肉食獣の肉はあまりおいしくない。食料に余裕があれば遠慮したいところである。上位の魔獣は美味とされているのは知っているのだが。
「そんなこと言って私らが食料になっちゃったらどうするんですか!!」
「イヤなこと言うね。ご心配なさらずとも、青龍騎もいるんですから。」
「言っておくが狩り以外では野生動物など相手にしたことなどないぞ。」
「ま、そうなったらなったでゆっくり考えましょう。あはははは。」
「ちょっとぉぉぉぉ!」
「漫才もそこまでにしておけ。どうやらそうのんびりしている暇はなさそうだぞ。」
それは先行して様子を見に行っていたアロアの声であった。彼女は部下と共に草原に出てから風の精霊を飛ばしてトルーナの村までのルートを調べてくれていたのだ。といっても、気まぐれなシルフ達はあまり多くを語ってはくれない。せいぜい「あそこら辺は危険だよ」という程度の警告しか期待できない。
「ガリュア街道から南下してくる者達がいる。しかも大量の魔物の一群を引き連れてな。このまま行けばお前達より先に村に入り込むことになるな。」
「なんですとぉぉぉ!?」
「おやおや。それは困りましたね。」
エストラーザ3国の西には、シフコチェン山脈という山脈が南北に走っている。ガリュア街道とは、その中腹を渡る街道で、デルファギドを経由せずにニルス=モーリス間を繋ぐ数少ない街道なのである。
ただし、街道とは名ばかりの、ほとんど獣道と言っていいようなもの。道中は不穏な要素が山ほどあり、使用するのは各国の密偵や命知らずの行商人、あるいは表を歩けないような人間くらいの者である。
「はっはっは。つまり俺らのことだ。」
「はい、竜也君、正解。」
「笑ってる場合じゃないですよぉぉぉぉ!!!」
パニックを起こしたトルーナは竜也の胸ぐらを掴んでぶんぶんと振り回している。気持ちは分かるので涼もあえて止めようとはしなかった。
「貴方はまさかガリュアを北上するつもりでしたの?」
「はい、ゼナさん正解。」
「げっ」
うめくルークとは対照的に、事も無げに言う静をリーゼナイセは一瞬だけ殺気を込めた目つきで睨み、それが無駄だと悟ってため息をついた。むしろ横で聞いていたお子様達の方が顔を青くしている。
「お前これっぽっちの人数で本気であそこを渡るつもりだったのか!!」
「君たちのいい修行になるじゃないですか。実戦は大事ですよぉ。」
「死んじまったら修行もくそもないだろうが!!」
悲しいかなリーチの差でルークは静の右腕一本で抑えられてしまう。
「うーん、地理関係さっぱりだからよくわからんなぁ。」
「地図、はあったけど測量レベル低いからねぇ。」
一応盗賊ギルドで貰った地図は竜也も見て入るのだが、正直子供のお使いに持たせる手書きとどっこいどっこいでしかなかった。
「シーボルトが逆転無罪になるレベルだよ。」
「いやいや、あれでも戦略上結構重要資料なのですよ。簡単に言うとですね、」
カタカナの『ト』の字状に山脈があると思っていい。その横棒の下がモーリス、上がニルス。カタカナでは横棒は斜めだが、実際はほぼ水平。その横棒の真ん中がデルファギド。
で、縦棒に沿って通ってるガリュア街道を北上するのが静の想定したルート。ルークは逆に南下するか、山脈をどうにかして西側に抜けるのかと思っていたらしい。南下し、山脈の南端を回るのが一番楽なルートといえる。
「っとまあ今後のことはともかく。時間差にしてどれくらいでしょうね。」
「村への到着が、生き残っていたとして1、2時間というところだ戦闘しながらだからもう少しかかるにしても、半日とはかかるまい。」
静の質問にアロアは嫌そうな顔をしながらも律儀に答えてくれた。本来は人間の集落などどうでもよいのだろうが、それでも弱い者は放っておけない性格なのである。
村へはここから草原をぶっ通しで歩いて1日。魔物に遭遇すればもっと時間をとられることになる。距離にして100キロ前後だが、馬を無くした一行にはつらい距離である。
問題の集団は、狭い山道を上手く地形を利用しながら戦っているのだろう。そしてゆっくりと後退戦術をとっている。トルーナの村に駆け込めば簡易結界と多少の戦力はあると知ってのことだろう。本来ならば国境沿いの砦とセットになっているのだ。ただし、その情報は昔のもので、今では傷病者の山とざるのような結界があるだけの半廃墟になっている。砦の兵士は病人を残し一時辺境伯の城に撤退しているとの事。
開けた山道が終われば殴殺が待っている。その手前で何人かが壁となり魔物を堰き止め、残りの者を逃がす。彼らがその選択を採ることは想像に難くない。彼らを助けたいのならそのポイントまで直行するべきだろう。馬があれば、の話だが。
とにかく、今の進軍速度では襲われている者達どころかトルーナの村にさえ間に合わない事は明白である。竜也達が村に着く頃には、村人は魔物達に食い尽くされているだろう。
「質の悪いMPKだねぇ。」
MPK=モンスター・プレイヤー・キル。ネットワークRPGで使われる用語だが、質のいいMPKなど存在しない。しかもこの場合PKどころかNPCまで巻き添えにするようなものである。最悪と言っていいだろう。
「あいにくゲートはさっき通ってきたものまでだ。我々に馬はない。ここから先は歩いて行くしかないのだ。あきらめるんだな。うっ……」
魔法とは万能ではない。ましてやエルフ達が得意とする精霊魔術に高速移動や瞬間移動に属する魔法はない。仮に静やリーゼナイセが万全であったとしても、行ったことのない村へのテレポートは不可能である。
そういう分かりきった事実を言っただけなのだが、フィルのしょんぼりした姿を見るとテクサは何とかしてやりたくなってしまった。姉を母と呼ぶフィルと接するうちに、完全に情が移ってしまったらしい。
「それで何で僕を見ますかねぇ……」
「いや、何となくだ。」
「貴方がここへ案内したんです。当然でしょう?」
「静なら何とかなるんじゃないかなーって、ね、りょーちゃん。」
「何とか、か。なったらなったで問題はあるだろうがな。」
「僕からもお願いします、静兄様。」
「魔術師様ぁ、お願いしますぅぅぅ!!」
「わかった、わかりましたから、鼻水付けないで下さい!!」
美女に抱きつかれるならともかく、いい年したおっさんに抱きつかれて喜ぶ趣味は静にはない。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたトルーナを引き剥がすと、静は取り寄せバッグ、もとい、愛用のナップザックを開けた。その中に手を突っ込んでしばらくごそごそと漁り、中から2枚の札を取り出した。
「物品召喚呪符~。」
効果音が聞こえそうな口調で取り出したその札を見て、リーゼナイセとミリィが怪訝そうな顔をした。
魔術にはそれぞれ出来ることと出来ないことが明確に規定されている。たとえば遠くの物体を呼び寄せるにしても、生物と無生物、一時的か恒久的か、両者の契約、もしくは事前準備が必要か否か。それらの条件によって使う呪文やその難易度が変わってくる。
静が取り出した符は、取り寄せバッグと同じ、一時的にマーキングした物品を呼び寄せるもの。バッグの口から取り出せない大きなものを呼び出すために札の形にしているのだ。
「じゃあ馬車は出せても馬は呼べないんだ?」
「はい、そうなんです。静兄様もそれは十分わかっていると思うんですが……」
「でも俺らを盗賊ギルドに飛ばしたよ?」
「あれは空間移動系の魔術だとは思うんですがよくわからないんです。」
転移の魔術は総じて高等魔術になるため、ミリィも詳しくは説明できないらしい。
「あ、馬だけ借りるとか?」
期待をこめた竜也の視線にテクサは申し訳なさそうに首を横に振った。貸せなくはないが、里からここまで連れてくるのでは結局タイムオーバーである。
「単に忘れてるだけなんじゃないのか?」
そんな周りの疑念は余所に、静は竜也と涼を呼び寄せた。
「で、どうするつもりだ?」
「うん。まあ、これは最後の手段にしたかったんですがね。うちのエボ君とパジェちゃんを引き寄せる。」
「おおー!!!ファンタジーから一気にコリンマクった世界だ。いいね、いいね。あ、それなら何でもっと早くに呼ばなかったのさ。馬車より速いでしょ。」
飛び交う魔法や弓矢の中を疾走する黒いラリーカー。投石に割れるフロントガラス。それをグリップで叩き割りデザートイーグルをぶっぱなす。想像すると、これはなかなか燃えるシチュエーションであった。
「それですよ。使いたくない理由の一つは。」
3人は高2。言うまでもなく車の免許は持っていない。当然2台の車も父親と母親のもので名義的には社用車である。どんな形にせよ、傷でも付けた日には小遣いカットとメンテ分のただ働きが待っている。
「まあ他にもいろいろとね。」
もう一つの理由は、どの時系列のものが呼び出されるかわからない、ということであろう。呼び出したはいいがガス欠で動けませんでした、ではあまりにも情けない。さらには走行中の車を呼び出せば、ひょっとしたら召喚サークルからフルスロットル状態で飛び出してくるかもしれない。呼び出した物に轢かれて死亡という落ちは、笑えるかもしれないが静の趣味ではなかった。
「だいたいだね。夜中に首都高走ってるときの不良オヤジの巡航速度は200キロを超えるんです。その状態でいきなり車が消えたら……」
法廷速度は守りましょう。
「う、魚拓ならぬ人拓が出来ちゃうね。もしくはモミジオロシ……」
「確かに。私や先代だってそれは受け身も取れんだろうな。」
「あのじいさんならやりかねないけどね。」
それは人間の域を遙かに越えている。
「でもさ、それなら印を付けたときのが来るんじゃないの?」
「それ以前に向こうの物を呼び出せるのか?」
静は苦笑して歩き出した。
「ま、これは運任せなんでね。やってみなきゃわからないんですよ。失敗したら、まあ僕とオヤジの墓に花でも添えてやってね。」
セリフのわりには悲壮感の欠片もなく、草原の方へと歩いていく。結局、すべてはやってみなくてはわからない、ということである。それを見送る二人の所へ、話が終わるのを待っていたフィル達がやってきた。
「竜也兄様、静兄様は何をするんですか?」
「ふっふふーん、いいことさ。まあ馬車を呼び出そうとしている、とだけ言っておこう。」
やっぱり、という感じでリーゼナイセとミリィが目を合わせた。だが、何かを言いかけたミリィをリーゼナイセが引き留める。やりたいようにやらせておけ、ということであろう。
全員が何が起こるのか興味津々で見守る中、結果的には無事2台の車がこの世界へと召喚された。結果的には、というのは、最初のパジェロが現れた瞬間にびびって飛び退いて着地に失敗し派手に転げたせいで軽傷者1名が生じたせいである。
ほっとする静の傍らで、この上ないハイテンションで竜也が飛び回っていた。




