はじめまして
「ぐぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
耳を覆いたくなる悲鳴と共に、生臭い吐息が顔から離れる。
「えっ!?」
エルフの少女は何が起こったのかわからず、顔を押さえて転がるオークを見つめるしかなかった。逃げだそうにも腰が抜けて足に力が入らないのである。見れば友人に襲いかかろうとしていたオークも顔を押さえている。
「女の子を誘うときはもっと優しくしないとダメですよ。でないと嫌われてしまいますからね。」
ガサ、っと音を立て草を分けながら出てきたのは一人の人間の青年であった。少し細目の体躯はこの場に現れた救いの手というにはあまりにも心細い。だが、少女にとってはまさに溺れたときの藁以上に頼もしい存在であった。
「あ、貴方は、」
「まったく、何でこんなとこに豚さんがいるんでしょうね。結界があるはずなんだけどなぁ。ほら、豚さん、すたんだっぷぷりーず。」
エルフの少女達に覆い被さっていたオークはその声の主を睨み付けながらのっそりと起きあがった。
オーク。身長160センチ程度、体重、重め。豚のような顔にでっぷりとした体躯、そして風呂に入ってないのでとても臭い。コボルト、ゴブリンに並ぶファンタジー3大雑魚の一種として有名。力がある分厄介だが、それでも範囲魔法で一気に全滅させられることに変わりはない。
それがオークと聞いて思い浮かべる一般的な設定であろうか。最近はは兄貴、などと呼ばれやたらとパワフルなオークもいたりするが、普通は雑魚と呼んで差し支えない。上を見てもせいぜい中の下程度。この世界でもおもむろにその設定が当てはまる。集団で、しかも相手がエルフの少女二人だけだから襲っていたのだ。相手の数が多ければ逃げ出していただろう。……普通なら、だが。
「……はい?」
少年が間抜けな声を上げた。彼の身長は170センチを越えている。本来ならオークと目線を合わせるには見下ろす形になる。だが、今彼の目の前に立ちはだかったオークは2m前後の位置から彼を見下ろしているのだ。
「なんじゃこりゃ。詐欺だよ、これ。」
声の感じは想像以上に若い。はっきりとはわからないが少年といってもいい年なのかもしれない。
「オ、オークさん?ですよね?」
思わずさん付けで呼んでしまう。少年の脳裏に「山のフドウ」、いや、「鬼のフドウ」という単語が浮かんだが、呑気に驚いていられる状況でもなかった。言葉に出ていたところでエルフの少女にはわかるはずもなかっただろう。
「あっれぇ!?僕の記憶と世界線が微妙にずれてる?おっかしいなぁ。」
だがぼやいたところで始まらない。
「目、閉じて。」
「えっ?」
這うようにオークから離れ少年の元に寄ろうとしながら、少女は少年が片腕だということに気付いた。そして右手に金属の小さな固まりを持っているが、それ以外武器らしいものは何も持っていない。この状況で、少年の何を信じれば敵の目の前で目を閉じることが出来るのか教えて欲しかった。
だがその質問をする前にオーク達は回復し、突然の乱入者に怒りの牙をむく。オークは礫のようなものを顔面にぶつけられただけで、致命傷には至っていない。だが何匹かは直接目に当たったため失明していた。恐ろしい殺気が辺りに充満する。
そのオーク達の怒りなどどこ吹く風で、少年はさらに腰から金属製の筒を取り出す。キンッと澄んだ金属音がオークの怒号に重なり、それが緩やかに弧を描いた後、彼女の視界は光で埋め尽くされた。
そこまではよかった。まあ目眩ましを自分まで喰らってしまったのは忠告を活かせなかった自分が悪いと言える。そこまでは許せる。だが……
「何で逃げるのよ!あんな登場したんなら責任もってしっかり倒しなさいよ!」
「そんな無茶な。魔法の使えない魔術師にそんなことを期待しちゃダメだよ。」
「この役立たず!!」
少年、静は肩から落ちそうになったもう一人の少女を担ぎなおしながら苦笑した。実際今の静はかなり使えない状態なので返す言葉がない。単純に倒すだけならどうとでもなるのだが、この二人の少女を護りながら、という条件付きでは逃げるのが最善なのである。そのことを告げると彼女のプライドを刺激しそうなので黙っているのだ。
目が眩んで見えなくとも、森の精霊が道を教えてくれるので少女は全力の7割くらいのスピードで走ることが出来る。小柄とはいえ少女一人を肩に担いだ静とはいい勝負だろう。
一方オーク達は、頭に血が上り全力で突進してくる。木にぶつかろうが足を取られ転ぼうが、あるいは転んだ仲間を踏みつけようがお構いなしである。その為追いつかれることはないだろうが、思ったほど距離をとれないのだ。
再び捕まれば、後は容赦ない惨劇が待っている。せっかくのご馳走をお預け喰らったオーク達の怒りは、少女達をなぶり殺しにするまで、いや、殺した後まで続くだろう。それを思うと少女は恐怖で足に力が入らなくなる。
だというのに……
「やっぱりあの場面で投げるのは薔薇の花が最適だったんだけどね。あいにく手持ちがなくて。次からは用意しておかないと竜也に文句言われそうだね。あはははは。」
いっそこの男を囮に差し出して自分が友人を担いで逃げようか、と少女は本気で思い始めていた。
「大丈夫。ほら、お迎えですよ。」
「えっ?」
静が見つめる先、木々の合間を縫って光の精霊の気配が近づいてくる。恐怖に捕らわれていて気づけなかったが、それはもう目と鼻の先であった。
「んっ、止まれ。」
全速力で駆けていく一行を一瞬前に出た涼が抑え込む。当然すぐに止まれるはずもなく、行く手を阻む雪月花にしたたか顔面を強打する羽目になった者も何人か。少し遅れて涼の背中にふらふらになったルークがぶつかってひっくり返った。
「何をするんだ!」
この場合言葉が通じなくても意味は通るだろう。涼の肩をアルとテクサが掴む。だが涼はそれにはかまわず、走りだそうとするアロアを捕まえていた。
「まだ距離がある。追いつかれることはない。」
この中で涼の言葉を解するのはアロアのみである。そのアロアも通訳をしてやるつもりは毛頭ない。今は涼の手を振り払うことだけを考えている。緊迫する二人と無視されて頭に血が上る二人。残ったもう一人の青年エルフとルークはとてもではないが口を挟める状況ではない。
制止するのも正視するのも胃が痛くなる状況に、ルークは目をそらす以外手はなかった。そこでふと、周囲の木々が少しだけ閑散としていることに気付く。ここならば長剣を持ったアルも思う存分剣を振るうことが出来る。周りに味方がいなければ、という条件付きだが。
「それでここに待ち伏せ?」
それ以外立ち止まる理由などないはずだが、それを認めるのも何となく釈然としないルークであった。
「5」
急に、言葉がわからないはずの涼がエストラーザ語を口にした。そして前方から人の気配が近づいてくる。そして獣の怒号もそれを追いかけるように届いてきた。
「4、2、3、1、」
カウントダウンがしたかったらしいのだが発音がおぼつかない上に順番を間違えている。だがそれを笑うものはいない。
「0だ。」
その瞬間、茂みから一人の少女が飛び出してきた。衣服が乱れ、身体のあちこちに傷を負っている。だがここまで走ってきたのだ。まだ深刻な怪我は負っていないだろう。
「!ア、アロア様!!」
少女はアロアを目にした瞬間、その胸の中に飛び込み大声で泣き出した。アロアは少女を優しく抱き留めると、子供をあやすように優しく頭を撫でてやる。
その次の瞬間、もう一人のエルフの少女を抱えた人影が飛び出してきた。その少女は意識を失っており、頭から血を流している。だが、ルークが驚いたのはその彼女を担いでいる人物の方であった。
そして驚く暇もなく、一陣の風が二人へ襲いかかる。
「や、ぐへっ!!」
やんわりとした挨拶は跳ね上げられた雪月花によって遮られた。まるでアッパーカットのように顎を強打されのけぞる。静でなかったら舌を噛み切っていただろう。
涼は勢いでずり落ちた少女を受け止め、さらにトドメの一撃を倒れた静の鳩尾に突き入れる。
「ぐへっ……」
その悲鳴はさながら車に轢かれたヒキガエルのようであった。
「貴様が女にだらしないのは性分だが、それでもある程度同意のもとだと思い見逃してきた。だが今日という今日は許せん。いたいけな少女を欲望のままに追いかけ回し、あまつさえ意識のない少女に不埒な行為をあれやこれや。たとえ天が許してもこの紅華涼と雪月花が許しはせん。あの世で先代に詫びてこい。」
ぬーん、と立ちふさがり雪月花を振り上げる涼の姿は罪人を裁く地獄の閻魔のように見えた。ルークやアルには彼らが何を言っているのかわからなかったが、二人の言葉に耳を傾けるアロアの顔がみるみる険しくなっていくのを見て何となく理解した。そこで「ああ、やっぱり。」と納得されてしまうのが静の信用のなさだろう。
「こ、こら、待ちなさいって。そこも納得しない。後ろから声が聞こえてるでしょうが。遊んでる暇なんてないんですよ。」
「む、そうだな。冗談はこれくらいにしておくか。」
すっと怒気を消すと、涼はへたり込む静の首根っこを掴み、すたすたとルークのもとへと戻ってきた。そして抱き留めていた少女をルークに見せる。一瞬惚けていたが、ルークはすぐに気を取り直して癒しの魔法を唱え始めた。
「ほら、君はあっち。」
とん、と静がアルの背中を押す。少し開けたその場の中央まで来たところで、静達が出てきた茂みが再びはぜた。
「ブルルルルゥ、ブヒィーーーー!!!」
オーク達は相当ご立腹のようで、一人突出しているアルを見かけるとすぐさま襲いかかってきた。全部で3匹。聞こえてくる声から考えてすぐに後続も来るだろう。
「来たか!お前は右、俺は左から。アロア姉は援護を頼む!」
テクサともう一人の青年がエストックを構え、3人のエルフがアルの加勢に入ろうとした。だがそれを遮ったのは他ならぬアルであった。
「引っ込んでいろ。」
「な、なんだとぉ!?」
「邪魔だと言っている。」
「(聞こえない。魔法に集中している俺は何も聞こえない……)」
そう自分に言い聞かせるルークだったが、結局は無駄であった。戦神の使徒であるルーク達神官戦士は戦闘中の魔法の使用を前提とされ、戦場を見渡しながら呪文を唱える基礎が出来ている。自分の力を主に使うミリィ達魔術師と、神の力を借りる神官との差でもある。耳を塞ぎでもしない限りアルの暴言は次々と聞こえてくるだろう。
だが実際アルは3匹の、しかも強化されたオークを相手にして一歩も怯む気配を見せなかった。力任せに振り下ろされる斧や刀を、ある時は受け流し、また場合によっては真っ正面から受け止めはじき飛ばす。一見中肉中背で技巧派に見えるが、その膂力は一流の剣士として申し分ないものであった。
その戦いぶりを見せられては、アロアやテクサもその場を譲らざるをえない。彼らが剣士として優秀でも、それは何の制約もない場合の話である。常に動き回り、隙をついて斬りつけるのが常。背中に怪我人を背負い、一歩も退かない戦い方は出来そうもない。
「へぇ。さっすがさすが。伊達に青の騎士名乗ってるわけじゃないんだね。」
いつの間にか回復している静が感心したような、だが半分馬鹿にしたようにも聞こえる声でぼやいた。ルークはすぐさまこの男を不敬罪ではり倒してやりたかったが、治療を続ける間は手を放せないので睨むことしかできなかった。
「いい加減しつこいんだ。失せろ!!」
真っ正面のオークの斧を受け止め弾き上げる。バランスを崩したオークにブリングレードを振り下ろした。
「ガフッ!!」
真上から振り下ろされたブリングレードは、受け止め損ねた斧ごとオークの脳天をまっぷたつに切り裂いた。だがその死体を蹴り飛ばす隙をついて残る2体が迫り、そしてさらに2匹のオークが到着する。
「いかん!」
「大丈夫ですよ。」
精霊魔法で援護しようとするテクサを静が引き留めた。誰だこいつ、という不信げな視線などどこ吹く風の静である。
「ちっ!」
あまりスマートではないと思いながらも、アルは倒したオークと身体を入れ替えた。その強烈な体臭と吹き出る脳漿に顔をしかめる。しかしそれにかまっている暇はない。このままでは4匹のオークに囲まれた体勢になる。オークの身体に斧と剣が食い込んだ瞬間に力任せに剣を引き抜き、右側のオークの首をはねる。同時に最初に倒したオークの死体を左側のオークにぶつけて牽制し、その間に再び立ち位置をエルフ達を庇える場所に戻す。
「ね。まあ何とかなるものですよ。」
「この、紅の豚がぁ!!」
呑気な静の声を打ち消すようにアルの叫び声が響いた。そして2匹のオークが断末魔を上げて倒れる。聞いたようなフレーズだが、「カッコイイとはこういうことさ」というセリフを吐く豚とは別人のことを指しているのだろう。
「そうか、やけに剣に熱がこもっていると思ったら。」
「うむ。あやつもアレで色々と溜め込むことがあったという事だな。」
敵に回った形になったとはいえ、四龍騎の一人が相手ではルークは何も言えない。たとえ心の中で思っていても、公然と口に出して豚呼ばわりなど出来るはずもない。それをたしなめることも出来はしないだろう。
「(聞こえない、聞こえない……)」
エルフ達にはオークのどこが『紅』なのかはわからないため、狂戦士のようにオークをなぎ倒していくアルを眺めることしかできなかった。
結局10分と経たず、10匹近くのオークは一匹残らず肉塊と化した。その間アルが受けた傷はかすり傷が4ヶ所のみ。ルークは改めてアルと自分との差を思い知るのだった。
死体はアロアが土の精霊に働きかけ地面に埋めている。墓を作るつもりはないが、放置しておいてはいろいろとよろしくない。豚と違い食べられるわけでもなし。せめてこの辺りの木々の養分になれば御の字というところだろう。
気を失っていた少女も、ルークの神聖魔法と涼の応急処置のおかげで目を覚ますことが出来た。その頃には探索していた部隊も全員この場へと集まり、これ以上の被害がないとわかって皆安心することが出来た。
「今日のことは感謝する。だが何故この場に留まった?確かにそちらの騎士には都合がよかったかもしれん。しかし一歩間違えば二人と、仲間の命が危険にさらされていたはずだ。」
アロアの口調には感謝よりも詰問の気配が濃い。涼の後ろに人間の魔術師が隠れているということもその理由の一つであろう。
「そうだな。強いて言えば貴殿の部下が優秀だから、ということか。」
「なに?」
「あれ以上合流を急げば他の連中も化け物どもに追いついていただろう。この先は狭い。分散した敵が周りに行ってしまう。その場合被害が増えかねないと判断した。だからこの場に留まった。安全面の保証は……」
涼はそこで言葉を切って後ろに隠れている静を引っぱり出した。
「こやつが付いていることだし問題ないと判断したまでだ。」
わかっていてドツキまわしたというのに涼には悪びれる気配など全くない。
「ど、どーもー。はじめまして。紅華静でーす。」
どこから取り出したのか、いつの間にやらサングラスをかけていた。それを見た涼は不満げに眉をひそめた。アロアの顔も不快げにひきつっている。それを見て涼はアロアが静の正体に気付いていないと確信した。
実際静の顔立ちはあくまで日本人のそれであり、こちらの人間とは微妙に違う。そしてその気配も今は持続する呪術のせいか微妙に変化している。この状況ならまず気付かれることはないだろう。
「そういえば約束していたな。」
だからとて、騙すようなことは許されない。やむを得ないならば償いは必要である。
差し出された雪月花を、アロアは無言で受け取った。スラッと引き抜くと、肉厚で鈍い光を放つ無骨な曲刀が現れる。アルやルークも興味を引かれ目をやるが、その剣に刃がないことに初めて気付いて目を丸くした。精霊の光のみが照らすこの暗闇で、それが朧月という名の鞘であることを見抜ける者はそういないだろう。
「えっ?な、何かな?」
ずり落ちかけたサングラスを中指で上げながら、静は再び後ろに下がろうとする。だが首筋にちくりとした痛みが走り、その瞬間から首から下が全く動かなくなってしまった。
「気にするな。自業自得だ。」
フッっと息を吹きかけて髪の毛を一本捨てながら涼が無情にも囁いた。
「な、何故、ナニ、ほわぁーーーーい!!」
「やあ、おかえ……り。」
顔面に朧月をめり込ませて気を失った静がドサリと宴の真ん中に落とされた。ツタで身体をぐるぐる巻きにされて身動きもとれない状態。突然見知らぬ人間が、しかも死んでるかもしれない状態で入ってきたため辺りは騒然とし始める。
「ありゃりゃー。止めなかったの?」
「止める理由もないのでな。罪には罰が必要だ。それは当事者達の問題であって、おいそれと立ち入るわけにはいくまい。」
「いや、まあ、そうだけどね。ま、いっか。りょーちゃんもお腹すいてない?ご飯続き食べたら?」
そう言って竜也は困ったように笑う。
「うむ。そうしよう。」
そう言って何事もなかったかのように残っていた皿に手をつける。その様子を見て、ミリィは涼が無事なことに安堵した。だが、簀巻きにされた静を見てエルフの子供達は怯え、そして自分は何事もなかったかのように受け入れている。慣れとは恐ろしいと言うが、本当にこれでいいのだろうかと再び悩んでしまうのであった。
「あ、あの、アル様とルークは戻ってこないのでしょうか?」
「心配ない。ただこの場の雰囲気が居心地悪く感じるらしい。酒だけもらって部屋に引っ込んでしまったのだ。」
「ルークもですか?」
「奴はそのお供だ。」
本当は、エルフの少女達の治療で張り切りすぎてダウンしてしまったのだ。それをそのまま伝えなかったのは涼なりの心遣いである。
「そうですか。」
ルークが戻ってこないと知りミリィは少し肩を落とした。エルフの子供達と話すのは楽しい。あまり他人と話すことのなかったミリィにしては珍しいことであるが、不思議と怖いと感じることがなかったのである。だが、引っ込み思案な今までの生活から、あれこれ質問されても答えられないことが多いのである。ルークがいれば少しは話題が増えるのだが、その望みが絶たれたのは痛かった。ルーク本人がいないことに関しては何の痛痒も感じていないことは秘密である。
だがまあ今は新たな話題が提供された。ちらちらと心配そうに静の方を見る子供達に、今までの散々繰り返されたやりとりを話してあげるのである。そうすればこれが日常だということがわかり彼らも安心するだろう。いや、安心するかどうかはわからないが、少なくとも不安になることはあるまい。
ミリィは本人にとってはあまり嬉しくないであろう謝辞を心の底から静に送っていた。
「はっ!?」
目が覚めると、すでに宴は終わった後であった。ここに来たときはすでに気を失っていた静だが、この場に残る酒や料理の匂いで何があったかは予想が付く。とりあえずフィル達が受け入れられたことを知ってほっとした。ほっとして気を抜くと、今度は体中に痛みが走っているのを思い出す。
ボケたらつっこまれるのは覚悟しなくてはいけない。それはお約束であり、それがどんなに過激なものであっても潔く受けるのが掟なのだ。だから涼の容赦ない雪月花の洗礼も甘んじて受けているのである。正確には避けられないので予め覚悟を決めて被害を最小限に抑える努力をしているのだが。そうでなくては冗談抜きで死んでしまう。また、それを知っているからこそ涼も手加減をしないのだ。
だが今回の場合、不意を打たれたとはいえ、静の身体は完全に金縛りにあっていた。おかげで受け身も何もあったものではなく、文字通りなすがままになっていたのだ。アロアの最後の理性と、不慣れでやたらと重い朧月のおかげで助かったと言える。
しかしこれだけ長い間前後不覚のまま気を失っていたことなどここ最近の記憶にはないことであった。
「……おなか空いたなぁ。」
よくよく自分の身体を見てみれば、首元から足の先まで、ツタやら草やらでぐるぐる巻きにされている。捕獲されたゴブリンやオークだってもっとましな扱いされるのではなかろうかと思うほどに。しかもこの念の入りようは、明らかに涼の手によるものだと物語っている。
「ホント、僕をなんだと思ってるんだか。」
身体のバネで一気に立ち上がる。それとともにパラ、っとツタが身体からほどけ落ちていく。もしここに目敏い者がいれば、静の手に小さな金属片が現れていたのに気付いたかもしれない。しかしそれがどこから現れ、そしてどこに消えたのかは、たとえ涼であろうともわからないだろう。
「おや、お気づきかい?」
あまり気配を感じさせない声が部屋の中に入ってきた。薄明かりの中に小柄な老女の姿が見えた。静の記憶の中にもある、このエルフの村の長老である。エルフにしては珍しく底意地の悪い女、という覚えがある。かつての、生真面目であろうとしていた騎士や、素直で箱入り娘の王女などはアロア共々よくおもちゃにされたものである。だがそれを今の静は責めようとは思わない。なぜなら、今の自分もきっと同じ事をしただろうと確信できるから。
「こんばんは。うちの連れどもがお世話になっているようで。改めてお礼申し上げます。僕は連中の保護者のようなもので、紅華静と申します。以後お見知りおきを。」
相手が誰であろうと年長者にはそれ相応の礼を払うのが紅華のしきたりである。ちなみに静や涼達にとって、性格が悪いというのは決してマイナス査定にはならないのだ。
出来るだけ穏やかに礼儀正しく、とは思ったものの、生理現象は静の思いを見事に裏切ってくれた。静かな夜の帳を切り裂くように腹の虫が咆哮を上げる。気まずい沈黙が流れた。
「くっっくっくっくっく。お前さんの連れが、起きたら餌をやれと言っておったわ。用意は出来ておる。今持ってこさせよう。」
「申し訳ない。」
静は顔を赤くして鼻の頭をかいた。
床にぺたっと座ると、長老も静の目の前に来て腰を下ろした。昔は何とも思わなかったその容貌だが、今となっては大分印象が違う。真っ先に『ヨーダだ!』と思う辺り、かなり文明に毒されていると言えよう。
「お前さん、アロアにしこたま殴られたんだって?よく生きておったなぁ。かっかっか。」
お前は漫画に出てくる妖怪ばばぁか、と突っ込みたくなる。
「まああの子の細腕では朧月は重すぎますから。慣れないもの振り回せば力も入りませんよ。」
それを見越して雪月花を渡したのか、はたまた本気で静を殴らせたかったのか。多分その両方だろうと思われる。
「すまんの。あれは人間の男が殊の外嫌いでの。」
「何かあったんですか?」
「別に大したこっちゃない。男にこっぴどく振られてのぉ。おまけにそいつはそそくさと逃げてっちまったもんだからなお質が悪い。一度振られたくらいでああも変わるとは、修行が足りんわ。ひゃっひゃっひゃっひゃひゃ!?うひゃひゃひゃひゃ!!!」
笑い声は途中から悲鳴になっていた。静はお盆を持ったアロアが無表情のまま近づいてくるのを長老に告げることが出来なかったのである。おそらく静のためであったはずの冷たいレモン水は、残念ながらそのほとんどを長老の背中へと流し込まれてしまった。
「あれほど余計なことは言わないように、とお願いしたはずですが。」
「馬鹿もん、だからってこれはっ、」
「何か?」
「いや、スマン。」
昔からこの二人は親子のように仲がよかった。その変わらぬやりとりを思い出して微笑んでいたが、それはどうやら別の誤解を与えてしまったようである。怒りの矛先が急に静の方へと向く。長老はあからさまに胸をなで下ろしていた。そして意地の悪い笑みをこちらに向けてくる。その表情の語るところは、「やーい、ざまーみろ。」と言ったところか。
「何がおかしい?」
「あ、いや、別におかしくて笑ったわけじゃなくて。」
静の言葉をガシャン、という音が遮った。お盆を床に叩きつけるような勢いで静の前に置いたのだ。それでいてよく中身がこぼれなかったものだと感心してしまう。
「さっさと食え。そして寝て、起きたらすぐにこの森を出ていけ。いいな。」
ギロ、っと睨むと、来たときと同じようにほとんど足音を立てずに部屋を出ていく。その歩き方は、静の記憶にある怒っているときのそれと寸分違わぬものであった。
「お前さんもおかしな男じゃの。」
長老は呆れたような目で静を見ていた。
「ん?どうしてです?」
「あれだけ言われて腹を立てるどころかにやにやしおって。おぬしアレか?」
「失礼な人ですね。いきなり人を変態扱いしないで下さいよ。僕はただ彼女が知り合いに似てたんで思い出してたんですよ。」
口が悪いことを知っているからいいようなものの、知らない人間では間違いなく腹を立てるであろう。それこそアロアの態度以上に。実のところ箸(こっちに来てからのお手製である)を動かす方に取りかかってしまったため怒る気にもなれないのだ。
「しかしおぬしらは器用なもんじゃのぉ。髪の長いのもそうじゃが、よくもまあそんな細っこいので摘めるもんじゃ。」
この世界にも箸の文化は極一部にはあるが、静の記憶にも実際に見たことはない。伝え聞いただけなので、長寿だが出不精のエルフにはさぞ物珍しく映ることであろう。
「まったく、こんな面白い連中に会えるとは。長生きはするもんじゃわ。」
「もう十分でしょうに。」
「なんか言ったかい?」
「嘘でございます。まだまだお若いオババ様。そのお皿を返して下さいまし。」
「ふん。何かその不貞不貞しい態度、気にくわないねぇ。お前さん、どっかで会ったこと無いかい?」
皿を返しながら、怪訝そうな顔で静の顔を覗き込む。静はさりげなーく目をそらして食事に没頭する振りをする。
だが内心驚いてもいた。この長老は出会った頃からサトリの化け物か?と思うほど鋭かった。それが未だに静の正体に気づけないのである。気配に敏感故に、餓鬼の群と術で繋がっている静の気配は読みづらいのだろう。今の静であれば、グラゼーオもそうとは見抜けなかったかもしれない。
この妖怪オババからしてそうである。アロアが気づけないのも無理はない。しかしそれでも、妖力より愛の力が勝ってくれればいいのに、と望むのは高望みというものであろうか。
そして不思議なことに、少なくとも涼だけは、この変容した気配の中からも間違いなく自分を見出すだろうと確信している。たとえこれから先何度生まれ変わろうとも。その全く根拠のない自信が一番驚くことであった。
「(竜也は……気配とか関係無しに本能で嗅ぎ分けそうだけど。)」
「あんたの腕、術でなくしたね。」
危うく飲み込みかけたものを鼻から吹き出すところであった。正直そこまで三枚目に落ちるくらいなら、今すぐ術を解いて腕を取り戻し、アモルファシスなどという干物を秒殺してとっとと元の世界に戻るだろう。
「あんたと同じ気配をあの魔術師の女から感じたのさ。胸のペンダントからね。あれは妖魔を浄化する結界に似た力だ。だがあの女に取り付いているのは禁呪で生成された鬼だよ。そんなもん封じられる奴はそう何人もいるもんじゃない。あたしの知る限りじゃモーリスのルーンマスターか、往年の神官騎士団長くらいだよ。」
「お褒めに預かり光栄です。」
この婆さんと1対1になったのは不幸か、それとも他に誰も話を聞いていないと言う幸運なのか。理詰めで考えれば後者だろうが、静にはそれを手放しで喜ぶことなど出来そうになかった。
「さ、キリキリ白状しな。あんたいったいなにもんだい?あの坊や達が嘘をついてるとは思わないさ。それくらい馬鹿でもわかる。だがあんたは別だ。事と次第によっちゃただじゃおかないよ。」
手を伸ばせばお互いの頬に手を添えることの出来る距離。その距離で、丸腰の老婆がなかなか物騒なことを言ってくれる。口調は軽いものだが、それを実行するだけの実力を秘めていることは静の記憶が一番よく知っている。
「(ここは腹を括るしかないかな?)」
敵に回すと厄介な相手というのはどこにでもいるもの。この老婆はまさにその一人である。味方に入れても厄介なのだが。
「簡単な引き算ですよ。」
「ほう?」
「僕の気配から餓鬼とリーゼナイセの気配を引いてみればいい。ちょーっと判りづらいかもしれないけど、それだけ条件が限定されて知った気配。婆さんの脳味噌が腐り果ててなければすぐにわかりますよ。」
あきらめと共に静の口調に普段の悪口が混じり出す。それを聞いて、長老はむー、っと唸りながら静を凝視した。まるで近眼のように必死に目を懲らすが、気配というものは肉眼で見るものではない。
結構時間がかかったため、ひょっとして本当にボケが始まったかな?と静が思い始めた頃、やっと長老は得心がいったように頷いた。
「そうかい、あんたがアモルファシスかい!」
「ふははははは。そう、我こそはこの世の支配者、魔王アモルファシス、ってちゃうわ!」
お約束のようにボケる辺り、リアル老人ボケはまだ始まっていないようである。つっこみの裏拳もしっかり受け止める。そして旧知の仲に出会ったうれしさに、だがそれにしては邪気のありすぎる笑みを浮かべた。
「またずいぶんと人間が薄っぺらくなったもんだねぇ。え?今度の継承者よ。」
「久々に会う友人に対する挨拶がそれですか。変わりませんね。」
「今の今まで隠してたような不届き者にゃこれで十分だよ。なんだい、あの子にまで隠しとくなんて、性格悪いにも程があるよ。」
「それを言われるとちーと耳が痛い。」
人より遙かに長い寿命を持つエルフ族である。静がいくら継承者を名乗ったところで、彼らにしてみれば同じ人間が服を着替えたようにしか見えないのだ。それを知っているから、今の静はことさら隠そうという気もなかった。
基本的に静が正体を隠しているのは、あくまで効果的なシチュエーションで正体を明かす為なのである。だから、その時に「ああ、やっぱり。」などと言いそうな人間にわざわざ隠し続ける意味はないのだ。
「で、またアロアには黙って出て行くつもりかい?」
「今はね。とりあえずあの子らが僕無しでも何とかなる目途がつくまではつきあおうと思う。そうしたら一度一人になるつもりだから、その時に戻ってきますよ。いずれ向こうの世界に帰る身だけど、彼女を宙ぶらりんのままにしておくことは出来ないからね。」
コップの底のレモン水を回しながら、昔のことを思い出す。
「あんた……」
物思いに耽る静は長老と目を合わせようとはしない。ただ水面に映る自分の顔を見つめているだけ。
「あわよくばあの魔術師とアロアの二股かけようとか思ってんじゃないだろうね。」
「ぎっくぅ!な、何のことかなぁ?」
静は明後日の方向を向いて目を合わせないようにする。
「…………」
「…………」
「お前さん、馬鹿になったろ?」
念のために言っておくと、当然の事ながら静は受け流す応対も考えていた。だが心の声がこう叫んだのだ。「とぼけてばれるのがお約束だ!」と。
この老婆を怒らせていいことなど一つもない。それは百も承知。だが、それでも王道の2文字を貫くためにお約束通りの反応をしてしまう。何となくそんな自分が愛しかったりする静であった。
「で、死ぬ覚悟は済んだかえ?」
「あ、今ちょっと後悔。」
→ 1.続く
2.もう帰る




