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継承者  作者: dendo
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オーク

 ブフゥゥゥ……


 荒く獣臭い鼻息が顔にかかる。彼女は恐怖に悲鳴を上げることすら出来ない。


 危険だ、とは言われていた。そのことは自分も承知の上であった。だがムイアラ草は月のない夜にしか花を咲かせない。切らしていたことに気付いたのが運良く新月の日だった。ただ、結果的には運悪く、となってしまったのは現状を見れば一目瞭然である。


 さらに運が悪いことに、この日は珍しく外からの客が来ていたため、巡回の人手も少し減っていた。こっそり村を抜け出すのに都合がいい状況。これも、その時は運がいいと思ってしまったのだ。


 顔を背けると、視界に護衛を買って出てくれた友人の姿が目に映る。頭から血を流してぐったりとしているが命はまだある。だがそれも運がいいとは言えないかもしれない。なぜなら、彼女にも自分と同じように大きく汚らわしい影が覆い被さろうとしているのだから。


 自分に覆い被さる影の向こうに、重なり合う木々の隙間から覗く星空が見えた。鼻をつく悪臭に顔を背けると、視線の先に踏み荒らされ、ボロボロになったムイアラ草の花があった。




 久々に迎え入れた人間。一方的に盟約を破り何人もの同胞を拐かしていった一族縁の者。だが、それは同時に同胞達の生存の証でもあった。拒絶か、歓迎か。彼らは迷うことなく後者を採った。


「出来れば一刻でも早く着きたいらしいんだけど。」


 今夜一晩泊まっていけ。そう言われたのはだいたい午後4時過ぎ頃(竜也の時計で)であった。確かに、今までのペースではもうしばらくは足を進めている。だがテクサを首を縦に振らなかった。


「森の中は危険だ。無理はしない方がいい。」

「危険、っていってもさ、森の内側の結界がモンスターを封じ込めているんじゃなかったっけ?」

「それがそうでもない。結界といっても物理的な障壁ではない。方向感覚を狂わせてこちらに入って来られなくするものだ。だから何かの拍子に紛れ込んでしまうものもいる。最近は魔王のおかげで魔物も活性化しているので魔法の影響を受けづらくなっている。だから進入してくる妖魔も増えている。そういった魔物に出会えば俺らでもお前達を護りながら戦うのは不可能に近いのだ。」


 エルフはどちらかといえば剣よりも魔法を得意とする。だから、闇の力で強化され魔法抵抗能力の上がった魔物は、たとえそれが低級妖魔でも驚異となり得る。

 竜也としてはその状況は願ったりである。剣とミリィの唱えるわずかな呪文。今のところ被写体はそれだけであった。そこに精霊魔法が加われば、しかもそれがエルフの術者なら言うこと無し。なのだが、交渉面を静から引き継いだ身としてはあまり趣味に走るわけにも行かなかった。さっきは思い切り取り乱してしまったが。


「だってさ。」


 言葉が通じるにも関わらず通訳のようなことをさせていたトルーナは、それを聞いて肩を落とす。自分がいじめでもしているような気分になったテクサは、頭をかきながら言葉を継いだ。


「この森にはいくつかゲートがある。それを使えばお前の村の側に明日の昼前にでも出られるだろう。そこから先は強行軍でも何でも好きにするがいい。だから今夜はここで休んでいけ。」

「ほ、本当ですか?」

「嘘を言っても仕方あるまい。」


 本来なら3日を予定していた距離である。だがそれが1日で済んでしまうとなれば、これほどありがたい話もない。


「ほぇー、すごいんだねぇ。」

「まあな。といっても、そのゲートを作ったのは我々ではなく人間の魔術師だそうだ。」

「例の、継承者、って奴?」


 どこまで白々しくならずに済んだかは竜也も自信がない。


「そうだ。俺が生まれる前にすでにこの世の者ではなくなっていたが。会えるものなら会ってみたいものだな。この広大な森にある2重の結界。恒久的に消えることのないゲート。賞賛もあるが礼を言いたい。それに、あのアロア姉を口説いたってのが信じられなくってなぁ。」


 しみじみとつぶやくテクサに、人と変わらぬ心情を見出し、竜也とトルーナは顔を見合わせて笑った。が、その笑顔も次の瞬間には消え去る。


「だいたいなぁ、同族の連中がことごとく玉砕してるから人間嫌いなんじゃなくてただの男嫌いだって噂もあったくらいなんだ。ブローやイビーなんて事あるごとに毎度毎度懲りずに向かってって返り討ちだ。その執念は買うがとても真似する気にはならんな。」

「真似してくれなくて結構。」

「はうっ!?」


 背中に冷水を浴びせられたような声をあげてテクサは硬直した。プレッシャーのため身動きがとれないので目の前の二人を見る。その意を察したのか、二人は憐憫を含んだ表情でかすかに頷いた。確かめるまでもなくわかっていたことだが、それでも人に教えられると絶望が確たるものになる。


「食事の準備が出来た。お二方は長老の家へ。案内は別の者にさせます。連れの方ももう向かっております。」


 それは暗に『テクサはここへ残れ』と言っているようなものであった。テクサが泣きそうな目で見つめるが、竜也としては無事を祈る以上のことは出来そうもない。


「さ、こちらへ。」

「う、うん。」


 苦笑するエルフの女性に連れられ、二人はテクサの家を出た。よって、そこで何が行われたかは神ならぬ身の竜也には知る由もなかった。



 宴は城で行われたパーティーのような華やかさはなかったが、それだけに竜也や涼にとっては居心地がいいものであった。彼らが歓迎しているのはフィルであり、それ以外はおまけであった。だがエルフ達はそのことであからさまな差別をしたりはしない。分け隔てなく接してくれる。そのことが竜也は嬉しかった。


「つまりこれは取材オッケーってことだね!」

「いいから大人しくしていろ。」


 カメラを取り上げられてしまったことは不覚以外の何物でもなかったが。

 それでもこの宴は、酒も飲めなかったが、楽しいものである。城のパーティーは確かに普段では触れることの出来ない王侯貴族の生活を垣間見ることが出来た。話のネタとしては申し分ない。だがそれだけである。歓迎というより品定めされている状況で楽しめという方が無理であろう。

 それに比べここの雰囲気には安らぎがあった。おまけに周りには美形のエルフがぞろぞろと。多少コンプレックスを刺激されるのは否定できないが、それを遙かに上回る感動が竜也を包んでいた。


「はふーんエルフのピコピコ動く長い耳萌えぇー。これであとは猫耳があればパーフェクトだよねぇ。」


 などと馬鹿丸だしな事をつぶやくが、幸い日本語であったので恥を曝すことはなかった。もちろん同意を求められた涼に猫耳のどこがパーフェクトなのかは理解できるはずもなかった。


 あまり自身の常識から離れられない涼は目の前の光景を受け入れるのに苦労していたが、それでも次々と出される料理を楽しんでいた。比較的薄味であることを除けば、素材の味を生かした素朴な、しかし一級品の家庭料理である。それだけに、ほんの数滴分の醤油。さっと一振りだけでいいのだ。事実懐には醤油を入れた赤いキャップのお魚さんが待機している。その隠し味分の醤油をかけたい誘惑に駆られるが、やはり作ってくれた人たちに悪いので我慢する。


 エルフ達の村には子供が少なく、それだけに好奇心旺盛な子供達は外からの客に興味を隠せないようであった。城で普段竜也が感じていた視線を、今度はフィルやルーク達も受けることになる。


「ほら、俺の気持ちわかったでしょ?」


 という言葉には3人とも苦笑して頷くしかなかった。

 フィルは大人達に城でのミシュラ達の思い出を話すのに手一杯の様子で、自然子供のエルフ達の相手は同年代(に見えるが年齢は定かではない)のルークとミリィ、そして精神的に同年代の竜也が受け持つことになる。

 始めはおずおずと、料理を運んだりお代わりを持ってきたり、といった程度のコミュニケーションであったが、竜也がずけずけと質問を繰り返すうちに自然と垣根は取り払われていった。向こうも聞きたいことは山ほどあるらしく、わいわいと話は盛り上がっていく。


 だが、子供達がこうして交流を深めていく中で、やはり年長組とオヤジ一人は黙々と料理を平らげる以外にすることがなかった。通訳係のミリィがいないため、あるいは精神的に老成しているためか、涼もどちらかといえばそちら側に分類されるだろう。もともと陽気で歌が好きなエルフ達にわびさびの世界に生きる涼が合うはずもない。


 一番不機嫌そうなのはアルカイアであった。黙々と料理を平らげカパカパと手酌で酒をあおっていく。

 租税を納めず反抗的な態度で居座るエルフなど獅子身中の虫である。と思っていたアルだが、話を聞くと怒りの向け先が曖昧になってしまった。だからといって義憤に燃えるほどの義理もないし、この場で仲良しこよしになれる程器用でもなかった。

 結局、フィルやルーク達を取り囲むエルフ達を据わった目で見ながら酒を飲むくらいしかできないのである。


 同じくリーゼナイセもあまり機嫌がいいとは言えなかった。フィルの周りをエルフ達が取り囲み談笑している。フィルに身の危険がないと心に言い聞かせても落ち着かない。もし友好を装いフィルを害する者がいたら。普段はともかく酒が入って心の奥の恨み辛みが表に出てきたら。

 それが杞憂、というより後付の心配だということは何となく自覚している。明るい世界で笑っているフィルを見ていると、そこが本当にフィルの居場所なのだとわかる。だが、そのそばに自分の居場所がない。それを認めたくないのである。暗く、陰湿で、あの見かけだけが華やかな城という名の牢獄。その中が自分によく似合っている。彼女はその考えを否定することは出来なかった。

 結局彼女はルイを抱いたまま、じっと黙っているしかなかった。ルイも竜也達が連れてきたはずなのだが、最近はリーゼナイセにくっついていることが多い。といっても、ほとんど寝ているだけだが。


 ちなみにその二人の隣で酒を飲んでいるトルーナもあまりいい心地がしなかった。酒をついでくれるエルフの娘と話もしてみたかったが、それ以上にその場に留まっていたら胃に穴があきそうである。結局、出された料理を出来るだけ早く、しかし十分に味わい、早々に提供されたベッドに潜り込むしかなかった。




 宴も闌、ほろ酔い加減に酒が入り皆の口がなめらかになっていった頃、一人のエルフが外から息を切らして走ってきた。宴の雰囲気に気を使いながら走ってきたので、それに気付いたのはごく一部の者だけであった。

 そのエルフはテクサとアロアを呼び出し部屋の外に連れていく。木の上にある長老の家から外に出て下に降りる。頭上から賑やかな声が聞こえてくるが、会話を聞き取れるほどのものではない。


「あの馬鹿ども……」


 アロアは伝令からの報告を聞き顔をしかめた。


 伝令の報告では、薬草を採りに結界の外へ出ていった二人が戻ってこないということであった。目的の薬草の群生地はわかっているのでその一帯を精霊に探査させたが、人影は全くなかったという。

 すでに数組の戦闘要員が周囲の探査を始めている。魔法よりも剣での戦いを得意とする者を中心に構成されており、万が一オークやゴブリンなどに遭遇しても引けを取らない戦力を有している。暗視能力に関しても、エルフをはじめとする亜人間と称される種族はインフラビジョンという赤外線を見る能力がある。ステータスだけを挙げていけば不安要素は何もないはず。そう、能力値だけを見ていけば。


 アロアは今まで相手をしてきた妖魔達を思い浮かべていた。本来ならゴブリンやオークなどの低級妖魔は数を頼みにし自分たちより弱い者に襲いかかる。だからこちらが魔法などで反撃すると、大抵すぐに逃げ出してしまう。あとは結界の外へ追い出すように誘導してやればよかった。


 だが力も強くなり凶暴性を増した連中は一度血を見ると止まらなくなる。斬りつけられても決して怯まない。今の妖魔を撃退するには文字通り殲滅しなくてはならない。


 そしてエルフ達はそういう戦い方には慣れていない。戦術的にも、精神的にも。そういった戦い方はむしろ人間の方が向いているだろう。レイピアやエストックではなく、ソードで敵を叩き斬る戦士が。あるいは精霊魔法ではなくより直接的で決定的な死をもたらす黒魔法が。

 アロアが逡巡している姿は珍しい。なぜすぐに駆け出さないのか、テクサと報告に来た青年は顔を見合わせて怪訝そうな顔をしている。そこへ、上から声がかかってきた。


「おい、貴様ら。手伝ってやるからありがたく思え。」

「(この人、本当はここに喧嘩売りに来たんじゃないのか?)」


 見上げると、ブリングレードを持ったアルカイアとルーク、そして雪月花を携えた涼の3人がいた。


 アロアとテクサが出ていったとき、その表情がずいぶんと深刻なものだということに気付いたのはやはり涼とアルカイア、そしてリーゼナイセであった。三人はちらっと目を合わせる。だがリーゼナイセはそのまま動こうとはしない。フィルがこの場にいる以上、彼女が動くこともまたないのである。


 アルは手の中にある杯を置くと、近くのエルフに水を頼んだ。冷たく冷やされたそれを一気に飲むと、身体の火照りはとれないが精神にかかった霧のようなものが一気に流れ落ちていく。脇に置いてあるブリングレードをつかむと、面白くなさそうに涼を見た。

 涼はもともと酒は飲んでいない。料理ももう十分に楽しんだ。あとはもうここには用はない。だが、静がいない今、どこまで韜晦を続けるか。それが悩み所であった。人の命がかかっているとなるとそうも言ってはいられないが、ここには十分腕の立つ戦士がそろっている。わざわざしゃしゃり出ていくのも失礼かもしれない。アルカイアは人命云々よりも居心地の悪いこの場を抜け出したいのだろうが、それにつきあう必要があるかどうか。

 一瞬悩んだものの、結局涼も雪月花を手にした。ケレンや韜晦もいいが、これ以上身体が鈍るのもよろしくない。実戦ならいい稽古になるだろう、という人命救助とはほど遠い思惑の結果であった。


「あれ?りょーちゃん、どこ行くの?」

「カワヤ。」

「どうしたんです?」


 急に立ち上がった二人がじーっと竜也やルーク達を見下ろす。そしてその視線が三人の上を通り過ぎると、最終的にルークのところで止まった。


「涼様、どうかなさったんですか?」


 ミリィに聞かれて涼は少し困ったような顔をしたが、ため息とともに答えた。


「トイレ。一緒に行くわけにもいくまい。」


 案の定ミリィは顔を赤くしてうつむいてしまった。それを見て頭上にはてなマークを浮かべているルークの首根っこを二人が掴みあげる。


「な、な、な、なんなんですか?俺何かしましたか?」

「いいからこい。便所だ便所。つきあえ。」

「え?えぇ?」


 竜也は少し考えたが、すぐに浮かしかけた腰を下ろした。二人の方も気になるが、周りにいるエルフの少年達の話も切り捨てるには惜しいネタ揃いなのである。となればする事は一つ。


「りょーちゃん。」

「ん?」

「いってらっしゃーい。ごゆっくりー。」


 そういって予備のデジカメを投げ渡す。振り向いたところへいきなり投げつけたにも関わらず、涼は事も無げにそれを受け止めた。手に収まったそれは、竜也や静がメインで使う高機能なものではなく、電源を入れてシャッターを押す以外する事はないお手軽仕様のデジカメである。これは時々涼も借りているので使い方はわかっている。純和風家屋の住人でも、今時それくらいは使いこなさなくてはならないのだ。


「うむ。そうだ、くれぐれも言っておくが、酒は飲むなよ。」

「だーいじょーぶだいじょーぶ。ほら、行った行った。我慢は体に悪いよー。」


 そういうことを大声で言うな、といいたいところだが、これ以上のんびりもしていられないので出ることにする。よく考えれば日本語を解する術者はあまりいないので問題ないと言えばないのだが、ミリィには聞こえているのだからやはり問題であろう。後で誤解を解いておこう、と漠然と思う涼であった。


 そうしてアロア達2人に遅れること数分、ドアから出た3人は足場に座り、下から聞こえてくる声に耳を傾けていたのである。覗きをやっているようなもので、3人とも居心地悪いことこの上なかったが。


「よっ、と。」


 不安定な足場を軽やかに降りるアルは酒が入っているようには見えない。途中まで降りたところでそのまま飛び降りた。普段は重装甲を纏っていたアルにとって、ここ数日の身の軽さは不安であると同時に新鮮でもあった。その取り除かれた重さが、鎧だけのものではないと何となくわかってはいるのだが、なかなかそれを認めたくないのである。認めたくないが、認めざるを得ない状況であり、それが彼の機嫌をさらに悪化させているのだ。


 樹を取り巻くように螺旋状になった急角度の階段で、慣れない者にはかなり苦労を要するのだが、この3人の中ではルークだけがそろそろと降りていく。その後ろを涼がゆっくりと歩いている。自分が落ちそうになったら助けるつもりだ、とわかるのだが、これまたルークにとってはあまり面白い話ではない。足手まといと責められている気分になるのだ。それが錯覚な事はわかっている。だがどうしても涼や静に子供扱いされると面白くないのだ。

 実のところ、その原因はほぼ静にあると言っていい。静と涼がそれなりに力を示し、ルークとの実力差をはっきりさせていればルークとてそれを素直に認めることが出来る。だが静の余計なケレンのおかげで、役立たず3人組という印象がほぼ全員に焼き付いてしまっているのだ。その役立たずにも劣る、となれば自己嫌悪も致し方あるまい。


 そんなルークを後ろから見ている涼は、その心中が何となくわかっていた。当然同情もする。だが涼も静とは別の意味で力を晒したくないという思いがある。だからここは我慢してもらうしかなく、その為後ろめたさで顔が曇っていく。ただでさえ笑みから遠い顔なのに。


「「「はぁ……。」」」


 アロア達の前に来るなり3人揃ってため息である。嫌々ここに来たとしか思えない。それでもアロアは冷静に答えた。


「せっかくのお申し出だが、客を戦闘に差し出すもてなし方はエルフにはない。気持ちだけ受け取っておく。」


 本来はテクサも同意見である。だが、自分より遙かに人間を毛嫌いしているアロアが目の前にいると、不本意ながら抑え役にまわらなくてはいけない。しかもそのかばう相手がこのアルカイアという男と来た日にはかなり不本意な話であった。だというのに、アルカイアが返した言葉は、


「勘違いするな。俺はエルフなどにもてなされるつもりはない。借りを作るだけでも忌々しい。これは一時の宿と食事に対する対価とでも思っておけ。」


 である。アルの隣でルークが真っ青になっている。これををいったいどうやって庇えというのだろうか。いや、それどころかテクサ自身が我を失いそうなのである。止められるものなら誰かに止めてほしかった。あるいはこのままこの不埒な侵入者の脳天にエストックを突き立ててしまった方がいいのだろうか。その考えに突き動かされて思わず剣に手を伸ばしかけたテクサを止めたのは意外にもアロアであった。


「これから我々も森に入る。はぐれずに着いてこい。事情が事情だけに道に迷ってもすぐには探しはしない。夜明け、仲間の安全を確認してからの捜索になる。それでもよろしいか?」

「かまわん。お前らと違って一人でも雑魚妖魔に遅れをとるようなへまはしない。」

「(売ってる。絶対喧嘩売ってる、この人。)」


 ルークの嘆きは当然誰の耳に入ることもなく、その場の雰囲気はますます悪化していく。アロアの表情がどんどんと消えていくのをルークは絶望的な目で眺めていた。それを止めたのは部外者である涼であった。というよりそれ以外止める人間はいないだろう。


「この場で最も優先させるべき事を見失わぬようにな。」


 すっ、っと二人の間に鞘のままの雪月花を割り込ませて水を差す。アロアにしか言葉はわからなかったが、それでも言いたいことはテクサやアルにもわかった。そしてそれが正しいということも。


「着いてこい。」


 それだけ言うと、アロアはすぐさまきびすを返す。そして風のような勢いで走り出してしまった。もうこれ以上は話すことがない、という意志表示のようでもあった。


「あちょっと、待って下さい、一人じゃ危ないですって!」


 慌てて男達も駆け出した。ルークも最初の数歩は涼に首根っこを掴まれてだったが、その後は何とか自分で走り出す。

 森の中を全力で駆けるエルフに追いつくのは至難の業である。ましてや今は夜である。夜目の効くエルフならまだしも、普通の人間ではまともに歩くのさえ難しい。ところが森に不慣れなアルやルークが、ルークは死に物狂いでだが、着いていけている。どうやら一番遅いルークの足を考慮して加減してくれているらしい。考えてみれば目立つだけの精霊の明かりも灯したままである。そのおかげで一行はすぐにアロアに追いつくことが出来た。

 もちろん涼もこの森は初めてとはいえ着いていくことは可能である。山籠もり、と称して祖父に連れて行かれた修行旅行では、似たような状況で延々とサバイバルをさせられていた。それを思い出すシチュエーションに自然と笑みが浮かびそうになる。それをぐっとこらえるものだから、しかめっ面がますます怒ったような顔になるのであった。端から見ると先ほどのアロアとのやりとりに機嫌を損ねたように見えなくもない。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、し、試練だ、修行なんだ、神の、し、試練……」


 飲み会では最後に素面だった人間が貧乏くじを引くという。酒を飲んだことがないルークだったが、何となくそんなことを思うルークであった。


「一つ言い忘れていた。」


 ルークが大丈夫(死にはしない)と判断した涼は、少しペースを上げた。あっけなくテクサをパスして先頭のアロアに追いつく。声をかけられたアロアは一瞬意外そうな顔をしたものの、すぐに顔を前に向けてしまう。話したければ勝手に話せ、ということだろうと涼は判断した。


「実は我々にはもう一人連れがいてな。後で合流することになっている。」


 アロアは目だけを少しこちらに向ける。呆れたような、馬鹿にしたような視線。エルフの森の結界をどうするつもりだ、ということだろうか。


「そやつは困ったことに男でな。当然人間で、さらに困ったことに魔術師だったりする。」


 一瞬テクサ達の速度が落ちた。前方で膨れ上がった殺気に思わずビビってしまったのだ。おかげで遅れかけていたルークは何とか3人に追いつける。


「まあ私とて過去にどんなことがあったか、それを詮索するつもりはない。だが私の出来の悪い従兄弟をその細身の剣で切り刻まれると連れの子供達の教育によろしくなくてな。」


 あくまで静の心配など微塵もしていない。


「というわけでそいつをドツキたくなったら私の剣を貸そう。これには幸い刃がない。出会ったら気の済むまで好きなだけ殴ってくれてかまわん。」


 そこまで聞くと、さすがにアロアも無視しきれなくなっていた。視線に驚きの表情も交えながら、隣を走る涼をまじまじと観察する。どう見ても冗談を言っているようには見えない。当然である。本人は至って真面目なのだから。


「私は……」


 アロアはそう言いかけて少し顔を曇らせる。話すつもりなどなかったのに口を開いてしまったことを後悔しているのだろう。


「人間の考え方はよくわからないが、それは一般的な応対なのか?」

「一般的とは言えないかもしれんが我々には日常的ではあるな。世の中には一度と言わず事ある毎に痛い目に遭った方がいい人間がいたりする。だが困ったことに、そういう者に限って懲りるということを知らないのだ。」


 つまりこれから会う人間の魔術師とやらはそういう人間だ、ということになる。もちろんアロアがその手の人間に対し好意的に接することはあり得ない。逆に嫌悪感を感じるタイプと断言出来る。


「そういうことなら心に留めておく。だが今は我々の仲間を捜し出すことが先決だ。貴方の友人に関しては後回しにさせていただく。」


 アロアはそれっきり前を向き涼の方は見なくなった。これ以上は話すつもりがないという意志表示。かなり頑なな性格が見て取れる。リーゼナイセと似たところのある彼女は、これまた静の好みと言えよう。涼はため息とともに、彼女に聞こえないように呟いた。


「それがあながち別件とは言えないかもしれんからこうしてわざわざ出向いているんだがな」




「涼様、遅いですね。」


 見習いとはいえ魔術師のサガだろうか。ミリィはエルフの少年少女達との交流にともすれば時が経つのを忘れるようであった。それでも時々思い出したように外へと続く扉を気にしている。


「あっはっは。心配ないって。」

「でも……」


 そう、小さい方だけでなく大きい方だとしても少々時間がかかりすぎている。もちろんこの場でそんなことは言えないが。

 同時にアロアやテクサも消えているのが気になる。実際彼らに歓迎されているのはフィルであり、他はおまけと言っていい。子供達はそんなことはお構いなしだが。その二人と、エルフを快く思っていないアルが消えて帰ってこない。これは心配するなという方が無理であった。


「んー、まあそのうちわかるからいっか。」


 竜也はエルフの子供達を心配させないように日本語で話した。精霊魔法しか使えない子供達はエストラーザ語とも違う響きに不思議そうな顔をしている。


「実は結界に侵入者がいたっぽくって、アロアとテクサが出てったんだ、多分。」

「えっ?」


 ここまでは本当である。そしてミリィが思い浮かべたのは先日戦ったゴブリンや、森の奥に住むというオークやコボルト達。しかしあの戦闘の恐怖を思い浮かべるよりも先に竜也が言葉を継いだ。


「いやさ、他にもいるでしょ、この時間差でここに来そうな奴。」

「……?あっ!?」

「そ。で、まあほら、あのお姉ちゃんと鉢合わせするとまずいからねぇ。せめて半殺し程度でおさまればいいなぁ、ってわけ。」

「そ、そうですね。」


 ミリィは涼の肩に担がれてぼろ雑巾のようになった静を想像した。何故かその想像は容易に、且つとても鮮明に思い浮かべることが出来る。よくよく考えるとそれはある意味日常茶飯事なのではないかと思ったりする。そんな光景になれてしまうことが本当に自然なのだろうか、と首をひねるミリィであった。



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