魔法
ほぼ説明回です
「静先生、魔法を、使いたいです……」
「諦めてください。はい、試合終了です。」
「ちょっとぉぉぉ!」
終了らしい。
「どうしたんですか、急に。いや、今更、というか普通に考えたら今までそれを言わなかった事の方がむしろおかしかったわけですが。」
そう。ファンタジー世界に来たなら、真っ先にそれを言い出しそうなのが竜也である。
「まあこっち来て色々面白いもの盛りだくさんだったし、静の正体バレ避けるって意味もあったしさ。」
ドキドキお貴族様観察。剣修行を兼ねた治癒魔法体験ツアー、ブルジョア王宮見学(柱に名前落書きオプション付き)、ファンタジー村珍道中。指折り数える竜也のご配慮に静も頭が下がる思いであった。
「で、さっきの戦闘で思ったけど、ミリィはまだ戦闘系魔法慣れてないみたいだしさ、やっぱここは俺が覚えてズババババーンと行くしかないな、と思ったのに、なんで試合終了なわけさ。」
竜也が拗ねたように焚き火に薪を投げ入れる。他の皆は戦闘の疲労でぐっすり寝てしまっているので、気兼ねなく日本語で会話をしている。唯一通訳の魔法を常時かけているリーゼナイセも、今は起きている気配は無い。やはり蓄積された疲労や魔力消費の負担が大きいのだろう。
「うーん、何から説明しようかなぁ。」
「説明回?」
「そうなんだけどね。この世界にいたときには当たり前だと思ってたことが、向こうの世界を絡めるとまた違った側面が見えてきて、仮説やら新法則やら沸いて出てくるもんだから僕自身まだ上手く説明できないこともあるんだよね。」
「ならそれをまとめる意味でもわかる範囲で説明してみればいい。口に出すことで整理されることもあるだろう。」
魔法などには毛ほども興味を示しそうに無い涼だが、このときばかりは竜也と同じくらい関心があるようだった。
「ん、そっか。それもそうだね。」
静は自分の考えをまとめるためにも、既存の知識の説明から入ることにした。
「じゃあまず基本的なことから。魔力の説明からいこう。」
「ほう、つまり俺は転生チートで魔力無限大……」
「ということはなくこの世界の一般ピープル並です。」
「Oh!」
正確には一般人に毛が生えた程度の出力はあるようだが、飛びぬけたものは無い。だが、もともと魔法というものが存在しない(と思われている)現代日本人が、この世界の標準レベルの魔力を持っている時点で、あるいは才能があるのかもしれない。
「よし。可能性無限大で今は許してやろう。」
「意外とそれ否定出来ないんだよねぇ。」
「ほう、そうなのか?」
「残念ながら。」
「残念なのかよ!」
話が長くなりそうなので録音中のスマホに電池で充電を始める。まだまだ乾電池はあるのだが、日中のソーラー充電だけだと心もとないので、そのうち何か充電出来る仕組みを考えないといけないかもしれない。
「さて、その魔力なんだが、一般人、と言ったとおり、この世界の生物は皆ある程度の魔力はもっている。で、これは向こうの世界でも実は一緒なわけだ。わかる?」
それは竜也ではなく涼への質問、というより確認であった。何故なら、こちらにきてからずっと、涼はその魔力を意図的に抑えているからである。ただ、本人は魔力とは認識していないだろう。
「気、か。」
「いぐざくとりぃ。」
「気、って、あの波ぁ~!とかの気?」
「うん。僕もだけど、こっちに来てから基本的には気配抑えてるよね。」
「お前のケレンの為じゃない。この世界の気の密度がおかしいのだ。霊山とか龍脈なんてのが真空地帯に思えるくらいだ。あまりに濃すぎてずっと調子が狂いっぱなしだ。」
「そう、それが向こうとこっちの世界の差の一つだと思う。」
魔力は生命体に宿るだけではなく、世界そのものにも満ちている。こちらではそういうものだと単に認識しているだけだが、ガイア理論(地球を一つの生命体と考えるアレ)を当てはめると竜也にも理解しやすいだろう、と静は説明する。もちろん、草木などの地形、環境なども世界に存在する魔力の密度に関係してくる。
それは魔術師である静の観点だが、涼はその魔力を「気」と捉えた。
「つまり気=魔力?」
「可能性が高い、と僕は思う。実際魔術師じゃなく騎士も肉体強化を自然に行っているからね。でなけりゃ剣でドラゴンなんか倒せないよ。」
「なるほど。だから武道家がMP使って技を出すわけだ。」
とにかく、こちらから見ると元の世界はそもそもの気=魔力が足りなすぎる。それが魔法自体が発達していない理由の一つと考えられる。そして、普段からそれを認識していない人間がこっちに来ても、結局宝の持ち腐れにしかならない。
だが、考え方を変えると、高地トレーニングと同じで、密度の高いこの世界に来たことによって、魔力を操れるようになるのではないか、と期待してしまうのがラノベ脳というものであった。
「てことはだ、俺もついに日ごろから練習していた亀破滅波を撃てるようになるわけだ!やばい、テンション上がってきた。静が魔王に爆殺されて俺の静かな心で怒りが目覚めちゃうフラグか?」
「いや、だから、元の世界でそれなりに気を感じられれば、だから。0はこっちで何倍したって結局0ですよ。」
「えー?どれくらい?」
「さあ。裏当てくらい出来ないとお話にならないんじゃないですか。」
「それが出来るのが何人いるっていうんだよ。」
竜也ががっくりと項垂れた。友人を勝手に爆死させるような期待など、早々に摘んでおかないと危なくて仕方ない。しかしそこは割り切りの早さに定評のある竜也である。すぐに立ち直って何かを期待するような目で涼に向き直った。
「てことは涼ちん、できるの?ていうかやってみて!」
キラキラした目で見られてもどうしろというのか。ここでやってみて出なかったらいい笑いものにしかならない。というか二人してカメラを構えて、撮影する気満々ではないか。
『友人が気を放出しようとした結果wwwwwww』
などという動画のスレが立つのが目に見えている。
「まあ、それはともかく、先代、爺様の見ていた光景というのが多少なりとも理解できたのは大きいな。いや、自分が成長したわけではないから、ズルしたということか。」
「あの化け物が裸足で逃げ出す爺さんのレベルになっちったわけか。やばいなぁ。」
「いや、そこまでは行かない。ちょっとつま先に手が届く程度だろうな。」
涼はその手を握り、物思いにふけるように眺めた。ただの、ちょっと人より腕が立つだけの道場跡取が、この世界に来たことで達人と呼ばれる人間と同じ光景を見ることになる。それは彼にしてみると、通るべきでない近道を通ってしまったような後ろめたさを感じてしまう。
事実、その手が一瞬でかすむと、
「あだっ、」
1メートル以上離れているはずの静の額に衝撃が走るのだ。
「ま、遠当てなんてものがこんなに簡単に出来るような世界がおかしいわけだな。」
「いやいやいやいや、この世界の人間でもそんなのあんまいないから。というかちょっと人よりとか寝言言うなこのリアルチート。」
「まあ、普通の高校生は山篭りしても熊とは喧嘩しないよな、マジで。」
普通は山篭りもしない。
「そうか?ただ、この年で外気功の感覚を覚えられそうなのは貴重な経験だからな。ありがたく受け取っておくとしよう。やりすぎに気をつけないといかんがな。」
外気功。説明はまあ種々あるが、この場合本来は体内で気を錬るところを、それに加えて外からも取り入れる技法ということになる。
「そんなに違うものなの?」
「気が減ったそばから入ってくる感じだ。正直、24時間戦い続けられそうで怖いくらいだな。」
「そんな奴この世界にもいないよ。まあとにかく、そんなこんなで、向こうの人間にも魔力がある、ということはここに実例があるわけです。ただ、世界そのものの魔力が少ないので、自分の魔力を発動源として世界に干渉していくこっちの魔法をそのまま向こうで使おうと思っても、おそらく上手くいかない。」
「まじかー。残念過ぎるよー。」
「でも無いわけじゃないと思うので、向こうの世界の魔術師を探してみようとは思ってるよ。ただ、それでも問題は無いわけじゃない。さらにこれは君がこの世界の魔術を使えないことにも繋がる。」
「そうなの?」
少し真面目な顔になって静はうなずいた。
「簡単に言うと、呪文とは方程式であり、その式によって描かれるグラフが魔術だと思って欲しい。」
「先生。諦めました。」
「はい。いいからそのまま聞いててね。義務教育じゃないので着いてこられない人は置いていきますからね~。」
呪文という方程式に魔力を流し込み、思い描いたグラフ=現象を顕現させるためのパラメーターを設定していく。その変数の設定、式の次元というものが、向こうとこちらでは違いすぎるのだ。
「認識できる次元、向こうじゃ基本は3次元だよね。」
「縦、横、斜め?」
「高さだろう。」
「それに時間軸、かな。一方通行だけどね。合わせてせいぜい4次元までしか認識できない。」
だがこの世界では精神世界や精霊界の干渉など、合計26次元までの世界を認識する。それらをきっちり計算して必要なパラメーターを設定しないと魔術は発動しない。
呪文とは言わば中間計算式のようなもので、無詠唱とはそれを暗算で計算するようなものとなる。高度な呪文になると、1唱節では終わらず、複数唱節が必要になる。それは連立方程式を思い浮かべればわかるだろう。
「先生わかりません。」
もちろん、魔術師が常にそんな高度な演算を行っているわけではない。静が改めて呪文詠唱のメカニズムを考え直してみると、その時にそれ専用の回路を起動させている、という感じになる。
「そうですね、普段の脳とは別の、演算用コプロセッサが頭の中にあって、呪文を唱えるときは制御をそっちに移行する感じです。詠唱中のトランス状態はそのせいですかね。」
戦闘中のミリィを思い出すと、確かに意識が半分なくなるような感じになっていた。慣れてくればそのトランス状態は短くなり、人によっては並列処理で意識を飛ばさずに詠唱を行えるようにもなるという。
「じゃあそのコプロ無いと魔法使えないわけか。で、それは俺には無いの?」
「無い、とも言い切れないんですよねぇ。」
これまたよくある話だが、人間の脳の余剰分70%。その中にこの詠唱回路が含まれているのではないか、という推測である。が、それは今考え付いたことなので、何の確証も無いし、仮にそうだとしても、日本人である竜也のそれを起動させる方法もすぐには思いつかない。
「なんとかならない?無詠唱で上級魔術うりゃー、ってやりたい。」
「26元連立方程式暗算でやってみます?問題集、作りますよ?」
「現代日本の教育チートは、この世界では何の成果も得られませんでした!!」
別に教育レベルのアドバンスがなくなったわけではない。当然この世界でも識字率は日本に比べはるかに低く、算術レベルも高くは無い。魔術師とて、四則演算はそれなりだろうが、必ず皆出来るわけでもない。ただ、単に竜也の望む方向では役に立たなかった、というだけである。
「つまりあれだ、演算部分をスマホアプリで作ってデジタルデビればいいわけだ!」
「それはとても魅力的な提案だね。でもアプリ作成環境ないし、スマホに魔力通すことが、いや、クオーツは水晶だし、意外とそれはアリなのか?」
一瞬で立ちなおる竜也の思いつきだが、可能性としてはまったく無いわけではなく、またそのビジュアルはとても魅力的であった。この際実用性はどうでもよい。まあそれは向こうに帰ってからのお楽しみにしておく。
「というわけで、今すぐに魔術OKというのは難しいと思うわけですよ。」
「ああ、テレキネシスで自分撮りやインターバルタイマーの人計画が……」
「戦うわけじゃないのか。」
「まあこっちきて全く経験しないのも勿体無いですしね。なんか考えておきますよ。」
「出来るのか?というよりそもそもお前は何が出来て何が出来ないんだ?」
改めて聞かれると、何も話していないことに気づく。
「うーん、何、と言われると困るんですが、」
・魔力を現象にする、所謂黒魔術
・精霊に働きかけ現象を起こす精霊魔術
・物質に魔力を宿す魔力強化術
・魔術道具作成
・呪符作成とそれを使った呪符魔術
・呪詛魔術
・空間操作系魔術
・召喚魔術
「なんでもありじゃん。」
「まあいろんな人生ハシゴしてきましたから。ただ、どうしても神聖魔法だけは相性悪いのか縁がなかったですね。」
「それはわかる。」
信心深い静など、二人には全く想像できなかった。静自身も同感である。また、精霊魔術も攻撃系に偏る。精霊と仲良くなってお願いするエルフと違い、魔力を与えて従えるイメージが強いのだ。
ただ言えるのは、扱う幅は広く、どれも一流と言えるが、どれも飛びぬけているという程ではない。極めて高度な器用貧乏、と自嘲するが、それは実のところ魔術に限ったことでなく記憶が目覚める前からそのまんまだった。三つ子の魂四百まで、という竜也の言葉には苦笑するしかない。
「あ、でもこっちでまだやったこともない魔術も向こうの知識でだいぶ増えたしなぁ。試すのも面白いかも。蠱毒とか面白そうだよね。呪詛系はこっちより向こうのほうがバリエーションあるっぽいよ。」
「日本の怪談は精神的にじわじわ系だからなぁ。根が暗いのかなぁ?」
その後も結局試したい魔術や技、気の扱いなど、実用系そっちのけの再現撮影談義で夜更かしすることになる。場所も世界も違えど、やってることは修学旅行の深夜の猥談と同レベルであった。
ルークは最初目覚めたとき、自分がどこにいるのかさっぱりわからなかった。もちろん辺りを見回してもわからない。起き出した彼に気付いた竜也が教えてくれるまで、自分が寝たまま馬車に運び込まれたことすらわからなかったのである。そして普段では考えられないほどの寝坊をしたという事も。
昨夜の戦闘はやはり彼らにとって荷が勝ちすぎるものだったらしく、ルークだけではなくフィルとミリィも目覚めたのは同じくらいであった。馬車が比較的静かとはいえ、その上でそれまで寝続けていたのだから、よほど疲れていたという事であろう。馬車の御者台にはリーゼナイセと涼が座り、彼女の指示で涼が不慣れながらも手綱をとっている。始めは内心(表情は全く変わらず)おっかなびっくりだった涼も、小一時間も過ぎた頃にはすっかり慣れていた。表情は終始変わらないが、見る者が見れば楽しそうとわかるらしい。
竜也は馬車の後部に腰掛け、何やら手に持った黒っぽい板をじっと眺めている。何か見ているのかと思ったが、よく観察してみると、両手の親指が猛烈な勢いで動いている。それがスマートフォンであり昨夜の戦闘の記録を残しているのだということはフィルやルークには逆立ちしてもわからないだろう。同時にデジカメのメモリを再生してにやけている。はっきり言って不気味であった。
ルークは昨夜の戦闘を思い出す。同門の少年達といたときも、自分が強くなっているという感触はそれなりにあった。だが、師範という上がいて、さらに回りの人間も一緒に強くなっていく中ではなかなか実感出来るものではない。それが昨日の実戦の中でははっきりと自覚できた。格下でも数が多ければ驚異になる。そのゴブリンをルークはフィルとミリィの3人で殲滅したのだ。
寝坊した自己嫌悪がひとしきり過ぎ去ると、ルークは自然と笑みがこぼれ落ちてくるのをこらえられなかった。
「起きたのなら少し替わってもらえるかしら?」
「あ、はい。」
声をかけられたミリィは少し緊張しながら涼の横に座る。その時すれ違いざまに、
「笑わないようにお気をつけなさい。」
とリーゼナイセがささやいていったが、それがなんのことかはその時点ではわからなかった。別に涼の手綱さばきは問題なく、仮にそれがおぼつかないものであっても、初めてのことなのだから笑ったりはしないとミリィは思う。
「なんのことでしょう?」
涼に聞いてから、今日はまだ翻訳の呪文を唱えていないことに気付く。朝はすっかり寝過ごしたので朝食時の分は唱えていないのだ。
それでも涼は彼女の意図を読みとった(正確には静のかけた呪文で言葉は通じている)らしく、ちょいちょいと目の前で馬に乗っているアルカイアを指差した。
「アルカイア様?」
「やっと起きたのか。たるんでいるぞ。少しは王家の人間を護衛しているという事を自覚したらどうなんだ?」
ミリィの声に気付き振り向いたアルカイアは心なしか不機嫌そうであった。おそらく薬を飲まされ、しかも戦闘に気付かず一晩眠りこけていたことが許せないのだろう。もともと優しい笑顔を子供に向ける人間ではない。今も不機嫌をそのまま顔に張り付けたような表情をしている。
「ひっ、」
その顔を見た瞬間、ミリィはひきつったような顔をし、すぐさま隣に座る涼の腕にしがみついた。そして肩口に顔を伏せ肩を小刻みに震わせる。それを見てアルカイアもさらに不機嫌そうになったが、これ以上何を言っても余計に怖がらせるだけだろうと思い大人しく前に向き直った。
『笑わないように』
そう言ったリーゼナイセの言葉は正しかった。
元々端整な顔立ちのアルカイアは二重瞼で睫毛も長い。ただ、今はその睫毛が上にも下にも3センチ程ずつ伸びていた。そして頬には、両方3本ずつどこかの猫型ロボットのように髭が生え、さらに不自然なくらい真っ赤な真円が描かれている。さらに鼻の穴から下に向かい極太の鼻毛が飛び出し顎からモミアゲにかけては真っ青な髭の剃り跡が広がっている。何故か眉毛だけが、イケメン度を際立たせるように整えられていてそれが余計にバランスを崩している。
「ひ、ひっ、」
よほどショックが強かったのだろう。涼の腕を握る手は非力ながらも目一杯強く握られ、呼吸困難になっているのでは無かろうかというほどに息が乱れている。それは少し離れて見れば嗚咽をこらえているようにも見えるだろう。
「ネ、ネ、イカスでしょ?」
「………」
「くっ、くくくっ……」
馬車の中からカリカリ床をひっかく音やもぞもぞと這いずり回る布ずれの音が聞こえてくる。どうやら今の瞬間を竜也に促されてフィルとルークも見てしまったらしい。
一番最初に寝てしまった者はどんな落書きをされても文句は言えないという修学旅行特有の暗黙の了解。それをさも当然のように実行したのは言うまでもない竜也と静である。油性マジックで念入りに刻まれた刻印は幸か不幸か本人のあずかり知らぬまま今に至る。静いわく、泉の側で野営したのに顔を洗わなかったアルが悪い、となる。
「りょ、涼、様……く、くるしいですぅぅぅ……」
それは見ればわかるがさりとて涼にもどうすることもできない。とりあえず空いている手で頭を撫でてやるが、彼女の瞼の裏に焼き付いた光景はなかなか離れそうになかった。結局ミリィの笑いが収まったのは小一時間程たってからであった。
「あはははは。鏡持ってるけどこれはしばらく貸したくないよねぇ。」
静に同意を求められても肯く気にはなれない。せめてもの詫びにと、雪月花を剃刀代わりにした情けなさに泣けてくる。涼は深く溜息をついてミリィの頭を撫でた。
「ふぅ、困ったもんだな。」
「ふぅ、困りますねぇ。」
時を同じく溜息をつく者が一人。だがこちらは涼のものより幾分重い溜息であった。
ルドルセンは目の前にいる深くフードをかぶった騎士を見ながら高速に頭脳をフル回転させていた。
「英霊レインドル様に連なる王家の血に逆らう不心得者がまさか我ら四龍騎の中から出てしまうとは。流石に我が神タイクーンも予測し得ぬ事でしょう。」
そう言ってさも敬虔な信者であるとばかりに右手で十字を切る。このシンボルはどうやらこの世界でも共通のものであるらしかった。
「(そりゃあんたの懐に関係ないお告げは聞いても仕方ないからな。)」
とはあくまで心の中だけのセリフ。ルドルセンは昨日からずっと考えていた対応の候補を最終的に絞り込む作業に入った。
・脅された、という
・いっそ王家に宣戦布告
・しらばっくれる
「いやまったく。そんなことが起こっていたとはついぞ知りませんでした。心中お察しします。」
基本的に3番目で行くことに決定。もちろんそのままでは白々しすぎるので、適度にごまかしも入れなくてはならない。
「我々はあのお二方がお忍びで王都を離れるとしか聞いておりませんでしたので、ちょうど護衛を捜している者を御紹介したのです。それもあなた様の紹介と言うことでこちらもチェックを怠っていました。重ね重ね申し訳ない。」
「何?私の?」
男、白龍騎エルトはその顔から笑みを消しルドルセンに鋭い視線を向けた。
国と神に仕える神官騎士であるエルトが盗賊ギルドと通じていることは白龍騎でも極一部、そしてルドルセンとその周りの何人かくらいしか知らないことである。他の騎士はもちろん王家や宰相にも知られぬよう細心の注意を払ってきた。全ては彼自身の懐のために。
「ええ。交渉は主にリーゼナイセ様によって行われました。」
「その内容は?奴らはどこへ行った?」
エルトの口調に幾分剣呑な雰囲気が混ざり出す。
リヒトフォーン家の取りつぶしなど彼にとっては取るに足らない当たり前の出来事であったが、それが急に自分に降りかかる火の粉になりつつあった。アルカイアごとき若造が自分の裏工作を盾に保身を計るなどと言う芸当を思いつくはずがない。だがリーゼナイセならどうか。己の感情をいっさい外に出さない氷の魔女は彼にとっても未知数であった。しかし神官戦士である彼には彼女の持つ膨大な魔力を四龍騎の中で最も感じ取ることが出来た。それを敵に回す事になった今、些細なミスや後手が致命傷となりかねない。
ハートランドが起きあがれず、仕方無しに彼が追跡の任務を引き継ぐこととなった。嫌々ここにやってきたのだが、これはある意味幸運だったのかもしれない、と自身に言い聞かせていた。
もちろんルドルセンと交渉を行ったのはリーゼナイセではなく静である。だが、なぜかは知らないが事情に詳しすぎる静よりもネームバリューのあるリーゼナイセの方が信憑性が増す。
「エルト殿、それは我々が受けた依頼の内容についても触れなくてはなりません。我々の決まりはご存じでしょう。」
「む……」
エルトは一瞬何かを言いかけてすぐに口をつぐんだ。盗賊ギルドは情報も売る。だが同時に他言無用で契約した内容は一切外に漏らしたりはしない。その原則があればこそエルトもここにいられるのだ。もし彼自身が例外を作れば、その例外は彼の身にも降りかかることになる。
「わかっている。だが奴らは国に剣を向ける大罪人だ。国の安寧のためにもそれを放置しておくことは出来ん。そこはわかってもらいたい。」
盗賊ギルドの幹部に対し滑稽な言いぐさかもしれないが、実際盗賊ギルドも世の安定をもたらす役目を担っている。国が豊かになれば彼らの実入りも増えるからである。基本的な考え方は『出る杭は打たれる』でしかないのだが、それでも時にはこうして秘密裏に国と手を組むこともあるのだ。
ただしこの場合の安寧とはエルト個人のものでしかない。そのことをルドルセンはイヤと言うほど思い知らされている。白龍騎となってからこっち、その地位を利用しどれだけの賄賂をかき集めたか。ルドルセンに言わせればエルトに比べれば自分は遙かに善良な市民と言えた。だが、
「もし国が僕らの情報をよこせと言ってきたらほいほいとあげちゃって構いませんよ。」
という許可を得ている。ルドルセンはかすかに唇の端を上げた。元々あるか無いかの細目なのでそちらは変わったようには見えない。
「そういうことでしたら、我々の取引に触れない範囲で出来る限りの情報を提供させていただきます。とりあえずはこちらが彼らにお渡しした装備の一覧です。地図などもいくつかお求めになってますね。それと最初に南西へと向かったことを確認できています。」
「ふむ、その地図の写し、もらえますね。」
いつの間にか口調が聖職者の皮をかぶった丁寧なものに戻っている。方針が決まり追跡の目途が立ったことで落ち着きを取り戻したらしい。
「ええ。もちろんですとも。」
ルドルセンは細い目をさらに細めて足下に置いてある袋から羊皮紙の束を取り出した。
「これ全てですか?」
「はい、そうです。」
それはこの国の全域をカバーできるほど大量の地図であった。
「どうせ行き当たりばったりの旅ですからね。ちょっとやそっと漏れたって問題ありませんよ。それに表立って指名手配できないんですから事実上四龍騎直下の人間しか動けないんです。物量を動かせない国家なんて怖くありませんよ。開き直ったら?その時はその時です。でもおいそれと開き直れない枷ははめてきましたよ。」
端々で思い出される静のセリフと目の前で地図を睨み眉間にしわを寄せている男を比べてみる。それだけで、どちらに肩入れするか答えは半分出たようなものであった。




