解呪
時は戻り場所変えて。
首都城壁の外、検問待ちの行列から少し離れた木陰にたたずむ何台かの馬車。その傍ら、2人の男がそわそわと落ち着き無く辺りを見回していた。
「君、まだなのかい?」
聞いたのは商人と思われる中年の男。聞かれたのは軽装の普段着をまとった青年である。青年はどこにでもいる街の住人を装ってはいるが、ルドルセンの部下の一人である。目端が利き人当たりもいいので盗みより情報収集がメインの仕事であった。
「いや、たぶんもうすぐ来ると思うんすけど。」
「思うって君ねぇ。」
ばさっ、
「ん?」
「何?何?」
どさどさどさ。
「ぐえっ」
彼らの目の前にいきなり一人の少年が現れた。そして次の瞬間、その少年を押しつぶすような勢いで大量の人間が降ってきたのだ。着地に成功したのは静の懐からいち早く抜け出したルイくらいであった。
「お、重い、潰れる、は、早く退いてください…ぐはっ、」
目標となる場所にマーカーは用意していたものの、微妙な制御をしくじったのだ。運ぶ人数、術の緊急発動、スタングレネードで狂った感覚などが重なったせいである。あるいはそれだけの悪条件で術そのものは失敗していないことを誉めるべきか。ご丁寧に、リーゼナイセや子供達は後から落ちてきたので潰されてはいない。
「ほら、来たみたいだぜ。」
「あ、ああ、そうみたいだね。」
商人だけでなく盗賊の青年もどこか顔がひきつっていた。
「あー、死ぬかと思ったよ。」
「それは僕のセリフですよ。あんなの僕の役じゃないのに。」
「旦那、そりゃ俺のこと言ってるんですかい?」
どこか被害妄想じみたことを言いながらルドルセンが戻ってきた。
「商談はまとまりましたぜ。顔合わせと行きましょうや。」
ルドルセンの後ろには40前後の男が控えている。恰幅はよいのだがどこか気が弱そうな印象を受ける。男は静と竜也を見て眉根にしわを寄せた。
「ずいぶんとお若いですな。」
「ありがとうございます。でもご心配なさらずに。それ相応の働きはして見せますよ。うひゃう、」
相手の不信感を無視して静はにっこりと笑った。その静の脇腹を竜也がつつく。いきなり変な声をあげる静に商人の顔はますます曇って行く。実は静は脇腹が弱いのだ。ルドルセンはどうフォローしようか必死になって考えている。
「脇はダメって言ってるでしょ。」
「仕事って何?」
「あれ?言ってませんでしたっけ?」
「聞こうとしたところで連中が入ってきたのでしょう。今ここで、すべて話していただけますね。」
睨むリーゼナイセ。商人の顔が絶望に染まる。ルドルセンはもはや言い訳を考えることを放棄していた。
「ま、まあ、落ち着いて。要は簡単な話です。こちらの商人さんが北の辺境の村へ行くので、僕らもその旅に同行し、ついでに護衛を請け負おうということです。こちらのおじさんは道中の安全を。僕らは経験と路銀を。ね、いい話でしょう?」
「本当に安全を買えるのかい?なんか心配になってきたよ。」
「ま、無理もねえでしょうなぁ。」
ルドルセンは本心から同意した。面子の中で3人は本当にお子様。もう3人も危機感が全く足りない若者で、まともに頼れそうなのは2人しかいないように見えるのだ。その2人も、片方は故障中でもう片方は経験足らずな温室の華ときている。事情を知らなければルドルセンも仕事を頼んだりはしない。それでもこの仕事を回したのは、一つはギャラが危険度の割に安く身内には回せないこと。足手まといを引き連れてなおどうにかしてしまいそうな悪知恵の持ち主がいること。そして何より、ルドルセンのカンと賭もあった。もちろんそのことを知らない商人は盗賊ギルドなんかに頼むんじゃなかったと後悔し始めている。
「あんたも身一つで商売成功させたんだ。それなりに記憶ってのは大事にしているんだろう。ならあそこで言い合ってる美人さんと向こうでむくれている兄さんの顔をよーっく見てごらんなせぇ。」
「何だっていうんです?いいですか、もし彼らが使いものにならなかったら違約金を、は、はら、は、ひ、フ、ブリングぅむぅーも、」
「はい、命が惜しかったらそれ以上見ない聞かない言わない。ね、安全はこれ以上無いってくらい保証されているでしょうが。」
ルドルセンに口をふさがれた商人はさらにリーゼナイセの顔も見て目を白黒させている。テレビや雑誌などのメディアがないこの世界では、顔を知っているという事は自分の目で見たという事と同義である。リーゼナイセや青龍騎アルカイアの名はこの国では子供でも知っている。だが、その顔を見知っている者となるとどうしても限られてくる。その点、この商人はかなり広い見識の持ち主という事になる。
「詳しい事情は話せませんがね。密命を帯びて国の中を極秘裏に動かなくちゃならないんでさぁ。表通りを歩けないのは一緒。だが裏道だろうと帰らずの森だろうと、あいつらなら昼の表通り以上に安全な旅を保証してくれるさ。もちろん、事情ゆえあんたらを売り飛ばすこともあり得ない。それは保証しますぜ。」
商人は口をふさがれたままなので目で頷いた。それを見てルドルセンはにっと笑って目を細め手を離す。商人はそれで大きく息を吐くと、改めてアルカイアとリーゼナイセをまじまじと見た。記憶違いやそっくりさんではないかと疑っているのだ。だが、見れば見るほどそれは確信に変わっていく。第一、リーゼナイセの冷たい美貌は一度見たら忘れられず、そしてそっくりさんなど存在し得ないものなのだ。
「魔女、とはよく言ったものだねぇ。こっちの背筋まで冷たくなるよ。安全かもしれないけどなんか道中心休まらなくないかい?」
視線の先の彼女は怒りのオーラを吹き出しそうな気配でたたずんでいる。その目の前にいるのはもちろん静である。
「まあ心配はないでしょう。あの人のお怒りはすべてあの兄さんが被ってくれますからね。安心していいですよ。」
結構当てずっぽうに言ったルドルセンの言葉は、あながち間違いではないかもしれない。ただ、魔獣や夜盗などの外敵からは守ってくれるだろうが、その代わり国から狙われるというリスクについてはあえて黙っているので、安心していい、という点では正確では無いだろう。
カポ、カポ、カポ……
ガラガラガラガラ……
「よくまあここまで俺達、来たもんだなとぉー。」
脳天気な竜也の声に馬の足音と馬車の音が重なる。さっきから歌っているのは邦楽のごった煮で、当然周りにいる皆に歌詞の意味はわからない。しかし馬の旅、ということで比較的のんびりした歌を選んでいるので、それほど違和感はない。これが竜也のメインの持ち歌だと、ミリィやフィルは目を回していたかもしれない。なにせ音量と音圧を極限まで上げたうえで奏でるデスメタルやハードロック。この世界の住人には刺激が強すぎるだろう。
ルドルセンが用意したのは栗毛の馬2頭と1頭立ての馬車。いずれもこの世界では珍しいくないもので、値段もそこそこの組み合わせであろう。価値的に言えば走行距離10万キロオーバーの中古軽自動車といったところか。
アルカイアと静がそれぞれ馬に乗り先頭と殿を務める。静の馬にはルイも同乗し、静の懐の中や鞍の上など、寝心地のいい場所を求めて動き回っている。馬を警戒する気配が全くないあたり、野生の本能が欠落しているのか大物なのか。
アルカイアはひたすらむすっとした顔で馬に乗っている。当然景色を楽しむ余裕などない。彼にしてみれば商人の護衛など下の中の下に相当する仕事であり、当然不本意極まりない。戯れに傭兵の真似事をする酔狂な王子の護衛をしているのだ、と言い聞かせて心の平穏を何とか保っていた。
続いてルークが手綱を握り隣では竜也が歌を歌っている。馬車の中は意外に広く、旅に必要な最低限の装備もそろっている。長旅用の幌馬車で、夜はこの中でリーゼナイセとフィル、ミリィあたりが眠ることになるだろう。今は涼もそこに加わっている。竜也もだが彼ら2人は馬に乗れないのだ。
「そんなんじゃ現代の武士が勤まらないよ!流鏑馬する事になったらどうするんだよう!!」
「心配するな。そんな事態には万が一にもならん。」
といった一悶着はあったが、おおむね平穏に配置が決まった。
そしてその後ろに商人、彼はトルーナと名乗った、の馬車。これは彼の移動用で、その後ろに荷馬車が一台。御者はトルーナの部下2人である。荷物は主に食料。そして30センチ立方程度の箱。これの中身は教えてくれなかったが、これだけはとにかく死守しろ、との依頼である。
道中まだ二日目。彼らは街道を北に向かっている。今のところ整備され開けた所なので襲われる心配はまず無い。だが、もうそろそろ首都の警備の影響が無くなり、次の街の目も届かない空白地域になる。そしてさらに言うなら、これから先はその街を避けて進むことになる。嫌が応にも危険度は増して行くだろう。
「リーゼナイセ様、お身体の方はよろしいでしょうか?」
「問題ありません。それよりその呼び方はしないことにしたはずですよ。」
「あ、は、はい。申し訳ありません、リーゼ様。」
ルークは恐縮して前に向き直る。歌をやめてその様子を見ていた竜也が笑っている。
「気になるの?」
「えっ?」
竜也は今までの経緯をまとめたメモを閉じながら聞いた。その視線は後ろで身体を休めているリーゼナイセと、そしてついでに列の一番後列にいるであろう静を指し示している。
「はい、それは気にならないって言ったら嘘になります。あだっ、」
生真面目に答えるルークの鼻の頭を竜也のデコピンが軽く弾く。
「ほーら。敬語無しっつったじゃん。わんすもあぷりぃず?」
「え、えーっと、……すみません。わかりません。」
本気で落ち込むルークを見て竜也は苦笑した。
「ま、気にするなってのは無理でもさ。別に俺らが悪い事したわけじゃないんだし。それに静も言ってたろ。お前らのやらなきゃいけないのはまず強くなること、ってね。とりあえずそっちをがんばればいいじゃん。」
「はい。」
ルークはもう一度後ろを見る。当然そこから静の姿が見えるはずはないのだが、それでも気になってしまう。昨夜の、そして今朝も見せつけられた片腕のない静の姿を。
首都を逃げるように旅立った最初の夜。ここら辺は野宿とはいえ首都の影響もあって比較的安全に野営が出来る。そのこともあって急ぐ旅路ながらも早めに野営地を決め今後の指針を話し合うことにしていた。
何はともあれ腹が減っては戦が出来ぬ。というわけで話し合いの前に食事をすることになった。調理は野営に慣れている静と山籠もりの経験豊かな涼がした。竜也も夏休み、涼達の修行にひっついていくことが多かったのでキャンプの知識はあるが、今回は手間のかからない簡易携帯食ベースの食事なのでそんなに人手が要らなかったのだ。
ちなみに最初に食事に文句を言ったのは当然アルカイアであった。戦場へ赴くことは多いものの、そこは貴族のお坊っちゃんである。今まで一般兵士用の食事など口にしたことはまるでない。ひとしきりわめいた後、都落ち状態の自分に気付き一人自己嫌悪の泉に沈んでいってしまった。それを見た静は、
「あはははは。このカルチャーギャップを見たいが為に連れてきたんですよ。いやー、お約束通りの反応、おいしすぎますね。」
と日本語で笑っていた。
「はー、静のことだから何かあるかと思ってたけど、ホントにゲスいこと考えてたんだね。まあネタとしては使えるから感謝感謝。」
といって項垂れるアルカイアのスナップをデジカメに収めたのはもちろん竜也である。二人が何を話しているのかをミリィに聞こうとしたルークは、残念ながら通訳してもらうことが出来なかった。ただ、困ったような呆れたような、どっちともとれるミリィの表情から、二人がまともなことは話していない、ということは判断できた。
フィルとルークは、神殿での食事が元々質素なこともあり、これらの食事に不満はない。リーゼナイセやミリィ達魔術師は元々食が細い者が多い。カロリーメイトなどを与えようものなら3食そればかりという者もいるだろう。
もちろん、トルーナ達は行商人だけあってこういった食事には慣れっこである。
涼と静は文句を言わない。竜也も珍しいという理由で喜んでいる。干し肉を噛んで柔らかくしてルイにあげたりし楽しんでいた。
「さて。」
食事を始めて30分ほどした頃、静が腕時計を見ながら立ち上がった。馬車の前で適当に座り食事をしていた一同の視線が静に集まる。
「えーっと、まずこれからのことを話す前に、ちょーっとやらなきゃならないことがあるんです。まずはそっちを片づけちゃいましょうか。」
何のことかわからず顔に疑問符を浮かべる一同を余所に、静は涼を呼び寄せリーゼナイセの前に行く。そして左手の袖をまくると腕時計を確認する。
「経口摂取から約30分。もうそろそろ効いてくると思うんですが、御加減はどうですか?」
にこっと笑う静を、リーゼナイセは今にも殺しそうな目で睨み付けた。だが動かしたのは視線だけで、口をわずかに開いたものの言葉らしい言葉は出てこない。
「うん、やっぱりね。あなたなら魔法薬はどんなに少量でも見抜けるでしょうけど、化学物質はわからないと思ったんですよ。当たりでしょう?」
「……何を飲ませたんだ?」
「筋弛緩剤みたいなの。」
カラン、と音を立てて空になった皿がリーゼナイセの手から落ちる。同時に意識はあるものの、姿勢を維持できなくなった身体がくたっと倒れていく。地面に落ちる前に、静の手が彼女の背を支え地に激突するのを防いだ。
「ゼ、ゼナ、大丈夫?」
「心配ありませんよ。ちょっと暴れられないようになってもらっただけです。もちろん、命に別状はありませんし怪我一つ負わせませんよ。あ、怪我は、わからないかな。」
リーゼナイセを地面に静かに横たわらせ心配そうなフィルの頭を撫でると、静はおもむろに立ち上がり、
「ひょえっへっへ。食後のデザートお楽しみターイム。ほーら、涼ちゃん、君の雪月花で彼女を裸にひん剥いてくれたまえ。そう、裏表まんべんなく!!」
次の瞬間静は顔面から地面にめり込んだ。もちろん、彼を支える手はどこにもない。側にいたフィルは目を丸くしてどうしていいのかわからずにいる。
「あいつ、何て言ったんだ?」
「お願い、私に聞かないで下さい。」
顔を真っ赤にしたミリィに、さすがにルークはそれ以上追求することは出来なかった。何となく仲間外れにされたようでつまらなくなり、仕方ないので食事の後片づけをすることにした。
「と、まあ冗談は置いておいて。上だけでいいよ。斬っちゃって。」
むくっと起きあがった静はあほな笑いを浮かべたときとさして変わらぬ笑顔のままもう一度涼を促す。しかし涼は今度は静を殴ったりはせず、少し眉を動かし静を睨む。
「ただし、皮一枚傷つけちゃダメだからね。間合いは涼ならわかると思うけど。しくじると死にかねないから気を付けてね。」
いきなり物騒なことを言う静に、ミリィと竜也が何か言おうとした。だが涼の剣は次の瞬間、キン、と鍔鳴りがし、鞘に納まっていた。
「えっ?」
何が起こったのかわからないミリィの声。そして鍔なりの音に、ルークとアルカイアも顔をそちらに向けた。
サラ……
静かな衣擦れの音とともに横たわるリーゼナイセのローブが地面に落ち白い肌があらわになる。
「え゛っ、」
フィルとルークの顔は一瞬にして真っ赤になった。唖然とするアルカイアとミリィ。鼻の下をのばす竜也、トルーナ達3人。涼はつまらなそうに解いた雪月花の封をかけ直している。手入れする道具が心許ないのに雪月花はあまり使いたくないのだ。
そして、見られている当人はなおも殺意のこもった視線を静に向けている。だが、それは羞恥からくるものとは別のものと涼には見えた。それがなんであるかは涼にはわからない。ただ、自分の従兄弟が言っていい冗談といけない冗談の区別が付かないほど馬鹿だとは思っていない。だからこそ静の言うとおりにしたのだし、彼女の視線の意味もそこら辺にあるのだろうとは予想していた。
「さて、ちょっと皆さんお知恵を拝借。少し今までの経緯のおさらいをしてみましょうか。」
上半身をはだけたリーゼナイセの横で、静は何も変わらぬ静かな声で話し始めた。
「彼女が魔王軍と対峙したとき、その軍勢は青の騎士団3000のみ。ところが、青の騎士とはいうものの、実際には貴族の子弟の腰掛けであってこれに戦闘能力らしきものは皆無と言っていい、というのは周知の事実。」
そう、一般市民には知られてはいないが、この世界で商人達は情報網が最も発達している。当然城に色々と商品を納めているトルーナ達もそれは知っていた。青の騎士団の主力は、藍の騎士団と呼ばれる貴族お抱えの私兵集団なのである。正確には貴族の子弟である正騎士300人と従騎士3000人の3300人が戦力の中心であった。他に食料などを運ぶ部隊もいるが、そちらは戦力外である。
「で、それに随伴した彼女の目の前で、その300人はあっと言う間に全滅。彼女は仕方ないので一人でそれに立ち向かいました。結果、魔王に手痛いダメージを与え一時的に軍を退かせることに成功。今の台風の目のような休戦状態を得たのです。」
アルカイアはその光景を思い出し歯ぎしりした。自分の目の前で部下達が次々と倒れていく。それを見ながら自分は何も出来ない。しようにもまだ敵は500ユート(1ユート=90センチ)以上先に布陣している。駆け出していっても何も出来ない。無力感しかない光景であった。
主戦力が従騎士である以上、お飾りの正騎士が全滅したところで根本的な戦力は問題ない。だが、従騎士はあくまで正騎士の部下であり、指揮官クラスが全滅した状態で戦闘など出来るはずも無い。正確に言えば、付き合う義理が無い、ということだ。騎士団長のアルカイア一人が生き残っていても、それに付いて来る者は一人としていなかった。
「さて、その時彼女が使った呪文。それは禁呪に分類されるもので、死者の魂を媒介として地獄の餓鬼を呼びだし敵を攻撃するものです。で、そういった呪詛は強い力を得られる反面、返されるとそれがそのまま自分に返ってきてしまうのです。で、今現在、魔王は自分の城でピンピンしています。さあ、そこから考察し憂慮しなくてはいけない問題点は何でしょう?はい、そこでデジカメ持って撮ろうかどうか悩んでいる草薙竜也君!」
「えっ、ええっ?あ、あう、こ、これは、いや、別にやましい気持ちはなくて、事実を正確に記録し伝えるのがジャーナリストとしての務めであるからして、」
「ブブー。時間切れ不正解。はい、じゃあ出席番号3番ミリィさん。」
「ええっ?」
何が3番なのかわからないが、いきなり指名されてようやくミリィの停止した思考が再び動き始める。まずリーゼナイセの胸に何かかけてあげるべきか否か。呪詛系魔術の基本と禁呪。さっきまでの静の講釈。先日の王太子の言葉。それらがオーバーフローぎりぎりの速さで頭の中を駆けめぐる。そしてたどり着いた結論に、ミリィは顔から血の気が引くのを感じた。
「えっ?あ、あれ?リーゼナイセ様のお身体……」
「はい。答えを出せたみたいですね。」
「ミリィ、どういうこと?ゼナの体が何か悪いの?」
事態を把握できないフィルがミリィに詰め寄る。さっきまでリーゼナイセに近づこうとしていたのだが、その首根っこを静に捕まれ近寄れずにいたのだ。フィルの必死の形相に、答えていいものかどうか迷いミリィは静を見た。静は笑みを浮かべたまま小さくうなずく。
「私は呪詛魔術は使えないので詳しくはわかりませんが、先程静様が仰ったように通常呪詛は呪いが達成されるまで消えないんです。それで、失敗すると呪いは術者に返ってきます。魔王アモルファシスが今生きているという事はリーゼ様の呪詛は返されたはずなんです。それなのにリーゼ様のお身体に外見上の変化が何も現れていないので、変だなぁ、って……」
何も変ではないことが変、という理屈をうまく説明できず、ミリィも混乱して言葉が出なくなってしまった。だが、
「魔王との一件であの女の身体はぼろぼろなのだ。先の召喚の儀式でほぼ底が尽きた。いても役に立たないらしいぞ。だから切り捨てる。英断であろう?」
というあの馬鹿王子の言葉を一同が思い出すのにそう時間はかからなかった。それを知らない商人達も鼻の下を伸ばしていい状況ではないことはわかったようである。
「静様、ゼナは、ゼナはどうなっちゃったんですか?」
フィルが静にもう一度近寄る。
「そうですね、それは自分の目で見た方がいいでしょう。」
「や、め、なさ、い。」
すっと片手を上げかけた静の動きが止まる。驚きながら振り向いた先で、リーゼナイセが苦しげに上半身を起こしかけていた。
「すごいですね……」
思わず静がパチパチと拍手する。
「抗生物質だの化学調味料だのに毒されていないこの世界の住人なんで量を少な目にしたとはいえ、さすが魔術師ですね。薬物への抵抗力は並以上にあるんですかね?」
「そんなこと私に聞かれてもわからん。」
「そりゃそうですね。」
「それ、以上、王子に、ふざけたことを言ってみなさい。今、すぐ、息の根を、ぐっ、」
「息の根を、どうします?その身体で。」
無造作に近寄った静が、起きあがりかけたリーゼナイセの顔を地面に押しつけた。さして力は入れていないが、それだけで彼女はもう起きあがることもできなくなっている。
「き、さま……」
恨めしげに自分を睨み付けるエメラルドグリーンの瞳を静はうれしそうに覗き込んだ。そこには殺意にも近い炎が宿っている。
「フィル、それに、みんなも。よく見ておくことです。魔王と呼ばれる存在を相手にするということがどういうことか。そして自覚することです。今、あなた達が彼女のおかげで生きているという事実をね。」
「や、め、くぅっ、」
バチッ!!
リーゼナイセの身体の上で電線がショートしたような光と音がし、凝視していた一同の視力を一瞬奪う。
カリ、パキ、グチャ、ピチャ……
ギギギ、グキャ、クケケケケ、キーーーー、
闇の中白濁した視覚に替わり、聴覚と嗅覚に急に入り込んでくる不快な奇声と血なまぐさい腐敗臭。それが静とリーゼナイセのいる場所から来るものだとわかったとき、そこにいる誰もがこのまま見えなければいいのに、と思った。だが視覚の麻痺はすぐに治まる。彼らの視界に最初に入ってきたのは赤黒い固まりであった。
「ひっ、」
悲鳴はミリィのものであった。恐怖に固まり、気を失いそうなほどの恐怖に襲われながらも、その恐怖のために気を失うことが出来ない。
「ぐ、うぅ、」
それはルークの嘔吐を抑えるうめき声であった。フィルとミリィは真っ青な顔をして声も出せずに固まっている。トルーナ達はとっくに草むらへと逃げ出している。アルカイアもさすがに言葉が出ないようであった。
「フゥゥゥゥゥ!!」
ルイだけが気丈にも餓鬼に向かって声を上げている。とはいえ、流石に腰が引け気味で、飛びかかろうとはしない。一定の距離を保ち威嚇を続けている。
そんな中で最初に声を上げたのは、やはり呪術というものに最も縁遠く且つ知識として最も身近な竜也であった。
「なんだよ、そのエイリアンの幼性体みたいのは。痛くないの?」
リーゼナイセの身体には先程までの美しい肌などどこにもなかった。血に染まったおぞましい生物達が皮一枚下をうごめきあっている。どこからどこまでが1匹なのかわからない数と密度。そして所々に見える生々しい臓物の端切れ。その状態で生きていられることがまず異様であった。
「痛くないわけないだろうが、この馬鹿!!」
と怒鳴って返したりしないのが静という人間である。静はにこっと笑ってリーゼナイセの肩に軽く触れると、笑顔を顔に張り付けたまま竜也に近寄った。もちろん竜也はその笑顔が危険シグナルだということを痛いほどよく知っている。本能の赴くままに後ずさるのだが、残念ながらその速度はあまりにも遅すぎた。
「試してみる?」
ぽん、と静の手が竜也に乗せられた。
ガリ………何かが自分の背骨を囓る音。
グチッ……筋繊維が大して切れもしない歯ですりつぶされている。
ピチャ……血溜まりとなった体の中を長い舌がはいずり回る
ゾブ、ゾブ……これは、今さっき何かが食い散らかした俺の身体が造られていく音。
そしてまた喰われていく。喰われるために再生し、生まれた片端から喰われる。際限のない苦痛の繰り返しであった。
「えーっと、どれくらい痛いかわかった?ちなみにそれ、感覚共有っていうやつで、今は痛みを分け合ってる状態だから、実際にはその最低4倍くらいになっているはず。今はリミッター付ね。」
「ぐ、がは、わ、わがったから、あ、が、」
腹を押さえながら竜也は地面をごろごろと転がりまくっている。実際には冷静な状況判断など出来ず、静の言葉の半分も届いていない。静は苦笑して竜也の肩を叩く。それで腹の中を蹂躙されていた感覚と気が狂いそうな痛みは消え去った。しかしその余韻はまだ残っており、流れ出る脂汗とこみ上げる嘔吐感はいつまでも止まりそうになかった。
「とまあ竜也君にお試しいただいたように、あれは地獄の餓鬼の集合体です。彼女が使った呪詛はその餓鬼を召還し相手を食い尽くさせるものなんです。この感じだと3割くらい返されたんじゃないでしょうか。」
「彼女はこの痛みを常に背負いながら平然とした訳か。大したものだな。」
「君が言っても説得力無いって。」
先程、実際には4倍、と言ったように実は4人分に分けて痛覚を共有していた。つまり涼、静も同じように感覚を共有していたのである。今は竜也だけが外されている。その状態で涼は眉一つ動かさずにいるのだ。
「まあいい、続けろ。」
涼に促されて静は立ち上がると再び講釈を始めた。
「この返された餓鬼は、彼女の身体に巣食い彼女の身体を蝕んでいます。そして質の悪いことに、彼女自身の魔力を使って彼女の身体の再生まで行います。で、再生された肉体はすぐに彼らの餌となります。まあこれくらいのリスクがあればこその禁呪なんですけどね。」
「そんな、じゃあゼナはずっとこのままなのですか?」
青い顔をしたフィルの問いに静は首を横に振る。
「今は彼女の精神力と自身の保有する膨大な量の魔力プールにより均衡を保っているのです。その均衡が崩れたら、再生が追いつかずあっという間に餓鬼に食い尽くされるでしょう。あいにく餓鬼に満腹というものはありません。彼女が死ねば召喚主であり今や呪詛の対象でもある者が消え餓鬼も消えます。普通は呪詛を返された時点で死んでますよ。こんな状態で大規模な召喚術なんてよくやれたもんです。この場合やらせた奴が馬鹿なんでしょうけどね。」
一瞬だけ、不愉快な顔を思い出したのか静の顔も曇る。それが誰なのかはここにいる誰もが言われなくてもわかっている。彼女は決してその名に逆らうことはないということも。
「そんな……。じゃあ今までリーゼナイセ様のお身体に何もお変わり無かったのは、」
「うん。幻術で隠していたんだね。まあ無理もないけど。主にフィル限定とはいえ心配かけたくなかったんでしょうね。」
「静様、お願いします。ゼナを、ゼナを助けて下さい。」
「ふむ……。」
フィルは大粒の涙を流しながら静にしがみつく。体の自由を奪われたことで餓鬼の力が増したのか、リーゼナイセの体の中で餓鬼の動きが激しくなる。そのため彼女はもはや動くこともできなくなっていた。
静はフィルをはじめ子供達の表情を観察し軽くうなずいた。思惑通りの結果に満足そうである。それを見て涼は呆れて目をつむった。別に静に悪気はないのだが悪趣味は否めない。
横を見ると竜也は竜也で今さっき味わった感覚を早速色々と表現を変えてメモっている。こちらも真剣味に欠けることこの上ない。
「餓鬼を消滅させるのは容易ではない。死者の世界から召喚した疑似生物に死は無いので消滅させるしかありません。餓鬼は満腹になると消えますがこの世の全てを飲み込まないと満足しないと言われています。もちろんそんなことさせられません。さてどうしましょう?はい、竜也君。」
今度は来るだろうと予測していたため、竜也も慌てるようなことはなかった。
「ふっふっふ。密教系の話じゃ有名だな。ひっくり返してやればいい。この世を中に入れるのじゃなく自分を中に入れることで結果的にこの世の全てを飲み込んだことになり餓鬼は満足し成仏する。基本だね。」
どこで手に入れた知識だかはもはや覚えていないが、餓鬼と聞いた瞬間に竜也の脳裏にその逸話が浮かんでいた。実のところ静の発想も竜也から借りた漫画を元にしているのである。ただし、基本だね、と同意を求められても若年性活字中毒症の涼にはわからない。
「あれ?でもそれって甘露が必要だし静って密教もやってたっけ?」
「早九字くらいなら知ってますけど後はさっぱり。そこはほら、僕流にアレンジしますよ。と言うわけでフィル、リーゼナイセを助けたいと言ったね。では、その術を行うにあたってちょっと犠牲が必要です、と言ったらどうしますか?」
理解できない単語が飛び交う中いっこうに動こうとしない静に焦れていたフィルは問いかけられて迷わずうなずいた。
「ゼナが助かるなら。ゼナは、お爺様とゼナはこんな僕に優しくしてくれました。だから。静様、何があればゼナは助かるんですか?」
真剣な顔で自分を見つめるフィルを、静は思わず抱きしめた。
「いやー、健気だねー。この素直さ、もうお兄さん嬉しくて嬉しくて。いっつも顔面神経痛と直情馬鹿オタクばっか相手にしてるから新鮮でねぇ。ほら、君たちもこの子の爪の垢煎じて飲みなさい。」
かいぐりかいぐりと頭をくしゃくしゃにかき回しながら涼と竜也に視線を送る。
「セイー、あんまり遊ばないでよ。フィルは真剣なんだからさぁ。」
遠慮気味に、しかし容赦なくリーゼナイセにデジカメを向けながら竜也が窘める。
「爪の垢ならお前が真っ先に飲め。この先天性C調人間め。」
あっさりと突っ込み返す二人と違ってフィルに余裕はなく、焦りと驚きで言葉が出ないでいる。それは今まで平然としていたリーゼナイセの初めて見る苦悶の表情のせいだった。そのフィルに静は笑いかける。
「餓鬼が好む甘露は神様の飲み物なんで僕は持っていません。ですから代用品を使います。それはね、人の血なんですよ。」
静は穏やかに微笑みながら、いつの間にかフィルの腰からコンバットナイフを抜いていた。
「赤子、処女、そして徳の高い僧など。神に誓い程効果があります。大量の血を必要とする、と言ったらどうしますか?」
「かまいません!早く、早くお願いします!!」
フィルは真剣な顔で腕をまくった左腕を差し出した。神殿暮らしの王族とはいえ一介の神官戦士見習いとして扱われていたのだろう。不健康な生白さとは無縁の腕であった。
「静様、それなら私も…」
「俺も見習いとはいえ神官です。」
静とフィルの話を横で聞いていたミリィとルークも腕を差し出す。その目に躊躇いはない。
いい子だ、いい子達だ、と歓極まってしっちゃかめっちゃかになでくりまわしたくなるところを、冷ややかな友人二人の視線のおかげで踏みとどまる。実は両腕が半分くらい上がりかけていたりする。
「はい、わかりました。じゃあ拳を開いて、力を抜いて下さい。そう、手のひらを上に向けて、ね。」
背中から視線を感じる。リーゼナイセの無言の非難をひしひしと感じながら、静は手に持ったコンバットナイフを3回斬りおろした。
「えっ?」
驚きの声が重なる。ぴりっとした痛みの後にゆっくりと血が滲む。静が斬ったのは3人の手首ではない。小指の先、それも1センチにも満たないかすり傷であった。
「あの、静、様?」
フィルが肩すかしを食らった顔で静を見上げると、静は笑顔を消して呼び寄せた涼に耳打ちしていた。それを聞いた涼の顔がわずかにこわばるが、静は再び笑顔に戻ると友人の肩をぱんぱん、と叩いた。それで涼も肩の力が抜けたのか、いつも通りの仏頂面に戻ってしまった。彼らが何を話していたのかは声が小さすぎて3人にはわからない。
「さてと、お仕事にかかりますか。」
そう言って静は3人の手を取ると、自分の左手の上に滲ませた血を数滴ずつ落とさせた。静が傷口を撫でると、痛みは消えてしまいそれ以上の出血もない。
「あの、これだけ、ですか?」
少し怒ったようなルークの声に、静はにやっと笑って彼の鼻を空いた右手で弾いた。
「そう怒りなさんな。嘘は言ってませんよ。高貴な血と大量の血というのは同じ人間から採る必要はないんですから。前者は触媒。後者が材料なんですよ。それにね、君たちにはこの後もっと重要な仕事が残ってるんです。こんなところで貧血になっている場合じゃないんですから。」
「重要な仕事、ですか?」
「そう。僕と彼女はしばらく使いものになりませんからね。その間護衛の仕事をしつつしっかり強くなってもらわないとね。それが君たちのお仕事。後はお兄さんに任せておきなさい。それとフィル。」
「は、はい。」
「君は、彼女が誰の為に苦痛を押し殺してきたのか、すこーし考えておくことです。」
そう言った静の声はいつになく真剣なものであった。フィルの頭を撫でると、静は3人に背を向けてリーゼナイセの方へと歩いていく。その傍らには涼が付き添い、向かう先では心楽しげにデジカメを構えた竜也がいる。3人には、背を向けた静の表情は見えなかった。
「……楽しそうだな。」
実は相変わらず笑顔は消えていない。
「まね。人に貸しを作るのは好きですし。」
「おわ、もう始めんの?」
リーゼナイセの傍らに立つと、さして準備もなくいきなり呪文の詠唱にはいる。竜也は慌てて録音用のスマホを向け自身もデジカメを構えた。
静の呪文が進むにつれ、手のひらの血が一ヶ所に集まり結晶化していく。それは紅い宝石のようにも見えた。竜也が前に受け取ったものにも似ている。
「ぐ、ぐぅ、」
それに伴いリーゼナイセの腹部の動きが激しくなる。皮を突き破らんばかりに中で蠕動する餓鬼達に、リーゼナイセもさすがに汗を大量に流している。
「ね、ねえ、静、大丈夫なの?なんかチェストバスタってるよ?」
「大丈夫ですよ。さ、仕上げです。涼、頼みますよ。」
静は涼の返事も待たず、結晶化した血塊を握りしめた左腕をリーゼナイセの腹部に突き立てた。
「ひっ、」
「ゼナっ!!」
「お、おい!!」
離れてみていた3人の少年達もその光景には声を上げずにはいられなかった。静の拳が彼女の身体にめり込んだのか、それとも体内の餓鬼が彼女の皮膚を食い破ったのかはわからない。だが今は手首までリーゼナイセの身体に潜り込んでいる。そしてその腕をジワジワと餓鬼達がはい上ってくる。
「セ、セイ、なんかヤバクない?」
「まだか?」
「まだ。このままじゃ彼女の中は空っぽです。せめて心臓だけは再生してからじゃないと保たない。」
ガリ、ミチ、ギリ……
体内から食い破り外に出た餓鬼達の咀嚼音は先程より遙かにクリアに聞こえてくる。だが、その音源は今までより高い位置にあることに気付く。疑似甘露を目指す餓鬼達は同時に静の腕をもその腹腔に収めようとしているのだ。
「ゲ、セイ、イタソー……」
「それでもシャッター押し続ける根性には感心するな。」
涼の言うとおり、先程から竜也はアングルをあれこれと模索しながらしきりにシャッターをきっているのである。竜也に言わせると、相手がリーゼナイセでは遠慮してしまうが、被写体が静に移った時点で遠慮する理由はなくなった、ということである。その点に関しては涼も同感なので何も突っ込まない。
「リュウヤ様、我々に何か出来ることは……」
「ん、ないよ。」
「ないって、しかし、」
「だって静は何も言わないでしょ。俺らの助けが必要なら必要な状況にするもん。やることがないんならやらなくていいって事だよ。」
いまいち言ってることに納得がいかないが、かといって迂闊に動いても足手まといになるだけなのはルークにもわかる。
「ミリィ、こいつを抑えていてくれ。いつ飛び出すかわからん。」
涼に言われてミリィがルイを抱き上げる。居心地悪そうに身じろぎしたものの、暴れることなくミリィの腕の中に収まった。涼はそれを見届け半身に構え雪月花の封印を解く。
「あれ?どうすんの?」
「こうするんですよ!」
ズ、ズルズルズル、
竜也の問いに静が答えながら腕を引き抜く。
「ぐっ、ああぁ!!」
それにはリーゼナイセも流石に苦悶の声を抑えることが出来なかった。今までずっと沈黙を守ってきた彼女の上げた声に静と涼以外の全ての視線が集まる。
キンッ
再び聞こえた鞘鳴りと納刀の音に竜也が振り向くと、涼の雪月花はすでに元の位置に戻っていた。そして視線を静に移したとき、竜也はもう少しで手にしたデジカメを落とすところであった。
「セイ……?」
いったいいつの間にそんなに増えたのだろう。直径1メートルほどの異形の怪物の集合体。それが静の前に浮かんでいるのだ。だが竜也が驚いたのはそれだけではない。静の左腕、肘の上あたりから先が無くなっていたのだ。
静は残った右腕を複雑に動かしながら呪文の詠唱を続けている。どうやったのかはわからないが切れた左腕からは出血はない。ただし足下にそれなりの量の血痕は残っている。おそらく何らかの形で止血したのだろう。
静の呪文の詠唱に伴い巨大な餓鬼玉は徐々にその容量を小さくしていく。餓鬼が消滅していくのではなく、中心に向けて縮んでいくように見える。それは明らかに不自然な圧縮であったが、それでも餓鬼達が外へ向かって逃げ出すことはなく、見た目だけではなく鳴き声までもが小さくなっていく。
「ふぅ、これで一段落、かな。」
やがて、静寂が辺りに戻り静の落ち着いた声と大きく息を吐く声が聞こえた。そのころには餓鬼の集合体はもとの姿を為しておらず、核となったであろう血塊のような、紅い宝玉となっていた。ただしその大きさは直径にして5,6センチはあろうかというもので、その赤色は毒々しさを感じさせるものがあった。
「一段落って静、その腕、どうすんのさ?いきなりそんな格好で帰ってみろよ。おばさんショックでぶっ倒れちゃうよ!!
「ああ、心配は要らないよ。お腹に穴が開いたのに比べれば、腕の一本や二本、いくらでも再生出来ますからね。」
「はぁー、なんかトカゲのしっぽみたいだね。」
「トカゲってあのねぇ。」
静は苦笑しながら紅玉を拾い上げると、用意していた毛布でリーゼナイセの身体をくるんだ。さっきまではまやかしの裸体と餓鬼の塊の本体だったが、これから再生されてくるのは紛れもない彼女自身の身体である。似非フェミニストを自称する静にしてみれば野ざらしにしていいわけがなかった。
ミリィの腕から降りたルイがリーゼナイセに駆け寄りその頬をなめる。だが、リーゼナイセは気を失ったようで返事を返すことはなかった。
紅玉は餓鬼玉、静の腕、フィル達の血塊を封入した結界のようなもので、この中でリーゼナイセの魔力をエネルギーとし、静達の血から造られた疑似甘露を触媒に餓鬼達の浄化反応を進めているのだ。ただ、餓鬼の量が尋常ではなく多いので、その反応は一匹一匹処理していくこともあり非常に時間がかかる。リーゼナイセの魔力が膨大であることを差し引いても、完全に浄化が終わるのは2週間後くらいではないか、というのが静の見立てであった。
また同時に、餓鬼に食い尽くされたリーゼナイセの体内の再生も行わなくてはならない。
今は紅玉の中の餓鬼に呪われている状態で、浄化のために彼女の身体から引きずり出したが呪術的にはまだつながっている。彼女はその呪いにより無理矢理生かされていると言ってもいい。浄化が進めばその効力は弱まり放っておけば死んでしまう。先程静が言ったとおり、肉体の再生は高位の魔術師にとって不可能ではないので、彼女ならば本来問題はない。ただし、紅玉に魔力の大半を取られているので、再生スピードはやはり落ちてしまう。少なくとも3日は安静にしていなければならない。もちろんその後も、浄化が終わるまでは魔法の魔の字も使う余裕はない、ただの一般人として過ごさなくてはならないだろう。
「うーん、よくわかんない。」
「わかりやすく言うと、魔力の元利均等返済のようなものです。」
「もっとわからねーよ!」
ちなみに静の腕は、生きた状態で触媒として使われている。だから、完全に切り離し再生すると浄化呪文の効力もなくなってしまうので、結局しばらくはこのままでいるしかない。つまり、術の前に言ったとおり、しばらくリーゼナイセと静は完全に役立たずになることが決定したわけである。
「そんな、じゃあ護衛の仕事はどうするんですか!!」
「だから言ったじゃないですか。君たちには君たちの仕事があるって。頑張って下さいね。なーに、よっぽど変なのが出ない限り街道沿いの旅路に危険なんてありませんよ。やっかいなのが出たらアルカイアに押し付けちゃえばいいんですから。」
お気楽にウィンクする静に、フィルもルークも呆れたように顔を見合わせるばかりだった。
→ 1.続く
2.もう帰る




