親善試合 日本代表 VS アメリカ代表 第三戦④
「この回、仕掛けるぞ」
そうみんなに宣言する、無死無走者である回の先頭打者が彩音であるということ。
この状況は作戦を実行するにあたり限りなく理想的だ。
「聞かせてくれないかな、その修平くんの作戦を」
そう彩音に問いかけられて小さく一つ頷いてからそれを話し始める。
「まず彩音が塁に出ることが絶対条件だ、彩音が塁に出たら代走に千隼を送る。ここまで見た感じアダムスのクイックは下手だ、千隼なら二盗三盗で三塁まで十分狙える」
「無死か一死で三塁に辿りつければ、外野フライあるいはスクイズで一点は狙える」
目の粗い作戦ではある、まずランナーを出すのが無死でないと厳しい。
三塁まで盗塁するのにもリスクがあるし、仮に出来たとしてその盗塁が成立するまで最短でも打者は二球見逃さないといけない。
それでもしもツーストライクと追い込まれればスリーバントとなるスクイズは選択しづらいし、外野フライを狙うにしても難易度は大きく上がる。
しかし上手くいくであろうという根拠も無いわけではない、まず先ほども述べたようにアダムスのクイックが下手で盗塁成功率は高いものになりそうだということ。
もう一つは盗塁を待つ間の二球が共にストライクで一気に追い込まれるという可能性は比較的低いということだ。
カウントが悪くなるまでほぼ全てで制球の荒いツーシームを投げるアダムスがここまで二球連続でポンポンストライクをとれた場面なんていうのは殆どない。
連続ボールも珍しくないし、確率で言えばワンボールワンストライクが一番多い結果になるはずだ。
一番の問題は先頭の彩音が塁に出られるかどうかというところである、こればかりは彩音の打撃を信頼するしかない。
「なるほどね、その作戦を実行するのが一点を取りに行くなら一番確率は高いと思う」
そう口にしながらも彩音は納得していない様子だ。
「でも、その場合九回までには必ずもう一度三番まで打順は回ってくる。その時のことを考えるならこのタイミングで代走の切り札を切るのは得策じゃない」
彩音の言ってることは分かる、俺も考えていたことだ。
この回彩音が塁に出て代走を送り、無事に一点を取ったとする。
当たり前の話だがその場合彩音をベンチに下げないといけない、そうなれば次の一巡で一番ヒットを打つ可能性が高い打者を失うことになる。
そうなればさらに点をとるのは相当に厳しくなるだろう、そういう観点で考えるのであれば彩音の言うとおりここで代走を出すべきではない。
しかし次の彩音の打席が今回のような形で回ってくるとは限らない。
「今は一点ビハインド、ここから勝つためには最低でも二点が必要。修平くんは引き分けに持ち込むことを目標としてるのかな?」
この試合に延長はない、だから九回まで同点で終えれば引き分けに出来る。
しかし俺達の目標はそういうものではなかったはずだ。
「……俺が間違っていた、今必要な点数は一点じゃない」
彩音の言う通りだ、試合に勝ちに行くのであればここで代走という選択肢は無い。
もちろんリスクはある、最悪の場合この切り札を使えなくなるかもしれない。
しかしそのリスクを回避してここで一点をとっても、それは勝利に繋がらない。
勝利を追い求めるのであればリスク覚悟で勝負するしかないのだ。
「それじゃまずは私が塁に出ないとね、私の足と盗塁技術でも二盗までは出来ると思うからなんとかチャンスは作る。後は東堂さん桜庭さんにお願いするよ」
そう言って彩音が打席に向かう、まずは彩音が結果を出せるかどうかだ。
先ほどの打席の様子で言えばかなりの精度でツーシームを捉えていた。
その初球、ツーシームが大きく外角にはずれてボールとなる。
アダムスも少なからず彩音を意識しているはず、こちらの打線で一番彼女に対応している存在なのだから当然警戒してしかるべしだ。
二球目は高めに抜けてツーボール、このようにボール先行した場合横スライダーでカウントを整えるのがいつものパターンではある。
しかし彩音に対しては横スライダーを第一打席でヒットにされていることを考えると投げにくいのかもしれない。
三球目、相手バッテリーの選択は膝下で曲がる横スライダーだった。
いいコースにコントロールされているが彩音に通じるボールではない。
右中間方向へと綺麗に弾き返す、ライトが回りこんでその打球を止めた。
シングルヒットで無死一塁、まず第一の関門は突破した。
続いて打席に四番の東堂さんが入る、ここまではノーヒット。
今ひとつツーシームに対応出来ていないというのが現状だろうか。
一塁ランナーの彩音は盗塁を仕掛けるつもりのようだが、いつ行くかが問題だ。
どうするのか注視していたが、彩音は初球からスタートを切った。
初球はツーシームが外れてボール、キャッチャーが二塁に送球するも間に合わない。
盗塁成功で無死二塁となる、ほぼ無警戒に近かったこともあり余裕でセーフだった。
続いて二球目の内角のツーシームを東堂さんが叩いた。
打球はセカンド正面のゴロ、ランナーは三塁に進塁する。
価千金の進塁打で一死三塁という状況を作り出した。
「素晴らしいバッティングだった、どうしてもランナーを三塁に進めたかったからな」
「ヒットは打てなくても引っ張っての進塁打のゴロぐらいなら、ってことですね」
そう言って東堂さんが苦笑する、確かに四番としての仕事とは言い難い。
ツーシームはゴロになりやすいボールであることも考えるとゴロでの進塁打に絞ればなんとかなるものなのかもしれない、もちろん東堂さんの技術があればの話だが。
そしてこの進塁打がこの場面で十分な仕事と言えるのは間違いない。
「あとは桜庭さん次第だな……彼女のバント技術ってどうなんだ?」
「かなり上手い方です、スクイズを考えるならベストに近い選手かも」
「それは朗報だな」
この場面で求められるのは犠牲フライかスクイズ。
アダムスに対して初打席の桜庭さんが外野フライを打つというのは難しいだろう。
それを考えるとスクイズしかない、普通に打つよりはバントの方が成功率が高い。
相手は当然内野前進守備、かなり浅めに守っている。
どのカウントで仕掛けるかというのが勝負の分かれ目になりそうだ。
初球はノーサイン、投じられたツーシームが外れてワンボール。
二球目もまだ動かない、再びツーシームが外れてツーボールとなる。
これで大勢は決した、こうなってしまえばいくらスクイズを警戒していても外すのはなかなか難しい。
四球でランナーを貯めてでもウエストというのがあり得ないわけではないが、制球の荒い投手がそういった形でランナーを貯めていくこと自体がかなりリスキーである。
三球目の前についにスクイズのサインが出される、打席の桜庭さんが小さく頷く。
アダムスがモーションに入ると同時に三塁ランナーの彩音がスタートを切った。
投じられたボールはツーシーム、ストライクゾーンには収まっている。
桜庭さんがそれをバントする、ファーストとピッチャーの間にボールは転がった。
拾った時には既に彩音が本塁に滑り込むタイミング、諦めて一塁に送球。
スクイズ成功、一対一の同点に追いついた。
代走の千隼というカードを残しつつ、この結果を残せたのは最高の形だ。
続く六番の日下部さんはツーシームでショートゴロ、スリーアウトチェンジ。
八回表のアメリカの攻撃は六番から始まるが、真由は三人で退けた。
とにかく新球チェンジアップが凄まじい威力を発揮している状態だ。
誰もそれに付いていけないし、それを意識する余り他の球種にも対応出来ない。
チェンジアップがあるからこそ平均より少し上といったレベルの速球でも生きる。
この新たな武器は相対的に真由の他のボールの威力をも引き上げていた。
こちらの八回裏の攻撃も三者凡退、先ほどヒットを放った九番に入った捕手の愛里は惜しくもこの打席では凡退する形となった。
そして九回表の守備に向かう前、一つ真由に声をかける。
「キャンベルに回そう、決して手段は褒められたものではないが真由と正面から勝負するためにああいう行動に出たんだ。このまま彼女をアメリカに帰すべきじゃない」
「……うん、あれが無かったら確実にもう一打席彼女に回っていたわけだし。彼女にはもう一打席立つ権利があるとも言えると思う」
俺がこうやって声を掛けたのはこの回の攻撃が九番から始まるからだ。
三人で攻撃を終えれば三番のキャンベルまでは回らない。
あくまで相手が勝手にやったことだと三人で抑えに行くべきなのかもしれない。
それでも、ここでもう一打席対戦するのがフェアであるようにも思えるのだ。
真剣勝負ではあるが、勝つためにはなんでもやるという試合ではない。
それならば、それこそキャンベルを全打席敬遠すればもっと楽に戦えた。
でもそれはしない、この試合は正面から戦っての結果だからこそ意味があるはずだからだ。
それに、ここで逃げたら真由の心には間違いなくキズが残る。
それこそ先ほど真由が口にしたお情けの本塁打返上、という意味合いしか残らない。
もう一度改めて正面から勝負することで、それを拭い去れるのではないか。
真由は二人を打ち取りツーアウト、あとアウト一つで負けはなくなる。
打席には二番打者、ネクストバッターズサークルにはキャンベルが入る。
最後のアウト一つを残して真由はストレートのフォアボールを出した。
これで二死一塁、そして三番のキャンベルが打席へと入る。
この打席でも配球の中心はチェンジアップになるのは間違いない。
まず大切な初球、チェンジアップが真ん中低めに投じられる。
それと同時に一塁ランナーがスタートを切った。
手元で大きく沈み落ちるその変化に対応出来ず、バットが空を切る。
二塁には投げられない、もともとチェンジアップの様な遅い球で盗塁阻止は難しい。
二死二塁と得点圏にランナーが進む、これで単打でも点が入る可能性が出てきた。
何にしろこれでワンストライク、考えてみればこの事実自体が既に異常だ。
今まで他の投手のウイニングショットは次々と打ち崩されている。
それもかなり早い段階でだ、具体的には打席で一球見ればある程度対応されている。
それが真由のチェンジアップに関してだけはそうなっていない。
これで打席に立つキャンベルにきちんと変化するチェンジアップは三球目だが、未だにこういった空振りが奪えているのだ。
それだけこのボールが強力だということだろうか。
二球目、再び低めにチェンジアップ。
今度はバットに当てたがボールは後ろに飛ぶファールボール。
追い込んだが、同時に初めてバットに当てられた。
三球目は高めに速球を外して一つボールとした。
一度速い球を反対のコースに見せることで少しでも目測を狂わすといった意図。
キャンベルのレベルの高さを考えるとその効果には疑問符が付くが、それでも一般的にはそれなりに効果があるはずだ。
四球目に再びチェンジアップ、これで勝負に行く。
ゆっくりと間合いを取ってから、低めのいいところにそれが投げられる。
キャンベルのバットがそれを捉えた、打球はレフト方向に高く上がった。
レフトの彩音がバックする、フェンスの手前まで来てから打球に向き直る。
そしてしっかりとそれを掴んだ、レフトフライでスリーアウト。
僅かに芯を外れていた、その分飛距離が伸びきらなかった。
紙一重ではあったがキャンベルを正面から抑えて、九回表を凌ぎ切った。
この試合に延長はない、この時点でこちらの負けは無くなった。
後は九回裏の攻めで決勝の一点を奪いに行くだけだ。
こちらの攻撃は一番から始まり、三番の彩音まで回る。
まずは一番の柏葉詩が左打席に入る、とにかく塁に出たい場面。
逆に相手からすれば絶対に塁に出したくない場面とも言える。
それにも関わらずツーシームが二球連続で外れた、ツーボールノーストライクだ。
今までならこのカウントからはほぼ確実に横スライダーでカウントを整えにきた。
しかしその横スライダーがそれなりに狙い打たれている、それを考えると投げ辛い。
結局バッテリーはツーシームを選択するも、それが裏目に出た。
制球定まらないままフォアボール、この試合初めての四球でランナー一塁。
すかさず代走に千隼を送る、最高の形でこの切り札を切れた。
二番の柏葉歌が打席に入り、その初球を投げる前にアダムスが一塁に牽制。
さすがに終盤の代走ということで盗塁をそれなりに警戒しているようだ。
しかしクイック同様に牽制も上手いとはとても言えない、これならさほど怖くない。
もう一度牽制してからの初球を見逃してボール、千隼がスタートを切っている。
キャッチャーが二塁に投げるも余裕を持ってセーフ、盗塁成功でランナー二塁へ。
二球目、盗塁を警戒したのか軽くウエストしてきたが千隼は動かない。
ツーボールとボールが先行、こうなるとこれ以上外すのは厳しいはずだ。
そういう展開になったのを見越して三球目で千隼がスタート。
キャッチャー三塁に投げるも間に合わない、三盗成功で無死三塁。
投球こそストライクでツーボールワンストライクとなったものの、ランナー三塁。
ここで内野が集まり、ベンチからも指示が飛ぶ。
キャッチャー立ち上がった、ここから敬遠を選択してきた。
一点取られたら終わりなのだから塁を埋めるというのは十分にあり得る選択。
次の三番彩音が当たっていることも考えれば当然の判断かもしれない。
二番三番と連続敬遠で無死満塁、打席には四番の東堂さんが入る。
ここで相手は守備の交代を告げた、センターの選手がベンチに下がる。
その代わりに出てきた選手は内野手のグラブを持っていた。
それを見て俺はこれから何が起こるかを察した、内野五人シフトだ。
絶対に内野の間をゴロで抜かせないという意図のシフト、ピッチャーがツーシームを主力としてゴロを打たせるタイプであることを考えれば理に適っている。
外野フライでもサヨナラ犠飛になり得るのだ、内野に五人置くほうがいいだろう。
もちろん内野は前進守備のバックホーム体勢で守っている。
そんな状況での東堂さんに対する初球はツーシームが外れてボール。
二球目はストライクが入ってワンボールワンストライクからの三球目。
ツーシームが真ん中低め、東堂さんがそれを叩いた。
強烈なゴロが投手の足元を抜ける、通常であれば文句なくセンター前ヒットだ。
しかし内野五人の網にかかった、代わりに入ったセンターである内野手にボールを捌かれてバックホームされる。
本塁フォースアウトで得点は入らない、一塁は生きて一死となるが満塁が続く。
途中出場で五番センターの桜庭さんが左打席に入る。
彼女の巧打力はなかなか高いものがあるが、それでもアダムスのツーシームを見たのは先ほどの一打席のみであることを考えると厳しいかもしれない。
そんな風に思っていたその初球だった。
カウントを欲しがって真中付近に投げた甘いツーシームを引きつけて捉えた。
打球は強烈なライナーとなりセンター前に抜けると思われた。
その完全にヒットコースの当たりにキャンベルが飛びついた、通常では考えられないぐらいの鋭い反応で打球をグラブの先に引っ掛ける。
そして倒れこんだ少し先にはセカンドベースがある、素早くボールをトスした。
二塁ランナーが戻れずダブルプレー、スリーアウトチェンジ。
最後の最後に追い詰めたものの捉えきれなかった。
第三戦は一対一の引き分けというスコアで終わった。




